6月22日のパトビラ(№983 - 水でも食中毒になる場合もあります -)

毎週、野宿を余儀なくされている方(ホームレス)のところを訪問する際に持っていくパトビラ、今日はこんなことを書いてみました。

妙高山に課外授業に出かけ、湧水をその最中や持ち帰って家族と飲んだ人たちが相次いで食中毒にあった、と言うニュースが6月6日の毎日新聞で報じられました。
山中の湧水は毒されていなくおいしい水と思いがちですが、野生動物や鳥の糞尿を経由して細菌が含まれているケースも少なからずあります。前述の食中毒事件もカンピロバクターによるものでした。乾燥と加熱に弱く、逆に冷蔵に強い細菌ですので、冷蔵庫の普及した現在では冷蔵の過信から被害数も多く、ノロウィルスに次いで事例が多いと言われています。
皆さんはあまり山登りをする機会はないかもしれませんが、小田原市内でも井戸水など地下水を汲める場所もあります。「飲料には適しません」、と言う標記もある場所もありますが、理由は様々でも多くは細菌検査をしていないが故の標記なのでしょう。対策は煮沸することです。
特にこれからは気温も高く細菌の繁殖が多くなります。飲食の素材は煮炊きをすることはもちろん、箸や食器、まな板や包丁なども煮沸植毒を心がけてください。
それでも腹痛や吐き気などがあった場合は、食中毒を疑って早めに医者に行ってください。食中毒は思っている以上命に係わります。


高温多湿の日本において食中毒を引き起こすさまざまな最近の活動が活発になります。
最近自身が悪さをする場合は最近を死滅させれば問題は解決します。今日書いた事例はまさにそのようなもの。カンピロバクターは60余℃でも死滅しますので、煮沸消毒並びに煮炊きで結構抑制は出来ます。
でも、黄色ブドウ球菌やボツリヌス菌は、最近が毒素を作りそれを摂取することが問題になるわけで、耐熱毒素の場合は生き物でないのでいくら煮炊きをしても発症する恐れがあります。
また真空パック内のように酸素が無いと活動する菌が居たりと保存形状だから大丈夫と言う認識も必ずしも正しくないです。
色々な食中毒菌がいて、そのすべてを野宿の仲間に覚えてもらうのは酷です。故に体調不良を感じたら医者に行くという部分だけご理解いただければいいな、と思う次第です。

ブラサイジョーものがたり(2)

今年もやってきました、ブラサイジョーの季節です。

20170618-01

いつもの妄想秘話からスタートです。青字の妄想秘話は創作の域を出ておりません。ご了承ください。

「力を見せつけるには少し残虐ぐらいがいい事は信長公の戦いから儂が学んだ事じゃ。」
そういいながら口をいびつに曲げて笑う秀吉の顔を見ながら、力が拮抗してきたとはいえまだまだ時の流れは秀吉公にある、そう思いながら片や娘婿や何度か力を合わせて共通の敵と戦った戦友氏政公の命乞いをしながら家康は頭の中でそろばんをはじく。
あまりやりすぎても反感を買う、それはもう敵なしとなった秀吉との戦いにとって不利な状況を招くだけ。

「氏直は督姫殿の婿じゃったのぉ」、秀吉はあえて周知の縁を口にする。

「はっ、この家康も50を目の前にして子の話になるといささか弱ぉうございますな。殿下の広いお気持ちでなにとぞ…」

「わはは、わかっておるわい、今回の小田原攻めも第一の殊勲物は儂は家康殿だとおもっちょー。その家康殿の目の中に入れても居たくない督姫殿の婿殿ならのぉ」

助かった。これで名門北条家も関東で細々とでも生き延びられる。お目付け役に儂を指名されるだろうが、儂も今川の領土を頂いて、東海道で北条と太平な町づくりをしていこうぞ…。

「しかし、家康殿よ、今回の小田原攻めで、儂は北条の怖さをたんと知った。なにしろ悪く言う民百姓がいない。これは忌むべきことじゃ。」
「そこで、今回の騒動の責任を氏政公に取ってもらうことにした。」

「な、な、何とおっしゃられますか。既に家督を譲り渡し隠居生活をしている氏政公に責任をとらすと…」

「もとはと言えばきゃつが儂の上洛の命を背き出てこなかったからのぉ」
「それにこれだけ慕われた大名に土地を与えておくとまた反乱をしでかすかもしれんのでなぁ、伊豆、相模、武蔵三国の件もご破算だすべて没収することとする。」

今日の謁見の始まりの信長公の逸話と不敵な笑みの意味がだんだん分かってきて家康は思わず武者震いをする。「して、氏直公は…」絞り出すように問うと
「高野山にでも行ってもらおう」と事もなさげにそう告げた。

「誰かおぬか?」秀吉の声が響く。
「はっ」
廊下から返事が聞こえると間髪入れずに秀吉は言う。
「氏政、そうじゃな氏照もじゃ、に切腹を命じよ。介錯は氏規にさせぃ。それを見届けたら氏政は高野山に向かわせよ」

兄弟家族親族の団結が固い北条軍団。弟に兄の介錯をさせ、それを見届けたら子を追放する。非道な決定で北条5代100年は秀吉の一存であっけなく終焉を迎えたのである。

心配顔の民百姓が箱根口門の南に集まる。待医田村安斎の屋敷の周辺は竹を編み通行ができなくなっている。そしてその周りを秀吉が多の侍が囲んでいる。
あちこちから嗚咽が聞こえる。とのさまぁ~と言う声が途切れなく聞こえる。
その中、氏政、氏照兄弟は腹を裂き、弟氏規は涙をこらえ見事介錯をし、すぐさま自らも腹を切ろうとして取り押さえられた。

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切腹の場と言われている医師安斉の屋敷があったと言われる安斉小路の石碑。

亡骸と生害石は氏寺伝心庵に運ばれました。なお、伝心庵はその後城山に移り、そして中町に移ったので、墓地のみがビルに囲まれ残っています。

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僕らはそうした北条末期の遺跡をみたり、江戸時代になってからの小田原城の変革や扱われ方をサイジョーさんからお聞きしました。
元はと言えば、東海道が小田原を通る唯一の幹線道であったため、三の丸周辺からの登城口であったけれど、江戸に中心が移ったため江戸に向いている現在の市民会館そばが大手門に変わったこと、その門は箱根口門を移設したこと。

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藤棚(南町)にかかる小峯橋はお茶壺橋とも言われ、徳川将軍御用達の氏のお茶壺を京に持って行く時に泊まってお茶壺を保管した場所であるが、帰路(京都から江戸)に行く時は湿気を嫌うので東海道ではなく中山道を通ったのでここでは「お茶」は保管されたことがなかったこと。

曲輪、隅櫓、増形と狭間などの一般的な名称、銅門、常盤木門のような小田原城独自の名称や由来。

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雨降る中の探索でしたが、楽しい時間を過ごせました。

20170618-05

また機会を見つけて小田原探索をしたいものです。


一緒に石造物を調査しませんか?

友人から小田原市の石造物調査ボランティアのための説明会があるというので行ってまいりました。

20170617-01

石仏や五輪塔や記念碑、歌碑などすべて含めて石造物です。
隣接の平塚市で3000以上の石造物があるというので、小田原市だと5000程度はあるのではないでしょうか?
そうしたものを歩きながら「発見」し、大きさや物によっては書かれた文字を記録していくというものです。

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木造物などに比べて保存率が高いですし、それによって以下のことが分かると言います。

20170617-02

探し当て調査するのですから1日で10~20程度しか調査できなければ、5000あれば333回かかります。月に1回の調査だと30年かかる調査です。
元に平塚も20年ほどかかったと言います。
ですからあまり重たく考えずに、自分ができる時に参加する、気軽さは長続きのための重要なポイントかと思います。
もしかしたら僕らの年齢では最後まで参加できないでしょう。
でも少しだけでもやってみたいという気持ちがありましたら 0465-23-1377(郷土文化館)に問い合わせください。
ボランティア保険に入る都合上無連絡の参加はご遠慮くださいとのことです。

楽しく小田原の歴史一緒に探索しませんか?
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