御頭祭(2)

諏訪大社の歴史は定かではないが、日本の神社歴史の中でも古い由緒がある。
関する記述は古事記にある国譲りの話。伊勢神社系の勢力が出雲系の勢力を制圧する話。大国主命とその子の事代主神(ことしろぬし)は遠く大陸から来る船の灯台になるような大社の建築を条件に伊勢勢力の配下に入るが、弟の建御名方神(たけみなかた)は不満で戦うことを提案する。が、伊勢勢力の前に敗北し逃走。その行き先が「科の地(今はあえて諏訪と呼ばない」であるという記載。
もう一つは諏訪大明神絵詞と言う書物。諏訪の地へとやってきた諏訪大明神は、そこで土着の神たちと対峙する。
土着の洩矢神は鉄輪を持ち、諏訪大明神は藤枝を持って戦った。結果は、藤枝を用いた諏訪大明神の勝利であった。敗れた洩矢神は滅ぼされず、祭祀を司る神長官となる。
また、高照姫という神は諏訪大明神に最後まで抵抗したが、民を守るために退き、先宮神社に幽閉されることを選んだ。こうして諏訪の地は、諏訪大明神が治めることとなった。
と言う話。

2つが絡んでるのは、建御名方神と言う神の名。つまりは出雲を追われた一族が東遷し科地方の豪族を滅ぼして土着したと言う事なのだろう。
2つの違った文章を合わせてしまえば伊勢勢力と出雲勢力の戦にも読めるが、もしかしたら出雲勢力の内乱分裂で力が弱ったところを伊勢勢力に制圧されたのかもしれない。
当初の記載にあえて諏訪と呼ばずに科の地と呼んだのは、諏訪は出雲から来た建御名方神が名乗ったからこの神社も諏訪大明神と呼ばれるようになったようで、その前はミシャグチ神、蛇神ソソウ神、狩猟の神チカト神、石木の神モレヤ神などを祀っていたようだ。
特にモレヤ神は、前トピの御頭祭の祭祀を司る直属家系の神で諏訪大社の上社前宮であるし、高照姫は先宮神社の神となっているから、服従の上で豪族として生き延びた、若しくは祟り神として恐れられて神社に祀られたか、と言ったところなのだろう。
そして見落としてはいけないのが、藤で戦う出雲軍に対して鉄輪を持ったという記載。既に鈩(たたら)の技術を習得していたのだろう。ヤマタノオロチの神話も殺した大蛇の尾から剣が出てきたのは、戦いで破った相手から鈩を奪ったという意味だとも言われている。いずれにしろ、伊勢系や出雲系に負けじ劣らじの高度な文明を持っていた証拠だと思われる。
しかし前トピの学芸員氏、この地は「田舎だ」と言う。それは、守谷氏が頑なに弥生の文明を否定し、縄文からの文化を傾倒した結果だとも・・・。

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(いたるところで御柱のように4本の柱で取り囲んでいるのを見る。「結界」と言う言葉が頭に浮かぶ)

つまりここで勢力が変わり、御頭祭や御柱祭を行った部族で無い者たちの祭りの中で、土着の古い祭りが融合と存続のはざまで頑張っているのが諏訪の奇祭と呼ばれる祭りの数々だと思われる。
あわせて御『頭祭は大祝(おおほうり)の代理である「神使(おこう)」が近隣の郷を巡回して五穀豊穣を祈願するために、大社から出立する時の儀式』と言われもいるらしい。大祝は出雲系の神であることからいえば、土着神ではない神が新たな五穀豊穣、つまりは農業文明を手に入れた姿なのかもしれないが、そうだとすれば神使(おこう)を縛り上げる理由がなくなる。つまりは融合の故にわからない神事に変化して行ったのだろう。
こうなるとあの創世記のイサクの物語を髣髴させる祭りが何を意味しどうやって始まったかは謎のままだが、歴史ミステリーはミステリーのままで、その祭りを大事にする文化を尊ぶだけでいいのかもしれない。

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(神事は前宮の十間廊で行われる。この十間廊の大きさがユダヤの幕屋と同じ大きさと言う人もいるようだ。)

しかし・・・、聖書に戻るが、神はなぜイサクを神にささげる場所として住まいから3日もかかるほどの場所にあるモリヤ山を選んだのだろう?

さて、続いて旅の内容を語ろう。

御頭祭(1)

諏訪大社の御頭祭を突貫で見に行ってきた。
この祭りは、今は諸般の事情で江戸時代までの祭りの体は失われているが、江戸時代の菅江真澄と言う、今でいえば『街道をゆく』を記した司馬遼太郎氏のような存在の方が書いた文章があるので、それをご紹介すると…。

御神(おこう)といって八歳ぐらいの子供が、紅の着物を着て、この御柱にその手を添えさせられ、柱ごと人々が力を合わせて、かの竹の筵の上に押し上げて置いた。
そこへ上下を着た男が、藤刀というものを、小さな錦の袋から取りだし、抜き放って長殿(祭祀のリーダー)に渡す。長殿がこの刀を受け取り、山吹色の衣を着た神官に渡す。その藤刀を柱の上に置く。
例の神の子供を、桑の木の皮をより合わせた縄で縛り上げる。
諏訪の国の司からの使者の乗った馬が登場する。その馬の頭をめがけて、人々は物を投げかける。しかし、この馬はとても早く走る。
その後ろから、例の御贄柱を肩にかついだ神官が、「御宝だ、御宝だ」と言いながら、長い鈴のようなものを五個、錦の袋に入れて木の枝にかけ、そろりそろりと走り出し、神の前庭を大きく七回まわって姿を消す。そして長殿の前庭で先に桑の木の皮で縛られていた子供が、解き放たれ、祭りは終わった」。


クリスチャンの兄弟姉妹なら何か「ウン?」という話。その「ウン?」の旧約聖書創世記22章の前半を要約すると、
神様がアブラハムにその一人息子であるイサクを捧げるように命じられたます。アブラハムはイサクを連れてモリヤ山に向かい、そこでイサクを縛り、薪の上に横たえ、刀を取り出してイサクを捧げようとすると、「その子を殺してはならない」という声が聞こえました。ふと見ると、枝に角をひっかけた羊がいたので、その羊をイサクの代わりに神様に捧げました。

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(御頭祭は、江戸時代まではこの柱に子どもを縛り付けて馬で運んでいたが、今はこの柱を人が担いでいます)

他人の空似かもしれないが、子どもを縛り、刀を取り出した時に神が子どもを助ける。そしてその子どもの代わりに生贄が用意される、という共通点はなかなか興味深いもの。
しかも子どもの代わりの生贄は75頭のジビエ。「魏志倭人伝」の記載では、倭国に羊はいないと書かれてるのでその情報を信じれば生贄に鹿が選ばれたことはうなずける。しかもその中の一頭は耳裂け鹿を選べ、との言い伝え。神長官守矢史料館の学芸員さんによれば、それは「茂みに角を絡ませた」それによる傷を現しているという説もある、と語られる。

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(耳を切ったのではなくこうした鹿がいるらしい)

そして何よりも、日本の神道系には多いが、ご神体がなく、この諏訪大社も守屋山自身をご神山として崇めていることも旧約のモリヤ山に通じて面白い。まぁ、似ているかどうかと言えばこじつけに近いものがあるかもしれないが・・・。

過去に玉川温泉に行きながら三戸郡の新郷村にあるキリストの墓と言う観光地に行ったことがある。竹内巨麿氏が戸来と言うヘブライを髣髴させる地名言ったり、ナニャドヤラという由来が定かでない民謡を昭和初期にアメリカでご活躍なさった川守田英二牧師は神をたたえる歌として紹介したりしたのでそれなりの観光客の来る場所となっていた。
この戸来郷は12世紀には地名として正規に残っているで、景教として中国に入ってきたキリスト教と土着の宗教や文化が結びついた結果とは思われるが、それにしても中央ユーラシア大陸を越えて文化や思想が訪れてきたことは何とも壮大な物語だ。

20170415-05
(この守屋家78代が崇めているのはこのミシャグチ神。これもイサクがなまったという人もいる)

きっとこの諏訪大社も同様に文化交流があった結果だと思われるが、それにしてもこの諏訪大社どんな歴史があるのだろう?
生半可な知識で恐縮だが、「妄想歴史」を語りたい。

20170415-04

20170415-03
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