比企の契り(2)

法性寺の裏山が同寺院の墓地ですが、その中を通過させていただくと、山道に入ります。道を左に取ると左手は豪邸の家の壁が延々と。山を借景としてではなくまさに目隠しとして使用しているのか、鎌倉の豪邸は山にへばりついて、近代構造物と自然林のギャップが激しいです。

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薄暗い樹林の下をしばらく歩くと急に開け、壮年の方が猫に餌をあげながら道案内のボランティア。

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この裏に「まんだら堂がありますよ」と。
このまんだら堂やぐら群は、少し前までは日蓮宗の修行者が住んでいて、池を掘り湿生植物を植えその周りをアジサイを植えて見学させていたとのこと。その後の経緯はわかりませんが、現在は行政管理下におかれボランティアスタッフの常駐する秋以降の土日休日のみ開放しているというもの。

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余談ですが、今から35年ほど前、就職し車を購入したころ、もてない野郎どもでドライブに行くとしたら、心霊スポットと呼ばれる場所が多く(笑)、当時神奈川で有名なスポットは、キャシー中島さんが怪談話の場所でして・・・、仲のよかった友人が、決してそんなことを言うような奴じゃなかったんですが、運よく入社できた鎌倉の税理士事務所を、まぁそんなような理由で退職しちゃったことと合わせて、そんな存在を否定しきれなくてこのトンネルを意識しておりましたが、なんというか年の功でしょうか、そっちの世界が近づいたのか(笑)、そういったものへの恐怖心は急激に薄れて今日に至った次第です。
このまんだら堂のだいたい下が、通称バケトンと呼ばれる超有名なスポット。その上には数多くの祠があったのですね。
人の恐怖心が生み出したのか、本当にお化けはいるのかはわかりませんが、川端康成氏ですら「無言」という話でここを取り上げています。

さて、まんだら堂から左に折れれば名越の切通し。3つの切通しが続いていますが、特に第1は圧巻です。
長い年月の間の人為的、または自然による変動があり、今僕らが見るのは全く当時のものとは違うと言いますが、それでも自然の要塞。両側が張り出した岩盤に人ひとり通れる隙間、そして馬などの通行を阻止するような道の真ん中の邪魔な岩。

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材木座6丁目にある弁谷の碑のあたりに北条一族は居を構えたと聞いています。
そして浄明寺1丁目12には北条時政の山荘跡があるとのこと(落盤のために立ち入り禁止らしい)。
つまりは北条氏は東からの三浦氏らの侵入を防ぐべく、名越の切通しと釈迦堂口の切通(まぁこちらは自分の家を守る切通しだったのだろうけれど)を抑えていたわけなんですね。

さて、切通しを見たら踵を返し元来た道を戻り法性寺へ。
寺院に下りずに左に道を取れば石廟があります。石廟とは内部に火葬骨を納めた蔵骨壺が納められたものと言われ、鎌倉時代には、一般的に木造の墳墓堂が造られたが、石造の墳墓堂は珍しく、他に見当たらないもので鎌倉市の文化財に指定されているそうです。まんだら堂が岩盤を四角にくりぬいたのに対して、1体ずつの廟(墓)として作られたのは時代によるものなのか不勉強でよくわかりません。

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そしてその横を通り崖を迂回するように巻くとお猿畠の大切岸。石切り場の跡ですが、なにか岩盤層が海から隆起したもしくは波に洗われて浸食されたような感がします。

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奇勝スポットを歩き、樹林の下の整備された散策道を歩きます。衣張山に行くとまんだら堂入り口のボランティアの方に言えば、とにかく左に左に行ってください。標識はあるけれど小さくてわかりにくいです、と言われた標識。これは確かにわからない。

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逗子ハイランドは振興高級住宅地だけれど、そのすぐ横の野仏はそこまで新しくなさそう。つまりはここは昔から里山の小路としてあったのでしょうか?
指示通りに左へ…。

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しばらくフラットな小道を歩くと急坂へ。久々の山道ぃ(>_<)
休憩したくとも同じような斜面が延々と、しかも広いスペースはなく人一人歩ける道。
・・・で、根性で登頂。と言っても標高121mなんですよね、ヴ~ン自分の体力脚力のなさにボーゼン(笑)

この衣張山の名の由来は、暑い夏の日、御所にいた頼朝(政子とも言われています)が、目の前の山に雪が積もっていればさぞかし涼しかろうに、といって山中に白い衣を張ったところから名づけられたとか。もちろん源家の権力の大きさを広げる後日談にすぎませんが…。

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そんな山を登り、最近石仏調査会なるグループに入れてもらったので気になってしまう五輪塔を撮影し、またささやぶの中に身を投じます。

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下りはあっという間で麓につきます。十字路を左に進み、前述の北條時政山荘(裏門)のあとでもある釈迦堂口切通しをそばから覗いて、今度は比企家の住まいだった場所に建つ妙本寺に向かいます。妙本寺自身も比企家の菩提寺です。

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小田原教会3代前のY牧師が小田原に来られる前に牧会をしていた雪ノ下教会の前を通り、閑静な場所にたたずむ寺院です。
幼稚園を運営されているようですが、この建物に興味を抱いて思わずパチリ。

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そして山門には比企の変のいきさつを書いた石碑。

奥には大きな寺院。

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こちらも参拝料を取っておらず、裏手を掃除されているモダンな方は実はご住職? かと存じますがご尽力に頭が下がります。
無料のお寺さんも素敵な所がいっぱいあります。そうしたところにいつでも気軽に行けるように、訪れる僕らも気をつけたいところです。

2代将軍は比企一族とともに暗殺されました。
そしてその子である公卿が3代将軍を暗殺して源家が滅びるのは前述の通りです。
その場所は鶴岡八幡宮。銀杏の木に隠れて源実朝の来るのを待った、と言う逸話は有名な話。2010年3月10日の強風で倒壊してしまった大銀杏。でもこの話は800年前、いくらなんでも人が隠れられる銀杏ではなかったとは思います。

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この日の八幡宮は、七五三、結婚式等々で大賑わいでした。

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さて、漫画のタイトル「比企の契り」

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比企一族の武将比企正和(もちろん架空)と比企一族を滅ぼした北条氏の姫君如月(これも存在せず)が、夫婦の契りを交わしたにもかかわらず、争いによって悲恋に散ったという日本版ロミオとジュリエット物語・・・。
そしてその幽霊騒動は真夏の「ぼんぼり祭り」で全く関係ないですが、今日は比企と北条の史跡を見たという事でお茶を濁させてもらいます。

比企の契り(1)

鎌倉時代は1185年頃(1192年ではなくなった) -1333年と言われています。
それをもう少し細かく見ると
1192年:源頼朝、征夷大将軍任命
1199年:頼朝の死、頼家が家督を継ぐ
1203年:頼家が幽閉され源実朝が将軍に就任
1219年:実朝、公暁に暗殺される
これ以降藤原何某らが将軍と言う形になりますが、実態は執権の鎌倉北条氏が握ります。源氏が実効支配したのは34年間に過ぎず、そのあとの114年は鎌倉北条氏が実権を握るわけです。
そういう意味では、結束が固かった平家に比べて源氏は個人プレーや裏切りが目立ちわずか3代しか持たなかったのかもしれません。
特に公暁によって実朝が殺されるわけですが、これは2代将軍源頼家の次男が比企の変で幽閉され殺された父の敵である叔父を討った訳です。
その敵対関係が頼朝乳母である比企一族と頼朝の正室北条政子ら北条一族の対立(権力争い)からなります。もっと言えば2代目の頼家がわがままだったことが問題なのですが、なにせ資料の中心は源家ではなく北条家のための歴史書「吾妻鏡」ですから、どこまであてになることやら、まぁ話がややこしくなるのでこの話は今日はこの辺で…。

頼家は比企一族を信頼しており、また母政子との間には確執はあったようで・・・、比企一族の長能員は頼家のいる間にライバル関係の北条氏の勢力を奪おうと北条時政(北条政子の父)を討つ願いをしそれが許されます。が、その密談を北条政子が聞いており、先手を打ち、比企一族は北条一族らに討伐されてしまいました。
と言うのが、吾妻鏡に描かれた比企の変。

相手(北条一族)に密談が漏れていることを知らない比企能員は、北条時政の依頼を受け時政邸に行きます。
弁ヶ谷に本邸・別業(別荘)・山荘の広大な屋敷を持っていたといわれ、今もGoogleMapを見ると 鎌倉市大町6丁目8−39 に時政邸裏門跡の記述があります。が、残念ながら落盤の危険性か立ち入りは出来ないようです。
その地で比企能員は殺され、それを合図に比企一族関連の住居に攻め入りわずか1日で皆殺しにされたといいます。

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そんな物語の入り口は、逗子の駅から。
初めて降りた逗子の駅。バス乗り場の「島」の片面が道路に面し、ここで降車。ロータリーに入って同じ「島」の反対面で乗車はなかなか便利です。6番のバス停に並ぶとこんな張り紙。

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えっ、通らない場所はどこなの?まったく地の利のない二人は少しパニック。でもしばらくすると同じ列にお年を召した方が並ばれたのでお聞きすると、行きは関係ないですよ。帰り道の途中が流鏑馬祭りで通れないから迂回するということです、とのこと。
安心しました(笑)

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そしてそんな後ろを祭りの行列が行きすぎました。
都市型の小型バス、到着。これに乗って法性寺(ほっしょうじ)へ。
同名のバス停でおり、バスを追いかけるようになだらかな坂を登り最初の横断歩道を渡り、線路を超えた左に曲がると山門に到着。
山号を書いた文字の両脇には白いサルが彫られています。

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観光地のお寺の多くは入山料を取り、それを維持管理に充てていますが、ここは無料。感謝です。
聖書には、地の塩、世の光になりなさい、と書かれています。自分のことではなく、広く視野を広げ蔑視・偏見には雄々しく声を上げるのと同時に、万人に愛をと説きますが、僕らのような寺院に関係ない観光客を不問として境内を通過させてくれる度量の広さは、大いに学びたいものです。

しかし急坂だぁ~、最初から息が切れます。

鎌倉ものがたりは12月9日から(^^♪

左カテゴリーを見るとHobbyの中に「西岸良平・鎌倉ものがたり」と言うのがある通り、この漫画は愛読書の一つです。
そんな物語の舞台の鎌倉を歩こうというのがこのカテゴリーのきっかけですが、約10年で3回しか行けていません。

そうこうしているうち、なんと映画上映の話が(^^♪

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うれしいのですが、どうも僕の愛した鎌倉ものがたりと少し違う。
銀魂もそうでしたが緩さがない。息つく暇を与えず・・・、と言う感じでCGでガンガン攻める・・・。ヴ~ン銀魂も西岸さんの漫画も緩さこそ醍醐味なのになぁ~。それにTVと映画の違いはあれど、TV東京の「勇者ヨシヒコ」シリーズは緩くて金かけなくても視聴率は高いし(笑)

勝手な言い分を書かせてもらえば、魔物、物の怪、妖怪…こういったものが気になってやまないのは、「ハレ」の時に現れるものではなく、「ケ」の中にいるもの感があること。
なんていうか「ゴキブリ」とか「クモ」とかが家の中で出て「きゃぁ~」的な日常観。先方のゴキ君にしてみれば「あちゃ、見つかっちゃったよ」コソコソコソ・・・的な存在なんですよ。誰かが飼っていたペットのわにが逃げました、的な非日常のスクランブルじゃあないんです。
メン・イン・ブラックの宇宙人が日々の何でもない生活の中に宇宙人と共生しているように、魔物も妖怪もすぐそばにいるけれど気をつけていない故に気が付かない存在、というのが魅力なんだと思うのです。
夏目友人帳と言う漫画を連れが借りてきたのをきっかけにアニメで見ましたが、普段はあの緩やかなたおやかな何でもない生活の「ケ」があればこそ「ハレ」の物語が生きると思うのです。
だから鎌倉ものがたりもメン・イン・ブラックも、トラブルになったときのみ、敵対すればいいわけですが、どうも今度の映画は「ハレ」のための「ケ」のような雰囲気です。そうだとしたら残念です。

前置きが長くなりましたが、そんな上映記念の鎌倉ハイク。
今回は2本立て。
「だめよ、正和さんは渡さない!!」
「路地裏は何もない行き止まり?」 です。ともに3巻の中の舞台を歩いてみたいと思います。こうご期待。(なお、放送内容は都合により急所変更する場合がございます。あらかじめご了承ください)

鎌倉ものがたりは12月9日から(^^♪

西岸良平氏の作品の評価としては、三丁目の夕日は原作とは違う原作を超えた映画になったと思っている。
一方空知英秋氏の銀魂は、SF的要素が入っている部分映画化すると陳腐になるな、という超えようとすればするほどアクションとかCGに頼らなければいけなくなるものを感じてしまった。
さて、鎌倉ものがたりがこの冬公開される。
鎌倉ものがたり 古都鎌倉には物の怪が住み、魑魅魍魎とした輩と当たり前のように共存する、という銀魂と同じようなSF的要素の加味された物語を、いかに三丁目の夕日的に日常の生活目線で描けるか? 原作が好きだから、怖い反面、CGアクションではなくファンタチックでレトロ感が出れば、それはそれで映画鎌倉ものがたりを楽しめそうな気がする。いわばハリーポッターやネバーエンディングストーリー狙いか(笑)

そういえば鎌倉ものがたりが大好きだった大仏前の旧『旬憩』の女将さんはお元気なされているのだろうか?
映画化で元気をもらえればと切に祈ります。

鉄板! 鎌倉探索!!

大学の友人のO君、娘さんの結婚を機に8年ぶりにご夫妻で来京。
ご希望の鎌倉観光に行ってきました。

大学時代はO君とも何度か鎌倉探索に訪れたものです。

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Oさんご夫妻、娘さんご夫婦、そして僕ら2人なのでジャンボタクシーを予約。藤沢駅で待ち合わせて江ノ電で長谷。ここからタクシーで鉄板の鎌倉観光に向かいます。
観光タクシーのいいところは各名所で説明をしてくれること。写真を撮ってくれること。そんな訳で今回のBlogは僕のBlogらしからぬ集合写真のオンパレードです(笑)

タクシーに乗り込んだと思ったらすぐに最初の目的地、長谷寺です。
ここは日本でもトップクラスの大きさの木造十一面観音。ガイド役のドライバーのAさん(おいしそうな高級コーヒー豆のようなお名前(笑))によれば、8世紀に奈良に建立された長谷寺で2体十一面観音を作られたそうです。1つは都である奈良の長谷寺で民を見守り、もう一体は日本中の民を守ってもらいたいと海に流したのだそうです。それが三浦半島に漂着し、引き上げられてこの地に祀られたのだそうです。
観音菩薩は修行中の菩薩であるのでまだ衣も華やかで装飾品も多いというのも、このあとの高徳院の大仏との比較として覚えておきたいものとの解説。
花の寺でしたが、まだアジサイは花芽もかたく時期が早く残念。

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続いて高徳院。
先ほどの説明のようにこの巨大な仏像は阿弥陀如来。如来とは悟りを開いたものという意味です。悟りを既にひらいている仏像ゆえに薄い衣一枚です。着飾ることは悟りの境地ではないという事です(笑)
高校時代歴史クラブに居たので少しだけ仏像の見方を学びましたが、仏像は手を見ることが大切です。印相と言います。
高徳院の大仏さんは九品(くほん)の上品上生の禅定印です。座禅という修行と同じ瞑想状態の状態で座っています。ですから目は半眼。座禅と同じ状態です。

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続いて行ったところは銭洗い弁天。ここでお金を洗うと増えるという言い伝えが広まり、今でも多くの人がお金を洗いに行きます。
もちろん僕らも洗いました(笑)

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しかし愛読する西岸良平氏の「鎌倉ものがたり」の老婆という話は、守銭奴の老婆が死後鬼に化けてまで貸したお金を回収する話ですが、主人公の一色和正に銭洗い弁天の水をかけられお金への妄想を消され怨念は消えます。

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そもそも弁財天は、文字通り「財」の神である訳で、同時に水の神でもあります。狩猟という不安定な生活から脱却した農耕という貯蓄と階級社会において「財」であり「水(雨)」から考えられるのは、貯蓄した農作物の保管です。ねずみという小動物の被害から米を守るヘビ信仰でもあるのでしょう。
ですから宇賀神(頭は人間体はヘビの神様)と弁天さんが結びついたのかもしれません。
そして蛇神である宇賀福は農業・食物・財福の神がいつしか飢えの心配がくなくなった中世以降お金という世の中を動かすものに変化して行ってのでしょう。
守銭奴のようにお金に固執することなく「天下の廻りもの」とうそぶきながらも上手に付き合えれば「お金」ではなく「心」として何倍にも膨れ上がれるのだと思います。
我が家はこの日使ったお金以上の「楽しい一日」として舞い戻ってきました。早くもご利益があったというものです\(^o^)/

車は報国寺に向かいます。僕の好きなお寺の一つです。

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こちらではお茶を一服頂くことにします。

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静かな竹林を前に一服頂くお茶はお寺巡りではない良さがあります。
心落ち着けました。
しかしお別れの時間も近づいています。

鶴岡八幡宮前でタクシーを降り昼食を食べることにします。
O君たちのいる松山もおいしい魚の産地。シラスも豊富だと聞いていますが、先方は釜揚げが主流。では生シラスも楽しんでもらいましょう。

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さて、最後の見学地? 鶴岡八幡宮で前回のリベンジをしてもらいましょう(^_^)/

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今回は「凶」ではなかったものの、O君と婿殿は同じ番号、EママとMちゃんが同じ番号と、何かこのファミリーは神秘的(^_^)/

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反日の駆け足のショートトリップでしたが皆さん楽しんでもらえましたでしょうか?
また遊びに来てくださいね(^_^)/

ヒトダマの棲む湖

久々の予定のない休日。しかも天気は上場。でも、連れは仕事ということで、一人で写真でも取りに行こうかと画策。そんな時、mixiの『鎌倉ものがたり』のコミュに鎌倉湖の話題が載っていたので、じゃあ行ってみようかと出発。

インターネットに『今泉不動 バス』と入力し、どうやらこのコースは江ノ電バスのルートのようであることが判明。大船駅東口5番停留所から10~15分おきに出ているようなので出たとこ勝負で、と軽い気持ちで小田原市から大船駅へ。
県内にいながらここで乗り降りするのは初めてかもしれないな?と思いながら東口を居り駅前の明細地図の看板を見ると、バス停は100m余り東京方面に行ったあたりと。天気予報の言うとおり風が出てきました。陽だまりは暖かいものの、風で寒さを感じます。早いとこバスに乗ろうと急いでいくと、はたして道路の向こうにバス停が見えてきました。『5番、5番、と』歩いていくと4番までしかありません・・・・。『えっ!!!』4番のバスの運転手に聞けば、『鎌倉湖に行くのは江ノ電バスで、ここは神奈中だからバスの停留所が違うよ』とのこと。
大船駅の東口は大きな駅の南と北のはずれにそれぞれ神奈川中央と江ノ電がバスターミナルをそれぞれ持っているようです。
鎌倉湖に行かれる方は、モノレール駅の方向に歩いていった先に江ノ電バスのターミナルがあります。

県301号線から県21号に出て坂を下って砂押橋から細い道路に。
ここらへんに7巻73話のハンバーグランチ400円のレストラン・シノダがあるはずなんですが見つかりません(笑)

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しばし小川沿いの閑静な住宅地を走った先に下車をする今泉不動がありました。
バス停からバスの進路に向かって数十m歩くと、丁字に道路が分かれます。迷わず右折し、また数十m歩いた先の右側に『散在ガ池森林公園(鎌倉湖)』の文字。

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車止めのある正面玄関から下り道を降りていくと、そこには『鎌倉ものがたり4巻40話』の表紙絵の池が・・・・。

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物語は、猛暑の中ばてている一色先生と亜紀子さん。そこに居りよくエアコンのチラシが・・・・。格安のエアコンに半信半疑ながらも購入すると、値段とは裏腹によく冷えるのです。
そんな時に一色先生を訪れた一人の男性が、アドバイスを受けた直後行方不明になり、鎌倉ものがたりならではのストーリーが始まります。

もっと山中の池かと思いましたが、意外にもバス停からも近い場所にあります。ただ森林公園という名のとおり、そしてすり鉢のそこのような地形の関係でひっそりとしている公園です。
夜はちょっとねぇ~、という感じですね。もしかしたら僕にも見えちゃうかもしれません(笑)

写真を撮って池の右側に進路を取ります。と、すぐにも急な階段。

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これを上るんですか・・・・。ここ半年以上まったく運動をしていなかったので、ちょっぴり不安になるような道ですが、意を決して登り始めます。数段で息が切れ、馬の背に着くとちょっと休憩。だらしねぇ~、自分自身に自己嫌悪。それでもそこから先は、木の根などで足場は悪いもののフラットな道を歩いて南口へ。
目の前に広がる巨大な分譲地。今まで森の中を歩いていたのでそのギャップに違和感すら覚えます。と同時にうらやましさも湧き出します。こんな静かな森が庭のような場所にあるんですから。

今泉台の巨大な住宅街は半円状にきちんと区分けされており、また地番が家々についているので、十分に地図を下調べしていけば戸惑うことはありません。ここから天園ハイキングコースに行くには5-15の角の道を右折すればまっすぐです。
はい、いい加減な調べかたの僕はここでもハイキングコースの入り口を見つけながら、6-15から6-24の方向に入って行き、犬の散歩のご夫妻に『ぜんぜん違う』旨のアドバイスを受け、そのまま半円をぐるっと6-22から6-7に行き、そこで再度ご婦人に道を尋ね、入り口を知ったのでした。
上り口はこの広場です  
山道に入るとすぐに、建長寺へ行く道、覚園寺に行く道、そして天園に行くハイキング道に分かれます。
さすがは週末だからでしょうか、ここから二階堂・亀が渕、鎌倉宮方面に降りる間人影が見えない時間のほうが少ないほど多くの方がハイキングに、犬の散歩に、そしてトレイルランニンナーにあいました。特にトレイルランナーは多かったですね。5,6人のグループ3件と個人を6,7人見ました。
山中のハイキングで注意しなければいけないのは、夏の蜂やヘビ、そして冬はイノシシやサル、といったところでしょうけれど、さすがにこれだけの人が往来をしているとそんな気配さえ微塵にも感じられません。箱根、丹沢の山系と違って、緑があってもそうした動物たちはすめない環境なんでしょうね。
そして、鎌倉の山の特徴は、岩が多い地層のような気がします。そして鎌倉時代から都への出入りに、こうした道を歩き続けていたせいか、岩が磨り減りそこが道となりといった地形が多く見られます。
そんな人が一人通過できるような場所を通り抜け、岩場は足をかけ登ったところが、長い年月の中繰り返され磨り減り、足をかける場所となっています。

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それでも適度な起伏は、浮かれていると足を滑らせるところもありますので注意が必要です。太平山はこの界隈で一番の高度とか。すぐ横ではゴルフ場が広がり、ホール横で談笑する御仁の話し声さえ聞こえるところですので、景観は期待できません。しかし下の広場の広大さは胸が透く思いです。
多くの人がお茶をしている横を飲み物を持たない僕は素通り。

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そして再度少し登ったところが峠の茶屋です。先には展望台もあり、ここからは鎌倉の町並みや湘南の海が展望できます。

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僕はここでコースを鎌倉宮に取りました。急坂を下り終わると、そこは二階堂川の源流部。染み出した川の最初の一滴、一滴が、少しずつ仲間を集め川を形成していきます。
そんな初々しい、そしてしっとりとした地球という母の胎内のような場所を歩きます。なんとも心地いい散策Timeでした。初めて行った二階堂川の源流、ちょっぴりお気に入りポイントです。

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岐れ路からバスに乗り鎌倉駅へ。総歩数16000歩。今日のハイキングは無事終了。
そしてこの後、川崎駅前で3月のRFL(リレーフォーライフ)の前前日に同イベントに参加するチーム・がんでもいいじゃん♪のメンバーとのオフ会の会場としてピックアップした『波照間』の川崎店に下調べに行くのでした。



PS
鎌倉湖にはこんな言い伝えがあるそうです。

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知らなかった訃報

虫の知らせ、とか言いますし、何かの予感やきっかけで訃報を聞くことも少なくありません。

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明日は久々何も予定のないお休み(夜は川崎でRFLの打ち合わせ、という名目の飲み会)
連れは仕事なので、あまりうらやましがられない程度のところへ写真を撮りに行こうかと1,2日何とはなしに考えていましたが、mixiのコミュの『鎌倉ものがたり』に鎌倉湖の話題が載っていて、その関連から姥が谷の話の書き込みを見て、そうだ、久々に鎌倉を歩こうと・・・・。

そんなこんなで、自身のBlogの鎌倉ものがたりに関する過去Logを見て、最初に行った『旬憩』さんの女将さんのSiteに行ってみました。
2008年の7月に行ったときは、女将さんは居らず、ご主人に女将さんは? とお聞きすると調子を崩して実家に戻っている、とのこと。

ご主人がお一人で働かれていましたので、お大事にとお声がけをしただけで店を後にしました。
しかし、すでに体調を崩されていたんですね。しかも少なからず近しい病気・・・・。今日、久々にBlogを見て愕然としました。
不義理をしている最中にお亡くなりになる方を見るたびに、その最期のときに祈れなかったことを後悔します。一期一会、Blogであってもそうした心のつながりは持っていたいものです。
女将さんはお店を閉められたそうです。こじんまりしながらもユニークな甘味がそろっていたので、それを味わえなくなったのは残念です。

神様の御許にお返しした御霊の平安と残されたご親族の上の慰めを祈ります。

鎌倉の凧(2)

穏やかな陽気に誘われてか、のんびりと海岸で自分なりの楽しみ方で時間をエンジョイしている若者はたくさんいました。なんだか、このセカセカした世知辛いご時勢とは無縁のようなリラックスした人生。もしかしたらこれが『若い』と言う特権なのかもしれません。
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昔は僕も多聞持ち合わせていたのでしょうけれど、なんだかうらやましい時間の使い方です。裕福な時間の使い方です。
向こうのほうで遊んでいる若者たちもきっといい仲間たちなんでしょうね。

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平和です。本当にその平和が素敵です。 仕事で来ている人もいます。大型のカメラを担いできたのでしょう。レンズの先は江ノ島の風景でしょうか?それとも遊んでいる若者たちなのでしょうか?仕事が楽しそうです。やっぱり若さが、未来への希望がたっぷりあるからこそそんな楽しそうなオーラが漂っているのでしょう。

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そして海は心を振るわせるほど輝いていました。うん、明日からまたがんばろう! そんな気持ちがわいてくるような楽しいお散歩でした。
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鎌倉の凧(1)

お正月のおまけです。と言うか、2巻の2つの話を巡る散歩でしたので、ほかの事は頭に入っていなかったのですが、海岸を歩いていたら多くの方が凧揚げをしていました。
「鎌倉ものがたり7巻」に鎌倉の凧という話が載っています。これは鎌倉ものがたりのファンの中でも人気の高い作品です。そんなわけでこの作品に関する写真もUPいたします。

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趣味人の主人公一色先生は、お正月に和凧を揚げに海岸に行くと、工学博士の凧揚先生に出会います。凧揚先生は3年前に奥様を亡くし、その悲しみを埋めるために凧を揚げていると、やがて天国の奥様からその凧を通して手紙が来るようになり、文通が始まります。

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この日、どういうわけか凧揚げをしているのはお父さんと子どもと言う組み合わせばかりでした。お母さんが凧揚げが好き、と言う方が少ないのかもしれませんし、また『パパ、忙しいから子どもを連れてどこか出かけてきて』と言われた結果なのかもしれません。
でも、晴天無風のなか、洋凧はいとも簡単に上がるものですね。

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こちらは七里ガ浜の海岸。そして片瀬東浜海岸。 なんだか家族の写真は、うまく撮れていなくても自分的には満足してしまいます。
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ジャンル : 旅行

七福神到来

14時30分を廻った江ノ島は、まだ多くの観光客と神社詣で客でごった返していました。でも、僕らの目的はあくまでも「鎌倉ものがたり」ツアーです。
今回は、引き続いて2巻に収録されている「七福神到来」の舞台を歩いてみます。

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時は今、お正月。一色先生の奥さんの亜紀子さんは、初夢で宝船に乗った七福神が向かってくる夢を見ます。そしてその日、一色先生のところに長谷の長者と呼ばれる植木屋さんが美しいからくり箱を持ってきます。なんでも先祖代々の宝の隠し場所の秘密があるのだとか。 見事にそのなぞを解いた一色先生と長谷の長者の末裔の植木屋さんは、江ノ島岩屋海岸に向かいます。


大学の時に、地方からやってきた同級生に東京近郊を案内しろと言われてはやってきたのは、江ノ島・鎌倉でした。特に北海道小樽出身のO君はこの稚児が淵海岸が好きで、その後も事あるたびに授業をエスケープしてここに行こうと申し出てきました。根が嫌いではない僕も二つ返事で了承し、そういう時は貧乏学生の二人、小田急に乗り藤沢から徒歩で稚児が淵まで来てボォ~っと海を1時間ほど眺めて帰ったものです。しかしその頃は岩屋海岸への道は封鎖されていて入ったことはありませんでした。言い伝えで、この穴の置くと富士山がつながっているとも言われ、なんともミステリアスでしたが、強い波が岩を砕くその中を渡らなければたどり着けない場所なのでとうとう行けずじまいでした。平成の御世になってからか、道路の整備がなされ、海に張り出した遊歩道は悪天候の時意外は歩けるようになり、僕らは今日始めてこの洞窟を探索しました。途中竜宮城に戻る亀を見ながら(笑)進むのです。(写真)

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中はろうそくの明かりで進みます。そして天井(洞窟の岩盤むき出し)の高さは1.5mほど。真っ暗な中かがみながら進むと多くの石仏が安置されていました。

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鎌倉時代北条氏は、夢枕に現れた竜神からのお告げで、繁栄を極めます。その竜神がくれたのが3枚の竜のうろこ。それを家紋としたのがミツウロコだそうです。財宝の隠し部屋は見つかりませんでした。が、もしかしたらこの竜が体をはって守っていたのは、財宝なのかもしれません(笑)
20090109-35


テーマ : 旅日記
ジャンル : 旅行

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