夏休みはひょっこりひょうたん島(Ω)

東海北陸道で来たので帰りは・・・糸魚川を通って帰ることにする旨をお話しすると、道の駅小谷の温泉は良いよ、とのアドヴァイスをくれましたので、そこをめざすことに。

能登半島は、畠山・上杉・前田と時の武将が取り合った場所。勝手に豊かな平野と良好な漁港を想像しましたが、とにかく今回は山間の道路を走行することが多かったです。トンネル―高所を通る橋を繰り返し、高岡へ。そして国道8号線を走ります。関東より道路幅が広く走りやすいですね。そしてもう一つ走っていて楽しいのは道路の両側に緑から黄金に変わろうとする田んぼが続いている点。僕にとっては様々なチェーン店が並ぶ道路より田圃を見ながらの運転の方が何倍にも何十倍にも楽しいです。

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朝日町あたりから海岸に張り付いた道、しかも洞門、片一総幅6mほどののグネグネ道。でもそれは今だから・・・。
江戸時代ころまでは、たぶん幅2-3m程度だったのでしょうね。神経を集中しなければ、落下の危険性がある道が15kmも続いています。4時間なんて緊張が続くものかと思うのです。
そんな訳で気を許せば落下や波にのまれることもある。故に親不知子不知と言う名がついたのでしょう。ヘタレの僕は、もし江戸時代に生まれていたら他国への旅などしなかったでしょうね。

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時間は12時を回りました。お腹もすく時間。道の駅親不知に寄ります。
1995年10月教会の友人と八方池までトレッキングをしたことがあります。行きはそれぞれ別行動だったので、連れ合いと二人先行して出発、松本あたりのドライブインで仮眠。空腹で目覚めて朝食を買おうと大糸線に沿って国道を北上しますが、行けども行けども国道沿いにはCVS1軒も無く、結局親不知のドライブインで鱒ずしを買って“半分こ”して食べた思い出があります。
その時大きな亀のオブジェを見たのを思いだしPitInn。
20年経った今でも亀さんいました(^_^)/

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げんぎょ丼という響きに誘われましたが、まさかの品切れ。結局たら汁定食を頼みましたが、思いがけずにたら汁旨かったです。

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元気をもらって、小谷に向かいます。途中ナビが姫川大橋交差点を右折させ、日本海ヒスイラインの架橋下2.5mの道路を行けと命じられ(僕の車は3.5m)あわてたりしましたが、無事到着。
炭酸水素塩泉、つまりは重炭酸ソーダが含まれているいわゆる美人の湯。アルカリ泉です。
温度の違う風呂2つと寝湯と露天、そして水風呂とサウナ、と言う定番は抑えてあります。でも一つ一つが小ぶりです。

自慢じゃないですが、僕は客を呼べるんです。がらんとしたお店に入って買い物をしているとドヤドヤと入ってくることは一度や二度どころじゃなく、深夜のCVSに10余人入ってきたこともあります。
この風呂も3,4人でのんびりとしていたら、ライダー軍団が10余人・・・いやいや居場所が無い(笑)

もう少しのんびりしたかったけれどさっぱりしたので出ましょう。
しかし、泉質が濃いのか全く汗が引かない(苦笑)
エアコンガンガンかけながら姫川の流れを見ながら南下します。

白馬の町、昔は仲間とよく来たなぁ~。青木湖、八方・・・そして安積野。道の駅で留守番の連れにお土産買って20号線をひた走ります。
石和で花火大会と言うアクシデント渋滞もありましたが、23時前に無事到着。
akakageさんという良いお仲間に新たにMっちさんというお連れさんが加わり、楽しい2日間を過ごせました。本当に感謝です。楽しい時間をありがとう\(^o^)/

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夏休みはひょっこりひょうたん島(3)

RVパークねやフィッシングパーク太公望_口コミ で検索すると、必ずと言っていいほど書かれているのはオーナーの川田さんのお人柄。若いころから多種のお仕事をなされ、最後は肉屋で地位を得ただけあり、海産物以外にもおいしい肉を提供してくれます。
akakageさん、Mっちさん、そして川田オーナーと4人で浜焼きBBQとパエリアを楽しんでいると、窓の外にうら若い女性が缶チュ-ハイ片手で、とてもフレンドリーに声をかけられました。
「どこからお越しなんですか?」とお尋ねすれば「東京」とのこと。まさか石川のしかも金沢のような観光地でない諸島において関東の方とお会いできるとは!!
高校時代の吹奏楽の先輩後輩と顧問の先生とキャンピングカーで遊びに来たとのこと。
お誘いすれば先輩サックスちゃんとトランペット町田さんで席にきてくれておしゃべりに花が咲きます(^_^)/
とはいえ、僕もここへきて一日の運転疲れが、川田さんもお盆からの忙しさで、なんだか年を感じる終わり方でお開き。
各自自分の車に戻ってお休みです。

奇しくも3つの台風が日本に近づいているとのこと。しかも、日本海側と太平洋上に大きな高気圧があるので、台風はその隙間を通って北上するらしいです。
そんなこともあって北陸の地は南の暖かい風が吹き込んできているようです。
akakageさんたちも、先輩サックスちゃんとトランペット町田さんのバンテック新車もエアコン装備車。ですが、我が車は天然クーラー、湿度100%で寝ていると自分の流れる汗で思わず目が覚めてしまいます。

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わざわざトイレに行くとか冷たい飲み物を買いに行くとか理由をつけて外に出るようにし、また周囲に仲間がいる強みで鍵のかからない網戸のまま寝ますが、それでも眠りの深さは浅かったです。
5時には周囲は明るく日の出を楽しみにしましたが、残念ながら雲が多くきれいな日の出は見られませんでした。

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7時にはMっちさんが朝食を作って頂いたので、akakageさんの手挽きのコーヒーと目玉焼き3つ(!)とウィンナー、とパンと言う我が家ではでない豪華版の朝食を頂きながら、オリンピックで金が取れなかった優秀の選手(だってその人以上の記録を出さる人がいないから選手として派遣しているのだから)がみんな謝るような空気を醸し出す日本に憤りを語り合いながら頂きます(笑)
居易い(おしゃべりが楽しい)のはakakageさんやMっちさんと価値観が似ているからかもしれません。

そして最後。今回の一番の理由は、この車を隅々まで見せて頂くこと。

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トレーラーはここにエアコンの室外機を置くんですね。

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Mっちさんが一番ご不満に思っているのがギャレーのサイズ。確かに大きなトレーラーなのにギャレーサイズだけは僕のキャンピングカーと大差ない。

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でも冷蔵庫の大きさはどうだ! キャンピングカーの冷蔵庫の大きさじゃない。我が家の冷蔵庫よりも大きいかも(笑)

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そして荷物の入る量も・・・

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なによりソファーのクッション性のよさ。すわり心地良いなぁ~
自走式のキャンピングカーとトレーラーは似て非なるものであることが分かりました。
自走式のキャンピングカーは全財産を持って歩く家だけれど、トレーラーはどちらかと言えば別荘的な使い方。どこかにトレーラーを置いてそこをベースに楽しむもの。
akakageさんのように仕事先の人が向こうから会いにやってくる立場の方や、もしくはセミリタイアなされた方は、こうした風光明美な場所に車を置いて楽しめるでしょう。
でも、僕のようにまだ短い休みの間にあれもやりたいこれもやりたいという貧乏性にはちょっと不向きですね。
それに神奈川にはRVパークねやフィッシングパーク太公望のような施設が無いのも難ですね。

風が少し強くなってきました。下道で帰るので予定より早いですがお暇致します。

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夏休みはひょっこりひょうたん島(2)

わがイクスス号は購入してから13年。購入した時は知らなかったのですが、カーナビゲーションって5,6年経つと更新できなくなるんですよね。そんな訳でわがイクスス号のナビは7年ほど前に止まったまま。朝食を食べた場所のすぐ先の庄川インターまでしか道は続いておらず、この先は案内看板だけを頼りに走行します。
でも、地の利がしっかりしていないとそれは失敗を引き起こします。
高岡、富山、金沢と言う分岐。能登半島の富山湾側と言う知識だけで富山に進路をとりましたが、待てよ万が一違ったらと思い、ここからは下道を走ります。しかし能登半島の大きさをしっかり把握していなかった。ここから約2時間、わが小田原から横浜に行くような距離がここで待っているとは…。しかもナビは氷見の阿尾から県道18号、県道244号をチョイス。海に突き出しははずの能登半島の山の中をひたすら走ります。

ほうほうの体で能登島ねやフィッシングパーク太公望へ。

akakageさんとはキャンピングカーのBlogを通じて知り合いました。そして2008年金沢で1度お会いしました。
氏のBlogの武勇伝は、金沢の片町でakakageさんが歩くとまさにモーセが海を割ったように目の前がサッと両側に広がったと言う話と夜にお会いした時も真黒なサングラスをかけてこられたので、僕の中ではプロレスラーの蝶野さんのオーバーラップしていましたが、この日お会いしたのはまったく雰囲気の違うakakageさんでした。
Mっちさん曰く、最近は小さなお子さんからトトロと呼ばれているとか。
「遠いところ」と恐縮したように言われましたが、その距離を無にするほどのお人柄は、大きな会社を経営したり、海外の会社のコンサルをするだけのスキルにも続く正義感あふれる社会問題への書き込みと本当に弱者に優しい側面をお餅なのをBlog等を通じて感じているのと、トレーラーを購入したのをきっかけに牽引免許を取り、このあとも船舶の免許を取りたいというアクティブな側面と僕と類似した歴史などのミステリー好きな一面があるからです。誰かと時間を共にしたいと言うのはそういう面があれば、時間や距離は関係ないですよね。

さて、気の使い方は昔通り、いやMっちさんのパワーが増した分のお二人の歓迎を受けました。
夕食まで時間があると、まずはMっちさんもオーナーになっている能登ワインへ。
能登島には2本の橋がかかっており、大橋ではない方のツインブリッジを渡り、七尾北湾を撒くように行った先の穴水から山中に入ったところにあります。

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Mっちさん曰く、能登半島地震で大きな被害を受けたこの地で復興のためにオーナー制度をうちたて賛同したということで、そんな多くの人の思いが大きなブドウ畑を育んでいます。
まだ若いぶどうが多いせいかワインもそうしたものが多いように感じました。
お二人からサプライズプレゼントで、2010年と2013年の同じ銘柄のワインを頂いちゃいました。

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漫画マリアージュのワイン、心の雫の2本です(^_^)/
スペシャルサンクス!! でも、僕レベルの舌でその違いが分かるかが不安です^^;

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そして和倉温泉の立ち寄り湯総湯へ。
飲泉もあります、と言う言葉に少し口に含んだものの、マグネシウムの苦さが口に広がります。豆腐が生き物だったらさぞかし辛い人生だと思うほど苦じょっぱかったです。
客である僕が迷子にならないようにお二人はサッと入っただけで、玄関と待合室に分かれて待っていただきまして恐縮千万です。

そんな楽しい時間とおしゃべりをさせて頂き、RVパークねやフィッシングパーク太公望に戻り夕食をごちそうになりました。

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夏休みはひょっこりひょうたん島(1)

連れが拙宅で「女子会」をやると言います。ならばその期間を使ってどこかに出かけようと画策。そんな時にBlog知人のakakageさんが、キャンピングトレーラーを購入したとの書き込み。これは見せてもらわない訳には行けませんと、サマーバカンスを楽しんでいる能登島に行ってきました。

教会と言う場所はボランティアで成り立っています。私もいくつかのお役をお引き受けしていた、その一つはBlogに週報と言う資料の今週の予定をUPすること。
ところが金曜の夜に出発してしまうので(間に合わないので)、高速のSA/PAで僕のPC宛のメールを途中で拾ってUPすることになりました。無料WifiをしているSA/PAを探したところ、新東名の岡崎SAが該当したので、行きは新東名→東海外環→東海北陸自動車道経由で行くことに。午前0時岡崎SAで作業終了。ここで今日は寝ようと思いましたが、都会の週末のSAネオンギラギラ、観光客もまだ往来が激しくなんかそんな感じではないので、もう少し先まで。ところが外環はSA/PAが無く結局五斗薪PAまで。
ここは昔、産廃の反対運動の支援で行った御嵩の近く…なんて思い出しながらお休みなさい。

朝起きて見回せばこのPAはトイレのみ。さて朝飯を食べれるところを探そうと早速出発。
ひるがの高原、ここよさげ!と飛び込み、モーニング500円を注文。
モフモフのワンコがじゃれ合っている姿を見ながら、夏休みを実感。

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さて出発します。

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南相馬―フィールドワークキャラバン(群盲象を評す(下)、の巻)

帰りは飯舘村を通過する県道12号線を抜けてきました。


いずこも線量は高いです。
さて、サブタイトルを群盲象を評すとつけました。
目の不自由な人が象を触り、鼻を触ったある人は象とはヘビのように長い生き物だと言い、耳を触った人は薄く広いものだといい、足を触った人は電信柱のようだ、と言い結局誰もが「本当の象」を語れないという喩です。
僕らも実は放射能汚染に対してはそうなのかもしれません。

ホットスポットと言うところがあります。いわゆる風の吹き溜まりです。人間は測定器をもってそうした場所を察知していますが、動物はそんなことお構いなしです。ですからホットスポット周辺の動物からは高濃度の放射線物質。特にその場所の草の葉の上に放射性物質が落ちてついたままの葉を食べたり、その動物を食べたりとして、内部被ばくをする動物はたくさんいます。
が、元気に生きている物が多いです。
が、そうした動物の遺伝子がどこまで破壊されているかはよくわかっていないようです。100年後になって恐ろしい状態になっているかもしれませんし、実は大騒ぎするほどの事態になっていないかもしれません。
専門家でもまだわからない状態です。

そもそも過去を振り返ってみましょう。
4大公害病、光化学スモッグ、亜鉛、カドミウム・・・そして、ダイオキシン。中国から輸入される食品に摂取してはいけないようなまがい物があることも報じられました。
そのたび日本人は、その食品を遠ざけてきました。
しかし、今ダイオキシン汚染を気にしている人がどれだけいるでしょうか?人間の生み出した最悪の物質とまで言われたダイオキシンの「ダ」の字もニュースにはなりません。
確かにニュースになったおかげでごみ処理場にはバグフィルターが取り付けられ数値は激減しました。
しかし、
アメリカは、ベトナム戦争で枯葉剤の不良在庫を抱え、その処分に困った。困った挙句に、日本政府に押し付けてきた。そこで、林野庁の高級官僚が、日本の国有林に雑草対策と称して散布し、それでも処理しきれなかったので、国有林内の山に埋設投棄した。
と言う蛮行が報じられましたが、大したニュースにならなかったことに「のど元過ぎれば熱さを忘れる」事を感じます。
放射能も次の大惨事が起きるまでは騒ぎになっても、次の何かがあればもう過去のことになってしまうように感じます。
「やっぱり日本の食品が一番」と福島のお米を食べる姿がもうすぐ先のような気がしてなりません。
僕が問題視したいのは、安全かそうでないか?を素人判断をして小保方さんの案件のように安易に公的な決定を出さないことと、国民は国民で喉元過ぎて危険なものを安易に口にしないことと安全なものを拒否するという偏見をもたないことだと思います。

測定をして基準数値以下の食品を怖がることを僕は否定できません。特にご家族に幼いお子さんがいれば過敏になることは当然です。
でも危険なのは放射線だけではありません。
除菌ブームに乗った各化学物質を多量に使用して、製法がどうだかわからない食べ物を食べて、それでブームだから的な福島の食べ物は危ない、と言うダブルスタンダードが解せないと言っているのです。

僕らは象の一部しか触っていないのではないでしょうか?触り損ねて知らないところにもっと危険が潜んでいるかもしれません、恵みがあるかもしれません。
でも触れないとしたら、あまり過敏になってはいけないでしょう。
久米さんが言いました。「私は、一時体を壊すほどに放射能に対して神経質になった。外に出ることが怖く、家の中もカウンターを持ち歩き少しでも高いと徹底して掃除をした。でも、ある時外仕事をしているお連れ合いさんと一緒に検査に行ったら自分の方が線量数値が高かった」「外で(放射線を浴びながら)働く方が、家の中に閉じこもっている人より低いんだもの(笑)」と言います。
そこで彼女は自己免疫を理解したと言います。クヨクヨしていたら、ならなくていい病気になっちゃう。だから笑顔で前を向こう。

「病は気から」は絶対に本当です。
もう子どもを産むことがない僕ら、放射性物質の半減期は何万年かもしれませんが、56歳の僕にとっては半減期はあと2-30年です。所詮放射線は「肉の体」しか犯すことが出来ません。心の汚染は放射能自身はできないのです、笑顔で十分立ち向かえます。クヨクヨととか、イライラとよりも2-30年嫌な放射性物質と付き合いながら、でもその嫌な物よりもっと大事な南相馬の友達と笑顔で生きていけることの方が幸せな生き方だと思うのです。

当初書きました。不要な放射線は浴びたくない。だから今後も再稼働には反対だし声を上げていきます。でも友達との付き合いの中で降りかかる放射線は今の僕の中には想定内の放射線量です。

何度も書きますが、人類史上非常に稀な事件に遭遇した時、それを不幸だ、と感じる方もいるかもしれません。
でも、久野で産廃の裁判が起き自分の時間を割いた時も、ほとんどの人が体験できないことを体験できるとワクワク(?)したものです。我が母国の稀有な事件もぶつかった中から「何か」歓びや感謝を見つけて生きる人生にしたいものです。

2011年から5年経ち、その間大きなニュースがたくさんありました。僕が住む関東でも鬼怒川の氾濫で広域に被害が出ましたし、今年は熊本で大震災が起きました。ニュースは皆そっちに移りましたが、南相馬をはじめ東北各地もまだまだ無事終焉、と言う訳ではないのです。
瀬戸内寂聴尼は、畑を耕す極意に「足音が肥やしになる」と語っています。つまりは愛おしい畑の生産物のために足しげく通い丹精込めて作ることを「足音」と表現したのでしょう。
街と街、人と人との関係性もそうでしょう。復興を応援することはまさに「肥やし」のプレゼント。「足音」を響かせることです。
時間があったら何度でも行きたい、そう思いながら帰路につきました。

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(あまりにも延々と続く汚染度の袋)

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(12号線沿いの村民の森の案内板)

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(安達太良SA)

(Ω)

南相馬―フィールドワークキャラバン(衣食足りて礼節を知る、の巻)

宿は2014年の訪問の時と同じ「いちばん星」さんにお願いしました。
鹿島球場から丘陵を登った高台にあります。
この星さんも地域の活性化に熱意をもってあたっている方です。敷地に入れば母屋に行くまでの間は、アルパカとエゾジカの牧場。この子たちがまたかわいい。

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この夜は離れ3部屋を僕ら4人で自由に使ってください、と言われ、のんびりと過ごさせてもらいます。
旅館は床の間があり、装飾があり、テーブルの上にはお茶と受けのお菓子、そして寝具などは押し入れにしまってある生活感のない、いわばハレの場であるのに対し、民宿はどこの家にもあるような普通の部屋で片隅に布団が積んであるケの場です。旅の多くはキャンピングカーの中(自宅)と言うのを繰り返していると、このケが何か落ち着くのです。
ただ2年の間に拡張を広げ、風呂が完成していました。早速一風呂。
シンプルですが広くて素敵なお風呂。逆に大きな風呂に入ることはハレの楽しみでもあります。手足を思い切り伸ばしてもぶつかるものがない。これぞ温泉。

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そして風呂上がりの生ビー\(^o^)/

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この民宿のお勧めは料理です。野菜ソムリエの母娘が作った自家製のおかずが並びます。

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(夕食)
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(朝食)

たまたまお客さんが少ない週末、外ではご主人ら地元の異業種交流会。食事を終えて部屋に戻ろうとすれば、まぁこちらへ、とのお誘い。僕も嫌いじゃないですから(^^)/
農業・農業機械の販売、東電職員等々、話題は明日の南相馬。そして僕が参加したもんで、地の民謡を聞かせてくれたり野馬追の話になったり、方言の話になったり、このいちばん星の拡張計画を語ってくれたり・・・。
旅(travel)の語源は困難・トラブル(trouble)だと言います。まさに文化の違いや生活慣習の違いに行けばトラブルに遭いやすいというのを何千年もの間味わってきた結果ついた名前なのでしょう。
しかし、その違いがあればこそ、旅は面白い。知らないことを吸収できる喜びがあるんです。

一つ実感したのは、小田原には古きから伝統的に伝わる民謡と祭りがないな、と言うこと。久野には鈩(たたら)があり、敷石住居跡があり、「あずまはや」とヤマトタケルが謳ったけれど、やはりこの地は北条五代以降の町なんでしょうね。
学校や就職で全国に散った人が、この野馬追のために休暇を取って帰ってきたという行事は小田原にはないな、酔って誰もが昔から伝わる民謡をと言うと手拍子をしながら声を合わせるなんてこともないな。
それは無い物ねだりかも知れませんがうらやましかったです。
でも、ご一緒のメンバーさんの多くが、小田原に来たことがある人が多かった、小田原城がリニューアルしたことをご存知の方が多かったことはとてもうれしかったし、何よりもお一人の方のお嬢さんは入生田に嫁がれているとのこと。ご縁で2都市の交流が深まればいいですね。

南東北での温暖なこの地。海あり山あり川あり。
大地から豊かな恵みがあればこそ、大いに文化が栄えます。お互いに刺激し合いながら交流しながらいい街にしていきたいですね。

ところで宿泊者サービスの朝刊、1面トップ記事に・・・

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南相馬―フィールドワークキャラバン(布は緯から男は女から、の巻)

さて、話を時間系に戻しましょう。時系列でお話ししたのは、浮船の里についた時まで。
蚕を見せてもらえたことからお話をします。
今年から黄金に輝く繭があるという事で興味津々。
全てを小高で作ること。生きがいとして、そして集会場として、手仕事をしながら語らえる場所としての機織りという事なので、生産量は不問です。

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老いては子に従え ではないけれど、最近色々と物事を教わる人が年に下になってきました。
FBの友人に、デニムマンという ジーンズショップを経営している人がいます。移動販売でジーンズを売り歩いています。
氏にある方が、(効率のいい)インターネット販売しないのですか? と尋ねた時、彼は効率よりも仕事の楽しさを優先したいと回答したそうです。
見ず知らずの人から注文メールが来て、袋詰めして宅配屋さんに渡すという顔無き関係は嫌だ、と。
お客さんのコンシェルジュとして一緒にジーンズを選び、おしゃべりをしながら採寸、仕立てをして、笑顔の挨拶と一緒に商品を渡すこと、を彼は選びました。

まちづくりの基本はそこにあるのでしょうね。
我が街小田原も個人商店はどんどんなくなり、大手チェーン店のみが生き残っています。マニュアルで店づくりがなされているので、小田原も他の町の店舗も同じ内容です。

「それがほしい」と思うものは、その商品に物語があり、その物語を含めて「ほしい」と思うことでしょう。
僕らがここで見た小高天織りの商品を欲するのは、商品の美しさもさることながら、その作ろうと思う発想、作っている姿も含めて、商品だからだと思います。

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作り主―売主―買主の間に関係性があればこそ、物を大事に扱うし、「もったいない」という言葉「愛おしい」と言う言葉が生まれると思います。

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こんなランプシェードあったらいいね、小高の絹糸を通しての灯りは優しく光るんだろうな。

あっ、そうだ。何でこの黄金の繭を作る蚕なのか聞くのを忘れた。
蚕の種類? それともアジサイ花が土壌のpHによって色を変えるように食べ物や環境によって? 
まぁ、次行くときにお聞きしよう\(^o^)/

南相馬―フィールドワークキャラバン(群盲象を評す(中)、の巻)

宿に着く前には鹿島みちのく球場に行きました。

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同行のぶいちゃん、KTRさん、そしてえっちゃさん。下記の2011年3月14日に撮影されたこのYouTubをご覧になってどうお感じになったでしょうか?1分10秒位に左から球場が映ってきます。



2014年7月に行った時は、まだ南相馬市中が復旧に必死で、久米さんと一緒に回ったエリアもそして生活と直接関係ないこの球場も

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修復がされておりませんでした。2年の月日は、少しずつでも復旧復興が進んでいることを感じさせてくれます。

そして5日は原町区を見て回ります。
まずはヨッシ―ランドの跡から原町区下渋佐へ。

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この下渋佐は2011年4月に行った場所
とくにここは、上記Blogの最後の写真と同じ場所。繰り返し行ったからその差はわかり感無量です。

そして原町区大木戸の仮設住宅へ。
まだまだ多くの方がここで生活をしています。ちょうど高齢者の住人のところに社協の方が訪問し終わったところのようなので、お話をお聞きすると、ここは震災後1年経ってから作られた比較的新しい仮設であり、今約70%程度の方がいられる。そしてここの住民の多くは小高地区の方、7月の避難指示解除で、多くが帰宅するのではないか、とのことでした。

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ここでも5年の月日が流れていることを感じました。

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さて、i飯舘村に向かいましょう。

南相馬―フィールドワークキャラバン(群盲象を評す(前)、の巻)

午後は浮船の里にお邪魔をし、お蚕さんや織物の話、を聞き、久米さんの車で周囲を見させてもらいました。
順序は逆さまになりますが、まず現地視察から話したいと思います。

話は「どう生きるか?」になってしまいます。それは自分はどう生きるか?であり、社会は隣人とどう生きるか?にもつながります。
社会と言う概念がある意味明確に確立した中世以降、社会は実は差別の歴史であったのかもしれません。
身分制度を作り謂れのない被差別竹問題、在日韓国朝鮮人、ハンセン病、そしてヒロシマ・ナガサキの原爆へとつながります。いずれも、「家系」として差別蔑視をし、結婚問題や就職問題になるまで苦しみをさせる訳です。現憲法下において「平等」を謳いながらも、一人一人の心の仲間でその精神は浸透していないことが如実にわかり、それゆえ同じ間違いを繰り返してきました。
それは他人の芝生が青く見えるからではないでしょうか?出し抜いても…と言う気持ちが心のどこかにあったから、逆に他人の生活が良いと出し抜かれたと地団駄を踏むのではないでしょうか?
20km圏外・帰宅困難区域・住居制限区域・避難指示解除準備区域によって国から出される補償の差異があり、不満を感じる人もいるそうです。
またそこで補償金をもらったことで身を崩す人もいるそうです。
でも久米さんは、こうした困窮をしたことで、本当に大切なものに気づかされた、と語ります。それは感謝する気持ちとか、人の心とか、目に見えない物ばかり。
それはがんサバイバー・ケアギバーにも当てはまるような気がします。久米さんの言わんとすることがすっと心に染みてくるのは、がんと言う病での困窮を味わったことで大切なものを確認したメンバーだったからのような気がします。

僕はケアギバーでRFL(リレーフォーライフ)に行けば困窮の当事者であるサバイバーさんとたくさん会います。少しでも出来る事を、と、サポートできるように出向きますが、結局は帰る時に気がつくのは元気のおすそ分けをしに行っているはずですが、いつも逆に元気をもらって帰って来ること。
そうした同様の感情・心もちを体験しているから言わんとしている事はよくわかるのです。

もちろん、がんで家族を亡くされたばかりの方の中にはいくら慰めの言葉を言っても心を閉じてしまっている方もいるし、病憎しと言う憎しみを糧に生きている人、絶望で魂が抜けてしまったような人、様々な人がいてそれは外部の僕たちがどうこう言う筋合いではありません。
でも、それでも僕たちと接することで、その痛み、困窮、悲しみが少しでも薄らいでくれれば至福なんです。

そして久米さんは「私たちは可哀想な人ではない」と言います。「十分幸せを感じている」とも言います。
この言葉も僕らはシンクロします。
「がんになっちゃったんだって、可哀想にね」世の中にはそういう人もいます。が、残念ながらがんになっても可哀想ではありません。不幸でもありません。少しだけ驚いたり、泣いたり、そして不自由になったりすることはありましたが、それは可哀想でも不幸でもないのです。
まさに近隣で原発事故があった人たちも同じでしょう。
驚き、泣き、そして不自由を強いられても、可哀想な人ではないのです。不幸な人ではないのです。自分の人生を切り開いて歩む力を持った人たちです。

そんな人たちが小高には徐々に集結してきました。新たな街づくりが始まるのでしょう。ワクワクはします。

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(上:小高駅。間もなくこの駅にはホームアナウンスが響き、乗降客の往来ができるんだろう。
 下:浪江駅。こちらはまだ列車が来る予定はない。すなわち街づくりが始まらない)

でも、5年は長かったです。
閉め切って風を通さなければ家は傷みます。草がわずかな隙間から侵入し、小動物が置き去りにした食料を狙って忍び込みます。新しい地での生活、仲間、生きがい、すべてが始まり5年育まれてきました。
それをゼロクリアーして戻ってきなさい、は大きな決断です。
戻れないと涙を流してあきらめる人もいるのでしょうね。
それとこの敷地。国は避難地域から解除をしておきながらなぜこうした気持ちをナーバスにする物も同居させるのだろう

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南相馬―フィールドワークキャラバン(他人のふんどしで相撲を取る、の巻)

早起き&出発が早かったのか11時ころに着く予定の小高駅に9時にはついてしまいました。
小高駅前でさっそく線量測定。

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高さ1.5mで測定すると行政設置の数値とほぼ一致。しかし、ひざの高さまで線量計を落とすとあれよあれよと数値は上がります。まっ、それでも1m㏜/年程度のレベルです。

駅に車を止めてぶらぶらと歩くと、FBで仲間が投稿していた双葉屋旅館さんが…。

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(中世の間口の広さで税金がかかるので、小高の町もうなぎの寝床が多い。それにしても立派な旅館)

見ず知らずの人間が中を見せてください、と言うのもどうかな?とは思いましたが、ちょうどチェックアウトのお客様をお見送りするために玄関に出て来られたので思い切って「欄間のテーブルを見せてもらえますか?」とお声をかけると、ちょっと驚きながらもいいですよ、とスリッパを出してくれます。
食堂に行けばFBの写真で見たテーブルが(^^)/
作ったのは僕が懇意にしている友人が経営陣として采配を振るっている木工所さん。

20160604-13

20160604-14

何度か書いているかと思いますが、二宮尊徳翁によって小田原と南相馬はつながっています。
藩の改革を幾度も成功させた二宮尊徳翁は報徳思想と言う教えにその考えを集約し他藩にも広がります。その一つに娘婿の富田高慶氏が広げた相馬藩があります。
至誠・勤労・分度・推譲と言う4つの教え。東日本大震災が起きた時、日本中が何か支援をしようと思いながらも、あまりにも巨大な災害故に途方に暮れました。小田原の人たちも同じですが、その時、理にかなった大局をする至誠、それを実行する勤労、自分へのご褒美を少しだけ節約する分度、持っている能力や財力を越えてする支援は長続きしない「出来る事からコツコツと」と言う分度によって余った支援を推譲と呼びます。小田原では、手の入っていなかった(つまり使う当て(緊急性))のなかった久野の山の檜林を木材を切り出し、製材し、相馬に持って行って集会場の内装や机・いすを作ろうと有志が行動を始めました。
その第一号が相馬はらがまの報徳庵でした。
その後相馬から南相馬のNPO浮船の里へ広がり、そこから双葉屋旅館さんへ広がりました。
僕の関わっている社長と上記に記した友人が采配を振るっている木工所さん、そしてその活動を支援する市役所職員や多くの市議、そして市民が相馬・南相馬と太いパイプを築いてくれました。

そんなご縁で双葉屋旅館さんの食堂に行けば、ご主人も女将も「小田原の人にはお世話になっている」とご挨拶を受け、こちらが恐縮しきりです。何もしていない自分が小田原来たというだけでこんなにおもてなしの言葉を言って頂けることを世の中では「他人のふんどしで-」と言います(笑)
僕らにしてみれば、こんな素敵なテーブルを考案し、その仕事を小田原の業者に依頼してくれたことだけで十分にうれしいです。
ひとしきりお話を伺い、この後の行程を聞かれたので双葉食堂さんに行くのだがまだ早いと伝えれば、この先の公共施設の中に地域の婦人部の方が経営している「ひまわりカフェ」があるとのこと。
嬉しい情報を頂き挨拶もそうそうにコーヒーを頂きにまいります。今日も暑くなりそうです。

20160604-15

小高地区はまだ避難指示解除準備区域なので、ここで働くおかーさんたちは地区外からここにやってきます。避難先での生活や仕事があるので通勤も大変です。
コーヒーを飲みながら雑談で盛り上がり気が付けば10時40分。おかーさんの話では、週末などは時間通りの11時に行くともう満席、とのことなのでそろそろ双葉食堂さんに移動します。

超人気店、僕らの前を足早に歩いて行きます。これは・・・!絶対に双葉食堂に向かう人、と角を曲がり見れば大きな駐車場に多くの車が止まっています。もう余裕はありません、我々も急ぎましょう。

お店の中は4人がけのテーブルが10弱、その奥の和室に8人がけのテーブルが4つ。ほとんどがふさがっていて僕らは座席に案内されました。メニューは、ラーメン、もやしラーメン、うどん、肉うどんの4つ。
もやしラーメンを頼むとピリ辛スープとのこと。汗かきなのでこの暑さの中辛いものはと辛みを弱くしてもらいます。

20160604-16

素早い提供。おいしそう(^_^)/
辛みを弱くしたせいか、まったく問題なく…それでも汗をかきかき、鼻をすすりながら頂きます。
僕はこの辛さ嫌いじゃないけれど、基本の醤油ベースのラーメンを食べてから応用の辛みに挑戦すればよかったかな。
具のもやしもたっぷりでした。

食べ終わって外に出れば店の前はごった返しています。恐るべし、双葉食堂。

さて、お腹も満足になったことだし、浮船の里に行くことにしましょう。と駅に向かって歩けば、えんがわ商店の看板。
レジのおかーさんに、牛乳やらマヨネーズやらを進められてご購入。

20160604-18

20160604-17
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