FC2ブログ

RFLJ高知&お約束の道すがらの観光キャラバン(Ω)

衝動的に休みを申請し許可される会社に勤める僕は恵まれている。それ故にRFLに参加できたが、月曜の18時から1件予定を入れていたのだ。
そのため、高知は3時間だけの観光で帰路に向かう。
四国内は行きと同じコースで徳島に戻り、またもやLennon&Moca宅で夕食をごちそうになる。
徳島と言えば阿波踊りと眉山。さだまさし監督の映画のタイトルにもなった山。古くは万葉集にも出てくる山。せっかくのチャンスなので登ってみたいと車を進める。が、高速を降りたところで大渋滞。時計とにらめっこをして断念。今回の旅はRFL高知に参加、欲張ってはいけません。
と決まればフェリーの時間まではおしゃべりタイム。

20181022-51

そばごめ雑炊と言う郷土料理をベースにした夕食。天に召されたソウルメイトの舞さんは、『がんになってよかったこと』をつづり続けました。悪いこと悲しいこと辛いこともあるけれど、連れ合いががんになったからこそ夫婦で全国の友達のところに行脚できています。連れ合いに感謝です。
そして行き先々でおいしいものをたくさん食べました。今回も高知でそして徳島でのごちそうを頂けたのです。
昨朝おしゃべりしたのに足りずに今日も笑いっぱなしの3時間。やばい、フェリーの手続きしなければ…。

またの再会を誓ってフェリー乗り場に向かいます。22時に出港し、和歌山には24時着。僕らは一番近そうな道の駅根来に向かいます。
根来衆は、僧兵の集団。しかしよくあるイメージの長刀を持った兵ではなく、ここは鉄砲隊。遠く小田原北条もここから鉄砲を購入した記述があります。
早雲自身が京育ちですので、都の文明はかなり長けた上、様々なパイプもあったでしょうし、いろいろな眉唾歴史もののように時代を読み違えたなどと言うことはなく、信長には貢物を持って行っているところから鉄砲についての情報も大いに得ていたのでしょう。
大藤信基なる軍師は根来衆だったようにも書かれています。少しこのあたりを見たいのですが、歴史資料館もあと90分は開かないし…、今回はあきらめることにします。
こちらはいつかRFL和歌山の前後にでも行くことにしましょう。

20181022-52

そうもう一つ残念なのはハングルナンバーの車がP泊していたこと。国際免許で日本を旅しているのでしょうか?
運転手さんに会いたかったけれど出会えず、こちらも残念。

20181022-56

下道を通って橋本に向かいます。FB(フェイスブック)でリアルタイムでUPしましたが、1995年ころに日本工業所と言う会社がこの地に阪神淡路大震災で出た廃棄物を不当投棄しはじめたせいで、周辺の住民に多大な健康被害が発生します。
しかし所沢のダイオキシン問題で風評被害が出ると橋本の柿が売れなくなると辛抱します。しかし、一番近くの住民の人が「薬物中毒」と言う病名で医者から転地療養を命じられ、また同時期に何頭もの飼い犬や野生のタヌキなどが死んでいったところから闘いが始まるのです。当時小田原市久野もこの施設内に建設されていた小型焼却炉と同じ程度の大きさの焼却炉が計画されていたご縁でかの地まで何度か行ったことがあります。そしてその時にお礼として立派な柿を贈ってくれました。
おいしかった記憶は20年経った今でも鮮明に残っており、平和なベッドタウンになったかの地を見ながらもう一度行ってみたいと思ったので下道を走らせます。
途中花岡青洲の生誕地と言う看板がいくつも出ている中を走り、菖蒲谷に到着。さすがに20年の月日は全く当時の面影をなくし、小さな公園でお子さんを遊ばせているお母さんに柿の直売所をお聞きして離れました。

20181022-53

紀ノ川沿いの農協の直売所。ここでAさんの柿を探しましたが見つからず、同じ橋本の柿を選んで、サァ本当に帰らないと間に合わない。

20181022-54

20181022-55

11時近く。ここから約500km、昼飯食べている余裕ないかな?
最後までよくばり旅行でした。

RFLJ高知&お約束の道すがらの観光キャラバン(2)

「歴史上の偉人」として必ずと言っていいほどベスト3の中に入る方に坂本龍馬がいる。
彼が、多くの日本人の心に入り込んだのは言うまでもなく「竜馬が行く」の発刊だろう。竜馬ファンと言っている人でこの本を通らなかった人はいないと言っていい。たとえ直接読んではなくても竜馬を好きになるきっかけを作った人は読んでいるのだ。
司馬遼太郎氏の調べた竜馬はけっして優秀ではなかった。人生の中、何をどうすればいいかを思案しても答えが見つからない幼少期だった。
が、彼はそんな年頃から人の話を聞き、咀嚼し、応用する能力は長けていたのだろう。それは乙女姉さん、武市半平太という青年時代から、江戸での修行で出会った勝海舟や戻って来た時にあった河田小龍とのやり取りからわかる。
咀嚼しているから、その通りやみくもに従ったわけではない。自分なりに意見をまとめているが、意見をまとめるためにはたくさんの意見を聞く事と情報源の大切さは重々承知していたのだろう。

だから出会いの大切さを知っていた。興味を持てば出向いていった。
江戸に情報が集まっても江戸のみをよしとしなかった。だから河田小龍に出会えた。
河田小龍もただの絵かきではなかった。だからこそ殿様のそばに仕えたのだろう。そしてジョン万次郎に出会う。

高知に行って誰の資料を見たいか?と問われれば、僕はジョン万次郎だ。しかし高知市に行って誰の資料を見たいかと言えば河田小龍だ。
日本語を忘れたジョン万次郎と英語を学びたい河田小竜は、言葉の音をアルファベットに置き換え互いに学んだ。そして河田小龍は、海外の文明を知る。これからの日本は貿易だ、と直感する。それを知人の妻乙女を通じその弟の坂本龍馬に伝えた。大きな船を買って海外と貿易をしろ。
多分一を聞いて十を知る、頭の良さはない。しかし熟考したからこそ、貿易がこの日本に大切なものだと知るのだろう。
それは同郷の岩崎弥太郎とは違う。彼はきっとインスピレーションでこれはもうかると思ったのだろうな。
2人の男はつかず離れず互いに貿易を考え、一人の男が先に立つ。亀山社中だ、そしてそれは海援隊となる。まずは分相応の小さな船だが借りた。河田小龍の言葉に夢を見たのだ。

慶応3年4月23日、海援隊が海運業の目的で大洲藩から借り受け、武器や商品などを満載していたとされる「いろは丸」と、紀州藩の軍艦「明光丸」が広島県の鞆の浦近辺で衝突し、龍馬が乗っていた「いろは丸」の右舷が大破して沈没した事件があり、龍馬が岩崎弥太郎に仲裁を委託して船の代金と、積荷代金の支払いを紀州藩(つまりは江戸幕府だ)に要求。結局7万両の支払いを得ることで決着した。岩崎彌太郎が経営を任されていた土佐商会がその金を受け取った時期に、坂本龍馬は暗殺され、海援隊の解散と土佐商会の三菱化が始まるわけだ。
歴史的な事件だ。士農工商明確な身分制度の中、天下の徳川幕府から一商人が補償金を取る。「無礼者、そこへ治れ」と一刀のもと切られても文句が言えない世界で、だ。
多分かくしゃくとした態度で接したのだろう。その背景には、アメリカの大統領制と言う「入札での殿様決め」と言う民主主義を知ったのがあるのだろう。理屈で攻められた幕府はしどろもどろで、現在でいえば100億以上と言う大金を支払ったのだろう。小さな古い船に100億なんてかかりはしない。しかし、謝ったこともない徳川幕府が無条件降伏した、歴史の風が吹いた瞬間だと僕は思う。

If(イフ)、竜馬が殺されなかったら、とかはあるが、いずれにしろ貿易立国になったのは、竜馬と岩崎弥太郎の目の前に先見の明がある河田小龍がいたからではないか?この1点は譲れないと思う。
そんなことを思い高知の街を歩く。

20181022-02

駅前ではよさこいのパフォーマンス。その前には三志士像。

20181022-01

でも、まずは腹ごしらえ。旅行情報サイトで見たひろめ市場が面白そうと、道行く人に聞くと「歩くと遠いですよ」と。ノープロブレム、昨日は1.7万歩歩きましたが今日はまだ1万歩程度ですから歩けます(笑) 少し感覚がおかしくハイになっているかもしれません(笑)
南国の町

20181022-03

きれいな新京橋のアーケードを歩きます。何かのイベント?みんな立ち止まってスマホをいじっています。

20181022-14

20181022-04

をぉ!名物カツオのたたきか…

それをすり抜けるようにひろめ市場へ。

20181022-05

凄い人! まずは座る席を確保してください、とのこと。幸いにもすぐの場所に2人なら座れそうなスペース。前に座られているご夫妻は地の肴をあてに焼酎の水割り。くぅ~車じゃなかったら…。

20181022-06

焼き鯖のお寿司と鯨三種盛り

これで元気が出た。さぁ川田小龍を探しに行こう。市電に乗って上町一丁目へ。

20181022-08

20181022-09

ここには氏の塾のあとがあり、そこで竜馬はアメリカを知るのです。
駅を降り川のたもとと出向けば…塾のあとの説明板1枚すらありません。

20181022-07

この扱い方の違いには愕然。
しょうがありません、生誕の地がはりまや橋そばにあるとのこと。こちらに行きましょう。

20181022-12

こちらもレリーフ入りの1枚の板碑のみ。

この人がいなければ竜馬はただの侍で終わったかもしれないし、江戸無血開城はなかったかもしれないのに、立役者としてはさびしい限りです。

さて、日本には三大がっかり観光地と言うのがあり、その第一位は「はりまや橋」だと言われています。

20181022-10

なんでがっかりするのでしょう?
この橋は、播磨屋さんが川向こうのお店に行くときに通る私道の橋。ぐるっと回るには不便やきぃ、とかいってちょちょいと掛けた橋なんでしょう。それをワクワク見に来る方が悪い(笑)
とはいえ、よさこい節に歌われればみたくなるのが人の性。

土佐の高知のはりまや橋で坊さんかんざし買うを見た。いやぁ粋な都都逸。坊主頭の坊さんとかんざしの組み合わせじゃあ、仕置き人、三田村邦彦さん演ずる飾り職人のヒデを思い出しちゃいますが、違うんですね、しっぽりと禁断の恋物語。
しかも、この橋を渡ってあいびきではなく、橋のたもとのお店でかんざし買っただけ(笑)
罪な歌ですねェ

こちらはペギー葉山さんの南国土佐を後にして、ですが、よさこい節の三番の歌詞?鯨のオブジェが潮を噴き上げるらしいです。

20181022-11

そして今高知を一番にぎわかしているのは

20181022-13

彼らかもしれません。

帰るだけの走行(下道倶楽部)

世の多くの方は、「速さ」が好きだ。新幹線や高速道路…。でも僕はその速さがあまり好きではない。
という訳で、今回の静岡森町のキャンプも往復「下道倶楽部」の旅でした。
特に帰路は明るいうちの道中なので、国道1号ではない旧東海道をメインに帰りました。

掛川は、日本中の道の駅の中で一番お世話になっている道の駅かもしれません。そんな道の駅の近くで国道1号に別れを告げて県道415号へ。日坂を超えると小夜の中山、旧東海道の難所の一つ。
なお、緑字の歌は「お江戸日本橋」 僕はこの歌は江戸から京に上る歌しか知らなかったのですが、今日から江戸に下る歌もあったそうです。上り歌、下り歌をUPします。

小夜の中山 夜泣石 日坂の
名物わらびの餅を焼く
こちや いそいで通れや掛川へ

袋井、掛川打過ぎて、日坂の
小夜の中山夜泣石
こちや菊川渡りて、袖ぬらす。


民謡「お江戸日本橋」でも歌われている場所。残念なことに三大敵討ちには入っていないが、この夜泣き石伝説は興味深い。金に目がくらみ、そして仏教でいう因果なのか、相手が以前自分が殺めた人の子どもであること知らずにエピソードを打ち明け、仇をとられてしまう、と言うのはいろいろな教訓を複合的に語っている。
が、今日も乗っている車はキャンピングカー、この峠を走行するには周囲の方々にご迷惑をかけそうなので横目で見ながらスルー。いつかは行きたい峠越え。

そのまま道は県道381号へ。金谷の駅裏を通って大井川を渡る。古い橋なので若干道幅は細いが、水色の鉄骨が美しく好きな橋。

藤枝娘のしをらしや 投げ島田
大井川いと抱きしめて
こちや いやでもおうでも金谷せぬ

いはで焦るる金ヶ谷で、思わずも
花の女郎衆は大井川
こちや二八ばかりの投げ島田。


上り歌は都都逸のような艶のある歌詞。作者は藤枝で素敵な乙女を見つけたのか?
そして江戸に戻る時は大井川の川辺での一夜の情事か?

急がないのんびりドライブ。走っていると丸子(鞠子)路。そう有名なとろろ汁の丁子屋さんの看板。
昔友人ファミリーと食べに来たな。とろろ汁もむかごもおいしかったことを思い出しながらも車を進めます。
間もなく安倍川。大井川が思ったほど水量がなかったのに比べ、今日の安倍川はどうどうと流れています。
この上流で砂金が撮れたそうで、ここを通りかかった家康に餅を献上する際、砂金に見立てた黄な粉をまぶした餅を喜んで安倍川もちと呼ばれ名物になったそうな。

江尻つかれてきは府中 はま鞠子
どらをうつのかどうらんこ
こりや 岡部で笑はば笑わんせ

花のゆかりの藤枝に、思ひきや、
かかる岡崎真葛原
こちや夢か現か、宇津の女で。
津田の細道はかゆかず、花染の、
衣物の袖を振りはいて、
こちや鞠子府中の賑ひな。


このエリアは(京への)上り歌より、(江戸への)下り歌の方が多くあります。帰るのが嫌で足取りが重くなったのでしょうか?

静岡の次はしばらく大きな町がなかったのは一昔前。今は東静岡まで長い大きな町となっています。交通量も多いです。
実はこの先で通りたい道があるので、ここからは道を間違えないように慎重な運転が必要です(笑)
というのも静岡はバイパス道が発達している県。目的地が遠ければ信号も少ないバイパスを走った方が楽で、カーナビゲーションもその道を進めます。
機械を信じてはいけません。

実は旧東海道の興津駅のそばの旧国道1号に面した一軒のお店
GoogleStreetView

20180816-01

洋服屋のマネキンの隣、店の中を車庫にしているお店。
個人店舗で買い物をする習慣も薄れ、スーパーやデパートにそれが移り、そして今やインターネットの買い物が主流になったりしています。
この店に気が付いたのはパジェロに乗っていた頃か、レグナムに乗っていた頃か? 少なくとも20年は経ちます。それ以前は、店舗内にたくさんの洋服を飾ってお客さんにアピールしていたのでしょうけれど、だんだん客足が少なくなり、空いた半分の場所に車を入れ始めたのかも知れません。
当時は静清バイパスもなく、下道を走るとこのエリアで軽い渋滞にはまるのが常で、少し焦れながら走っている時に見たこのお店に連れ合いと顔を見合わせて、くすっと笑ってなんか焦れている自分たちの浅はかさを恥じたものでした。
ゆっくりと時の流れている清見寺から興津は、時間が許せば通りたい道なのです。

愚痴を由井だす(さった)坂 馬鹿らしや
絡んだ口説きも興津川
こりや 欺まして寝かして恋の坂

江尻、興津の浜辺より、はるばると、
三保の松原右に見て、
こちや浮世の塵を薩多坂。


さったは素敵な峠です。しかし車は海岸すれすれを通ります。台風の高潮や津波の恐怖を感じる場所です。
そして富士、三島を経由して国道246号に。
約6時間の下道倶楽部。今回も楽しめました\(^o^)/

#群馬わず (Ω)

GWなのか立地条件か道の駅こもちはP泊もしくは夜間の休憩の車で一杯。
早めの出発がこのあとの行動をしやすくさせると直ちに伊香保へ向かってGo! 
30分弱、まだ市営駐車場は3分入りの状態。石段下にInn。さぁ、撮影がてらお風呂に行こう(^_^)/

20180503-20

石段の湯は9時からなので、あと30分あります。上まで登ろうという4人にF田姉はここで待つと言われるので荷物を預かってもらいます。
大勢のガーコ隊長に見送られて370段ほど登ります。

20180503-21

歴史のある温泉街は、レトロな美しさ。同行の3人も楽しみながらの散策です。

20180503-22

石段くん。ゆるきゃらなのでしょうか、温泉まんじゅうが風呂桶をかぶっています。結構このキャラ好きかも(笑)

20180503-23

頂上の神社往復し、公共の湯「石段の湯」に。さぁお風呂へ入ろう。
脱衣籠は豊富。脱衣所と風呂との間に財布やカメラ程度を入れられる小さなコインロッカー(この大きさでは洋服は入りませんので、脱いでから貴重品を入れて、それから風呂に行くという作法)
さほど大きくない内風呂1つと10弱のカラン。褐色のかけ流し?の温泉です。午前9時過ぎですが、湯船には15人ほどで一杯。のんびりと、と言う感じではなかったですが、いい湯でした。

そばの徳富蘆花記念館に行きます。

20180503-24

熊本バンドが新島襄を頼って同志社に行く、その中のメンバーに徳富蘇峰、蘆花兄弟がいます。兄に委縮し、兄はホトトギスで大成した弟に嫉妬した関係も、死の床についた濾過からの電報を受け取った蘇峰の伊香保詣でで和解の最期の時、とあります。
また、ホトトギスの出筆後、トルストイに晴耕雨読の生活を進められ杉並後に広大な土地を購入し農民としての生活をはじめ、その土地が今の芦花公園であることや、あの当時聖地旅行をした話など興味深い話が展示されていました。

20180503-25

20180503-26

最後の時過ごした旅館の離れ。

20180503-27

庭にはツツジとその後方の新緑。彼もこうした美しい自然を見に遠い伊香保まで来たのでしょうか?
お恥ずかしながら一冊も読んだことのない徳富蘆花。ちょっと興味を覚えました。

さて、お昼です。昼食は、日本三大うどんの一つ水沢うどんを頂きましょう。

20180503-28

一緒に頼んだ石段コーヒー、お饅頭付きで200円。いや意外と(失礼)美味しかったです。

20180503-29

この後高速を飛ばして東松山の丸木美術館へ。
H田姉のたって(?)の場所。皆関心の深い5人なのでゆっくり見ることができました。
裸婦裸童のオンパレードです。つまりは軍人はほぼいないのです。それがこの苦しみを受けたやるせなさ・・・。たとえようのない絵が20枚ほどありました。
ここの説明は言葉じゃあできませんので、是非一度足を運んで自分で見てください。

さて、もう一泊して川越を探索しようと思いましたが、GWのお祭り。町中の駐車場はないのであきらめて4日の夜中に帰宅。
今年もお交わりを深めることができ感謝でした。

#群馬わず (3)

岩宿遺跡は、縄文以前の時代は現日本列島には人が住んでいなかったという学説を覆した一市民の相沢忠洋さんが、関東ローム層の中から黒曜石の矢じりを発見したところ。
シュリーマンがトロイの遺跡を発見したように、信念を持っての調査で石器時代の遺跡を発見した場所はやはりロマンを感じます。
浅間、榛名、赤城と言った噴火を繰り返した山のふもとの邨(むら) 石器を使い始めた頃はどんな生活だったのでしょうか?
ナウマンゾウや大ヘラジカ・・・・。行く直前に、ナショナルジオグラフィックか何かで、大ナマケモノの後ろをつけて行ったヒトが襲い掛かって獲物として仕留めた痕跡が土中から出てきたという話がありますが、噴火の中でそうした戦いが繰り広げられたのかも知れません。
土の色や礫の大きさで地層を分析し、多くの調査事実とあわせて過去を思い描く。相沢さんもそうした想像の世界から黒曜石を執念で見つけ出した一人なのでしょう。

少し離れたところに発掘跡があるとのこと。行ってみましょうか…。でもF田姉は少しお疲れ気味。聞けば近くにも駐車場があるとのことで車で移動。
無料の施設、映画の説明を見終わると同時に夕立。どしゃぶり。

20180503-16

調査個所は見ることは叶わずそのまま車に乗り込み、今日P泊をさせてもらう予定の榛名湖に向かいます。
この日に限りませんが最近はとみに強風の日が増えたと思います。N極とS極が反転する時期だとも言われていますが、そうした影響なのでしょうか?利根川を渡り渋川に入るころには車があおられる風。高速ではよくあることですが一般道でここまで強いのは珍しいです。

伊香保温泉への登り坂、そしてそれよりきつい榛名湖へのワインディングロードを走り、榛名湖へ。
しかし様子が想像と違います。
榛名山と湖のビジターセンターはクローズド。周囲も開いているお店が一軒もない。1軒あるガソリンスタンドも耐風雨用のカバーをかけてしまっていますの意思表示。人の気配がないまま夕食を探しに湖を一周。

20180503-17

20180503-18

ホテルや温泉の食堂(宿泊者のみだそうでNG)には人がいるんですがね…。
あきらめて道の駅こもちに向かいます。

伊香保の温泉はまた明日入りに来ましょう。

20180503-19
 

#群馬わず (2)

ここは、ジョイフルホンダというDIYセンターの運営している英風のガーデン。
きれいで写真を撮るのも楽しい場所。

20180503-02

20180503-03

20180503-04

20180503-05

20180503-06

20180503-07

20180503-08

たぶん、こうした植物園(英国庭園)を見たおとーさんが帰りがけに『よーし、パパも庭いじりしちゃうぞ』と道具を買ってくれることを予想して作ったのかも知れません。
上記のような庭師さんの造形美。そして下記のような植物の持つ美しさ。

20180503-09

20180503-10

20180503-11

20180503-12

20180503-13

20180503-14

20180503-15

何時間居ても飽きません(笑)
とは言っても、写真を撮らない同行者もいますし、趣味の違いもあります。
数時間お付き合いいただいたし、お腹が減りました。そろそろ出ましょう。

近所にあったファミレスでチャチャットお昼を済ません、岩宿遺跡に足を進めます。

#群馬わず (1)

世の若者に言わせると、「きれい」だとか「かわいい」写真だけではだめで、タイトルも「映(ば)え」ないといけないらしい(笑)
わずと言う言葉知っていました?僕はさっき知ったばかりなのでさっそく使ってみました(爆)

F牧師のお連れ合いさんのHさんをお誘いしてのF母娘との合同キャラバン。予定が立たずにいたところ急にGWはみな予定がないという事で下調べも早々に出かけました。場所は群馬でいかがでしょう?と。
僕としては無計画でも安心しているのは、2011年にF母娘と一緒に行ったことがある地なので、地の利があるから。

今回はまずは足利フラワーパーク。2日仕事を終えたF娘が母娘で20時過ぎに来宅、久々のキャラバンスタート。
目的地は道の駅みかも。小田原厚木道路~圏央道へ。都内を走らずに済むので北関東へは案外と早く行けます。
車中では、前回の時はどこでP泊させてもらったっけ?との会話。足利フラワーパークの駐車場だったような、と言う話になりそのまま同園まで走ることにします。
天気予報通り雨。でも明日は回復との予報。果たして回復の時間は?心配はそこ。
メインゲート横の駐車場は数台の先客。そのそばに止めさせてもらって、明日の天気の回復を祈って就寝。

目が覚めると、傘をさす人ささない人半々。つまりは無くてもどうにかなる天候。写真を撮る身にとってはそこは一番大事なポイント。
どうにかなる!!さぁ準備して出発だ。 とバッテリーとデータカードを装・・・着・・・? あれ入れははずのカードがない。
カメラバッグも着替えなどを入れたカバンも全部ひっくり返すけれど「ない」
あれ、確かに入れたはずなのにボケたぜぃ(>_<) 足利フラワーパークは諦めよう、このあとどこかでカードを買おう。
それでも入口の園の方に一応は聞いてみる、「お土産屋にデジカメのカードは置いてないでしょね?」するとありますよ、との回答。でも置いてあるのはSDカードのみ。今回僕は5Dを持ってきたのでカードはCF。「CFはもう使われている人少ないですから」…確かに^_^;

この施設は、500-1800円と入園料が変動します。そしてこの日は1300円。GWなのに、フジの時期なのに・・・。雨が降っているからかなぁ??
今年は梅もサクラも開花が早く、行きたかった富士吉田市の新倉山浅間公園も桜まつりの1週間前に散ってしまったほど。
そして足利フラワーパークのフジもご同様に既に散った後でした。キバナフジはきれいでしたが・・・。
カメラがあっても写真は撮れなかったと自分に言い聞かせて次なる地へ出発です。

京都のF田さんの出席教会から赴任なされた牧師が群馬県太田市にいると言われ、サプライズ訪問。
が、ご不在。
続いて、僕のミッション。そうカメラのキタムラ探し。3km弱に太田店発見! 伺ってみると、こちらのお店にはもうCFカード売っていないとのこと。しかも近隣他店にも照会してくれましたが、そちらにも無し。
もしかしたら量販店さんにはあるかもしれません、としきりに謝りながらお教えくださいました。いやいやこちらこそいいアドヴァイスをありがとうございます。自社や自グループ会社の利益ではなく、お客さまの利益になる情報を優先してくれることはとてもうれしいこと、カメラのキタムラ太田店さんありがとうございました。
お近くのヤマダ電機に行かせてもらい無事Get。

20180503-01

実はヤマダ電機にもCFカードはありませんでしたが、SD→CFのアダプターがありましたので、これとSDカードを購入。これで今後CFカードが無くなっても大丈夫です(^_^)/

さぁこれで次目的地のアンディ&ウィリアムスボタニカルガーデンでは思いっきり写真が撮れます。

御頭祭(Ω)

仕事を終えて取る物も取らず出発。今日は(僕的には)カメラだけあればいい旅。と言っても連れ合いは、夕食のサンドイッチやおやつ、果物、飲み物と相変わらずの大荷物(笑)
国道20号を北上するだけ…。150余km、距離にしては然程ないが、変な話最近加齢でとみにトイレが近くなった。そんなこともあり、一、二度コンビニのお世話になる。
それでも23時前に目的地の諏訪大社前宮宮前にある参拝者用の大駐車場に到着。ここで一宿の恩を受ける。
トイレが無いとかはあたりまえ、キャンピングカーで良かったと感じる時。でも、周囲に民家もあり安全だし、静かないい場所とほくそ笑んでいたが、県道16号と国道152号の合流力然程離れてもいないせいか、大型車が深夜まで走ってうるさかった(T_T)/~~~
Googleで発見していた近所のファミリーマートはつい最近閉店したらしく建物だけがぽつねんと残っていた。ので、少し遠いがセブンイレブン安国寺店に行き朝食を購入。道の両側にはところてんの工場が立ち並ぶ。

20170415-218

20170415-219

帰れば駐車場の中で神事が執り行われていた。
同じ諏訪大社上社の氏子だがそれぞれの担当があるらしく、荒玉社の野出の神事、本宮社、そして本宮社での神事と続くらしい。
いたって普通の神事。祝詞をあげて玉ぐしをささげる姿を見ながら朝食。
車をここに止めたまま、まずは茅野市神長官守矢史料館へ。ここがどういう場所かは前トピを参照されたい。
道路沿いに大きな看板が出ているので間違えることはない。その道を歩けばたいそう立派な門被りの松が出迎え、その先には一軒のお宅。このあと学芸員さんのお話によればこの一帯はすべて守屋家の土地だが、戦後の農地解放でほとんどが無くなった、と言う話。それでも門を入れば史跡として十分な広さが広がっている。
78代当主守屋早苗氏と幼馴染の藤森照信先生の手掛けた建物は味わいのあるものだった。
それを見守るがごとく、ミシャグジ神、大祝神、高照姫の史跡が立ち並んでいる。

20170415-201

20170415-202

20170415-203

20170415-204
(家紋(?)の十字架…は関係ないよね?笑)

あれだけの晴天だった空が曇ってきた。何やら額に冷たいものが当たったような気もするが気のせいだろう。本宮では神事が始まる時間だ、先を急ごう。

大きな資源ごみの集積場。ここまで持ってくる手間をかけることで、ごみを減らそうという気持ちにさせられるし、ごみ対策費用も軽減できるはず。でも同時にめんどくさいと不法投棄につながったり、高齢の人たちは「結」がなければごみが捨てられない。
人の心にごみ問題が響いている地ゆえに成り立つシステムかも知れない。

20170415-205

本宮隣接の法華寺に寄る。
本能寺の変直前、信長らは武田攻めをした。その際武田家が厚く信仰をした諏訪大社を焼き討ちしたのだが、その跡地に入り幹部会議が行われた。そこで光秀の失言に激怒した信長が折檻した寺だそうだ。
また忠臣蔵吉良上野介義央の外孫の義周の墓もある。

20170415-206

20170415-207

さて、本題の御頭祭に話を戻そう。
何が故にこの神社から前宮宮に神輿を持っていかなければならないかの詳細は不明だが、多くの観光客のみまもる中儀式が進んでいた。
雨はいよいよ本降りになったので神輿の出発を待たずに車に戻る。
13時にここを出発するみたいだ。

20170415-208

約1.5㎞先の前宮を目指す。

20170415-209

20170415-210

20170415-211

20170415-212

20170415-213

13時前宮も多くの人が集まっている。皆狙いは十間廊。間口三間奥行十間の周囲は幕で覆われわずかな隙間を狙って観光客が群がっている。私もその一人、LCVのカメラマンさんのそばにポジションを取る。広角と望遠両方持っているのならプロのカメラマンさんのそばは絶対。
冷たい風が吹き始め、午前中とは陽気が違って来たが、今ここを離れたらもうポジション取りは不可とあきらめて頑張る。
50cm四方、隣近所とは肩触れあい狭さでぎっしり入っても入りきれない神事に関わった人、そしてそれを取り巻く観光客。
そんな中神事が始まる。

20170415-214

20170415-215

20170415-216

20170415-217

神輿を御簾の奥の棚に奉納し、部屋の後方(つまり僕らの目の前)においてあった山海珍味を神官が、神輿の前に運び捧げ、そのあと参加者の代表が玉ぐしをささげ、捧げた山海珍味をもとあった場所に戻し、神輿をもとにあった本宮に戻し神事は終わるらしいが、もとあった場所に三方を戻したところで僕らの観光はTheEND。会場を離れた。

神輿もイスラエルからの輸入した文化だという人がいる。いわゆる十戒を入れた契約の箱だ。それも本当かどうかは分からないが、担いでどうなるかわからないものを担ぐ文化は確かに興味深かった。
あわせてイースターの直前の日、まったく違うが十字架の横棒を担いでヴィア・ドロローサを歩くが如くの若者の姿に、さて現実に戻って教会に行こう!と言う気持ちを強く持った休日の一日でした。

黄色い春みぃつけた\(^o^)/(Ω)

早く寝れば早くに目が覚めるのは原理。
という訳で、8時過ぎには行動開始。
1日乗車券を購入しローカル線を行ったり来たり。
1時間に1本の電車旅。うまくスケジューリングしないとあちこちが見られません。

20170401-06

20170401-07

幸せの黄色いハンカチならぬ黄色い列車のあちこちにはムーミンたち。

20170401-08

どの有人駅でも駅員さんたちが手を振って列車を見送ってくれます。

20170401-09

20170401-10大多喜町船子939−1

ここに列車が来れば絵になったがタイミングがなぁ~
まずは大多喜より一つ大原(のぼり方面)に行った城見ヶ丘駅。
写真を撮り終えてからも1時間以上の時間があるのでおおたきショッピングプラザオリブで暖かいココア(^_^)/
この周辺は田圃をつぶして新興住宅地にしているようで田圃と新しい家が入り混じっています。

そして続いては3つ大原側に行った新田野に。

20170401-14

パンフレットを見ると駅ホームの反対側は見事な菜の花畑。

で、降りると…。

20170401-12

何の間違いなのか駅前には一本の菜の花もなく…。
30分待って下りの電車に乗り込みます(>_<)

でもね、こんなにかわいい写真撮れたからまっいいか(笑)
そんな心の余裕も幸せの黄色を見続けたからかも(^_^)/

20170401-11

いすみ市行川 の大野入口

20170401-13

ここが一番きれいだったかも\(^o^)/

素敵な黄色い2日間でした。

黄色い春みぃつけた\(^o^)/(α)

毎年秋に行っていた京都のH姉とのプチキャラバン。でも昨秋はH牧師が天に召されバタバタとしている間に行きそびれました。
そんな訳でこの春に延期していたプチキャラバンを計画。山梨に桃の花を愛でながら昇仙峡そばの藤城清治氏の影絵ミュージアムに行こう!! そしてほったらかし温泉横に出来たほったらかし温泉キャンプ場でまったりしようと・・・。
と、ところが・・・
天気予報を見ると3月31日夜から山梨は積雪注意の文字。ノーマルタイヤのイクスス号には厳しいツアーになりそうなので、キャンプ場にお断りの電話を入れて、雪の降らなそうな地域に予定変更。
その白羽の矢が立ったのはいすみ鉄道。
お出かけは、房総に決定!!

朝9時,F母娘が来宅。久々の5人でのキャラバン。
小雨降る東名、そして横浜町田ICの渋滞。出ばなをくじかれても久々のお出かけのワクワク感にはかないません。
アクアラインを通りまずは保田のばんやへ。
13時近くについたのに駐車場は満車、しかも大勢の人が冷たい雨風の中傘をさして屋外にまで並んでいます。
キャンピングカー仲間からここがおいしいとお勧め頂いたのはもう10余年前。それから数度訪れたもののもう5,6年は来ていなかったようで、入り口の感じも変わっていますが、人気の高さは昔のまま。
ようやく席について一番人気の「漁師の賄い丼」

20170401-01

20170401-02

あっ、右は「なめろう」です。
大きな茶碗に酢飯がたっぷり。その上にこれでもかと言うほどのお刺身。おいしかったです。

午後には雨が上がるとの予想に反してしとしとと降っているので、海も美しくなく何よりも寒い(>_<) ということで南房を見ることなくメインの大多喜に向かっちゃうことにします。
県道34号で鴨川へ。そしてナビに従い県道81号線へ。 へぇ~大多喜だから海岸線を通らないんだ・・・。なんてお気楽にハンドルを回せば、崖にへばりつくような細いグネグネ道。やられた…、時折僕のナビはおちゃめなことをしてくれます(T_T)/~~~

上総中野駅を通り、夕刻の大多喜へ。
予定通り同駅前の町営久保駐車場へ。24時間までは500円と超がつくほどリーズナブル。
車の中でおしゃべりをしているというH姉とF母を残して、古い街並みが残る県道172号へ

20170401-03

20170401-04

20170401-05

そして駐車場そばのセブンイレブンで、今晩の食事と明朝の朝ごはんを買って駐車場に戻りP泊。

ちなみに大多喜駅前の町営久保駐車場は民間委託しているので、所謂『交渉』は効きません。高さ2.5m以上は白線の中に納まろうが否かを問わず大型車扱いになり、24時間までは500円ではなく2000円となってしまいます。
とはいえ、周囲に民家がたくさんあり、トイレのある駅やコンビニまで徒歩2,3分の立地。車の往来は多くなく静かになれますので2000円は高く感じませんが・・・。
プロフィール

take1960

Author:take1960
FC2ブログへようこそ!

カテゴリ
リンク
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

カレンダー
10 | 2018/11 | 12
- - - - 1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 -
検索フォーム
最新コメント
FC2カウンター