いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい

聖書と言う書物は、この世での生活のHowTo本である一面があります。そしてその中で一番よく使われるのはこの聖句でしょう。

「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。」
(テサロニケの信徒への手紙I 5章16~18節)

昨日・今日会社会長の葬儀があり2日間お亡くなりになられた会長とと近しい方と過ごす時間が与えられました。
僕も1991年中途採用でこの会社に入社しました。現場を1年経験した後事務所でのデスクワークになりました。そのころの会長は既に実務は退いていましたが、僕ら従業員が事務所に行くとわざわざコーヒーを入れてくれたりと「いつもありがとうございます」と言う丁寧な言葉とともに接してくれました。
昨日今日お会いした人、喪主である社長らファミリーの挨拶、どこにでも、「どんな時でも笑顔だった」「人の悪口や困窮の愚痴を言っているを聞いたことが無い」「信心深い人だったねェ」と言っていました。
まさに僕が四半世紀そばで感じたそれと同じ言葉でした。

表記の聖句は、「これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです。」と続きます。
もちろんその方が信仰している宗教はそれぞれですが、他宗の方から得る素晴らしいものもたくさんあります。この2日間テサロニケの言葉の実践とは何か、改めて感じた次第です。

人の定めたお別れの儀を無事に終わらせてただいま帰りました。このあとはただ神に委ねるばかりです。祝福がありますように。このされたご家族ご親族そしてお仲間の上に神のねんごろな慰めと癒しがありますように。

オープニングセレモニーは、路上演奏やコンサートで注目されているミュージシャン、坪山健一氏のサックスで始まった。

高山右近の列福式の記事

限定公開とのことですのでダイレクトで貼らずにリンクのみご紹介。この上でクリックしてください。

カトリック司教協議会列聖列福特別委員会は、大阪教区(池長潤大司教)と共に2月3日、ユスト高山右近の列福祈願ミサと講演会を開催、会場の大阪・城星学園講堂には約800人が集った。400年前のキリシタン大名右近の生涯を知ることで、神がへりくだられた意味を深く理解し、キリスト者であることの使命を再確認する機会となった。

オープニングセレモニーは、路上演奏やコンサートで注目されているミュージシャン、坪山健一氏のサックスで始まった。その後、北摂地区青少年委員会の子どもたちによって右近の生涯の紙芝居、続いて「捨ててこそ―イエスの福音と高山右近―」と題して古巣馨神父(長崎教区)の特別講演が行われた。

「400年間語り伝えられてきた高山右近の出来事は、閉塞(へいそく)感に満ちた今だからこそ日本の教会の『共通の記憶』として、皆が知るべきことだ」と切り出した古巣神父は、始めに右近の生涯全体をおおまかに紹介。その上で、「高山右近という生き方」について、人生は神によって起こされた出来事だという理解のもとで、聖書の箇所を引用し、右近の人生と重ね合わせながら解き明かした。

まず右近の人生を、①「出会いの神秘」、②「苦しみの神秘」、③「復活の神秘」と三つの時期に分けて解釈し、それらをキリストの三つの神秘と一致させて見るとき、イエスの福音と右近の関係は鮮やかになると話した。

①「出会いの神秘」では、ザビエルにいたる右近の信仰の系譜(誰を通して信仰を得たか)に触れ、②「苦しみの神秘」では、神と人の絆をより深く結ばせる苦しみ、すなわち「試練」を通して右近が神によってつくり変えられたと語った。右近には三つの大きな試練があったというが、古巣神父はこう説明した。

「『荒木村重事件』では、人生の岐路に立つとき、神の前に身を置き、問い掛け、静かに聞き、決断するという、右近の生涯を貫いた『祈りによる決断』を身に付けました。秀吉による伴天連(バテレン)追放令では、『他のことは譲っても、神の教えにかかわることは譲れない』と公言。身分も財産も全て捨てることを選択したのです」

「降りてきて、十字架の死に至るまでへりくだった神」と出会った右近は、下克上の上り詰めることを競った時代に、“負け組”として、「降りていく生き方」を選ぶ。右近のこの生き方は、競争社会の中で福音を伝えようとする現代教会に大きな示唆を与えると、古巣神父は指摘した。

また、63年の生涯のうち、28年間を追放の身として過ごした右近は、秀吉、家康からの追放を「キリストからの派遣」と受け止め、彼の行く先々には信仰共同体(教会)が誕生した。右近の追放の人生は、③「復活の神秘」の中にあったと指摘した。

「洗礼の恵みを深く生きた結果が『高山右近という生き方』になりました。右近は現代のキリスト者に、洗礼の恵みを喜びとし、その情熱のうちに生きるようにと励ましています。人は本当の神の教えに出会い、洗礼を受けたこと、キリスト者であることをもったいない(ありがたい)こと、と公言した時、福音の証し人になれるのです」(古巣神父)

締めくくりの列福祈願ミサは、大塚喜直司教(京都教区)をはじめ、池長潤大司教(大阪教区)、松浦悟郎補佐司教(同教区)と他13人の司祭による共同司式で行われた。大塚司教は説教で、右近の人生が「長い殉教」そのものだったため、その生涯の道のりは私たちの信仰の模範となると話した。

さらに、教皇ベネディクト16世が、昨年「信仰年」を定めた背景にも言及。かつてはキリスト教国と呼ばれた国々の深刻な教会離れがあると説明し、私たちには、今どうしても内面の刷新が必要だとして、右近の列福を心から祈りたいと結んだ。

カトリック新聞OnLine February 15, 2013

グルットムサシ(Ω)

19日(月)、世は平日。サラリーマン氏がコートの襟をたてながら会社に向かう。OLの皆さんはカラフルなコートでとかくダークになりがちな街に色を添える。
そんな中僕らは銀座の街を散歩する。ヴ~ン至福(笑)

今日はまずMさんが教えてくれた奥野ビルに。

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デザイナーズマンションの草分け、昔見に行ったことのある原宿同潤会アパート並みに興奮!

そして時系列には逆だけれど、最後は月光荘 月のはなれ。

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松田優作さん演ずる売れない探偵が住んでいそうな場所は写真撮影が好きなものとして格好の被写体。
でも、手を抜いてこの日持っていったのはPowerShotG16のみ。少し残念な写真ばかりになったのでレタッチで誤魔化し^^;

そしてこの日のメインイヴェント。金斗鉉先生のネパールチャリティバザール展へ。
10年前ご家族からの協力要請でチベットに行って以来毎年現地の小学校で美術を教える旅をしています。そして今年の3月はなんとそんな旅に友人のぶいちゃんをご紹介したところご本人も行く気満々。そんなこともあって先生にはご挨拶をしたいと思っていたので願ったりかなったりのご訪問。

室内外に、先生らの作品と、現地の子どもたちの作品。
「絵」を描いたことのない子。(哲学的な意味ではなく)絵とは何か?を知らない子に絵を教えることがどういうことだったのか?を聞きました。
人の顔を見ながら描けない、後ろを向いて相手の絵を描く。続いて正面しか描けない。そして大きな画用紙に小さな絵を描くのは画用紙がもったいないという僕らが気付かなくなった貧困。
そうした中でも一生懸命さがどの絵も訴えてきてくれているのを見て素敵な旅なんだろうと思いをはせます。

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素敵なカレンダーとネパールコーヒーを購入してお暇致しました。
さて、お昼。Mさんのお勧めのボルシチを食べにお茶の水に行く予定でしたが、近場で済まそうか、と(さすがに3日目、皆さん歩き疲れています)。
昨日行った銀座ライオン7丁目店で飲んだビール1杯につき1枚くじが引けて、なんと3倍の無料券をGetしたこと。そして食べたかったローストビーフが売り切れていたことでリベンジの入店。

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Mさん行きつけの画材屋さん、月光荘へ。
それにしても銀座はすごいなぁ~、とつくづく思うよ。

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銀ブラ発祥のお店。

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このお店でブラジルコーヒーを飲むから銀ブラって知っていました? たしか花子とアンでも書いていたような(笑)
「最近の若い者は何でも言葉を短くして」なんて嫌味を言われますが、言葉を短くするのは古今を問わず若者の得意技。しかし、今でもモボ・モガと言う略し方はしないだろうな(爆)

地下のお店では個展が。


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おしゃべりが楽しく、思わず飾り皿購入。

アッもうひとつ今回のお土産は

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つれのたっての買い物、銅製のおろし金! ゲッ!と思うような価格の逸品でした。
こんな散財もしながら2泊3日の楽しい旅。
遊んでくれてみんなありがとう!! 楽しかった武蔵国をぐるっとまわったプチトリップでした。

グルットムサシ(2)

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男は誰であってもいくつになっても若いおなごのエキスがエネルギーの糧。
そんな訳でモーフェスタのオリジナルTシャツにかわいいおなごの「パフパフ」ならぬ「スリスリ」をしてもらいに川崎へ。

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ウォークイヴェントなので足型を「いただきました、☆三つですぅ」
そんなTシャツを持って、川越へ。
いつもは東武東上線で行くのですが、今日は西武鉄道アロー号でリッチに!!

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駅に着くとレストラン観光列車、隈研吾氏デザイン「52席の至福」が今まさに出かけようとしているところ!!

友人宅につけば、新しい抗がん剤が効いたとのことで、食欲もなかったとお連れ合いさんも心配していたのが嘘のように元気。ほら、やっぱりモーフェスタの念が聞いたぞ(笑)
お声もお顔も思った以上にお元気でお尋ねしたこちらが元気と笑顔を頂いちゃいました\(^o^)/

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趣味の競馬の中継を見ながらのおしゃべりTime。そして1レース百円で買っていた競馬に、Mさんと連れ合いが乗って、連れが複勝ワイド4-9を購入。

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なんとビギンーズラック!!1760円をGet。
みんな笑顔の仲間たち。「二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである。」 (マタイによる福音書 18章20節).
わたしの名とは、隣人愛ということ。
ささやかなラッキーは、みんなの笑顔からきたのでしょう。

Mさんは近くの喜多院で初?詣で。

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今回のミッションは終了し、このあとはMさんとレクレーションTime。
都内のホテルを取ってさて飲みに行きましょう!!

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クリスマスを間近に控えたアドヴェントの銀座。

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かんぱーい!!

くまもん頑張るもん熊本訪問記(Ω)

卓ちゃん@福岡とシュンさん&ひろぽんさんがレンタカーを借りて迎えに来てくれました。
RFLを終えて帰宅した方、別用に向かった方もいて、オフ会観光は上記3名以外は、ブイちゃん、イサム&ミーさん、えっちゃ&Takeの5人。合計8人ならばレンタカー1台の方がワイワイできて楽しいよね、と言うご判断は大当たり。
終止笑い声の絶えない観光となりました。

今日の最初の目的地はこちらも長年僕が行きたがっていた長部田海床路(ながべたかいしょうろ)。
有明の潮の満ち引きが大きい海ならではの名所です。
くまもん頑張るもん熊本訪問記(3)に記したように景行天皇が自ら熊襲征伐にやってきた場所と合わせて考えれば、この潮の満ち引きの大きい干潟は昔から食料の宝庫だったのでしょう。故にこの湾一体はもしかしたら吉野ヶ里の勢力と筑後川を挟んで拮抗する大きな国家だったのかもしれません。手塚治虫氏も「火の鳥」の中で、熊襲を勇猛果敢な部族として描いていますしね。

有明湾が見えてくればまもなく。突然に車内から歓声

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そう、この海の中を延々と何百メートルも続く電信柱が見たかったのです。
今日は9時30分満潮の大潮。10時15分に到着!!見事に道路は海の中。
四国に沈下橋は多けれども、1日1回は必ず沈むことはありません。
そういった意味ではやはりすごい場所だと僕は思いますが、地の人は「ふ~ん、当たり前だと思っていた」って(笑)
美人の顔は3日見ると飽きると言いますが景色もそうなんでしょう。

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波打ち際にはムツゴロウ。卓ちゃんに教わるまでは気が付かなかった。

さて、続いては2015年に「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」と言うタイトルで世界遺産になった中の一つ三角西港。
ここは昨日Blogに記した通りの場所
この有明や福岡を囲む一帯が明治から昭和初期の日本の経済を支えた場所であることはよくよく知られていることで、NHKの朝ドラの「朝が来た」しかり、五木寛之の「青春の門」然り、物語の舞台にもなっています。
そんな石炭は、口之津港から運び出されていたのを効率を考えこの三角に港を築いたのがこの地が世界遺産になった由来。

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岩波文庫の挿絵に当時の三角港が載っていますが当時の面影は今も残っていました。という事は、100年近くも自然の風化に耐えたということになります。技術の高さに驚かされます。

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海岸で遊び、浦島屋の前から海を臨み、ラフガディオハーンになったつもりで海岸で遊ぶ乙姫様たちを臨みます。

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港に隣接する喫茶店でコーヒタイム。
優雅な時間。

そして半島をぐるっとまわり不知火でお昼を食べて
不知火はデコピンデコポン発祥の土地。
お約束の「一人デコピン」の写真を撮って
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さて空港へ。
楽しい時間はあっという間なんて陳腐な言葉、でもまったくその通りで、後ろ髪をひかれながら帰ってきました。
RFLの会場であった皆さん、そしてオフ会をご一緒してくれたみなさん、本当に楽しい時間をありがとう。
特にしゅんさん&ひろぽんさん、そして卓ちゃん、ありがとうございました\(^o^)/

空港ではflash mob

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そしてそのメンバーは同じ飛行機に!

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「楽器を持った方の優先搭乗となります」の声に、飛行機の1/3はこのメンバー?と言うくらいいろいろな楽器を持ってわさわさ飛行機に乗り込みました(笑)

くまもん頑張るもん熊本訪問記(4)

札幌、函館、都内下町、富山、豊橋、福井、京都、岡山、広島、長崎、熊本、鹿児島、そして鎌倉。これらは路面電車が走っている町ですが、みな「るるぶ」が売れそうな町です(笑)
路面電車を残せる文化があるからその町が楽しいのか、路面電車は旅心をくすぐります。
でも確かなことは、効率や経済だけで言えば路面電車は非効率で流通と言う経済活動を阻害するものなのかもしれませんが、車を排除し弱者にやさしい街づくりと言うコンセプトのもと残っているのなら、地方行政や経済界の心意気が文化として残っており、それが旅心を誘う要因の一つにはなっていると思います。

16日の午後は市電1日乗車券を買い、路面電車を堪能しました。
レトロな木造の床板、昭和初期を髣髴させる呼び鈴(停車を依頼するブザー)などやはり楽しい。

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そしてA路線とB路線の停車場所を前後に工夫をしている姿を知ればそんな些細な事にもいちいち驚嘆します。

同時に歴史の変貌、ヨーロッパのトレムのような低床の最新のスタイルに心を奪われたりします。

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僕らはこれに乗り洗馬橋まで行きます。洗馬橋停車場より辛島の繁華街方面は併用軌道つまり道路を車などとともに走るのですが、ここから反対方面1駅の新町までは専用軌道、つまりは鉄道のみ、砂利の上に枕木が敷いてありその上に線路があるという区間。日本でも珍しい駅です。

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UPすると・・・

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そしてタヌキのモニュメントと発車のメロディが「あんたがたどこさ」であることでお分かりの通りこの童謡の発祥の地と言われています。
この童謡発祥の地論には異論こともあり、来たかったのですが、さてこの都心の平地のど真ん中、いくらこの歌が作られた時代と違うとはいえ、タヌキが住めそうな山は無かったですね。

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僕らはここから熊本駅に向かいそこでタクシーを拾い花岡山を目指します。ここも「熊本に行ったら行ってみたい」と事前にチェックした場所。
当初駅から歩こうと思っていましたけれど、乗ったタクシーの運転手さんに一笑にふされてしまうほどの急坂を延々と。タクシーに乗ってよかったです。
毎年1月末この「熊本バンド奉教之碑前」前で早朝祈祷会が開催されるとあり、礼拝ができるようにコンクリートの椅子がありました。僕らが昨日からRFLを実施していた白川公園の対面にある草葉町教会のメンバーが定期的に掃除をしに来ているので、夏の終わりなのにさほど草で荒れてはいませんでした。
極寒の早朝、ここで多くの若者が信仰を誓いあい京の同志社にあるいは他の宣教の場所に向かって行ったのでしょう。

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運転手のHさんは幸いこの早天祈祷に際して組合系(同志社系)の教会から集まる方の送迎をなさっているとのことで、お詳しくそしてとても親切な方でした。短時間の観光第一弾は楽しく終了。
さて夕方になりました。今日の観光はここまでにして仲間との懇親会の会場に向かいましょう。

くまもん頑張るもん熊本訪問記(3)

僕の勝手な史観ですが、邪馬台国はやはり九州だったと思っています。しかしその後いつの時代か、他王国とたもとを分かち東遷し、九州に残った王国を熊襲と呼び征服に踏み出したのだと思っています。
西暦250年ころ景行天皇が九州征伐に出向き、三角半島の御越来海岸の美しさに感動をした記載がありますから、既にそのころは隣国のよしみもへったくれもないほどの関係だったのでしょう。
マザーテレサは言います。「愛の反対は憎しみではなく無関心」と言いますが、過去の隣国の意識が無い無関心な遠方の国家になってしまったのでしょう。
一番の勢力と縁もゆかりもなくなった熊襲は独自の文化を遂げ始めます。それは権力へのプロテストなのかもしれません。

なんていうバックボーンがあるかないかはわかりませんが、独特のおいしいもの沢山ありました。

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ヤリイカ

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馬刺し

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辛子レンコンと米焼酎「川辺」

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一文字グルグル

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ちくわサラダ

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カワハギ

こうした山海珍味を、15日は五郎八大衆酒場水戸黄門、そして16日は居酒屋8号で仲間とともに楽しみました。

「しい」の掛け算です。楽しい×美味しい=相乗効果でとても満足!!

帰りに空港で辛子レンコンを求めました。
するとしゅんさんが、「食べ比べてみて」ともう1本

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左のクマモンの方がレンコンのシャキシャキ感があり、辛子がからかったです。
今暫く熊本の味を楽しみながら思い出にふけりたいです。

ハーンのみた夢 - RFL熊本後のオフ会を待ちわびる -

白昼夢と言う言葉は何か神秘的な香りを醸し出しているような気がします。
体験なのか想像の産物なのか、突き詰めれば自分は現実なのか幻なのか…。
それは五感の中で視覚ほど危ういものが無いという点からも想像が容易いです。
今見たものが本当に見たのか、夢の中なのか・・・。

僕らが知っている「浦島太郎」のお話。子どもたちにいじめられたカメを助ける導入部は、神奈川県の三浦地方に伝わるお話。それより先の8世紀の日本書紀には、浦島太郎が釣り上げたカメを逃がしてあげる所から始まります。導入こそ違えども、時間の進み方の違う楽園に連れて行かれながらもふるさと恋しさに戻った主人公が戻った先で悲しい最期を迎えるのは浦島太郎のお話。
そんな話をラフガディオ・ハーン氏は聞いたのです。その話は父親の生まれたアイルランド神話の『ティル・ナ・ノーグへ行ったオーシン(Tir na nog)』そっくりでした。
船で何カ月、地球の裏側の極東のちっぽけな島国。そんなところで幼い時にベッドの中で父から聞いた話をきいている?それは、デ・ジャヴー…白昼夢…。
知らない国にきて不安の中、優しさに触れ、この国が好きになってきた。そんな時に故郷の話を聞けば浦島太郎じゃありませんが何カ月も離れた場所にいるとは思えず故郷へワープしてしまいます。

海を見ながら長崎から熊本に帰る最中のハーンは猛暑の中ひと時の涼を取るために三角西港にある宿に足を踏み入れます。
そこには鯛や平目の化身のような器量が良くて気の効く女中さんとこの世のものとも思えない美しい女将がいました。
あの猛暑が嘘のように浴衣の姿が心地いいです。
「熊本ヘ帰リマスデス。コノ、ホテルノ名ハ何トイイマスカ? キット覚エテオクデス。」
「お部屋はたいしたものじゃございませんし、それに女中たちもよく躾けられてはおりませんが。浦島屋と申します。それでは、お車を呼ばせましょう。」

浦島屋・・・それではここは竜宮なのか?白昼夢なのか?夢か現実か?暑さでおかしくなったのか?
ふっと我に返れば「クルマ」の上でウトウトしていたらしい。先ほどの浦島屋は本当に見たものなのか、玉手箱の中だけのものか…。
そんな印象深い旅の思い出を書いたのが、ラフガディオ・ハーン氏の「夏の日の夢」

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浦島屋は2015年に「明治日本の産業革命遺産」の一つとして、世界文化遺産登録が決定した三角西港のシンボル的な建物だ。
その場所にRFLの仲間が連れて行ってくれるという。
楽しみと言わずしてなんと言おう。

神様の定めた奇しきご縁

義兄、母、そして恩師とこの1年はたて続けの逝去でさすがに少し精神的にも厳しいです。
でも、健全な精神は健全な肉体に宿るの言葉ではありませんが、京都でおいしいもの食べてうちに帰ってバタンキューと朝まで熟睡をして少し落ち着きを取り戻したもんで、土砂降りの中でもなんとか職場に出勤。仕事をしています(笑)

時折、思い出が頭の中をよぎり、あっそういえばこの方にもお知らせしなくちゃ、と慌てたりしています。
山本牧師もそのお一人で、何かの用事で関西に行き、藤田牧師の所にお邪魔をし、その後丸太町教会で伝道師をなさっている山本牧師の所によって帰ろうとお二人にご連絡をしたところ、ご快諾して頂き、なおかつ山本牧師に置かれては自分も藤田牧師にお会いしたいからと藤田邸までお迎えに来てくださいました。そんなことがあったなぁ、とは思い出したのですが、果たして何のために関西に行ったのか?はたまたそれがいつなのか?が思い出せません。

ただ時期は、京都駅で山も先生と一献傾け合いながら歓談して新幹線に乗ったら三島止まりで、新幹線は協定で12時直前の駅で停車しなければならないという理由があるそうで・・・、三島のビジネスホテルで泊まろうとしたら連れ合いとF母娘が迎えに来てくれた、ということからF健さんは病床なのか天に召された後かと思います。
そうするともしかすると、2002年7月の廃棄物処分場問題全国ネットワーク全国集会で深草に行った帰りだったのかもしれません。

人のご縁とは不思議なもので、教会と社会問題の集会、社会問題と違う社会問題の会場・・・。そうした関係性が無い場所で共通の知人に出会ったりします。
Facebookには記しましたが、今回藤田牧師の葬礼拝を執り行われました月下星志牧師は、神学生時代米軍基地辺野古移設反対のカヌー隊で金井創牧師とご一緒に抗議を続けられたそうです。
僕と金井牧師とは寿地区センターの委員として先生が沖縄に移動されるまでの間、何年かご一緒させてもらいました。
そして僕に寿の働きを教えてくれたのは藤田牧師でありました。絡んだ糸をほぐすように、でも糸同士は神様の定めたとおりつながっている事を改めて感じています。
というか金井牧師とも月下牧師とも藤田牧師が仲介してくださったようなものですね(^^)/

A姉を偲ぶ

教会のお仲間が神様のみ元にお戻りになりました。
牧師が最期の様子を教えて頂きましたが、高齢者の養護施設の職員が深夜3時に巡回した時は穏やかにお休みだったのだが、次に明け方5時に見回りに行った時、ベッド下に座り布団の上で手を組み祈りながら亡くなっていた、そうです。
お話を伺い、僕らはおあいできない神様に最後の最後に出会ったとか、アニメのフランダースの犬の最後のシーンのように何人かの天使が抱えるように天へ持ち上げていったのを頭の中に思い浮かべました。
姉の最後の一年はとても厳しい一年でした。が、その一年の悲しみと同じほどの喜びと恵みがその一瞬にあったのではないか、と思うのです。

A姉とは同じ地域に住んでいるので、教会だけではなく親しくさせて頂きました。というより、まず地域の方としてのお付き合いののち教会員としても親しくなった感があります。

我が家の祖母が脳梗塞の後リハビリをして家の中のことは出来るようになっても屋外に出ることは避けるようになりました。そんな様子を知った当時の小田原教会の山﨑牧師は、拙宅で家庭集会を開催してくれました。クリスチャンとしてのキャリアが短い祖母は、どこまで聖書の話が理解できたかはわかりませんが、それでもF家ファミリーやA姉が来てくださりおしゃべりをしてくれることがうれしいらしく、時間より前に聖書と讃美歌を持っていそいそと自分の部屋から出てく来て所定の席に座っていたものでした。
短い期間のしかも時間が夜間という家庭集会でしたので参加者は限られて居ましたが、その数少ない常連メンバーでした。

さて、時系列にいくつかの思いでを。
僕の勤めている会社はIBMのAS/400というマシンを使っています。が、販売した会社も初めて売ったという事でプログラミング内容(仕様書)もよく理解しておりませんでした。そんな時、当社社長がPTA会長をしていた時の副会長との雑談の中で、その方がAS/400のスペシャリストであることが分かり、ご協力を依頼しました。その時その方から学ぶように私が任命されたのですが、その方の上司がA姉のお連れ合いさんだったそうです。
とても良い上司だったと何度もお話しして頂き、(すでにお亡くなりになって)存じ上げなかったA姉のお連れ合いにも思いをはせることができました。
そんなA姉のお連れ合いさんは、姉と違いクリスチャンではないまま病の床に臥し、A姉は近隣のお寺さんに最後の時のことをお願いに上がったそうですが、その後病床で洗礼をお受けになられ晴れてクリスチャンになられたので、A姉はご住職に謝罪に上がったそうです。そうしたらそのご住職は寛容に対応してくださり、その後小田原教会の牧師が辻説教をした時に通りかかると必ず足を止めて最後までお話を聞いてくださり合掌して去られたと聞いています。宗教を越えた深いお交わりができたベースにいたご夫妻の記憶です。

私の結婚式の時の主賓は郷土史家の立木望隆氏でした。この方は歴史家としての一面だけではなく、茶道かとして、そして俳句家としての一面もありまして、A姉はこの方に師事していました。
立木氏が自費出版していた「芦間乃道」の中にある風塵抄と称した俳句のコーナー
如月の 遠山の名を 問われけり
杉の秀(ほ)を 絞り木枯らし 過おりすぐ
そんな歌が載っています。
A姉は立木氏が小4、5年の僕を呼ぶ呼び名をそのまま呼び続けてくれる方でした。

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そんな最中、久野では山中に計画された産廃処理場の反対運動がおこり、A姉も熱心に反対運動を闘いつづけてくれました。この闘いの代表がA姉の一人息子さんの友人であったことは大きなファクターでしたが、本当に頼もしいメンバーでした。
共に市内をデモしたり、教会内でもアジってくれたり、横浜の県庁まで抗議に行ったり、時には計画地で建設を強行する輩を相手に体を張った戦いもし、学習会や行政説明会、数々の裁判においつも一緒に行っていました。

晩年の20年弱のお付き合いでしたが、濃いお付き合いをさせて頂きました。ですので急逝の知らせは現実味のない夢のような感じでしたが、当初の最後のシーンの話を聞いてA姉らしい神に導かれての凱旋にすこし納得して来ました。
生き切った人生故の最後のシーン。天国への凱旋に残された僕らも希望を頂きました。願わくば、僕もそうした神様の導きがありますように。
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