石造物調査会定例フィールドワーク

今日の調査場所は、前回火曜定例会(僕は不参加)に引き続き早川石垣山でした。
入生田に集合し、ここから約4km探しながらのハイクです。

生命の星・地球博物館の横を通り、早川にかかる間もなく還暦の太閤橋を渡り

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GoogleMap(35.239346, 139.125378)にも、史跡ランドマークとして表示されている(ちょっとびっくり!)の開墾記念碑を調査。

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こうした記念碑は裏面が大切でして、建てた趣意とか寄贈した人たちの名前等々大事な情報満載です。
が、風化とともに読めなくなっていきますので、こうした取り組みは大袈裟に言えば時間との勝負でもあります。
昭和6,7年にこのエリアの開拓があったのでしょう。
早川小学校内にも同様な碑がありましたので、戦争に向け出来るだけ開墾するようにと上からのお達しで皆で勤労奉仕をしたのではないでしょうか?

汗をかきかき、途中のこの農道の道路下の石丁場のあとを見、そしてゴールの直前

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何気ないお墓かと思いましたが、お墓なら故人若しくは家の名があります。とあわせて芝台と竿塔の時代と、中台の時代が違うようにみえます。
つまりは、この畑の持ち主さんが畑の中から中台を掘り当てた。古いものだから放り捨てないで供養しようと畑の端に芝台を設け移設して竿塔を乗せた、と言うのが僕らの推察。
サイズを測らせて頂き、小田原の石造物と認可して登録です。

今回は長丁場を歩きましたが、登録数は2つでした。が石丁場を見たりと僕個人的には満足のフィールドワーク。
鎧塚ファームに立ち寄りソフトクリームを食べ

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帰路に向かいます。
一夜城は簡単な木と紙などで作り上げ、周囲の木を切って一夜にして城を建てるだけの力をもっていると北条に見せつけ戦意を喪失させた、と言うのが通説です。
が、それならば北条側に見えない南斜面に石垣を組む必要性はあったのか? と小和田先生がTVで語られていました。
大きなはったり的な一発勝負を強運で駆け抜けてきた天才児は、その勝負の度にたぶんビクビクしていたのだと思います。そんな内心を見透かされないように虚勢を張り続け、それがはったり勝負の「勝ち」につながったのだと思います。

北条側に徳川がついたら…、長戦になって恩賞もないまま全国の武将を関東まで呼び寄せて・・・、もしを考えればすべての自分側の武将が寝返る恐れは大いに感じていたでしょう。ギリギリのバランスで保たれている天秤はわずかのことでバランスを崩すことが怖くて怖くてたまらなかったのではないでしょうか?
戦国時代最後のはったりは、この一夜城を作り己を大きく見せる事だったのだと思います。その人工、その財力、その…すべてを自分の家臣軍団に見せつけ、太閤殿下ここにあり、の威厳を見せつける必要性があったと思います。故に南斜面にも立派な石垣が必要だった。軽い木と紙の城にふさわしくない立派な石垣を築いて、己の力を味方の家臣に見せつけたのがこの石垣ではないでしょうか?

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帰路の坂道を降りながらそう思います。
茶の湯を楽しんだのも、淀君を呼んだのも、みんな余裕をアピールするため、本当は景色すら楽しむことはなかったのではないか、と。
小田原の海は本当に美しい。彼はそんな美しい海を楽しめたかな?

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気違い部落周遊紀行

人権問題や社会問題にかかわり原理的な対応をなされる方からはお怒りの声が聞こえそうなタイトルの本。

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この本を読もうとしたきっかけは、「気違い部落」と言う映画が1957年に製作され、そのロケが郷土で撮影された、と言う話を聞き、興味を持ったことに端を発します。
2つの差別用語がタイトルに入っているので、なかなか世には出て来ないのですが、この文学もそしてこれを基にして作られた映画も高い評価を受けているそうです。が、同時にこれは私小説的な要素も多分にあり、文中に「著者にとっては、この名称は村の英雄たちとの関係から、若干の面倒に値する危険がある」と書かれている通り、ウィキペディアの「きだみのる」を見ると恩方村の地元では「気違い」扱いへの反撥が激しく、きだに鎌を振りかざして寺からの立ち退きを迫ったと書かれています。
タイトルの2つの差別用語とともに、村人を英雄と呼びながら話を進めていくので、何か鼻につくのですが、その「何か」がなかなかわからなくそれがまたイライラを募らせるのですが、ショートショートのような超短編を読み進めていくごとに、うんうんとうなずき先ほどまであったイライラからストレスフリーになっていきます。
「部落」と言う言葉は、一般的に同和問題で代表される意味のない差別を余儀なくした歴史から発生した言葉と、「集落」の意味で里山の人が自らを言う言葉とあります。が、後者だとしても、都会に対応する卑下の意識はあったと思うのです。
士農工商という身分制度でも名目は農民は上位にあってもその生活はとても厳しく、2つの「部落」は過酷さに差異はあれども、中近代では困窮の歴史だと思うのです。そんな困窮の中で、でも人々は粛々と生きていきます。

今、このタイトルの本を目にした時、誰もが頭の中で過去の知識をフルに活用してどんな話だろうか?を推測します。
その時、やはり「気違い」と言うワード、そして「部落」と言うワードから想像すると思います。特に知識がある方、学びが多かった方は、「ムムム」と思うと思うのですが、たとえば文中に小さな桜の木について問うと、その横に芭蕉の句碑があり、だからありがたいと言われ「木の大きさと芭蕉から今までの年数を考えるとおかしい」と反論すると「いやこれは5代目だから」と平然と回答されるシーンがあります。本来はその木が重要ではなく、5代前の木が重要であり、そこで芭蕉が句を読んだことが重要なのが本末転倒になっている。高じて自分は26代目だ、と言うが、人間誰もが父と母から生まれるのでそれが何処の誰兵衛かはわからずとも必ず26代前の先祖はいるはずなのに、それを知っているだけで優位に立とうと思う人間の性を書いています。
つまりは、言葉に問わられて本質を見忘れるな、と言うのがこの本のタイトルなのでしょう。

そう言う意味では遠藤周作氏も同じようなことを何度も書いています。自分の経験値で作り上げてしまう神と言う言葉に惑わされるのなら玉ねぎでもいい、と言います。神は僕らの想像を超えた存在だから、自分の頭の中には作り上げられませんが、それでも映画のワンシーンや絵本の挿絵などで、真っ白な衣服をまとい白髭の爺さんを想像してしまうでしょうし、そこまで行かなくても人間の形を想像してしまいます。
そうした「常識」や「慣例」を破りながら、読む本なのでしょう。

そうは言っても逆はまた真ならずや、です。やはり人が嫌がる言葉、差別を促す言葉、聞いていて気持ちの良くない言葉を使うのはちょっとね、と思ってしまいます。


当初、何か鼻につく内容と記しました。実はそれは結構自分が持っている「常識」だったり住んでいる集落の「常識」だったりする点だったのです。「気違い部落」と言うのはまさに自分のことであり、自分の住む町だったのです。それを上から目線のように冷静に分析されているのが嫌だったのでしょうね。時折フランス語を交え偉大な先達の哲学者らの言葉を引用し、「好きでない自分の部分」が丸裸にされ曝(さら)されるのが嫌だったのかも知れません。
しかし確かなことは日本は「気違い部落」だったのです。いいも悪いも含めて・・・

今、この映画について仲間たちが存在を調べています。見つかったら上映会をしたいね、と言っています。
上映会を楽しみにしています。

小田原市の石造物を調べる会フィールドワーク

表記のフィールドワークは昨年から初めて、小田原市内の石造物(石仏ではなく石のモニュメント全て)を調査しようという壮大なプロジェクト。
月2回のフィールドワークのため、現状で終えたのは城山と早川の一部のみ。

そんな訳で定例会以外にも、有志活動でアクセスのあまりよくないところ」から
調査しようではないか、と言う話となり、今日はその第1回目。
郷土文化館の学芸員さんのあとをついて行かないフィールドワークは地の利のある久野がいいだろうと、舟原・和留沢地区から調査することにしました。
先輩友人のCさんに、ご存じの石造物をお教えいただき、日程を7日に設定。MLでお呼びかけすれば、4名の方がエントリーしてくれました。6名でフィールドワークに出発~ッ
全国で豪雨の被害のニュースが飛び交っている最中、小田原はさしたる大雨にもならず、天気予報は曇り・・・のはずだったものの、山の天気はなかなか一筋縄でいかず、到着時には

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それでも数分後には雨もやみ、曇天の下

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別に秘密にしている訳ではありませんし、自治会で定期的に掃除をしている馬頭観音。でも、教えてもらわなかったら絶対にたどり着くことができないところにありました。

その後も、自治会管理ではなく、Sさん一族4軒私有の管理の山の神様と稲荷。もちろんお断りしてからの調査です。
Sさん一族がこの地にやってきたころからの守り神なんでしょうか?

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若者のフィールドワークなら1日活動する元気はあるかもしれませんが、僕らはもう壮年。今日のメンバーも40-60代ですので、無理は禁物。2時間程度をもって終了することが、気軽に調査が続けられる要因です。ですので今回は舟原の日陰地区に限定しました。バス通りを下れば南船原のバス停前に9枚の板碑。

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一番古いものは寛政6年(1794年)。黒船を率いるペリー、そしてその扱いに苦慮した井伊直弼の兄井伊直亮が生まれた年です。その時代の寒念仏供養塔です。
文字を読み解くのに時間がかかりますがそれがまた醍醐味。時代を超えて、書かれた人名の方が何を思ってこの石碑を立てたのかを想像するのは誠に楽しいものです。
このほかにも、立山講中、出羽三山講中の記念碑。村をあげて詣でることができないので代表が行くわけですが、行ける人、(今でいうカンパを出して)村に残る人、きっと思いは様々だったでしょう。今生の別れかも知れない当時の旅に想いを馳せます。

今回は16基の石造物を調査できました。
もう12時を大きく回っています。久野で数少ない食事処の番馬亭でお昼を食べることにします。

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とろろご膳1000円はリーズナブルな価格です。
話題は石仏の話です。同じ趣味の仲間故に大盛り上がり。
次は秋に行う予定です。
ご関心をお持ちになりましたら、ぜひ郷土文化館にお問い合わせください。
また、報告はこちらに載っております

別府よいとこもう一度おいで(笑)

二人の客はロトに言った。「ほかに、あなたの身内の人がこの町にいますか。あなたの婿や息子や娘などを皆連れてここから逃げなさい。 実は、わたしたちはこの町を滅ぼしに来たのです。大きな叫びが主のもとに届いたので、主は、この町を滅ぼすためにわたしたちを遣わされたのです。」 創世記19章12-13節

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友人がFacebookに
JR別府駅にそびえ立つこの銅像。
「子どもたちをあいしたピカピカのおじさん」
後ろには小さな鬼がぶら下がっています。

と、写真とともにUPしていました。両手を万歳して、軽やかなステップを踏むように片足を上げ、まるで「グリコのお兄さん」
笑顔で「鬼」を連れている銅像を見るのは初めてで・・・、しかめ面の多い銅像でこんな銅像立てるのは誰なん?
存じ上げなかった油屋熊八氏と言う方に興味を持ちAmazonで検索したらヒットしたのがこの本。
史実をたぶんに取り入れたフィクションのようです。

若き頃聞いた話では、旧約聖書創世記のソドムとゴモラは男色(同性愛)の不道徳な町のために滅ぼされた、でしたが、最近の解釈は全く違い、「旅人を大事にしなかった」からだというのが定説です。
主人公がホテル業を行おうとしたきっかけの「旅人を温かくもてなせ」(聖書の言葉はその通りではありませんが)、砂漠の地に住む民にとっては最低限のマナーであり、最高の喜びでもあったはずです。
町の人たちは町の広場にいる旅人を招くことなく、見つけたロトが自宅に招き入れれば差し出せと力づくで得ようとする、そんな姿に神は怒りの鉄槌を下すシーンがソドムとゴモラの物語です。
しかし旅人をもてなす文化、それは穏やかな日本人ももっているもので、お遍路さんの四国では顕著にその姿が見られます。

油屋氏は、日本人『も』もっているその当たり前の優しさを引き出し、そして商売に取り入れようとしたのでしょう。

しかし、史実に近くても分身のような架空の華乃さんの奮闘記であります。そしてこのホテルの最初のお客様が、与謝野鉄幹・晶子夫妻であったり、一昔前の「花子とアン」でもおなじみの白蓮さんがお忍びで来られたり、史実かどうかの確認はできませんが、ワクワク感は広がる楽しい内容でした。

ただ、油屋さんを教えてくれた友人の「こどもをあいした・・・」に関わるエピソードが全くなかったのは残念です。
別府は、高校の修学旅行と、あの民主党の目玉公約「高速道路1000円」の時と2回行きましたが、正直通り過ぎた感が否めません。
温泉マーク発祥の地、観光バス発祥の地、ずば抜けたアイディアマンの足取りを歩く旅してみたくなりました。

紀伊神社地蔵堂

小田原の石造物を調べる会の定例会で今日は早川の紀伊神社さんと正蔵寺さんをお尋ねいたしました。
特に紀伊神社さんは、同行のIさんご親族と懇意という事で事前にお願いをしてくれ、地蔵堂)お念仏堂のような感じの本堂)を開けて本尊を見せてくださいました。
中世前期と言われています石造の地蔵菩薩像。

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両膝を見ると分かりますが、粗目の石でできています。それに漆を塗りその上に金箔を貼ったり色彩豊かな色を施したりした60cm弱の坐像。地蔵らしく右の手には錫杖を持っています。触ることは禁じられましたので、素材は不明ですが蓮華の上に座っています。そして左手には壺を持っているようです。


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そばに赴きのある招き猫。粗削りの素朴な顔立ちがなんともいえません。

こうした普段目に出来ない仏像等を見れるのもこの会の楽しみです。

なおこの会は定例会でみんなでアクセスのしやすい場所を廻りながら、個別でも調査を進めることになっております。7月7日は久野舟原地区を廻ろうと思っております。
こうした活動にご興味の方は是非郷土文化館・小田原の石造物を調べる会までお問い合わせください。

ドコモ・プラスハーティ と言う会社

先輩友人のBloger笹鶏さんこと笹村さんが氏のBlogで紹介されていた本。

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特例子会社という全く存じ上げないジャンルの会社にお勤めなのが郷土の田んぼ仲間という事、そして難しいタイトルのわりにわかりやすいというし、なによりも関心のあるジャンルのお話なのでさっそく通販をポチリ。
障がいをお持ちの方を積極的に雇われているドコモの子会社、とは何か?

松田教会の第2回 cafe workshop(~(仮称)畑の食卓~) でスピーカーとしてお呼びしたのは、小田原駅西口にあるえりむの創設者のお一人のTさん。
牧師の清水師も精神障がい者就労継続支援(B型) えりむには関わりのある方だし、Tさんも清水師も野宿を余儀なくする方々の支援をしている小田原交流パトロールの仲間。

将来的には松田教会内の喫茶もそうした障がいを持った方を雇う方向になるかもしれないとも思い、購入してみました。

本は、雇用法規などの難解な部分や障がいについての説明、それと交互にドコモ・プラスハーティーに入社した若者の成長と言う内容のコミック(漫画)で構成されています。
コミックはまず多い自閉症についての症状や対応の仕方が書かれていて、言葉は知っていながらも症状や対応方法を存じていない自閉症について学べました。
たとえば「片づけてください。」と言う言葉に、僕は指示した人間と自分の共通した「出しっぱなしのもの」を探せますが、それが難しい人には、「何を」「どこに」を言わなければいけないでしょう。
でもそれは障がいを持っている人だけではなく、『今日からアルバイトできました○○です。』と言う人に、書類を片づけて、と言ったら面食らうと思います。どの書類をどこに整理するのか?の指示だしをするのが正しい指示でしょうから、まぁ五十歩百歩なんでしょう。
そしてそのいい加減な指示出しは会社の中でトラブルを引き起こすことは多いです。

分かったつもり、は間違いのもとです。
逆に主語のない日本語も魅力でもあるのでしょうね。
『姉は男だ』と言う言葉は、性同一の問題ではなく、日本語の問題としてその前の会話が、『お前のところ兄弟の子どもはみんな女の子だったな』という会話があれば『いや、姉(の所は)男だ』と言う回答もあり得ます。
たぶん自閉症の人にしてみればこうした推測をしながらの会話は難しいのだろうという事が分かってきました。僕だってこの例題くらい”ひねられ”たら、その言葉の真意を想像できません。何を言っているんだ?と思ってしまうでしょう。

通りすがりの程度なら深く学ばなくてもいいのかも知れませんが、せっかくのスーパー講師が小田原にいるのですから、何かの折に岡本さんにもお話しして頂けたら嬉しいですね。

まずは素敵な本をご紹介くださった笹鶏さんに感謝。

せたがやがやがやで聞いたグリーフケア―(枕話)

三茶のせたがやがやがやで尾角さんと言う方のグリーフケア―の講演があると聞いたので行ってきました。
司会者もあいさつで言っていましたが、この好天の中休みを利用してここに来てくれるだけで感謝、なんだと。確かに、休みの一日色々な過ごし方があります。三茶に行くだけじゃあもったいないです。

という訳で、世田谷の学校に4年間通いながら乗ったことのなかった世田谷線に乗ってみようと少し大回りをして会場に向かいます。
母校の最寄り駅の隣接豪徳寺駅。山下駅までは徒歩2,3分。
きたぁー!

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この電車にIDカードで乗る時は乗る時だけタッチの150円均一。
市電と言っても線路は電車の専用路、車に邪魔されることなくのんびり走ります。
終点の三軒茶屋で下車し、知人から勧められた割烹店へ。お昼はリーズナブルな価格でおいしいものが食べられるとか(^_^)/

英(はなぶさ)さん

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海鮮丼は1400円。刺身だからでしょうか、箸休めの小鉢が薄味で、主役のお刺身の邪魔をしない。逆に食後頂いた茶碗蒸しは少し濃い味の出汁で作っており仕事の丁寧さを感じさせます。
非常にまじめそうな口数の少ない大将は元高校球児だとか。18m先で待ち構えているバッターの6cmの太さのバットとの勝負。緻密な指先はもしかしたら共通項?  とてもおいしかったです(^_^)/

さて、昭和女子大の横を抜け下馬の市街地を歩きます。
都会の先進さと下町の風景のミックス。

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暑かったけれど楽しい街歩き。
さぁ、いよいよ待ちに待った講演に!

早川地区 紀伊神社と正蔵寺

5月19日に、小田原の石造物を調べる会の定例調査会がありました。

前回に引き続き、早川地区の紀伊神社に向かいます。
神社前には、市の指定文化財の道祖神があります。

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紀伊神社は、参道の真ん中をJRが通過しています。

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参道から石段を臨めば貨物列車が通り、鐘突堂に立てば横を列車が走り抜けます(笑)

大きな忠魂碑ほかの石造物を調査し、メンバーの疑問は、大量の玉垣が奉納された時期前後に何があったのか?という事。
丹那トンネル開通で、前述のJR線が境内の中を通過する補償費で玉垣などを奉納できたのか?
しかし、漁協組合のメンバーと言う書きかたもあるので、それは何かしらの漁業権の問題なのか?
もちろんバックボーンになる下調べもしてこない話ですので、推測の域は出ませんが、そんな自分の推理をおしゃべりし合うのもこのグループの魅力。

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調査を終え、隣接の正蔵寺に向かいます。すぐ隣に見えるものの一度道路に戻り、次の小路から丘を越えないとお寺にはたどり着けません。今日はこちらのお寺さんには事前にアポイントメントをとっていませんので、ご挨拶のみ。尼僧のご住職にご挨拶をすれば、君ヶ濱安右衛門と言う関取の顕彰碑があるとのことで、今日はそれだけを拝見させてもらいに行きます。
僕はその関取を存じ上げなかったですが、小田原の端々さまのBlogに載っていました。

古い石造物が豊富にあるお寺ですので、次回はじっくりと見させて頂きたいと思います。
ところで自宅に戻りGoogleMapで場所を調べると

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紀伊神社の南南西の方角に正蔵寺の文字。
しかしズームインしてみると

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正蔵寺の文字が2つ、JRの線路を挟んで左右に。
つまりはこのお寺さんは紀伊神社と同じ参道から左に折れてお寺の参道があり、本堂に向かうのですが、それがJRによって分断され、本堂へは違うルートでしか入れなくなったと推測されます。
次回はぜひともそこら辺の所も聞きたいものです。

アンニュイな午後

圃場にカルミアの花が咲いていました。よく見ると花の陰にはこれから咲かんとするつぼみも\(^o^)/
なんだか柄にもなくかわいらしい姿にシャッターを切りました。そんな風な気にさせたのは急に気温が上がり湿っぽい空気がながれて少しけだるい昼下がりだからでしょうか?

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こちらにも写真UPしました。

国府津は こ ̄うづ or こ\うづ

最初に誤っておきます。イントネーションに弱く、記号は間違っているかもしれません。もし違いがありましたらお教えください。

小田原駅から17時50分ころ上りの電車を待つと
快速アクティの男性のアナウンスは「次はこ\うづに止まります。」といい
そのほかのアナウンスは「こ ̄うづ」と言います。昨日も同じ列で待っていたOLさん2人連れが、「どっちが正しいの?」と話し合っていましたが、さてどっちが正しいのでしょかねぇ?
聞きなれているのは「こ ̄うづ」ですが・・・。

昔、国府津の語源は、千代廃寺が国府つまり国分寺跡だからと言われて、その港故に国府津と言われていました。
国(こく)は、こ ̄くですから、国府の港だったら「こ ̄うづ」で良いのでしょうけれど、最近は国府は民間人の郡家で、郡(こおり)の港から国府津になったという説が主流のようです。
郡と言う字で有名なのは、福島の郡山。「こ\おり」から来たのなら、国府津の発音は聞きなれない「こ\うづ」なのでしょうか?

いずれにしても放送によってイントネーションが違うのはいかがかな、と。
統一してくれるのを望みます。
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