天人

世の科学というものは夏休みの自由研究と同じで『僕このことを研究します!』とエントリーすることから始まります。だからエントリーする人がいなければそのトピックスについては永遠の謎のままになる訳です。
夏休みの自由研究と少し違うのは、その審査員が傲慢な権力主義者が含まれている天があるのかもしれません。
たとえば『死後の世界はこうなっている』とか『肉体は離れた霊体の存在』などを研究しても、非科学的だと鼻で笑われ学会にも登場せず、それゆえ大学や高校の学びの場にも現れず、非科学的な空想の世界のままで今日まで来てしまっています。
同時に宇宙人がいるか?と言う問題も一昔前までは想像の産物と言われていましたが、最近は政治公式の場での発言に真摯に回答されることもあり、いよいよ「事実認定」が出るのも時間の問題なのか、はたまたすでにメン・イン・ブラックと言う映画のように僕らと見た目の区別がつかないように既に地球上で共存しているのかもしれません。

科学は正しいか?と言えば、YesでもありNoでもあります。最初に記載したように夏休みの自由研究のように誰かが一つの仮説を立てて立証しようとして研究しその結果の発表の場で誰もが否定出来なければ「正しい」とされてしまいます。
そう言った意味では、温度と言うのはマイナス273℃以下にはなりませんが、上限は何兆℃にもなると言うのが現代の科学の知識。マイナス273℃、つまり絶対零度をベースに考えれば僕らの世界は300℃の世界。何千万と言う高温の中では限りなく低温の中で存在している訳です。
お金で考えれば、1兆円持っている人もいる中で300円しか持ち合わせがないのは、低所得ですよね。
僕がビルゲイツ氏やマークザッカーバーグ氏、孫正義氏やアリババのジャック・マー氏の4人の会食の席に招ねたら途方に暮れるような異次元の世界。
だから宇宙人がいたとしても同じ温度帯で生活している可能性は極めて低く、それゆえ見た目が同じ可能性も低いのでしょう。

タコ型宇宙人の姿を最初に公言したのはパーシヴァル・ローウェル氏だと言われています。その発表に刺激を受けたH.G.ウェルズ氏が宇宙戦争を描き宇宙人のデザインが僕らの頭に刷り込まれました。でもそれ以上の想像が出来ず結局今は人間型の宇宙人像が主になってしまったのかもしれません。「人」と言う字がつく以上仕方ないのかもしれません。

何が書きたいかと言えば、昨晩「銀魂」を見てきました。ご存じない方は公式の何かで詳細をお探しいただくとして、物語の舞台は幕末の日本の歌舞伎町。開国を迫ったのはアメリカではなく宇宙人と言う設定。そこで攘夷志士たちや新撰組、そして天人と呼ばれる宇宙人と諍いをドタバタとパロディとセンチメンタルな話で少年ジャンプに長期連載されている人気漫画の実写版。
監督は、低予算で作り高視聴率をとった勇者ヨシヒコシリーズなどでおなじみの福田雄一氏。原作や監督にひかれて豪華メンバーが集まって作られた映画は、俳優陣が体を張っておバカをやっていたのでそこそこ面白かったですが、例えばP.ローウェル氏のような独創的な発想が短期間でできないのを逆手に取ったパロディパロディ連発の漫画原作の空知英秋氏や勇者ヨシヒコの福田氏の良さが薄かったです。普通の迫力あるチャンバラシーンの多いドラマになっちゃったきらいはありました。描かれた宇宙人も動物と頭部が人間と同じように歩いているのとか、昔のキャプテンウルトラのバンデル星人(ホクトのエリンギ)のようなのとか・・・。
もう少し大人が楽しめるパロディ満載にしてくれると…見に来る人は減っちゃうのかな(^_^;)

存在が知られている温度の中間は数万℃。ウェルズ氏の発想のように無茶苦茶な低温の地球を攻め込んでのメリットは何かあるか?と言うと思いつかないです。 でもそれももしかしたら想像の幅が低いから気付かないのかもしれませんが、確かなことは今後宇宙に進出するのにいつまでも地球の中で争っている場合じゃないということなのでしょう。

お登勢さんとキャサリンが出なかったことがショックでした(^_^)/

ブラサイジョーものがたり(2)

今年もやってきました、ブラサイジョーの季節です。

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いつもの妄想秘話からスタートです。青字の妄想秘話は創作の域を出ておりません。ご了承ください。

「力を見せつけるには少し残虐ぐらいがいい事は信長公の戦いから儂が学んだ事じゃ。」
そういいながら口をいびつに曲げて笑う秀吉の顔を見ながら、力が拮抗してきたとはいえまだまだ時の流れは秀吉公にある、そう思いながら片や娘婿や何度か力を合わせて共通の敵と戦った戦友氏政公の命乞いをしながら家康は頭の中でそろばんをはじく。
あまりやりすぎても反感を買う、それはもう敵なしとなった秀吉との戦いにとって不利な状況を招くだけ。

「氏直は督姫殿の婿じゃったのぉ」、秀吉はあえて周知の縁を口にする。

「はっ、この家康も50を目の前にして子の話になるといささか弱ぉうございますな。殿下の広いお気持ちでなにとぞ…」

「わはは、わかっておるわい、今回の小田原攻めも第一の殊勲物は儂は家康殿だとおもっちょー。その家康殿の目の中に入れても居たくない督姫殿の婿殿ならのぉ」

助かった。これで名門北条家も関東で細々とでも生き延びられる。お目付け役に儂を指名されるだろうが、儂も今川の領土を頂いて、東海道で北条と太平な町づくりをしていこうぞ…。

「しかし、家康殿よ、今回の小田原攻めで、儂は北条の怖さをたんと知った。なにしろ悪く言う民百姓がいない。これは忌むべきことじゃ。」
「そこで、今回の騒動の責任を氏政公に取ってもらうことにした。」

「な、な、何とおっしゃられますか。既に家督を譲り渡し隠居生活をしている氏政公に責任をとらすと…」

「もとはと言えばきゃつが儂の上洛の命を背き出てこなかったからのぉ」
「それにこれだけ慕われた大名に土地を与えておくとまた反乱をしでかすかもしれんのでなぁ、伊豆、相模、武蔵三国の件もご破算だすべて没収することとする。」

今日の謁見の始まりの信長公の逸話と不敵な笑みの意味がだんだん分かってきて家康は思わず武者震いをする。「して、氏直公は…」絞り出すように問うと
「高野山にでも行ってもらおう」と事もなさげにそう告げた。

「誰かおぬか?」秀吉の声が響く。
「はっ」
廊下から返事が聞こえると間髪入れずに秀吉は言う。
「氏政、そうじゃな氏照もじゃ、に切腹を命じよ。介錯は氏規にさせぃ。それを見届けたら氏政は高野山に向かわせよ」

兄弟家族親族の団結が固い北条軍団。弟に兄の介錯をさせ、それを見届けたら子を追放する。非道な決定で北条5代100年は秀吉の一存であっけなく終焉を迎えたのである。

心配顔の民百姓が箱根口門の南に集まる。待医田村安斎の屋敷の周辺は竹を編み通行ができなくなっている。そしてその周りを秀吉が多の侍が囲んでいる。
あちこちから嗚咽が聞こえる。とのさまぁ~と言う声が途切れなく聞こえる。
その中、氏政、氏照兄弟は腹を裂き、弟氏規は涙をこらえ見事介錯をし、すぐさま自らも腹を切ろうとして取り押さえられた。

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切腹の場と言われている医師安斉の屋敷があったと言われる安斉小路の石碑。

亡骸と生害石は氏寺伝心庵に運ばれました。なお、伝心庵はその後城山に移り、そして中町に移ったので、墓地のみがビルに囲まれ残っています。

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僕らはそうした北条末期の遺跡をみたり、江戸時代になってからの小田原城の変革や扱われ方をサイジョーさんからお聞きしました。
元はと言えば、東海道が小田原を通る唯一の幹線道であったため、三の丸周辺からの登城口であったけれど、江戸に中心が移ったため江戸に向いている現在の市民会館そばが大手門に変わったこと、その門は箱根口門を移設したこと。

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藤棚(南町)にかかる小峯橋はお茶壺橋とも言われ、徳川将軍御用達の氏のお茶壺を京に持って行く時に泊まってお茶壺を保管した場所であるが、帰路(京都から江戸)に行く時は湿気を嫌うので東海道ではなく中山道を通ったのでここでは「お茶」は保管されたことがなかったこと。

曲輪、隅櫓、増形と狭間などの一般的な名称、銅門、常盤木門のような小田原城独自の名称や由来。

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雨降る中の探索でしたが、楽しい時間を過ごせました。

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また機会を見つけて小田原探索をしたいものです。


一緒に石造物を調査しませんか?

友人から小田原市の石造物調査ボランティアのための説明会があるというので行ってまいりました。

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石仏や五輪塔や記念碑、歌碑などすべて含めて石造物です。
隣接の平塚市で3000以上の石造物があるというので、小田原市だと5000程度はあるのではないでしょうか?
そうしたものを歩きながら「発見」し、大きさや物によっては書かれた文字を記録していくというものです。

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木造物などに比べて保存率が高いですし、それによって以下のことが分かると言います。

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探し当て調査するのですから1日で10~20程度しか調査できなければ、5000あれば333回かかります。月に1回の調査だと30年かかる調査です。
元に平塚も20年ほどかかったと言います。
ですからあまり重たく考えずに、自分ができる時に参加する、気軽さは長続きのための重要なポイントかと思います。
もしかしたら僕らの年齢では最後まで参加できないでしょう。
でも少しだけでもやってみたいという気持ちがありましたら 0465-23-1377(郷土文化館)に問い合わせください。
ボランティア保険に入る都合上無連絡の参加はご遠慮くださいとのことです。

楽しく小田原の歴史一緒に探索しませんか?

おきなわんナイト2017

小田原市隣接の二宮町のらでぃあんという、僕ら学生の時代はうち(東農大)と東大の二宮キャンパス(柑橘研究所)の跡地の一部である丘陵に出来たパブリックスペース。その裏の小高い丘で「海と山と空と」フェスと言うイベントがあるというご案内を受けたので行ってきました。
普段はこういうお祭りのような人の多いところは好きじゃないけれど、足を向かわせた理由は友人からのお誘いと言うのもあったけれどオキナワの4文字・・・。
戦跡のフィールドワーク、リレーフォーライフと観光、そして高江の座り込みと3度それぞれの理由で本島のみ行ったけれど、行くたびに沖縄の見せる魅力と置かれた理不尽さ(憤り)をいつも感じて帰ってきました。
離島ゆえ、琉球時代の小国ゆえに中国や日本に翻弄されそれでもしたたかに生きてきたのは、昨年の大河ドラマ真田丸に通じる感動の歴史を感じるからかもしれません。それゆえの日本有数の観光地なのでしょう。

14時に到着した僕らは、連れ合いのがん闘病を通して知った「ツレがうつになりまして」の著者細川貂貂さんが講演されると聞いてまずはそちらの会場へ。

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たぶんお連れ合いさんとの闘病の中で知り得たのでしょう、沖縄のぬちぐすい(命薬)のトークイベントとのことですが、吉江真理子さんの独演場でした(笑)。

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南城市にあります「花ふう」さんのティーツリーとゲットウのエッシェンシャルオイル。今後大きなブームになるかもしれないなど貴重な情報もあり…。
お話が終わり、ハーブティ。しかし15時40分から舞台ではこのイヴェントを紹介してくれた  I say a little prayer Gospel Choir. のゴスペルライブが始まりますので、涙をのんで移動です。

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盛り上げ上手のリーダー(先生?)と若いお母さんたち。
I say a little prayer Gospel Choir. のprayはplayではありません。つまりこのグループは歌を以て祈るグループです。それを裏付けるようにリーダーの方の「演奏者も拍手をするのですが、それは神への賛美です」と言う言葉、うれしいですね。
ゴスペルが流行っているから、かっこいいから、ではなく、当時のアフロアメリカンの人々のおかれた境遇と、慰めになる音と、神への希望のGot・spell。インマヌエル(神ともにいます)と言う思いを共有すればこそのこのグループ名なのでしょう。

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聖者の行進や天使のラブソングの挿入ゴスペルをうたって、その後沖縄Popsから何曲か…。ノリノリに楽しめたライブでしたが、できれば沖縄との共生・連帯、We shall overcome.も聞きたかったな。

空手演舞を挟んで第2部へ。その間は泡盛を飲みながらまったり。

2部はまず柳平和士さんのライブから。パンフを見ると保育園での演奏をするために三振を始めのたとか。

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続いてGift house のおふたり。
中井お住まいのお二人。新婚2年目とのアナウンス。修さんの方は保育所にご勤務だとか。柳さんもそうですが、みな音楽が好きで仕事をしながら頑張っているんでしょうね。
そんな若者が次々と出てきますからベースは沖縄Pop。この手の歌を歌う方は数多くいます。喜納昌吉さんの「ハイサイおじさん」森山良子さんの「さとうきび畑」から始まり、BIGINやTHE BOOM。
でも去年からは『浦ちゃん』の歌う「海の声」が大人気。某携帯電話会社のCMで桐谷健太さんが三線で歌うCMをたぶん皆さん見たことがあるでしょう。浦島伝説は、日本各地にありますが、今日日の浦島伝説は一気に沖縄っぽくなっちゃいました。


そんな浦島繋がりか、このGift houseさんもオリジナル曲で浦島太郎と言う曲があるそうで、なかなか素敵な歌詞にこれも沖縄Pops? と思ってしまうほどでした。

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さて夕やみが迫る中、湘南琉球エイサー保存会さんの演奏。

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最後はもちろん全員でのカチャーシー。
ゴールデンウィークを楽しく〆られました。

半日のアウトドアイヴェントを楽しむために、僕らがチョイスしたのは

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が提供してくれたフレッシュジュースのスムージー&フルーツサンド。八百屋コウタさんのFacebookはこちら

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沖縄に平和な生活が戻りますように。
高等弁務官就任式で、平良修牧師が「新高等弁務官が最後の高等弁務官となり、沖縄が正常な状態に戻ることを強く希望する。…100万市民の人権の尊厳の前に深く頭を垂れさせたまえ」と祈りに心からアーメンと唱えたい。

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ゴールデンウィークの夜更かしの仕方

明日が何もない休み!こんな気が楽なことはない!!
という事で、夜を徹して読書三昧。

まずは井手先生のご本。

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発刊されていたのは先生や仲間からも既にお聞きしていましたが、「経済書」と言う不得意なジャンル。ちょっと敬遠していました。
が、昨日のシンポジウムでの先生の基調講演で分かりやすい語り口で興味をそそられてポチッ。
なるほどわかりやすい。なぜこの基礎が○○経済研究会の主任研究員の方が話すような訳の分からない話になってしまうのだろう(笑)
そしてヌエのような恐怖。世界一の企業であるトヨタですら明日を恐れて保身のために会社の利益の確保に躍起になることと国民の格差問題。
タイトル通り18歳からの、つまりは18歳の人が経済に関心もてる本。僕でもよくよく理解できた経済学書でした。
一つの解決の方法が書かれています。ただし、世の経済方針がそうであっても、世の中は学問で出来上がってはいないことも書かれています。世の中は人でできているのだから、人の信頼があってこそこの社会が成り立つことを肝に銘じたいですね。

続いては

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こちらもFacebookで知り得た本。
今日日大きな地震に対して公共施設をどうするのか? は関わっている人間共通の心配事項。
耐震工事、費用の問題、見た目・利用方法いろいろな思いがある中低層にすることで生徒の被害を軽減させること。自らの手で作ったという自信と「万が一の時」の納得。いい方は悪いですが倒れる時は何をどうやっても倒れます。地震に限らずこの世の事象はやはり神様の思惑です。でもそんな辛い事象を前にした時納得できる諦め方と理不尽と嘆く諦められなさがしょうじます。前者の比率が多ければ前を向いてまた頑張ろうと思えるのではないでしょうか? よしんば倒れることを前提にしなくても、そして自分たちは作るだけで中で学べない学生であっても後輩のためにと隣人愛を芽生えさせる絶好の機会だったと思います。

最後は

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「さとにきたらええやん」と言う映画の上映会を前にして、釜ヶ崎子どもの里のことを少し学んでおります。この施設がカトリックの有志の施設であることから、やはり本田神父のご本から学ぶことは得ることが多いと購入。
20余年の小田原交流パトロール、反省と計画そして祈りをもつことなく粛々とルーチンワークのようになってきてしまったことは反省です。
行動は精神の上にあるもの。この精神論を無くしての活動は意味を半減させてしまうものでしょう。
映画と言う一つの事象をきっかけに自らの省みる時間を頂けました。感謝です。

3冊の本を一気読みして、今日明日はアウトドアで解放された気持ちのいい時間を過ごしたいものです。

夫のちんぽがはいらない

衝撃的なタイトルが話題になったことが知るきっかけになりましたが、読者の感想は極めてまじめに考えさせられた、と言うのでポチッ。

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このBlog読者がこのタイトルが何を語っているかわからないという事はないと思いますが、そういうことだけじゃないのです。タイトルはたんなる一事象を取り立てて書いただけで、誰もが、どの家庭でも、いろいろな悩みがありそれと闘いながら、でも悩みだけではなく楽しみもあり粛々と「地球の歴史」は流れている、という事でしょう。

隣の芝生が青く見えると言います。そんな隣はきっと(隣の家である)自分の家の芝生が青く見えるんでしょう。
いわゆる「女遊び」をすることの問題性を考慮しながらも、もっと考えなければいけないこともあるでしょうし、何よりも夫婦間のとらえ方は夫婦以外の人があれこれ言うこともないのでしょう。

しかし、赤裸々すぎましたね。
なんていうのかな、見ず知らずの方の秘部だから冷静に読めたけれど、知り合いがここまでの話を相談されたら頭の中が真っ白になっちゃいそう(笑)

御頭祭(Ω)

仕事を終えて取る物も取らず出発。今日は(僕的には)カメラだけあればいい旅。と言っても連れ合いは、夕食のサンドイッチやおやつ、果物、飲み物と相変わらずの大荷物(笑)
国道20号を北上するだけ…。150余km、距離にしては然程ないが、変な話最近加齢でとみにトイレが近くなった。そんなこともあり、一、二度コンビニのお世話になる。
それでも23時前に目的地の諏訪大社前宮宮前にある参拝者用の大駐車場に到着。ここで一宿の恩を受ける。
トイレが無いとかはあたりまえ、キャンピングカーで良かったと感じる時。でも、周囲に民家もあり安全だし、静かないい場所とほくそ笑んでいたが、県道16号と国道152号の合流力然程離れてもいないせいか、大型車が深夜まで走ってうるさかった(T_T)/~~~
Googleで発見していた近所のファミリーマートはつい最近閉店したらしく建物だけがぽつねんと残っていた。ので、少し遠いがセブンイレブン安国寺店に行き朝食を購入。道の両側にはところてんの工場が立ち並ぶ。

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帰れば駐車場の中で神事が執り行われていた。
同じ諏訪大社上社の氏子だがそれぞれの担当があるらしく、荒玉社の野出の神事、本宮社、そして本宮社での神事と続くらしい。
いたって普通の神事。祝詞をあげて玉ぐしをささげる姿を見ながら朝食。
車をここに止めたまま、まずは茅野市神長官守矢史料館へ。ここがどういう場所かは前トピを参照されたい。
道路沿いに大きな看板が出ているので間違えることはない。その道を歩けばたいそう立派な門被りの松が出迎え、その先には一軒のお宅。このあと学芸員さんのお話によればこの一帯はすべて守屋家の土地だが、戦後の農地解放でほとんどが無くなった、と言う話。それでも門を入れば史跡として十分な広さが広がっている。
78代当主守屋早苗氏と幼馴染の藤森照信先生の手掛けた建物は味わいのあるものだった。
それを見守るがごとく、ミシャグジ神、大祝神、高照姫の史跡が立ち並んでいる。

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(家紋(?)の十字架…は関係ないよね?笑)

あれだけの晴天だった空が曇ってきた。何やら額に冷たいものが当たったような気もするが気のせいだろう。本宮では神事が始まる時間だ、先を急ごう。

大きな資源ごみの集積場。ここまで持ってくる手間をかけることで、ごみを減らそうという気持ちにさせられるし、ごみ対策費用も軽減できるはず。でも同時にめんどくさいと不法投棄につながったり、高齢の人たちは「結」がなければごみが捨てられない。
人の心にごみ問題が響いている地ゆえに成り立つシステムかも知れない。

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本宮隣接の法華寺に寄る。
本能寺の変直前、信長らは武田攻めをした。その際武田家が厚く信仰をした諏訪大社を焼き討ちしたのだが、その跡地に入り幹部会議が行われた。そこで光秀の失言に激怒した信長が折檻した寺だそうだ。
また忠臣蔵吉良上野介義央の外孫の義周の墓もある。

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さて、本題の御頭祭に話を戻そう。
何が故にこの神社から前宮宮に神輿を持っていかなければならないかの詳細は不明だが、多くの観光客のみまもる中儀式が進んでいた。
雨はいよいよ本降りになったので神輿の出発を待たずに車に戻る。
13時にここを出発するみたいだ。

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約1.5㎞先の前宮を目指す。

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13時前宮も多くの人が集まっている。皆狙いは十間廊。間口三間奥行十間の周囲は幕で覆われわずかな隙間を狙って観光客が群がっている。私もその一人、LCVのカメラマンさんのそばにポジションを取る。広角と望遠両方持っているのならプロのカメラマンさんのそばは絶対。
冷たい風が吹き始め、午前中とは陽気が違って来たが、今ここを離れたらもうポジション取りは不可とあきらめて頑張る。
50cm四方、隣近所とは肩触れあい狭さでぎっしり入っても入りきれない神事に関わった人、そしてそれを取り巻く観光客。
そんな中神事が始まる。

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神輿を御簾の奥の棚に奉納し、部屋の後方(つまり僕らの目の前)においてあった山海珍味を神官が、神輿の前に運び捧げ、そのあと参加者の代表が玉ぐしをささげ、捧げた山海珍味をもとあった場所に戻し、神輿をもとにあった本宮に戻し神事は終わるらしいが、もとあった場所に三方を戻したところで僕らの観光はTheEND。会場を離れた。

神輿もイスラエルからの輸入した文化だという人がいる。いわゆる十戒を入れた契約の箱だ。それも本当かどうかは分からないが、担いでどうなるかわからないものを担ぐ文化は確かに興味深かった。
あわせてイースターの直前の日、まったく違うが十字架の横棒を担いでヴィア・ドロローサを歩くが如くの若者の姿に、さて現実に戻って教会に行こう!と言う気持ちを強く持った休日の一日でした。

御頭祭(2)

諏訪大社の歴史は定かではないが、日本の神社歴史の中でも古い由緒がある。
関する記述は古事記にある国譲りの話。伊勢神社系の勢力が出雲系の勢力を制圧する話。大国主命とその子の事代主神(ことしろぬし)は遠く大陸から来る船の灯台になるような大社の建築を条件に伊勢勢力の配下に入るが、弟の建御名方神(たけみなかた)は不満で戦うことを提案する。が、伊勢勢力の前に敗北し逃走。その行き先が「科の地(今はあえて諏訪と呼ばない」であるという記載。
もう一つは諏訪大明神絵詞と言う書物。諏訪の地へとやってきた諏訪大明神は、そこで土着の神たちと対峙する。
土着の洩矢神は鉄輪を持ち、諏訪大明神は藤枝を持って戦った。結果は、藤枝を用いた諏訪大明神の勝利であった。敗れた洩矢神は滅ぼされず、祭祀を司る神長官となる。
また、高照姫という神は諏訪大明神に最後まで抵抗したが、民を守るために退き、先宮神社に幽閉されることを選んだ。こうして諏訪の地は、諏訪大明神が治めることとなった。
と言う話。

2つが絡んでるのは、建御名方神と言う神の名。つまりは出雲を追われた一族が東遷し科地方の豪族を滅ぼして土着したと言う事なのだろう。
2つの違った文章を合わせてしまえば伊勢勢力と出雲勢力の戦にも読めるが、もしかしたら出雲勢力の内乱分裂で力が弱ったところを伊勢勢力に制圧されたのかもしれない。
当初の記載にあえて諏訪と呼ばずに科の地と呼んだのは、諏訪は出雲から来た建御名方神が名乗ったからこの神社も諏訪大明神と呼ばれるようになったようで、その前はミシャグチ神、蛇神ソソウ神、狩猟の神チカト神、石木の神モレヤ神などを祀っていたようだ。
特にモレヤ神は、前トピの御頭祭の祭祀を司る直属家系の神で諏訪大社の上社前宮であるし、高照姫は先宮神社の神となっているから、服従の上で豪族として生き延びた、若しくは祟り神として恐れられて神社に祀られたか、と言ったところなのだろう。
そして見落としてはいけないのが、藤で戦う出雲軍に対して鉄輪を持ったという記載。既に鈩(たたら)の技術を習得していたのだろう。ヤマタノオロチの神話も殺した大蛇の尾から剣が出てきたのは、戦いで破った相手から鈩を奪ったという意味だとも言われている。いずれにしろ、伊勢系や出雲系に負けじ劣らじの高度な文明を持っていた証拠だと思われる。
しかし前トピの学芸員氏、この地は「田舎だ」と言う。それは、守谷氏が頑なに弥生の文明を否定し、縄文からの文化を傾倒した結果だとも・・・。

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(いたるところで御柱のように4本の柱で取り囲んでいるのを見る。「結界」と言う言葉が頭に浮かぶ)

つまりここで勢力が変わり、御頭祭や御柱祭を行った部族で無い者たちの祭りの中で、土着の古い祭りが融合と存続のはざまで頑張っているのが諏訪の奇祭と呼ばれる祭りの数々だと思われる。
あわせて御『頭祭は大祝(おおほうり)の代理である「神使(おこう)」が近隣の郷を巡回して五穀豊穣を祈願するために、大社から出立する時の儀式』と言われもいるらしい。大祝は出雲系の神であることからいえば、土着神ではない神が新たな五穀豊穣、つまりは農業文明を手に入れた姿なのかもしれないが、そうだとすれば神使(おこう)を縛り上げる理由がなくなる。つまりは融合の故にわからない神事に変化して行ったのだろう。
こうなるとあの創世記のイサクの物語を髣髴させる祭りが何を意味しどうやって始まったかは謎のままだが、歴史ミステリーはミステリーのままで、その祭りを大事にする文化を尊ぶだけでいいのかもしれない。

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(神事は前宮の十間廊で行われる。この十間廊の大きさがユダヤの幕屋と同じ大きさと言う人もいるようだ。)

しかし・・・、聖書に戻るが、神はなぜイサクを神にささげる場所として住まいから3日もかかるほどの場所にあるモリヤ山を選んだのだろう?

さて、続いて旅の内容を語ろう。

御頭祭(1)

諏訪大社の御頭祭を突貫で見に行ってきた。
この祭りは、今は諸般の事情で江戸時代までの祭りの体は失われているが、江戸時代の菅江真澄と言う、今でいえば『街道をゆく』を記した司馬遼太郎氏のような存在の方が書いた文章があるので、それをご紹介すると…。

御神(おこう)といって八歳ぐらいの子供が、紅の着物を着て、この御柱にその手を添えさせられ、柱ごと人々が力を合わせて、かの竹の筵の上に押し上げて置いた。
そこへ上下を着た男が、藤刀というものを、小さな錦の袋から取りだし、抜き放って長殿(祭祀のリーダー)に渡す。長殿がこの刀を受け取り、山吹色の衣を着た神官に渡す。その藤刀を柱の上に置く。
例の神の子供を、桑の木の皮をより合わせた縄で縛り上げる。
諏訪の国の司からの使者の乗った馬が登場する。その馬の頭をめがけて、人々は物を投げかける。しかし、この馬はとても早く走る。
その後ろから、例の御贄柱を肩にかついだ神官が、「御宝だ、御宝だ」と言いながら、長い鈴のようなものを五個、錦の袋に入れて木の枝にかけ、そろりそろりと走り出し、神の前庭を大きく七回まわって姿を消す。そして長殿の前庭で先に桑の木の皮で縛られていた子供が、解き放たれ、祭りは終わった」。


クリスチャンの兄弟姉妹なら何か「ウン?」という話。その「ウン?」の旧約聖書創世記22章の前半を要約すると、
神様がアブラハムにその一人息子であるイサクを捧げるように命じられたます。アブラハムはイサクを連れてモリヤ山に向かい、そこでイサクを縛り、薪の上に横たえ、刀を取り出してイサクを捧げようとすると、「その子を殺してはならない」という声が聞こえました。ふと見ると、枝に角をひっかけた羊がいたので、その羊をイサクの代わりに神様に捧げました。

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(御頭祭は、江戸時代まではこの柱に子どもを縛り付けて馬で運んでいたが、今はこの柱を人が担いでいます)

他人の空似かもしれないが、子どもを縛り、刀を取り出した時に神が子どもを助ける。そしてその子どもの代わりに生贄が用意される、という共通点はなかなか興味深いもの。
しかも子どもの代わりの生贄は75頭のジビエ。「魏志倭人伝」の記載では、倭国に羊はいないと書かれてるのでその情報を信じれば生贄に鹿が選ばれたことはうなずける。しかもその中の一頭は耳裂け鹿を選べ、との言い伝え。神長官守矢史料館の学芸員さんによれば、それは「茂みに角を絡ませた」それによる傷を現しているという説もある、と語られる。

20170415-01
(耳を切ったのではなくこうした鹿がいるらしい)

そして何よりも、日本の神道系には多いが、ご神体がなく、この諏訪大社も守屋山自身をご神山として崇めていることも旧約のモリヤ山に通じて面白い。まぁ、似ているかどうかと言えばこじつけに近いものがあるかもしれないが・・・。

過去に玉川温泉に行きながら三戸郡の新郷村にあるキリストの墓と言う観光地に行ったことがある。竹内巨麿氏が戸来と言うヘブライを髣髴させる地名言ったり、ナニャドヤラという由来が定かでない民謡を昭和初期にアメリカでご活躍なさった川守田英二牧師は神をたたえる歌として紹介したりしたのでそれなりの観光客の来る場所となっていた。
この戸来郷は12世紀には地名として正規に残っているで、景教として中国に入ってきたキリスト教と土着の宗教や文化が結びついた結果とは思われるが、それにしても中央ユーラシア大陸を越えて文化や思想が訪れてきたことは何とも壮大な物語だ。

20170415-05
(この守屋家78代が崇めているのはこのミシャグチ神。これもイサクがなまったという人もいる)

きっとこの諏訪大社も同様に文化交流があった結果だと思われるが、それにしてもこの諏訪大社どんな歴史があるのだろう?
生半可な知識で恐縮だが、「妄想歴史」を語りたい。

20170415-04

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黄色い春みぃつけた\(^o^)/(Ω)

早く寝れば早くに目が覚めるのは原理。
という訳で、8時過ぎには行動開始。
1日乗車券を購入しローカル線を行ったり来たり。
1時間に1本の電車旅。うまくスケジューリングしないとあちこちが見られません。

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幸せの黄色いハンカチならぬ黄色い列車のあちこちにはムーミンたち。

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どの有人駅でも駅員さんたちが手を振って列車を見送ってくれます。

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20170401-10大多喜町船子939−1

ここに列車が来れば絵になったがタイミングがなぁ~
まずは大多喜より一つ大原(のぼり方面)に行った城見ヶ丘駅。
写真を撮り終えてからも1時間以上の時間があるのでおおたきショッピングプラザオリブで暖かいココア(^_^)/
この周辺は田圃をつぶして新興住宅地にしているようで田圃と新しい家が入り混じっています。

そして続いては3つ大原側に行った新田野に。

20170401-14

パンフレットを見ると駅ホームの反対側は見事な菜の花畑。

で、降りると…。

20170401-12

何の間違いなのか駅前には一本の菜の花もなく…。
30分待って下りの電車に乗り込みます(>_<)

でもね、こんなにかわいい写真撮れたからまっいいか(笑)
そんな心の余裕も幸せの黄色を見続けたからかも(^_^)/

20170401-11

いすみ市行川 の大野入口

20170401-13

ここが一番きれいだったかも\(^o^)/

素敵な黄色い2日間でした。
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