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RFLJ高知&お約束の道すがらの観光キャラバン(Ω)

衝動的に休みを申請し許可される会社に勤める僕は恵まれている。それ故にRFLに参加できたが、月曜の18時から1件予定を入れていたのだ。
そのため、高知は3時間だけの観光で帰路に向かう。
四国内は行きと同じコースで徳島に戻り、またもやLennon&Moca宅で夕食をごちそうになる。
徳島と言えば阿波踊りと眉山。さだまさし監督の映画のタイトルにもなった山。古くは万葉集にも出てくる山。せっかくのチャンスなので登ってみたいと車を進める。が、高速を降りたところで大渋滞。時計とにらめっこをして断念。今回の旅はRFL高知に参加、欲張ってはいけません。
と決まればフェリーの時間まではおしゃべりタイム。

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そばごめ雑炊と言う郷土料理をベースにした夕食。天に召されたソウルメイトの舞さんは、『がんになってよかったこと』をつづり続けました。悪いこと悲しいこと辛いこともあるけれど、連れ合いががんになったからこそ夫婦で全国の友達のところに行脚できています。連れ合いに感謝です。
そして行き先々でおいしいものをたくさん食べました。今回も高知でそして徳島でのごちそうを頂けたのです。
昨朝おしゃべりしたのに足りずに今日も笑いっぱなしの3時間。やばい、フェリーの手続きしなければ…。

またの再会を誓ってフェリー乗り場に向かいます。22時に出港し、和歌山には24時着。僕らは一番近そうな道の駅根来に向かいます。
根来衆は、僧兵の集団。しかしよくあるイメージの長刀を持った兵ではなく、ここは鉄砲隊。遠く小田原北条もここから鉄砲を購入した記述があります。
早雲自身が京育ちですので、都の文明はかなり長けた上、様々なパイプもあったでしょうし、いろいろな眉唾歴史もののように時代を読み違えたなどと言うことはなく、信長には貢物を持って行っているところから鉄砲についての情報も大いに得ていたのでしょう。
大藤信基なる軍師は根来衆だったようにも書かれています。少しこのあたりを見たいのですが、歴史資料館もあと90分は開かないし…、今回はあきらめることにします。
こちらはいつかRFL和歌山の前後にでも行くことにしましょう。

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そうもう一つ残念なのはハングルナンバーの車がP泊していたこと。国際免許で日本を旅しているのでしょうか?
運転手さんに会いたかったけれど出会えず、こちらも残念。

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下道を通って橋本に向かいます。FB(フェイスブック)でリアルタイムでUPしましたが、1995年ころに日本工業所と言う会社がこの地に阪神淡路大震災で出た廃棄物を不当投棄しはじめたせいで、周辺の住民に多大な健康被害が発生します。
しかし所沢のダイオキシン問題で風評被害が出ると橋本の柿が売れなくなると辛抱します。しかし、一番近くの住民の人が「薬物中毒」と言う病名で医者から転地療養を命じられ、また同時期に何頭もの飼い犬や野生のタヌキなどが死んでいったところから闘いが始まるのです。当時小田原市久野もこの施設内に建設されていた小型焼却炉と同じ程度の大きさの焼却炉が計画されていたご縁でかの地まで何度か行ったことがあります。そしてその時にお礼として立派な柿を贈ってくれました。
おいしかった記憶は20年経った今でも鮮明に残っており、平和なベッドタウンになったかの地を見ながらもう一度行ってみたいと思ったので下道を走らせます。
途中花岡青洲の生誕地と言う看板がいくつも出ている中を走り、菖蒲谷に到着。さすがに20年の月日は全く当時の面影をなくし、小さな公園でお子さんを遊ばせているお母さんに柿の直売所をお聞きして離れました。

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紀ノ川沿いの農協の直売所。ここでAさんの柿を探しましたが見つからず、同じ橋本の柿を選んで、サァ本当に帰らないと間に合わない。

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11時近く。ここから約500km、昼飯食べている余裕ないかな?
最後までよくばり旅行でした。

RFLJ高知&お約束の道すがらの観光キャラバン(2)

「歴史上の偉人」として必ずと言っていいほどベスト3の中に入る方に坂本龍馬がいる。
彼が、多くの日本人の心に入り込んだのは言うまでもなく「竜馬が行く」の発刊だろう。竜馬ファンと言っている人でこの本を通らなかった人はいないと言っていい。たとえ直接読んではなくても竜馬を好きになるきっかけを作った人は読んでいるのだ。
司馬遼太郎氏の調べた竜馬はけっして優秀ではなかった。人生の中、何をどうすればいいかを思案しても答えが見つからない幼少期だった。
が、彼はそんな年頃から人の話を聞き、咀嚼し、応用する能力は長けていたのだろう。それは乙女姉さん、武市半平太という青年時代から、江戸での修行で出会った勝海舟や戻って来た時にあった河田小龍とのやり取りからわかる。
咀嚼しているから、その通りやみくもに従ったわけではない。自分なりに意見をまとめているが、意見をまとめるためにはたくさんの意見を聞く事と情報源の大切さは重々承知していたのだろう。

だから出会いの大切さを知っていた。興味を持てば出向いていった。
江戸に情報が集まっても江戸のみをよしとしなかった。だから河田小龍に出会えた。
河田小龍もただの絵かきではなかった。だからこそ殿様のそばに仕えたのだろう。そしてジョン万次郎に出会う。

高知に行って誰の資料を見たいか?と問われれば、僕はジョン万次郎だ。しかし高知市に行って誰の資料を見たいかと言えば河田小龍だ。
日本語を忘れたジョン万次郎と英語を学びたい河田小竜は、言葉の音をアルファベットに置き換え互いに学んだ。そして河田小龍は、海外の文明を知る。これからの日本は貿易だ、と直感する。それを知人の妻乙女を通じその弟の坂本龍馬に伝えた。大きな船を買って海外と貿易をしろ。
多分一を聞いて十を知る、頭の良さはない。しかし熟考したからこそ、貿易がこの日本に大切なものだと知るのだろう。
それは同郷の岩崎弥太郎とは違う。彼はきっとインスピレーションでこれはもうかると思ったのだろうな。
2人の男はつかず離れず互いに貿易を考え、一人の男が先に立つ。亀山社中だ、そしてそれは海援隊となる。まずは分相応の小さな船だが借りた。河田小龍の言葉に夢を見たのだ。

慶応3年4月23日、海援隊が海運業の目的で大洲藩から借り受け、武器や商品などを満載していたとされる「いろは丸」と、紀州藩の軍艦「明光丸」が広島県の鞆の浦近辺で衝突し、龍馬が乗っていた「いろは丸」の右舷が大破して沈没した事件があり、龍馬が岩崎弥太郎に仲裁を委託して船の代金と、積荷代金の支払いを紀州藩(つまりは江戸幕府だ)に要求。結局7万両の支払いを得ることで決着した。岩崎彌太郎が経営を任されていた土佐商会がその金を受け取った時期に、坂本龍馬は暗殺され、海援隊の解散と土佐商会の三菱化が始まるわけだ。
歴史的な事件だ。士農工商明確な身分制度の中、天下の徳川幕府から一商人が補償金を取る。「無礼者、そこへ治れ」と一刀のもと切られても文句が言えない世界で、だ。
多分かくしゃくとした態度で接したのだろう。その背景には、アメリカの大統領制と言う「入札での殿様決め」と言う民主主義を知ったのがあるのだろう。理屈で攻められた幕府はしどろもどろで、現在でいえば100億以上と言う大金を支払ったのだろう。小さな古い船に100億なんてかかりはしない。しかし、謝ったこともない徳川幕府が無条件降伏した、歴史の風が吹いた瞬間だと僕は思う。

If(イフ)、竜馬が殺されなかったら、とかはあるが、いずれにしろ貿易立国になったのは、竜馬と岩崎弥太郎の目の前に先見の明がある河田小龍がいたからではないか?この1点は譲れないと思う。
そんなことを思い高知の街を歩く。

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駅前ではよさこいのパフォーマンス。その前には三志士像。

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でも、まずは腹ごしらえ。旅行情報サイトで見たひろめ市場が面白そうと、道行く人に聞くと「歩くと遠いですよ」と。ノープロブレム、昨日は1.7万歩歩きましたが今日はまだ1万歩程度ですから歩けます(笑) 少し感覚がおかしくハイになっているかもしれません(笑)
南国の町

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きれいな新京橋のアーケードを歩きます。何かのイベント?みんな立ち止まってスマホをいじっています。

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をぉ!名物カツオのたたきか…

それをすり抜けるようにひろめ市場へ。

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凄い人! まずは座る席を確保してください、とのこと。幸いにもすぐの場所に2人なら座れそうなスペース。前に座られているご夫妻は地の肴をあてに焼酎の水割り。くぅ~車じゃなかったら…。

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焼き鯖のお寿司と鯨三種盛り

これで元気が出た。さぁ川田小龍を探しに行こう。市電に乗って上町一丁目へ。

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ここには氏の塾のあとがあり、そこで竜馬はアメリカを知るのです。
駅を降り川のたもとと出向けば…塾のあとの説明板1枚すらありません。

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この扱い方の違いには愕然。
しょうがありません、生誕の地がはりまや橋そばにあるとのこと。こちらに行きましょう。

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こちらもレリーフ入りの1枚の板碑のみ。

この人がいなければ竜馬はただの侍で終わったかもしれないし、江戸無血開城はなかったかもしれないのに、立役者としてはさびしい限りです。

さて、日本には三大がっかり観光地と言うのがあり、その第一位は「はりまや橋」だと言われています。

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なんでがっかりするのでしょう?
この橋は、播磨屋さんが川向こうのお店に行くときに通る私道の橋。ぐるっと回るには不便やきぃ、とかいってちょちょいと掛けた橋なんでしょう。それをワクワク見に来る方が悪い(笑)
とはいえ、よさこい節に歌われればみたくなるのが人の性。

土佐の高知のはりまや橋で坊さんかんざし買うを見た。いやぁ粋な都都逸。坊主頭の坊さんとかんざしの組み合わせじゃあ、仕置き人、三田村邦彦さん演ずる飾り職人のヒデを思い出しちゃいますが、違うんですね、しっぽりと禁断の恋物語。
しかも、この橋を渡ってあいびきではなく、橋のたもとのお店でかんざし買っただけ(笑)
罪な歌ですねェ

こちらはペギー葉山さんの南国土佐を後にして、ですが、よさこい節の三番の歌詞?鯨のオブジェが潮を噴き上げるらしいです。

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そして今高知を一番にぎわかしているのは

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彼らかもしれません。

1km6円の激安旅行

明日は所要で愛知の美合にいく。
静岡県内のJR東海フリー切符は、国府津ー豊橋間乗り降り自由で2670円。明日の夜遅くに変える予定なのでこの切符一枚で豊橋まで行ける優れもの。

最寄りの駅は夜間は駅員がいなくなるので、昼間のうちに連れ合いに買ってもらったところ

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なんとこんなおまけまでついていたのだ\(^o^)/
インターネットで調べると

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かなりの施設でかなりの割引が効くようだ。
残念なのはまったくそういう施設に立ち寄る時間が取れないということ。

これはこれでまた有効利用して遊びに行けたらいいな(^_^)/

宮崎の山中の文化に誘われ

日本人は「三大」○○が好きです。秘境と呼ばれる場所も、三大秘境として、岐阜の白川郷と徳島の祖谷峡、そして宮崎の椎葉村がそうだと言われています。唯一行ったことのある白川郷は、村のすぐそばまで高速道路が通るようになりもうひなびたという言葉さえ失われた日本有数の観光地になっています。
それに比べれば、秋田玉川温泉や山梨の奈良田温泉などの方が「いよいよ奥地、悲境に来た」感が強く残っています。

祖谷峡は2018年のRFLの後に行く予定が叶わなくなり、逆に椎葉村はもしかしたら2019年のRFL宮崎がらみで行けるかもしれないとワクワクしています。
柳田国男氏と言えば民俗学の祖でもあり、有名なところでは東北の遠野の伝承の記録がありますが、その柳田氏を民俗学の世界に誘ったのが椎葉村です。
椎葉村を訪れた柳田氏は、興味を持ったことを後狩詞記と言う膨大なメモ書きを残します。それを

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著者らが、検証しました。

日本民族と言えば、DNA(遺伝子の一致)を思い起こすかもしれませんが、「遠くの親戚より近くの他人」とかいう言葉もありますが、血よりも濃い生活風習が民族を決めている部分もあります。
その一つに明治維新までは「四つ足」を食べる風習がなかった日本であり、すき焼きに文明開化を代表させたりしますが、それは海辺(平野)の暮らし、農民をはじめとする商工人や武士の話であったわけです。
山で暮らすマタギの生活は、たんぱく源として動物肉を食べ続けていました。

生活の中心、生命の維持をさせる大切な食文化これこそまさに「The文化」だと思うのですが、日本には大きく分けて2つの異文化があったことが伺えられます。
過日記載した銀鏡神社、ここにはお供え物のイノシシの頭が並んでいるそうで、夜を徹して奉納される神楽には「シシトギリ」という演目があり、これはイノシシの通った後を猟師が追いかけるものなのだそうです。

神社に山の動物が供えられるのは、諏訪神社にもあります。御頭祭は鹿の首がいくつも供えられるお祭りです。

なにかこの椎葉村のお神楽と相通ずるものを感じさせます。

Japanの語源は、マルコポーロのジパングの言葉だと言われていますが、たしかに平泉などを中心に黄金の文明はあったかもしれませんが、彼の見た黄金は秋豊作の稲田が太陽に輝き、それを見て喜んでいる農民の姿だったとも言われています。
田んぼが広がるところは確かに黄金色に輝くのは今の世であってもあちこちで見ることができます。

そうすると銀鏡と言う名前も、山々に囲まれ日の出日の入りが遅く農業に適さない場所なのに、そのエリアだけ日照時間が長いだけではなく、その光に何かが反射している姿だったのかもしれない。そんなもう一ひねりの名前の付け方を探ってしまいます。

畠と畑の違いは、まさに文字通りなんです。畠は白く輝く田の様子、これが本来の畑です。が当用漢字から外れて現在は畑に統一されていますが、畑は字の通り焼畑のことです、焼けた黒い畑です。
銀が白に通じる場所、山中にあって焼き畑でない開けた場所が多いからこそ銀鏡なのか、なんて想像を膨らませているのです。
さきほど「銀鏡ーSIROMIー」の映画監督が、FBに濱砂則康氏への哀悼のメッセージを載せていました。
そんな日に

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が届いたのも何かのご縁かもしれません。最初の学校の写真は、何かそんな山間にあって開けた様子が垣間見えます。行ってみたい地です。日本神話の一大拠点でもある山々。
生きたい場所は数多くあれど、この地は、ちょうど興味を持った時に悲しい事件がありました。それ故にインパクトが強いのですが、それは過疎の村に対する故人の強い思いなのかもしれません。

RFL広島尾道・・・ にかこつけた観光旅行(3)

どなたが言ったか失念したが、「数学は美しくなければいけない」。自然の摂理を数字にしたものゆえに美しくないものは摂理に逆らっている。至極名言だと思います。
どうでもいい、はいけません。いつでも本物の「美」は追究していきましょう。

さて、僕の良い旅行の定義は「3つの『しい』」です。美しい、おいしい、そして楽しい(もしくは優しい)、です。
旅に出る前には少しながらも予習をしますので、美しいは結構見つけられます。その町が培った『美』は、自然と人が長年織りなしてきたもの、ぜったに摂理ににあった美があります。
が、残りの2つは現地で探さなければなりません。しかし、食も人も大きな摂理の中にあります、おいしくなければ摂理に反しますし、他人と楽しく会話がなければ、優しく接し合わなければこれも摂理に反します。それを探すことは楽しみです。

最初に見つけたお店。鳥居のすぐ下にある参拝者のお茶屋から始まったラーメン屋さんでしょう。尾道ラーメンの看板、何かそそられます。が、残念ながらまだクローズド。

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繁華街(アーケード)に戻りお店を探すとピンと来たのがこのお店。鮮魚と卵がけごはんの文字。

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脱サラの店主が地物に拘ったというお店。さっそくテビラ(手のひらサイズの平目?)をメインにした海鮮丼。
手の込んだ箸休めが3品ついています。昔は尾道でもたくさん魚が売られていたが今はみんな福山に行ってしまう、と。時代の流れですかねェ、との言葉に寂びしさを感じます。
リノベーションして新しいお店も多いじゃないですか、と言うと、でも地産のものを使っているお店はあまり多くないんですよ、とのこと。そうか、それは観光客の僕としてもさびしいです。おいしいものを食べながらひと時の会話に満足です。

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島に渡ったのがお昼ちょっと前。でも、朝が遅かったからまだお腹が空いていません。
しかし尾道の町はとても蒸してとにかく汗を引かせるためにもどこかに入りたいと船着き場の

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和茶話茶さん。島内のバスの運転手さんと隣の魚やさんの憩いの場所(笑) 気さくに話しかけてくれるのはこの町の特徴?

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ひさびさにワッフルなるものを食しました。あれ?疲れている?甘いものがむちゃくちゃ美味しい(^_^)/

町を歩けば老舗のパン屋さん、ねじりパンの文字。入りましょうか?

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レジでお会計をしながら、終えてから、あんこの歴史から何故もみじまんじゅうに粒あんが出来たか迄お話し好きな店主さんです。
次のお客さんが来なければ帰れなかったかも(爆) でも楽しいうんちくありがとう。
雨が降ってきました。午後は観光をやめてホテルに一度戻りシャワーを浴びて夕食に備えます。

さびしんぼうでマドンナの百合子さんの自転車が壊れ、引きながらフェリーに向かう川沿いの道の風景が切なく甘酸っぱく美しかったんです。で、Googleで検索すれば特定でき、そこに1軒だけお店がありました。ここだよ!そう直感して、オープンの7時の5分前にいけば良いですよの優しい言葉。10人ほどのカウンターに座らせてもらいます

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地魚のおつくりやおばんさいはむちゃくちゃ美味しい。ここはお勧め!! 隠れた名店見つけた!
しかし、鳳来鶴を少し含んだころから急に酔いが回ってきて…そういえば脱水気味です。今日は馬鹿に汗かきっぱなしでした。すきっ腹ではなく脱水でも酔いは回ります。
(当然ながら)お初です^_^;、 の僕らに常連さんたちはフランクに話しかけてくれて尾道の歴史を教えてくれます。
海辺の丘陵地だから畑だけだと思ったら田圃も多かった話や、海の中に砂州が出来て潮干狩りができる話など興味深い話がたっぷり。
「船長」と呼ばれている常連さんの写真を見ながら、そんな話を聞いているうちに、オオみんなで写真撮ろうや、と言うことになってパチリ。

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沖縄に行った時に聞いた素敵な言葉「行逢りば兄弟(イチャリバチョーデー)=一度会ったらみな兄弟」を地で行くお店でした。
名残惜しみながらの帰路

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ね、素敵でしょ

さて翌日RFLの会場の周辺にはお店がなくお昼はCoco壱番。トレーラーでのケータリングはかっこいい(^_^)/

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夕食は浜中先生に連れて行って頂きました。ローストビーフのおいしいお店。

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雨後の月があったので、前々から一方的に存じ上げていたシンガーソングライターの松尾さんと差しで頂きました。

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毎日毎日楽しく夕食が食べられることは本当に感謝です。

そしてまた歩き広島10周年の記念のRFLは幕を閉じました。
さて何か忘れちゃいませんか? そう尾道ラーメンを食べていないんです。
と言うことでとっきーさんに連れて行ってもらいました。

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とんかつラーメンがおいしいよ! とのことで間髪入れずに注文。

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アカン湯気でぼけている。
関西だから薄味かと思いましたが、意外に濃いしょっぱいスープ。そこに細く固い麺。とんかつの衣はいつまでも溶けずにしっかりとサクサク。不思議な感覚でした。

結局は自然の摂理と言う美しさは、人間が管理している。物を作るも守るも壊すも人間の采配だしその結果景観と言う考えが生まれる。食事だってそうだ、スキルだけではなくお召し上がれ、と言う言葉に秘められた思いが味にプラスされる。
そう言えばこの瀬戸内から「御馳走様」と言う言葉が生まれたのだ。おもてなしの心を脈々と引き継いでいるのだ。
すべては人だ。僕は3つに出会いに行きながら、人に出会いに行ったのだ。
そして旅の摂理「3つの『しい』」を堪能できた旅だったのだ。

RFL広島尾道・・・ にかこつけた観光旅行(2)

路地は楽しい。
何が楽しいって、曲田先がわからないこと。
まぁ、ホラーやスリラーのゲームのように、またはお化け屋敷のように曲がった先に恐怖があるのなら、そしてそれが続くのなら楽しくないかもしれないが、少なくとも街歩きではワクワク感が優先されて楽しい。

人生の中で一番アドレナリンが出た曲がった先は、イタリアのフィレンツェだった。大型バスがやっと通れるような幅の石畳、両横は3,4階建てのレンガの古いアパート。日本のそれとは違ってそんな路地もなんだか明るいが、歩行者もドライバーも「譲る精神」は乏しくバスの運転手は難儀をしそして極めてゆっくりしか走れない時間が続いた。少しストレスがたまったとき、バスは一度大きく曲がりその路地を脱した。
そこにはその路地からは想像のつかないあまりにも大きくあまりにも美しいドォーモがあった。
そのあと写真を撮りに行ったが、買ったばかりのIXY DIGITAL 200ではどんなに遠くから撮ろうとしても全景が映らなく悔しい思いとともに美しいフィレンツェのドォーモは思い出深い。

あの衝撃を味わいたい。のが、路地歩きの醍醐味なんだろう。
本当かどうかは知らないが、尾道には観光者向けの明細な地図がないそうだ。大林氏が「尾道では是非迷子になってほしい」と、前述の氏の映画のように非常事態の中の日常を味わうためにはそれが大事だということなのだろう。
それは柳田國男氏の「ハレとケ」の思想にも通じるのかもしれない。
ディズニーランドのような「映画セット」で撮影した者にも見所はあるだろうけれど、「映画ロケ」にこだわるのは多分その映画監督がその町の息吹を注入したいゆえだろう。
その提案を受けて方向感覚の鈍い夫婦は迷子になりに街に飛び込むことにする。

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狭い路地の向こうを鮮やかな色をした列車が通り抜ける。

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行商のおばさんが露店で魚をさばいて売っている。もうわが町では見られなくなった風景。
お断りして写真を撮らせてもらう。

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小田原石造物調査会と言う市民グル^プで活動をしていると、ついつい石造物を見ると足を止めてしまうが、なんとその数の多い事か…辻辻には必ず立っているし、町の人の信心も深い。

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ついこの前あたりまでは狭いガードの下に駐輪をするのはごく普通だった。開発と言う名の下でこうした風景を見ることも少なくなった。

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井戸には水神さんをお祀りしているのか、水と神もこの町ではセットだ。

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美しい石垣の寺院。

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このお店やっているのか?と思ってよく見ると明かりがともっている。くさむらもこの店のオブジェなのだろう。

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通称ガウディハウスと呼ばれている。急坂の途中のわずかな土地に建てられた家。金沢主計町にも同じように坂の途中の狭い敷地の家を見たがここまでの異形感はない。ガウディハウスと呼ばれるゆえんだろう。

もともと港町だからネコは多いはず。そして近年の猫ブームに乗じた感はある。人になれている猫ばかり(笑)

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魔法使いに石に変えられたのか、はたまたこの石の猫が年を取り付喪神となって街を徘徊しているのか…。

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いずれにしろ猫好きにはたまらない町だろう。

ホテルの部屋からは対岸の工場のイルミネーション

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今回携帯のGPSをGoogleで表示させるアプリをダウンロードした。

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何でもない坂の町のごく普通の一日をエンジョイ出来た。

RFL広島尾道・・・ にかこつけた観光旅行(1)

大林氏の「尾道三部作・新尾道三部作」に根強いファンがいるのは、氏の画像の素晴らしさもあるが、テーマ自身もあると思う。
興味を抱いた人のことをもっと知りたい、と思っているうちに、そうではなくその人に興味を持った自分自身のことをもっと知りたくなるのもなのかもしれない。
他人になることで他人を主体的に知り愛する一方、主体的な自分から離れて他人になることで客観的に冷静に自分を知り成長させること。
子どもから少し大人になる時の人生の広がりは甘酸っぱくもその後の人生にとってとても大切であることを教えられた「転校生」
入れ替わったことで、隣人をいつくしみ、隣人になった自分をいつくしむことは、僕にとって聖書の「隣人を自分のように愛しなさい」を描いたように思える。
これがどれだけ大きな人生哲学なのかは、この後品を変え形を変えて様々な人がこのテーマで作品を作っているかでもわかる。つまりは多くの人がこのテーマに関心を持っているから、スポンサーも付くのだ。
この作品は、原作の小樽、そして大林氏の故郷この尾道、とともに脚本家で原作の「おれがあいつであいつがおれで」を大林氏に紹介した剣持亘氏のふるさと、そう我が郷土小田原での撮影も候補になっていたという。
小田原ならどこでロケをしたのだろう?階段から落ちるのは小田原城なのかもしれない…なんて想像をするが、尾道の町並みでとられた作品を見れば、やはり尾道でとられてよかったのだと思う。
そんな舞台

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あの有名な階段から転げ落ちるシーン

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体が入れ替わったことに気が付いた一夫…一美?が、慌てて自転車で一美…一夫?宅に向かうシーン。細く急な歩道橋を全力疾走する小林聡美さんの姿は結構インパクトのあるシーンだった。

新尾道三部作では、あしたが好きだった。永遠の離別も人間生きていく上での大きなテーマ。
突然の死を通してもう一度会いたい、声を聞きたい、意見を聞きたい。これはできないからこそ強い願望になる。
映画では出来てしまい、主人公たちの多くは普通の生活に戻るが、はたして禁断の再会、つまりは叶わぬことを叶えてしまうという『強引』の蜜の味を覚えた人たちが、『もう一回だけ』と言う欲望から逃れられるか? は僕の中でとても興味あること。感動の出会いと別れを涙するよりは、こちらが気にかかる。
そんな呼子号の待合室は今も向島にある。ここも行かないわけにはなるまい。

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尾道渡船で向島にわたります。と、船の待合室(海上)に(^_^)/ 島の皆さんの足だから見る機会も多いんでしょう。

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これは映画のセットで唯一現存している物。乗った本当の小屋がベースなのかな?
呼子丸も精密縮小して作られたというがその存在がリサーチできずに見学は断念。

「時をかける少女」。これは僕の中では映画よりも、ケンソゴルの方がインパクトが強い。そしてSF界の巨匠大好きな筒井康隆氏の作品だ。
未来や過去に行けるが「事実」は変えられない。これはこれでいさぎいい。「明日」に類似しているようで大きく違うのは、変えられないという不変の真理。その中で生きることが摂理なら、あえて奇跡は望まない(と言っても淡い恋心は奇跡を望んだが(笑))
もし能力があるのなら身に着けたい。「本当はどうだったのか?」だけ知りたいことはたくさんある。まさに観光客気分。
しかし、原田知世さん、「なんで、こんな子が?」と疑問視してしまった垢ぬけなさが、美しい名女優になっていくのだから、人材発掘する人の目は鋭いんだろう。

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「艮」読めますか? 読める人は尾道検定1級(笑)
鳥居の真ん中は神様の歩く道、でも鳥居の上はロープウェイ様の通る道(笑) JRが通り地域の人の利便性は格段に向上しただろうし、このロープウェイだって観光資源としてすさまじいものがあるけれど、それによって神社の精神性が大きく破壊されたことも事実。

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タイムトラベルの最中、(未来の)自分が行くことによって、両親と一緒にお参りに来ていた当時(幼い)自分が消えてしまう神社。お堂よりも大きい木に圧倒。
前述の艮はうしとら、です。

尾道三部作のもう一つは。富田靖子さんが主演したさびしんぼう。転校生と時をかける少女の完結がこの作品、と言うことがなかなか理解できない。
何度か見返して思ったのは2作品とも(自分と言う)手が届き過ぎた&(死んでしまったという)届かない『相手』 でも、これはそうでない実際の恋愛対象の橘百合子さんでありながら、もどかしい。自分が恋い焦がれる橘さびしんぼうへどういう風にアプローチすればいいのかわからないウブイ感性は自分を愛(いつく)しんでくれるピエロのさびしんぼうへ遣る瀬無さをぶつけてしまう。実は16才の母の写真の化身でありながら橘さびしんぼうがこうあってほしいという願望なのかもしれない。でも・・・。
それを父親は“おまえ、人を好きになったことはあるか?好きになれ、思いっきり好きになれ、その人の喜びも悲しみもみんなひっくるめて好きになれ”と成就するためには立ち向かう真実と勇気の大事さを教えたのではないだろうか?1,2部で架空の恋愛を映画化し、そしてこの3部で現実も一緒だと言われたような気がする。だから三部作なのだ、と。
邪推かもしれないが、百合子さんのお母さんは海の男を相手に水商売(赤ちょうちん)を営んでいたが体を壊して代わりにお店を切り盛りしていたのではないか?それゆえ別の顔がある自分を知られたくなかったのではないか?父親の夕食を作り着物で店に出る直前の姿だったのではないか?なんて思う。男の子なんて女の子に比べればピュアーであって、そんな別の自分を知って嫌われたくない百合子さんのささやかな反抗。
恋する人はみなさびしんぼう。なぜだろう?恋って暖かくてふわふわで甘酸っぱいものじゃなかったのか?なんでさびしんぼうなのか?それはもしかしたら恋故に見せられない別の顔があるから、それがさびしんぼうなのかもしれない。
もう一回映画に戻ろう、あのピエロさびしんぼうは母親なんですよね。失恋した人の名前を息子につけた、その息子もまた自分から飛び立とうとしている(再度の失恋?)・・・・。アレ?コノエイガノシュジンコウハイッタリダレナンダロウ???モシカシタラボクハ「富田靖子」と言う女優の1人2役ニダマサレテハイナイカ?

向島に渡ったのは前述のとおり。行きは「あした」の航路で、帰りは「さびしんぼう」の航路を使った。素敵な島だった。坂を上ったところに住む貧しい父娘の家はここらへんかと思わず想像をした。実はさびしんぼうのロケ地で一番興味のあったのは夕闇の向島百合子さんの住んでいるあたり。でも、さすがにわからなかった。

20180915-08

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上の写真の坂道をホテルから写す。あの森の向こうには造船工場の社宅やその方のための飲み屋があるに違いない、と勝手に妄想(笑)

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今日も映画のワンシーンのように多くの高校生が島と本島を渡る。

デジタル編集やCGが出始める10代の時、大林作品は陳腐にすら感じた。特にねらわれた学園の峰岸徹さん演ずる魔王子の胸の目玉、幻滅をした。しかし、CGが何でもできるに従い、派手さを競うようになるに従い、大林作品のコラージュ手法がよみがえってきた。ウルトラマンや仮面ライダーのような番組を見て、CGより昔のアクションの方が楽しいことを知った感はある。
今更になってなんてすばらしい映画作りなんだ、と思えるようになった。
原作と言う大きなファンタジーをもらって氏はそこにありふれた日常を叩き込む。だからなんでもない尾道の何でもない風景がキラキラ輝く。

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いや、歩行も危ないんですけれど…。
でも我が家や僕の車も毎日見ていると劣化に気付かずそれでも快適だったりする。この橋だって少し前までは毎日わたっている地元の人にしてみればそんな危険な橋じゃなかったのだろう。

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何処も田舎だった。そこに人が集まって町を作り都会になるが、それは実は息苦しいところかもしれない。この道幅に心が落ち着く。交通網が15分に1本の地域から1時間に1本の地域に引っ越して余計にそれを感じる。

何事もそうだが僕は少し知恵が回るのが遅れる。すぐに理解できないのだ。会話より文章を書くのが好きなのは時間をかけられるからだ。「一を聞いて十を知る」という諺があるが、僕は「十を聞いても一を理解するに時間がかかる」のだ。それは映画を見ることにも当てはまる、僕はいいオヤヂになってから大林氏のファンになった。

そして尾道は大林さんだけではない。こんな美しい街、素敵な小路がたくさんあった。これは次Blogに書く事にしよう。

おとぎ話に出てくるのはおじいさんとおばあさん

RFL広島の帰りに立ち寄ろうとした祖谷峡。

「あなたは山が好きですか?海が好きですか?」と言う思考の問いかけには、僕はガラパゴスや小笠原のような海でもそして宮崎椎葉村、岩手県遠野やこの映画の祖谷峡のような山中の場所でも行き難い場所が好きです、と答えにならない答えを言うと思います。
交流が盛んで異文化の混じりあうようなイスタンブールや敦煌も捨てがたいが、独自の文化を持つ町々の方に触手は伸びます。

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この映画は祖谷と言う町の素材をベースに作ったおとぎ話。
だから細かいことを突っついちゃあいけないのです。お爺さんひとりで然程裕福でなく日々の仕事で精一杯なのに赤子をどうして育てられたか、とか、そもそも見ず知らずのお爺さんが引き取れるはずがないことは百も承知です。

落語の演目に『桃太郎』と言うのがあります。眠れないという子どもにおとっつぁんが昔話を聞かせるのだけれど、いちいち理屈でおとっつぁんの方が焦れてしまいます。すると子どもは昔話の解説をするのですが
「昔々」「あるところに」などとして、時代や場所を細かく設定しないのは、いつの時代のどこの子どもにも聞かせられるようにした配慮で、おじいさんが山にいるのは「父親の恩が山よりも高いこと」、おばあさんが川にいるというのは実は海のことであり、「母親の恩が海よりも深いこと」を表現している。本当は父親と母親のことだが、話に愛着を持たせるために老けさせていると語っているうちにおとっつぁんの方が寝てしまう、というもの。
桃太郎だって唐突に鬼ヶ島に行くことを思い立つわけで、故郷の住民が目の前で鬼にやられているシーンはない。しかしそれを設定が悪いとは僕らは言わないのです。

そう思うとこの祖谷と言う日本の原風景の象徴のような山中におじいと美女が住んでいて、その美女が気立てもいいというのは全く持っておとぎ話のそれ。
それが都会との交流で消えていく寂しさと自分たちにも当然の権利として文明を謳歌するという喜びの狭間と言うテーマで、何よりも美しい日本の美を映像化しています。2つの違うものがカオスな状態を経てホモジナイトされるエントロピーの法則に叶おうとする中で、カオスな不安定な時ほど混じりたくもあり反発もするのです。

映画には天空の里のかかしたちも友情出演。物語云々よりもきれいな映像をファンタジックに楽しみたい人向けの映画でした。
いつかは本物のかかしを見に行きます(^_^)/

久野自主フィールドワーク(総世寺編その1)

7月7日に舟原日影地区の自主調査をし、暑い間は移動の少なく日影の多い寺社を先にしようと総世寺に調査の依頼をし今日相成ったわけだ。
1441年に小田原城主だった大森氏頼が開祖となって創建された曹洞宗のお寺。小田原の住民になじみの深い北條早雲が生まれるよりもずっと前、しかし京の都では幕府に対して不満が多くなり後の応仁の乱の導火線に火がついたころ。
古刹ゆえに石造物もパッと見ただけで100近くはありそう。今日はまず参道から。

調査をしていると、お声をかける方が。聞けば総代のKさん。ご住職(大黒さん)には調査のお願いをしたが、総代さんにはお声掛けしていなかったので不信がられたのかもしれない。説明をすれば、ご自身のご存じの知識をお教えくださる。

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山門の入り口の塀。左右ともここの真ん中に何か板碑が埋められている。

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これはKさんのお話だと、農地解放する前の総世寺の参道の入り口にあったものを、農地解放で小さくならざるを得ない寺社所有地に移設したものだという。
文字には大正4年乙卯の文字。

当時は久野坂下の1号古墳の横の尾根道からこの総世寺に来たらしい。
中宿からの戦後にニコヨンの労働力で作られた道とぶつかるところの「花立松」から総世寺の地所だったという。
荼毘に臥す時などは、ここで松の下に花を供えて参道に入ったのだとか。

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参道の長さ約1km。

秀吉の小田原攻めで箱根を下った家康別働隊はこの総世寺に陣を敷き秀次を連れてきた。なるほどうまい、破れかぶれになって攻めてきても小田原城からはちょいと届かない何重かの防波線の後ろながらも、こちらからは小田原城の様子が見える場所。
この久野の丘陵に壮大な寺院があった。石造物以外にももしかしたらいろいろなお宝をお教えいただけるかもしれない。
楽しみにしたい。

栄螺井戸

石垣山城址の北には、「井戸」兼「堰止池」がある。
どう見てもどちらか一つとして考えるのは無理がある。
というのは「堰止池」に見えてしまうのは、北側の石垣擁壁はダムのそれだから。土を盛りその盛土の両側に野積みの石垣を築いたようだ。見事な石垣だ。
しかし、何のためにこんな大きな池を作ろうとしたかは想像つかない。城の大きさから考えても、また北条方が籠城作戦をとっていることからもここまで大量の水がいるとは考えにくいが、まぁ秀吉さんの大風呂敷と言うことにしておこう。

「井戸」の方はまた見事な栄螺井戸だった。日本は水が湧き易く、しかも井戸掘り職人が多かったせいか、竪穴式の井戸を掘るので、栄螺井戸を見る機会はあまり多くない。が、我が地元で栄螺井戸を見れたことに驚いた。

中近東の砂漠には、まず屋根・壁を作りその中を階段式に掘り進ませる方法をとる。
旧約聖書のイサクの妻リベカの話もそうだし、新約のイエスが疲れ切って腰かけている時に水を差し出したサマリア人の女性の話もそうだが、日本の井戸を想像すると「なんでそんな簡単なこと?」と誤解をする。

インドの階段井戸ほどは大きくないが、これを往復することを依頼するのだから大変なことだ。

栄螺井戸と言うのはその様子が栄螺の貝殻に似ているからだろう。が、まいまいず井戸と呼ばれることが多いらしい。

武蔵野にはいくつかあると書かれていた。ぜひ行ってみたい。
だってGoogleMapを見ただけでもそそられるじゃないか。

20180829-01
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