久野幻庵顕彰会(Ω)

元標の話が出ました。
今でいう三角点のように、どこかの一点を定点として定め、そこから方角と距離を測ることで様々な場所を特定すること、と言う田代先生の説明がありました。
どんな理由でどこにこの元標があったのか?と言う質問に、よくわからないが、と言う前置きをした後、村長等の自宅などではないか?それも今後皆さんで解明してみてください、とのことでした。

今日の話の中で元標に関わったのが2点。幻庵屋敷が寅十五度。いぼ石が申三度。
いぼ石はどうも2009年に開通した「奥和留沢みはらしコース・明星登山道」の途中にある大きな石のようです。

20170204-52

20170204-53



これなら大体の場所が分かります。それをGoogleMapの上にポイントとして載せます。
寅は3時の方角、申は9時の方角、つまりは直線状。

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なるほどほぼ直線だ!! つまりは原案屋敷から真西のどこかだったのですね。

そういえば小田原攻めに際して先鋒の徳川軍の別動隊はこのみはらしコースをほぼ下って総世寺に入ったと言われています。この登山道も歴史文化資産として活用したいですね。

そんな質問をしてしまったので、ほかの聞きたいことを聞くのが憚れました。
当時の禅院式の庭園では、母屋と庭の配置はどういう関係だったのか? つまり今確定しているのは心字池のみ、そこから母屋の位置を推測する方法はないのか? という事と、稲葉時代に大きなリフォームはされなかったのか? という点です。
田代先生のご専門が造園なので、こちらを質問すればよかったですね。ちょっと失敗(笑)

当日ご参加されたhinahinaさまのBlogです。

久野幻庵顕彰会(4)

日本各地の詳細を記した最初の書物は風土記ですが、世の権力者は自分の支配範囲を完全把握して実行権力を見せたいのか、明治になっても皇国地誌・久野村誌が発行されます。多くの村町は県職員が記載するのですが、久野村は濱野ヨヘイ氏のものが使用されています。それによれば幻庵屋敷は、元標(げんぴょう)から寅十五度の字盛上(もりがみ)に三千有余歩、のちにその中に水田が作られ、中央に北条神社(幻庵の墓)を稲葉休山が作ったと書かれており、また寅十六度に34歩清水がわいているとも書かれているそうです。

まだまだ知らないことがいっぱい。こうした活動が充実してくれることの望みます。

また日本小田原記というのがあるそうです。
そこには幻庵の事もたくさん書かれています。何より有名なのは一節切(ひとよぎり)と呼ばれる尺八。
実は、小田原北条が開城する時、秀吉側の使者は黒田官兵衛。開城条件は、民を助けることなどかなりの項目があり、氏政はかなり感謝し、お礼として北条家に伝わるお宝を官兵衛に与えたと言われています。その中で幻庵の一節切もあったと推測され、それが息子が治めていた大分に渡ったようで、市議の大村学氏が買戻し小田原城に展示し同時にレプリカを作りそれを披露されました。

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同書には小田原の景勝地も記載があり、「いぼ岩」や「ツボマ」の記載があるとのこと。幻庵だけではなく久野の文化遺産の伝承にも関心を持ちたいです。
まずは、もう少し地域のことを学びたいですね。

久野幻庵顕彰会(3)

それからまた時代が進み、早雲寺などの禅院式となります。これは武士の時代の仏教の考えによるものです。
庭の一部を切り取り独立させる。その中に凝縮された天地人の空間を見て悟りを開くきっかけにする。
長々と庭造りの歴史を語りましたが、幻庵屋敷の庭はこの禅院式の庭園だったと思われます。

同時にこの時代、茶道が発達します。
茶道は、一節には清貧を善しとしたカトリック宣教師の生き方を見て、大名の贅沢に批判の意味を込めたとも言われていますが、思想にシンクロした千利休のアンチターゼは贅沢を排除し、「立って半畳、寝て一畳」を善しとする茶の道。外界との関係を遮断する禅院式庭園と合いまって、四畳半の質素な茶室周りは「露地」とよばれます。
美しいとか目を引くという因子は排除した雑木(一つ一つの木の名前すら言われない)や地比類のみを配して作られた“庭園”です。
歩いて楽しいわけではないし、先ほどの禅院式の作られた所以ではないですが徹底して建物の中から外を見る庭であるのです。
そしてこの禅院式の庭園には「心字池」があります。心の二つの点を右下の「し」字の形の池の中に島として浮かべる池です。

しかし残念ながら史跡としての幻庵屋敷は整備できているとはお世辞にも言われません。こうした御庭の歴史を知ったうえで、武士の質実剛健な時代の庭をいつでも見に来られるようにしておきたいものです。

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(野崎広大氏(日経の祖)の茶碗、名を幻庵と称す)

久野幻庵顕彰会(2)

続いて田代先生の講演
まずは、万安山栖徳寺(現栖徳山京福寺)は母親のために立てた寺と言われていたが、最近の学説では奥さんのための寺と言う説が有力になっている。
幻庵おぼえ書きは姪ではなく実娘の嫁ぐ時に記したものであるという説が有力。
生まれも1493(明応2)年ではないのではないか?
など、とにかく立木先生まで研究対象になっていなかった御仁なので、まだ不明や検証のし直しをしなければならないことも多く、ここで私が皆さまに話せることは多くないとお話になられ、話の内容も幻庵屋敷の庭に特化したいと言われました。

ヨーロッパの庭は、フランスベルサイユ宮殿を代表するがごとく、自然との調和ではなく、自然を征服した整形型の庭造りを好みます。すべてを根こそぎ剥いで、そこにシンメトリーな仕切りを煉瓦や石で作りその中を飾るものですが、日本のそれは違います。
自然風景を取り入れる抽象(アブストラクト)の世界。人工美ではなく自然の中に作られた庭園美は、明治になってそうした考えもあることがわかるまで海外には受け入れられませんでした。当初この発想は欧米には理解は不可能でしたが、事実この後欧米の絵画もアブストラクトアートのヴームが起こります。

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この抽象の庭園の基本的な考えはお花などの世界にも同様ですが、花自身・石自身ではなく、その花や石を結ぶ間の空間を楽しむ考えに立ちます。
そうした発想があるので庭園には立岩、寝かした岩などがバランス良く配置されています。
田代先生はこの発想は仏教の伝来よりも早い神道の時代から日本にあったと言います。
例えば三輪山には、山麓に鳥居がありその奥に山自身が信仰の対象としてあり、その山頂付近には岩が転がっていると言います。そこは神が降臨する場所で、そこを「クラ」と呼ばれるそうです。地名に倉や蔵がつくのは何かそうしたことに関わっているからであったり、天皇即位のときの高御座(たかみくら)のクラもそれが由来です。
日ユ同祖論と言う考えには賛同できませんが、もうこの時代には洋の東西を行き来するスキルがあって、モーセが神に出会ったのが岩山の上と言う考えがどこかで溶け込んでいるのかもしれません。

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地代が進み、池を掘り、その出た土で築山を作る庭造りが出てきます。
そして、池を中心に自分側が現世、向こう側が来世(神の世界)とする庭造りになります。それは宇治平等院などにみられる世界で、池の向こうの神殿に阿弥陀如来の顔を拝むことに喜びと希望を感じるのです。それを浄土式庭園と言います。

久野幻庵顕彰会(1)

久野北条幻庵顕彰会なる会が立ち上がり、その設立記念講演会に参加しました。
講師は、田代道彌先生。
久野区民会館の1Fホールには入りきれないほどの多くの方が詰めかけました。その数120余名。

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会を始めるに当たり高瀬恵会長が、小田原市役所前に「文化の町小田原」と書いた石の憲章がある。憲章とは市の憲法の如しで、そういう街づくりをしていかなければいけない。久野は北条五代に仕えた幻庵さんの住んだ場所、この場所を顕彰することは市の憲章の言葉をまさに実践すること。
そしてこの北条幻庵さんは故立木望隆氏の人生をかけた研究によって世に出た。氏が天に召されて20年こうした形が整ったことは感慨深いとあいさつされました。
何度かこのBlogでも記しましたが立木望隆先生には小学校の頃から可愛がってもらいました。そして先生の庵で何度も幻庵さんのお話を聞いたのを思い出し僕も感慨深く思いました。

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(僕らの結婚式で主賓の挨拶をしてくださっている立木先生。もう30余年前のこと)

北条長綱幻庵

八王子城を見に行った時、ボランティアガイドの方に、小田原北条直系五代は有名なんだけれど、そこから外れると途端に知名度が落ちる、旨の話を聞き、納得してしまいました。
たとえば信長からお礼にもらったベネチアングラスがあったなんて話も僕もついこの前知ったばかりです。そんなレベルですら支城の話題は継がれていないでしょうし、小田原城自身も昨年のブラタモリのきっかけが無ければ総構えを歩く事もなかったかもしれません。

子を産むことは当時は、領土を拡大した時の支城の城主を作ることや政略結婚をして他国から攻められないようにすること。
古代や中世のヨーロッパのように滅ぼしつくさない日本の国の戦いは攻撃と和睦とを繰り返したので家族の絆は大切な要因だったのでしょう。それを打ち破ったのは信長。家族よりもカンパニー的な組織として雇用に力を注ぎました。
しかし北条氏は無骨に「お家」を中心とした体制を敷いていきます。どちらがいい悪いではなく、その考えに基づいて、しっかり方針に従ったからこそ、北条も五代という長期政権を担えたのでしょう。

その中心の人物と言えば、表題の長綱幻庵です。
しかし八王子のボランティアガイドの方の言われるように、早雲や氏政は知っていても幻庵は知らないという人が多いです。五代にわたり殿さまに仕えた早雲の末息子。
笛や茶の道にも精通し、千利休などとも交流がある文化人。同時に箱根神社の別当でもあり、また武の道も優れていた御仁。
一節によれば、幻庵が死した知らせが入ったから秀吉は小田原攻めを決意したとも言われています。

そこで

20170128-01

という企画をご紹介いたします。それだけの郷土の名士を埋もれさせるのは忍びないと有志が立ち上がってのもの。私も是非に参加したいと思っています。

何より僕らの結婚式の主賓挨拶をしてくださったのは、この幻庵研究の第一人者でした立木望隆氏でした。先生もきっと喜ばれていると思います。
お気軽にお越しください。

サイレンス(Ω)

ちょっと言葉が足りないと思い、1/24に改版。

スコセッシ氏のインタビュー
『遠藤周作が描いた「白でも黒でもない」曖昧なニュアンスを映画の中で忠実に再現すること』

この言葉は、言葉は違うが僕の感想のその部分だ。ただ僕の言わんとする「白黒」はあくまでも人にとっての白黒なので、氏の思いと同じか違うかは分からない。少なくとも遠藤周作氏の中には『因果応報』とか『勧善懲悪』と言った「白黒」は無かったと思う。
これは、僕の個人的な意見だけれど旧約の神が「名を呼んではならない、と言ったところから繋がる。なぜ名を呼んではいけないか?
それはたとえ「名」ではなくても「神」という名詞であったとしても共有すれば、固定観念が生まれる。それは、神に似せて人を作ったはずなのに、人の思考に神を下らせてしまうからではないか?
沈黙も、「愛に不完全な」人であったとしてもここで何か優しい言葉をかけてくれるはずなのに、なぜ「愛が完全な」神は黙っているのか?という人の「思い込み」の話であり、神の意志の話ではない、というところに遠藤氏は焦点を置いているのだと思う。それは晩年、神という言葉で誤解をするのならトマトや玉ねぎでもいい、という「固有名詞に誤魔化されない、ことを語っている所に通じる。
実は神はその時「あしあと(下記に参照)」という詩の如く、苦しんでいる神父を背負い苦しみを共にし、声をかけ続けていたのかもしれない。でも聞き取れない人間は、非常に悩み苦しんだり、または神を非難する。
それは「ああ、俺は神の言葉を聞くことが出来ない」のではなく「神よ何故言葉を発してくれないか」である。その非難は何なのか?
人は自分の想像力で自分勝手な神像を作っているのではないか?遠藤氏は神が自分の思い通りにならなくても非難してはいけない、そんなことを言いたかったのではなかったのか?
そしてその事に対して僕は遠藤周作氏のそれよりもスコセッシ氏のそれの方が商業主義的に見えた。遠藤周作氏がポイントとしたこの部分は薄れているように思えた。

でも、日本で“仕える人”となることで、真のキリスト教徒となる。と言うスコセッシ氏の言葉、そこに遠藤氏の母なる神像を照らしたのだとすれば、僕は監督の主題を見過ごして映画を見終えたのかもしれない。

ヴ~ン、このインタビュー記事を読み終えた今もう一度この映画を見たくてしょうがない。
でもまず「『最後の誘惑』を見ることが優先かな。ヨナよな会開催すっぺかな。

参照
あしあと

ある夜、わたしは夢を見た。
わたしは、主とともに、なぎさを歩いていた。
暗い夜空に、これまでのわたしの人生が映し出された。
どの光景にも、砂の上にふたりのあしあとが残されていた。
ひとつはわたしのあしあと、もう一つは主のあしあとであった。
これまでの人生の最後の光景が映し出されたとき、
わたしは、砂の上のあしあとに目を留めた。
そこには一つのあしあとしかなかった。
わたしの人生でいちばんつらく、悲しい時だった。
このことがいつもわたしの心を乱していたので、
わたしはその悩みについて主にお尋ねした。
「主よ。わたしがあなたに従うと決心したとき、
 あなたは、すべての道において、わたしとともに歩み、
 わたしと語り合ってくださると約束されました。
 それなのに、わたしの人生のいちばんつらい時、
 ひとりのあしあとしかなかったのです。
 いちばんあなたを必要としたときに、
 あなたが、なぜ、わたしを捨てられたのか、
 わたしにはわかりません。」
主は、ささやかれた。
「わたしの大切な子よ。
 わたしは、あなたを愛している。あなたを決して捨てたりはしない。
 ましてや、苦しみや試みの時に。
 あしあとがひとつだったとき、
 わたしはあなたを背負って歩いていた。」
マーガレット・F・パワーズ

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サイレンス(α)

初めて文章を見たのはまだ小学生の頃。母親が買ってきたぐうたらシリーズ。
今でも覚えている
「経済学部
 への期待」
と黒板に書かれた小論文のタイトル。緊張のあまり2つのどちらかから選ぶと思った受験生が盲腸のあとガスが出るのを家族一同で期待した論文を書いた、とか
まだウォシュレットをTOTOが開発したばかりでモニターとしてつけてもらったが、温度調節を忘れて客人のお尻を熱湯が直撃した話に笑いながら、読み漁り、そしてクリスチャンであることを知り、芥川賞受賞作品の「白い人・黄色い人」を買うに至りました。
ところが中学生には難解。当時の僕は、今の世の中の多くの人と同じようにクリスチャンのまくら言葉は「敬虔な」であって、神を裏切ることのない人がなるもんだと思っていましたので、何となく許せない話と言う感じで、それからしばらくは遠藤周作さんからは離れてしまいます。
そして続けて読んだのは三浦綾子さん。心地いいですよね、いかにもTheクリスチャン。こうでなくちゃ、と言う感じで読み漁るのですが、なんかげっぷが出る「生」への重さ、襟を正す生真面目さの厳しさを感じ、遠藤文学に戻ります。私が・棄てた・女とかおばかさんとか実直の中に信仰がある生き方を読んでいく中で、信仰が培われていったのかもしれません。そして、沈黙に出会うのです。
もうこの頃は「白い人・黄色い人」を最初に読んだような表面的なクリスチャン像ではなく、物語の中の人たちの信仰における愛を意識できるようになっていたので、この踏み絵を踏む時の神の言葉は涙なくして読めないほどの感動をしたもんです。

そういえば、遠藤周作氏の言葉で「母なる神」と言う言い方がありますが、この言葉も大好きで、キリスト教の神に僕も父親ではなく慈愛満ちた「母なる神」を感じてしまいます。無上の愛の存在を感じるのです。

そして30余年経った数年前。アメリカのなんだか有名な監督がこの作品を気に入り撮影したがっているという話を聞き、遠藤文学を映画に出来るのかい?と言う冷めた目で見ながらも完成を楽しみにしていました。
どうも浮気性(?)なのか、作ることを公言しながらも他作品を先に作ったりとやきもきさせましたが、いよいよ日本での公開が決まりました。
居てもたってもいられず、封切を待っていってきました。

20170121-01

ご覧になっていない方もたくさんいるでしょうから詳しく書くことは憚られますので、ちょっとしたインプレッションのみ。
原作を読んで30余年。忘れている点も多々ありますから、勘違いがあったらごめんなさい。
でも原作に非常に忠実だったと思います。惚れ込んだから忠実だったのかもしれません。
が…。
遠藤作品の「白い人・黄色い人」や「沈黙」は、神の愛だけに特化されて人はおろおろとし、そして悩むだけでしたが、マーティン・スコセッシ監督は、少し情に厚かったのか人の希望が描かれていました。果たして遠藤周作氏はこの『人の愛』が書きたかったのか?疑問ですが、なかなかの秀作でした。
でも、その疑問の分、ノンクリスチャンの方にはわかりやすい作品になったのかもしれません。
そして欧米のクリスチャン向けにはあちこちに聖書の場面がちりばめられています。たとえば主人公ロドリゴ神父が転ぶとき…、おっとその先は…内緒です。

ところでキチジローは棄教しました。棄教後は聖餐に与れるのでしょうか?
聖餐の本質はどんなものか?も気になっています。


PS
1/24 追記 サイレンス(Ω) 記しました

西村久蔵氏

mixiというSNSでマイミクさんからご紹介された本。

20170115-01

三浦綾子さんは好きな作家なので何冊も読んだことはあったけれど、残念ながらこの本はまだ未読。
その理由の一つに、西村久蔵と言うなじみのない方のお話と言う点がありました。が、、三浦さんが題材にしようとしたこととそのご本を読んでよかったことをUPされた友人の感想を見て俄然興味を持ちAmazonでポチッと。
昨日届いた本を出がけにぱらぱらとめくると
泥棒の親分、子分が盗んできたコートがこの西村氏のものと分かると「罰当たりが!」と失跡した話が15ページに書いてある。
信仰の仲間がすごいという聖人君子の話はあまり興味がわかないが、赤の他人のしかも泥棒が特別視する人とはどんな方なんだろう?
今日は残念ながら夜まで一日行事がいっぱい。
明日以降になるかもしれないけれど、今週の愉しみができた

怪獣少年の〈復讐〉

「怪獣使いと少年」を知人から紹介され、ウルトラマンやゴジラの映画の『行間』の読み方を教わりました。また、テレビドラマ『私が愛したウルトラセブン』では、ベトナム戦争時、同戦争に反対していた森次晃嗣さんらが脱走した米兵にパンドンの着ぐるみを着せて逃がそうとするシーンがありました。子ども向けのTVドラマではなくそこにあるのは蔑視・偏見のある世の中へのアンチテーゼ。平和への思い。
ドラマにかかわる全ての人が社会正義に乗っ取り義憤を番組にしていた、と言うのは、「怪獣使いと少年」を見て気が付いたことでした。
そんな切通理作氏の大作の続編が出たというので早速ポチッと。

20161214-01

さて、夕食を食べたらじっくり読みたいものです。

今年もシン・ゴジラなる映画がヒットしたと聞いています(僕は見ていませんが)
少しこのゴジラ映画の分析を評論を皆さんにもしてもらいたいのです。
昭和時代の終わりころからのゴジラ映画、ゴジラが過去に居たことを人間は知っています。そのうちにゴジラの細胞を採取したり、体の構造を熟知したりします。
つまりは、過去の地球上の戦いを知っているはずですが、戦う相手の敵怪獣には目もくれずゴジラ撲滅に全精力をかけるのは何故なのでしょう?
ゴジラが必ず勝つというのなら、ゴジラが敵怪獣との戦いで疲れたところでゴジラを始末するという作戦も間違いではないでしょうけれど、敵怪獣はそのたびに変わる「未知なるもの」
ゴジラを始末するよりゴジラと力をあわせて敵怪獣をやっつけるべきだと思うのですが、脚本がしっかりしているのにその点だけはなんだかなぁ~です。誰か何故毎回毎回そういう脚本なのか、分析してくれませんか(笑)

という訳で読書Timeに入ります(^_^)/

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