今、考える 博物館の未来

様々な歴史の検証の結果「違うのではないか?」と公的な物の書き換えがなされています。
たとえば鎌倉幕府の設立年。
たとえば足利尊氏と言われた絵画。
大勢の専門家の目と最新の科学などでミスの修正は今後も出てくるでしょう。

ミスとまではいかなくても、わが町小田原の最大の出来事である、秀吉の小田原攻めも、勝った秀吉側の資料だけで検証していた時代は、「時代の読めない北条」であり「小田原評定の結果敗北した無様な殿さま」だったが、最近は秀吉がヒヤヒヤしており開城をしなければ、配下の武将の不満が募り『歴史のIF』は存在したかも、とまで言われています。
げんに一夜城は、一夜でこれだけの城が出来るほどの大兵力だと北条に見せて士気を削ぐ目的と言われていましたが、一夜城の石垣は小田原から見えない西にも作られており、これは豊臣軍(配下)に対しての威圧だったとも言われています。

コツコツと資料を調べ、研究を発表するのは、町の博物館であり、そこに集う学芸員さんです。

しかし、小田原は松永安左ヱ門の収集した茶器を維持することが出来ずに他市に譲渡してしまったり、郷土文化館も建物自身も古いし、何より学芸員外のスタッフがおらず、学芸員が研究発表のための仕事よりも雑務に追われていたりしています。

町作りは文化です。郷土史が粗末にされる町に未来は感じられません。まさに温故知新、しっかり郷土資料を保持しなければならないでしょう。そのための博物館とはどういうものなのか? の下記のような講演がございます。どうぞお誘いあわせの上ご参加ください。
いい町づくりは文化からです。

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(画像上でクリックすると拡大されます)

北条幻庵顕彰会行事 -お誘い- 

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のご案内を頂きました。(クリックすると拡大します)
どうぞお越しください。
私はすでに幼稚園の定期理事会の予定が入ってしまっているので残念ながら欠席です(>_<)

曽我の梅林

会社のBlogに記載するために、少し曽我梅林の経緯を調べたところ、「妄想歴史秘話」的には面白そうな話でした。神奈川の梅干しについて 思いっきり妄想の羽をはばたかせて書いてみたいと思います。

落語の演目の一つに幽霊飴と言うのがあります。好きな演目であるのと同時に、この落語は京の町に原型があったようで実際幽霊飴は昔からの名物になっています。

高台寺に預けられた稚児こそ、のちの高僧通幻寂霊(1322-1391)だという伝承があります。幽霊から生まれたから口が臭く悩み、師に相談したところ梅干しを毎朝食べよ、と言うアドバイスをもらい、それを実行したところ口臭が治った、と伝えられています。
梅干しを植えることを良しとした僧故にこういう話が尾びれとして着いたのかもしれません。まさにニワトリが先か卵が先か、と言う話ですが・・・。
ですので福井にある通幻寂霊師ゆかりの寺は梅干し作りは僧侶の大事なお勤めの一つだとつづけられているそうです。

さて、通幻寂霊十哲に了庵慧明(1337-1411)と言う高僧がいます。
能登妙高庵寺など通幻禅師の後席すべてに住持し、大本山總持寺に輪往。50才半ばで相模国に帰り、曽我の里に「竺土庵」を結びます。
ある日、一羽の大鷲が禅師の袈裟を掴んで足柄の山中に飛び、大松の枝に掛けるという奇端を現じました。應永元年(1394)、奇端の啓示を受けた足柄の山中に大寺を建て、大雄山と号しました。
そう、道了尊最乗寺の開祖です。

故に師の梅干しに対する思いは受け継いでいたのかも知れません。

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元に、慶安元年(1648年)の「最乗寺由来書」が南足柄市別編に載っていると石井啓文氏は言い、その一説に
願毎朝喰梅干飲茶七服給者必可除之
とあるそうです。毎朝梅干を食べるためには、今のように店で簡単に買える時代ではないので、自らの庭で梅の木を植え、実を採り塩漬けにしたことでしょう。
山深い最乗寺では梅の木を植えるに適さず、そうなると自身が直前まで庵を結んでいた開けて温かい曽我の地の民に梅を植えることを勧めたのではないでしょうか?

同じく石井啓文氏のご本から借用すると、曽我の梅林は杉田梅を明治時代に横浜市杉田から持ってきたのが最初だと乗松祥子氏が著書「宿福のうめばなし」で語っているそうです。
それは千葉茂原に行った小田原の僧侶が帰路しけに遭い、杉田に流れ着き、お礼にと置いた梅の木が杉田梅で、それを曽我の人が明治期に持ち帰り曽我の梅園にしたのが始まり、と言う話なのです。

何のために、小田原の僧侶は梅の木を持っていたのでしょう? 「たかが」梅の木をなぜ横浜杉田の人は大切に育て、杉田梅と呼ばれるほどの梅園に育て上げたのでしょう?
乗松氏のお話をそのまま信じれば、この2点は解決しないといけない点でしょう。
ウィキペディアによると杉田梅林は、安土桃山時代に、領主によって住民に梅の木の植樹を奨励したのが始まり、とあります。ならば、この小田原の僧侶は安土桃山期(1573-1603)の人物でしょう。

この大梅を、何かのきっかけ・・・そう茂原への宣教や産業指導のために小田原の僧侶は持っていったのではないでしょうか?
実付きがよく滋養強壮もある。そもそも曹洞宗の一門では福井の大本山総持寺や龍泉寺などでも「流行って」いる植物、と欲しがったのかも知れません。
それを持っていきながら、何かの都合で全部を渡し損ねて、お持ち帰りがあった。それを横浜杉田で世話になった人にあげ、杉田で広がりを見せた。
逆に小田原では江戸期に入り曽我は梅畑では無くなった。そんな時にひょんなことから杉田から梅の苗を購入し、曽我に植えようという人が現れたのなら…

いや、この話のベースは石井啓文氏の話ですが、読んでいて「飛び梅」を思い出しました。
大梅が小田原に帰りたがっていた。300年の時を経て、竺土庵のある地に戻ったとしたら・・・。
この曽我の梅林は雄大な歴史が作り上げたロマンの場所ではないかと思います。

明日の日曜は、気温も上がると報じられています。そうすれば一気に開花するでしょう。
午前中の礼拝のあとは、近所の中河原の梅園にでも行ってみましょうか。

石造物下調べ(2)

前回は12月30日
午前は別用で松田町寄に行ってきました。この集落も成り立ちが気になるところ。どういう経緯でここに集落が出来てきたのかはそのうち調べてみたいです。
みやま運動広場からろうばい園に行く途中、県道710号線沿い

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男根形の道祖神でしょうか?
これを見て、そうだ!午後は近隣散策をしなければならない、と思いだし帰路に向かいます。
今日は天津神社と宗我神社の間を歩こうと思います。

下曽我交差点を超え、農道を登ります。
距離は大したことないですが、斜度はそれなりにあります。

場所はここ

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入口の説明を見るとインド(バラモン?)十二神を祀っているそうです。

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鳥居から本殿に向けて右に5,6基の石造物がありました。

神社前の変形四差路の対面、キウイ畑の隅に石造物が並んでいます。ちょうど農作業をしていたのでお声をかけさせて頂くと『我が家のお墓』と言います。でも一体は地蔵尊?『どこからか持ってきたものでは?』の問いに『むかっしっからあるねェ』とのこと。
写真撮影の許可を頂き撮らせて頂きます。(カメラの露出センサーが壊れたか露出が合わず白飛びしちゃいます。写真が見難く申し訳ないです)

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何かご事情(お祓いや祈願等)があってお地蔵さんを一緒にお祀りしたのかも知れません。天津神社から北の伸びる農道を登ってみましたが、急坂かつ500mほど行っても何もなさそうでなかったのでUターン。(曽我山を抜けて東国に行く旧道もありますが、この道は最近になってから修復拡張した農道みたい)

宗我神社に向かいます。
入り口の石垣の中に道祖神。

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神社内を9-12-3時と時計回りに見てまいります。
入口には石垣完成の記念塔

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その奥に石があります。思案のしどころなのは、周囲を石で囲ってある中にあること。

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本殿の裏には祠がありました。

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その右横にも2基の祠

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3時の位置にはお稲荷さん。左右に2基の狐(狛犬)

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4時の位置に折れた石碑。

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本殿正面に戻りました。左右に狛犬(これは向かって左)

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本殿正面から向かって右をしたところに手水鉢。

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尾崎君の碑をはさんで灯篭。

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これで境内の石造物はすべて
境内を出て参道を下ると途中(境内を背にして左に)再度尾崎一雄氏の石碑

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参道の入り口、下曽我駐在所交差点に2つの大きな石造物
 
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と古刹の多いこの界隈は数多くありました。

寄ろうばい祭り

松田町観光協会写真部の活動で寄のろうばい園に行ってまいりました。
昨日は雪が降り休園とのこと、果たして今日は行けるかと思いましたが、地元スタッフの懸命な作業のおかげで雪の積もった中最高のロケーションでした。

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少し高台の園からは里に積もった雪が美しく

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日陰の枝には雪が凍り、日の暖かさに輝いています。

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バラ科の樹木はどうも枝が好きじゃないんです。必然、枝を隠すためにFを開放気味にするので同じような写真が増えます。
さて、8日の講評会、どういうアドバイスを頂けるのでしょうか?
GooBlog の2作品と一緒に提出いたしました。 

KU-KAI(4)

拷問の一種に「すりこみ」があります。
「お前はもう必要とされていない」「仲間はすでに口を割った」ことを繰り返し繰り返し伝えることで、「そうなのか!」と偽情報を信じ込ませることです。
現に埼玉県朝霞市の女子中学生誘拐監禁事件の犯人も「親はすでに見捨てて捜査もされていない」ことを繰り返し伝え、逃げる気を削いだといわれています。

江戸川乱歩氏のD坂の殺人事件では、目撃者が犯人の服装を証言しますが、1人は白だと言いもう一人は黒だというのです。本気でそう証言しているので捜査が行き詰まり明智探偵登場となるわけですが…。
人は目で見たものを神経を通して脳に伝え、保管し、必要とあらば思い出し、神経を経て口に伝えます。目と脳と口はそれぞればらばらの器官で神経と言った細い線のみでつながっているのですし、脳内のインプット場所と保管場所とアウトプッチの場所もそれぞれ神経でつながっています。

TVのバラエティで 人間観察バラエティモニタリング と言う番組があります。周囲が一致協力しだました時、どういう反応をするのかを隠しカメラで見るという内容ですが、例えば怪談話をした後でコップが勝手にテーブルから落ちる(という仕掛け)をターゲット以外が全員無視した時、そのラップ現象を信じるのか? 運転手と乗客2人だけのタクシーの中で、女の人の鳴き声が聞こえたのに運転手は何も聞こえないと言ったらどうするか? などをTVモニターで見ているわけです。
すると、だんだん自分が信じられなくなっていくのです。目で見た真実を脳が受け入れなくなったり、脳が見ていないふりをしたりします。自分自身で情報を変えてしまうのです。

僕らは夢を見ます。起きて、ああ夢だったのだ、と安堵(残念)がる時がありますが、夢だったのか現実だったのかは自分自身でそう信じ込んでいるだけなのかもしれませんし、「寝言」は確かに自分の口から出るものですが、自分の意志でしゃべっているわけではありません。

もっと極論から言えば、俳優さんは、自分の意志で演じてセリフをしゃべっていますが、自分の意志ではありません。言わされているだけです。
ですが、「役に染まる」と言います。アイドルも脱却するタイミングは難しい、といいます。見ている人は「やらされている」ことを知りながらも、まるで本人の意思でやっているように錯覚する人も少なからずいます。

僕らの「脳」は結構頼りないものなんだな、と思うのです。勝手に「刷り込み」で正しかった事実を否定できてしまうのです。
オウム真理教や戦時下の日本の教育のように、人を殺すのは正しいという「刷り込み」があれば、他人からそれは違うと言われてもその他人の意見を受け入れられなくなります。

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この物語の中で、さまざまな妖術が出てきます。が、その妖術のほとんどがいわゆる催眠術のようなものである時、空海のような冷静な判断と自己への自信は大切なものになるでしょう。
それが仏教の言う修行なのかもしれませんし、教会が大切にする祈りあいなのかもしれません。己の弱さとの闘いはいつの世もあるのでしょう。一番の厳しい闘いの相手なのでしょう。
本のインプレッションにならないまま4冊の本の紹介を終了いたします。ご興味頂けましたら映画「空海」は2月24日から公開ですし、本は書店、インターネットで購入することも図書館で借りることも出来ると思います。
そしてもう一つ、玄宗と楊貴妃の話ももう少し読みたくなりました。

KU-KAI(3)

生前にひどい目にあって怨念を持つ動物といえば、ヘビやキツネとともに猫が代表格のように思います。
恐怖が物語的に構築されていく過程には何があったのだろう?と言うのは興味の湧くところです。ヘビやキツネは農業神の神使(つまりはネズミを取り、米を守る)から大切にせよ、と言う教えから、殺すなかれ、つまりは殺すと祟るという発想になったのだと思いますが、猫も同類の経緯からなのでしょうか?

ヘビやキツネはペットとして飼うことは多くないかと思いますが、猫は犬とともに愛玩動物としてなじみが深いです。
そんな動物が怨念を持つと恐れられる動物となる経緯はどこなのか? 犬になく猫のみが怨念を持つのは、桃太郎の家来の話ではないですが忠誠心がなく、自己中的な行動にあるのでしょうか?

そもそも日本の化け猫伝説は中国から来たようで、猫鬼神という老山猫の精を蠱毒にし、憑き物とする話は広く伝わっています。日本の猫又然り、老猫は化けやすいようです。
しかしアジアだけでなく欧米にも猫の妖怪は存在するようで、オヴィンニク(ロシアやスラブ)、ケット・シー(スコットランド)、ワンパス・キャット(テネシー州)やバステト(古代エジプト)、バール(旧約ソロモン王時代)とありますが、僕が知らないだけかもしれませんが、やはり欧米においては猫が化かしたり怨念を持ったりすることは少ないようです。
そうそう、でも黒猫は縁起が悪いんでしょ? というご意見もあるかもしれませんが、これはもともとは、黒猫は元々「餡子(あんこ)猫」と呼ばれて福の象徴だったので、その「福」に素通りされるなんて縁が無いね、という意味で「黒猫に横切られると縁起が悪い」という言葉が生まれた、だけで全くの後世のこじつけです。

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さて、二ノ巻まででも1つの大きな物語として完成したと言ってもいいわけで、そんな妖猫と楊貴妃の物語、続いてはその解決に向かっていくわけです。
さて、仏式の葬儀などに列席した時に聞く経文。色即是空。夢枕獏氏はこの本を使って「仏法は無力だ」と語らせていますが、僕もクリスチャンとしてキリスト教は無力だと思っています。それは多くのクリスチャンや牧会者も同じ気持ちで、故に「み心のままに」と祈るのです。自分の願いを神に託して神が代行するなんておこがましいのです。神(この本で言う宇宙)の方が、人間の作りし宗教よりはるかに・・・比較できないものであることをわかりやすく書いています。葬儀などで聞く言葉の意味を知れて嬉しい知識となりました。
そうでありながら『空』を理解できない『色』・・・仏教はそれを煩悩と呼ぶのでしょうし、キリスト教も中世の修道院などはそうした邪念を捨てることに懸命になった時代もありましたが、そこからの脱出は人が罪の中に生まれた以上は無理なんでしょう。でも願わくば、死した以降怨念を残すこの物語のようにはなりたくありませんね。

世界三大美女 クレオパトラ7世、楊貴妃、ヘレネー(小野小町)。こちらも明治になって、料理じゃないが和洋中がバランスが取れるだろう、と日本人が勝手に小野小町に変えたと言われていますが、その一人の楊貴妃、そして取り巻く阿倍仲麻呂や関係者。歴史の荒波に翻弄された2人とその出来事を50年後に紐解く空海と白楽天。2巻かけて書かれた流れ、実はここからがいよいよ佳境のようです。

KU-KAI(2)

李白舟に乗りてまさに行かんと欲っす・・・。
それと
天にあっては願わくは比翼の鳥となり、地にあっては願わくは連理の枝となりましょう。

古文漢文は嫌いじゃあなかったですが、40余年離れているとすっかり記憶から無くなりましたが、上記2つはインパクト強かったのでしょうか、今でも諳んじれるのです。
中国の山中の村、といえばたけのこのような墨絵の山の中、そこを流れる急流。しかも川の深さは深さ千尺。今でいう300mの深さ、まさに深淵の崖の上の小道に数十人が並び、谷底の小舟を見送る姿を想像していました。『ありがとう』「さよなら」そんな李白の声は山中腹の道の住民には届かず、大きく手を振り別れを惜しんだ…なんて風景を想像しながら漢文の時間を過ごしたものです。
しかし、齢六十弱、世の中の利便性も大きく変わり、GoogleMapやインターネット記事なども手軽に読めるようになったので、桃花潭を検索し、こんなBlogを見つけました
李白を招いた汪倫の巧みさ、しかしそのもてなしに感服した李白は詩に謳うほど感激をしたんでしょう。300mもあるこの川の深さより厚いもてなしを受けた、と。
しかし、Blogの写真で分かるようにこの桃花潭は竹棹でこぐ小舟。たぶん深さは2mもないのでは(笑)
漢文の授業ではすっかり李白の大袈裟に騙されたことを40年経った今悟りました。

白楽天の長恨歌。生まれ変わるなら離れられない比翼の鳥や連理の枝になりましょう、と契りあうものの、結局我が身かわいさで楊貴妃は見捨てられてしまうのです。
こういう悲劇、日本人好きですよね。はいやはりありました、楊貴妃の墓、熱田神宮にです(笑)
信じる信じないに関わらずこういうミステリースポット大好きなんです(爆) そのうち名古屋に行った時は、是非熱田神宮行ってみよう(^_^)/
PS 山口県の油谷町の二尊院も楊貴妃の墓があるそうです。

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しかし学校の勉強って縦割りだったので、世界史は世界史、漢文は漢文で過ごしてしまい、安倍仲麻呂や李白と空海・白楽天と言うのが同時期に活躍した方で、その間が50年ほどと言うのを再確認したわけです。
三ノ巻に続く

KU-KAI(1)

誑(たら)しの意味を見ると「巧みな言葉で騙す」ことであるから、決して褒められた言葉ではない。が、時代とともに言葉の使い方は変化し、「人たらし」と言う言葉が使われるようになりました。
人たらし を検索すると、「受けるよりも与える人」、「話し上手」、「自尊心が高い」、「自分にひき込む」 と言う特徴だと書かれており、その結果多くの仲間がその周囲に集まりアクティブに行動できる、対人関係でいえば「まことに素晴らしい」を意味する言葉だと思えます。そして世の人に問えば代表格は豊臣秀吉だ、などとも言われています。
短絡的(30―50年スパン)で見れば、秀吉はターゲットを絞った相手の懐に飛び込むのがうまく、また人使いが上手であるので「人たらし」かもしれませんが、なかにはいけすかん奴とする人の数も同時にものすごく多かったでしょうし、その傾向は数百年たった今もあります。
人類歴史からみれば秀吉の「人たらし」度はさほど高くなく、本当に高いのは例えばイエス=キリストであったろうし、僕は空海が日本の歴史上では最たる人かと思うのです。
1000年たった今、「御大師様」と慕われる人柄、スキル高いと思います。

なんて詳しくもない空海のことを書くのは、2月に「空海」が上映されることになり楽しみにしているから。
原作は、郷土の作家かつ母校の先輩の夢枕獏氏。密教と言う宗教と人を織り込んだ作品は、ハリーポッターやロードオブリングのような冒険活劇ではない深層心理をえぐるような煩悩(己)との戦いの魅力があふれています。

まずは、原作から、と言うことで今更ながら文庫本をぽちっと。

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読んでなおさら楽しみになった映画。「沙門空海唐の国にて鬼と宴す一ノ巻」を読み終えて、描かれる空海は、気まずいことでも隠し事をしない(どうどうと自分の行為に責任を持ち恥じることないという自信がある)、とにかくよく動く。聖書の描く人間イエスとオーバーラップする点も多分にあります。読んでいて福音書を空想してしまうのです。洋の東西の「人たらし」の最たる御仁2人故なる業でしょうか。
そこにホームズばりの理論に基づいた推理がちりばめられ、ワトソン君のような橘逸勢とのコンビで、このあと奇々怪々の事件を解明していくようです。
第2巻に続く。
 

相馬を思い出し、聖書を納得する

教会に関わらず、すでに周知の中に外から人が入ってきたら紹介をする。
ただ、宗教と言うのが日本では難儀なもののように感じている人も少なからずいるので、新たな教会に行くと受付で「よろしかったらお願いします」とアンケートのようなものを渡されます。
そこには、礼拝の中で紹介していいですか?と言う項目があります。
もちろんアンケート自信を拒んでも笑顔で「失礼いたしました」と取り下げてくれるので、このBlogを見て教会に行くと個人情報を取得されてしまうのか?と恐れている人がいたら、そんなことはないと言っておきます。
家を訪問する教会はエホバの証人くらいですが、彼ら彼女らは争うことすら禁じられているので帰ってくれと言ったら素直に帰っていくので、ℋぼほぼ教会に関してはたとえ住所が分かっても困ることはないでしょう。

話がそれましたが、30余年来の小田原教会外の教会に行ったので、受付でアンケートを依頼を受けました。既に清水師とは小田原交流パトで何十年も行動を共にしているし、1月21日に伺うことも事前に行っておいたのでいまさらアンケートでもないでしょうが、そこは他の人は知らない事情。もしかしたら教会は初めての方?と親切丁寧にお教え下り、当方もアンケートに「礼拝後の紹介は構わないか?」のと言う問いに「はい」を○付けしをお渡ししました。

礼拝後は司会の人が紹介をする前に清水牧師からご紹介をして頂きました。
先生の一番の思い出は2011年4月にD.ヒューズビー師と3人で行った東北のことでその逸話を含めてのご紹介頂きました。
7年経ちますが今になってもふしぎな時間でした。聴覚だけが失われたような無音の世界でした。いや、決して無音じゃないのです。清水師ともヒューズビー師とも会話をしたし、被災者の方ともたくさんお話をしました。でも風吹く音、川や海の水の音も何も聞こえなかったような気がして、音だけが思い出せないのです。

その後も、小田原との交流もあり、南相馬や相馬には何度か伺いましたし、がんでもいいじゃん♪の仲間と宮城海岸線を旅し足り、福島のRFLにいったりしました。
しかし、あえて紹介に東北の話題を入れて頂くと、無性に福島が懐かしくなります。
で、Amazonnを探っていたら面白そうな本を見つけてポチッと。

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震災を通じて、3・12を通じて知り合った方が何人かいますが、皆さん責任感がお強く放射能検査をしっかりしているので、我が家は安心して購入しております。
が、それでもと言う人に対しての配慮ある本のタイトル。
そして読み続けていく内に、交渉事が好きだという話。
頭に浮かんだのが僕の好きな聖句。

イエスは言われた。「『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』 これが最も重要な第一の掟である。第二も、これと同じように重要である。『隣人を自分のように愛しなさい。』
律法全体と預言者は、この二つの掟に基づいている。」


結局三浦さんの交渉術は『隣人を自分のように愛しなさい』の実践なんだなぁ、と。
勝ち負けではなく、どうしたらWinWinの関係になれるか。
被害額+精神的慰謝料ではなく、明日からの希望の代償としての交渉だったのでしょう。
勝ちまかして利を得るのではなく、自分と隣人とフェアートレードする間柄。

また小高に行きたくなった(笑) まだ震災後の南相馬に行っていない方ぜひ行きましょう。そして帰りには飯舘村などを通って国の無策に憤りましょう。
いずれにしろ百聞は一見にしかず、です。
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