石造物調査会定例フィールドワーク

今日の調査場所は、前回火曜定例会(僕は不参加)に引き続き早川石垣山でした。
入生田に集合し、ここから約4km探しながらのハイクです。

生命の星・地球博物館の横を通り、早川にかかる間もなく還暦の太閤橋を渡り

20180714-01

GoogleMap(35.239346, 139.125378)にも、史跡ランドマークとして表示されている(ちょっとびっくり!)の開墾記念碑を調査。

20180714-02

こうした記念碑は裏面が大切でして、建てた趣意とか寄贈した人たちの名前等々大事な情報満載です。
が、風化とともに読めなくなっていきますので、こうした取り組みは大袈裟に言えば時間との勝負でもあります。
昭和6,7年にこのエリアの開拓があったのでしょう。
早川小学校内にも同様な碑がありましたので、戦争に向け出来るだけ開墾するようにと上からのお達しで皆で勤労奉仕をしたのではないでしょうか?

汗をかきかき、途中のこの農道の道路下の石丁場のあとを見、そしてゴールの直前

20180714-03

何気ないお墓かと思いましたが、お墓なら故人若しくは家の名があります。とあわせて芝台と竿塔の時代と、中台の時代が違うようにみえます。
つまりは、この畑の持ち主さんが畑の中から中台を掘り当てた。古いものだから放り捨てないで供養しようと畑の端に芝台を設け移設して竿塔を乗せた、と言うのが僕らの推察。
サイズを測らせて頂き、小田原の石造物と認可して登録です。

今回は長丁場を歩きましたが、登録数は2つでした。が石丁場を見たりと僕個人的には満足のフィールドワーク。
鎧塚ファームに立ち寄りソフトクリームを食べ

20180714-04

帰路に向かいます。
一夜城は簡単な木と紙などで作り上げ、周囲の木を切って一夜にして城を建てるだけの力をもっていると北条に見せつけ戦意を喪失させた、と言うのが通説です。
が、それならば北条側に見えない南斜面に石垣を組む必要性はあったのか? と小和田先生がTVで語られていました。
大きなはったり的な一発勝負を強運で駆け抜けてきた天才児は、その勝負の度にたぶんビクビクしていたのだと思います。そんな内心を見透かされないように虚勢を張り続け、それがはったり勝負の「勝ち」につながったのだと思います。

北条側に徳川がついたら…、長戦になって恩賞もないまま全国の武将を関東まで呼び寄せて・・・、もしを考えればすべての自分側の武将が寝返る恐れは大いに感じていたでしょう。ギリギリのバランスで保たれている天秤はわずかのことでバランスを崩すことが怖くて怖くてたまらなかったのではないでしょうか?
戦国時代最後のはったりは、この一夜城を作り己を大きく見せる事だったのだと思います。その人工、その財力、その…すべてを自分の家臣軍団に見せつけ、太閤殿下ここにあり、の威厳を見せつける必要性があったと思います。故に南斜面にも立派な石垣が必要だった。軽い木と紙の城にふさわしくない立派な石垣を築いて、己の力を味方の家臣に見せつけたのがこの石垣ではないでしょうか?

20180714-06

帰路の坂道を降りながらそう思います。
茶の湯を楽しんだのも、淀君を呼んだのも、みんな余裕をアピールするため、本当は景色すら楽しむことはなかったのではないか、と。
小田原の海は本当に美しい。彼はそんな美しい海を楽しめたかな?

20180714-05

小田原市の石造物を調べる会フィールドワーク

表記のフィールドワークは昨年から初めて、小田原市内の石造物(石仏ではなく石のモニュメント全て)を調査しようという壮大なプロジェクト。
月2回のフィールドワークのため、現状で終えたのは城山と早川の一部のみ。

そんな訳で定例会以外にも、有志活動でアクセスのあまりよくないところ」から
調査しようではないか、と言う話となり、今日はその第1回目。
郷土文化館の学芸員さんのあとをついて行かないフィールドワークは地の利のある久野がいいだろうと、舟原・和留沢地区から調査することにしました。
先輩友人のCさんに、ご存じの石造物をお教えいただき、日程を7日に設定。MLでお呼びかけすれば、4名の方がエントリーしてくれました。6名でフィールドワークに出発~ッ
全国で豪雨の被害のニュースが飛び交っている最中、小田原はさしたる大雨にもならず、天気予報は曇り・・・のはずだったものの、山の天気はなかなか一筋縄でいかず、到着時には

20180707-04

それでも数分後には雨もやみ、曇天の下

20180707-01

別に秘密にしている訳ではありませんし、自治会で定期的に掃除をしている馬頭観音。でも、教えてもらわなかったら絶対にたどり着くことができないところにありました。

その後も、自治会管理ではなく、Sさん一族4軒私有の管理の山の神様と稲荷。もちろんお断りしてからの調査です。
Sさん一族がこの地にやってきたころからの守り神なんでしょうか?

20180707-02

若者のフィールドワークなら1日活動する元気はあるかもしれませんが、僕らはもう壮年。今日のメンバーも40-60代ですので、無理は禁物。2時間程度をもって終了することが、気軽に調査が続けられる要因です。ですので今回は舟原の日陰地区に限定しました。バス通りを下れば南船原のバス停前に9枚の板碑。

20180707-03

一番古いものは寛政6年(1794年)。黒船を率いるペリー、そしてその扱いに苦慮した井伊直弼の兄井伊直亮が生まれた年です。その時代の寒念仏供養塔です。
文字を読み解くのに時間がかかりますがそれがまた醍醐味。時代を超えて、書かれた人名の方が何を思ってこの石碑を立てたのかを想像するのは誠に楽しいものです。
このほかにも、立山講中、出羽三山講中の記念碑。村をあげて詣でることができないので代表が行くわけですが、行ける人、(今でいうカンパを出して)村に残る人、きっと思いは様々だったでしょう。今生の別れかも知れない当時の旅に想いを馳せます。

今回は16基の石造物を調査できました。
もう12時を大きく回っています。久野で数少ない食事処の番馬亭でお昼を食べることにします。

20180707-05

とろろご膳1000円はリーズナブルな価格です。
話題は石仏の話です。同じ趣味の仲間故に大盛り上がり。
次は秋に行う予定です。
ご関心をお持ちになりましたら、ぜひ郷土文化館にお問い合わせください。
また、報告はこちらに載っております

紀伊神社地蔵堂

小田原の石造物を調べる会の定例会で今日は早川の紀伊神社さんと正蔵寺さんをお尋ねいたしました。
特に紀伊神社さんは、同行のIさんご親族と懇意という事で事前にお願いをしてくれ、地蔵堂)お念仏堂のような感じの本堂)を開けて本尊を見せてくださいました。
中世前期と言われています石造の地蔵菩薩像。

20180623-01

両膝を見ると分かりますが、粗目の石でできています。それに漆を塗りその上に金箔を貼ったり色彩豊かな色を施したりした60cm弱の坐像。地蔵らしく右の手には錫杖を持っています。触ることは禁じられましたので、素材は不明ですが蓮華の上に座っています。そして左手には壺を持っているようです。


20180623-02

そばに赴きのある招き猫。粗削りの素朴な顔立ちがなんともいえません。

こうした普段目に出来ない仏像等を見れるのもこの会の楽しみです。

なおこの会は定例会でみんなでアクセスのしやすい場所を廻りながら、個別でも調査を進めることになっております。7月7日は久野舟原地区を廻ろうと思っております。
こうした活動にご興味の方は是非郷土文化館・小田原の石造物を調べる会までお問い合わせください。

早川地区 紀伊神社と正蔵寺

5月19日に、小田原の石造物を調べる会の定例調査会がありました。

前回に引き続き、早川地区の紀伊神社に向かいます。
神社前には、市の指定文化財の道祖神があります。

20180519-01

紀伊神社は、参道の真ん中をJRが通過しています。

20180519-02

20180519-03

参道から石段を臨めば貨物列車が通り、鐘突堂に立てば横を列車が走り抜けます(笑)

大きな忠魂碑ほかの石造物を調査し、メンバーの疑問は、大量の玉垣が奉納された時期前後に何があったのか?という事。
丹那トンネル開通で、前述のJR線が境内の中を通過する補償費で玉垣などを奉納できたのか?
しかし、漁協組合のメンバーと言う書きかたもあるので、それは何かしらの漁業権の問題なのか?
もちろんバックボーンになる下調べもしてこない話ですので、推測の域は出ませんが、そんな自分の推理をおしゃべりし合うのもこのグループの魅力。

20180519-04

調査を終え、隣接の正蔵寺に向かいます。すぐ隣に見えるものの一度道路に戻り、次の小路から丘を越えないとお寺にはたどり着けません。今日はこちらのお寺さんには事前にアポイントメントをとっていませんので、ご挨拶のみ。尼僧のご住職にご挨拶をすれば、君ヶ濱安右衛門と言う関取の顕彰碑があるとのことで、今日はそれだけを拝見させてもらいに行きます。
僕はその関取を存じ上げなかったですが、小田原の端々さまのBlogに載っていました。

古い石造物が豊富にあるお寺ですので、次回はじっくりと見させて頂きたいと思います。
ところで自宅に戻りGoogleMapで場所を調べると

20180519-06

紀伊神社の南南西の方角に正蔵寺の文字。
しかしズームインしてみると

20180519-07

正蔵寺の文字が2つ、JRの線路を挟んで左右に。
つまりはこのお寺さんは紀伊神社と同じ参道から左に折れてお寺の参道があり、本堂に向かうのですが、それがJRによって分断され、本堂へは違うルートでしか入れなくなったと推測されます。
次回はぜひともそこら辺の所も聞きたいものです。

石造物調査会のイヴェントへのお誘い

20180310-01
小田原広報3月号7ページより

文面にも記されていますが、昨年より始まった石造物調査会。
街中には思った以上の石造物(信仰の対象の石仏や行事・防備のための歴史記録の板碑などなど)があることに驚いています。
一緒に見て歩きませんか? とお声をかけられたけれど…、てもすでに出来上がったグループには・・・、と入ってくることに弱腰になっている方いませんか?
みんなスキル高いんだろうな?と弱気になっている人いませんか?
中にはスキルの高い人もいますが、僕のような全くの知識なしに参加している人もいます(^-^; それにみんなフレンドリーです(^^♪

どんなことをしているの?少しでも興味を持たれたらぜひご参加してみてください。
立ち止まって調査する時間も長いので、歩いている時間はさほど長くありません、健脚でなくても大丈夫です(^^♪

道路際での調査もありますので、少人数での募集です。
詳しくは小田原市郷土文化館まで(上記画像の上部に電話番号が載っています)

石造物下調べ(2)

前回は12月30日
午前は別用で松田町寄に行ってきました。この集落も成り立ちが気になるところ。どういう経緯でここに集落が出来てきたのかはそのうち調べてみたいです。
みやま運動広場からろうばい園に行く途中、県道710号線沿い

20180203-11

20180203-12

男根形の道祖神でしょうか?
これを見て、そうだ!午後は近隣散策をしなければならない、と思いだし帰路に向かいます。
今日は天津神社と宗我神社の間を歩こうと思います。

下曽我交差点を超え、農道を登ります。
距離は大したことないですが、斜度はそれなりにあります。

場所はここ

20180203-13

入口の説明を見るとインド(バラモン?)十二神を祀っているそうです。

20180203-14

鳥居から本殿に向けて右に5,6基の石造物がありました。

神社前の変形四差路の対面、キウイ畑の隅に石造物が並んでいます。ちょうど農作業をしていたのでお声をかけさせて頂くと『我が家のお墓』と言います。でも一体は地蔵尊?『どこからか持ってきたものでは?』の問いに『むかっしっからあるねェ』とのこと。
写真撮影の許可を頂き撮らせて頂きます。(カメラの露出センサーが壊れたか露出が合わず白飛びしちゃいます。写真が見難く申し訳ないです)

20180203-16

何かご事情(お祓いや祈願等)があってお地蔵さんを一緒にお祀りしたのかも知れません。天津神社から北の伸びる農道を登ってみましたが、急坂かつ500mほど行っても何もなさそうでなかったのでUターン。(曽我山を抜けて東国に行く旧道もありますが、この道は最近になってから修復拡張した農道みたい)

宗我神社に向かいます。
入り口の石垣の中に道祖神。

20180203-17

神社内を9-12-3時と時計回りに見てまいります。
入口には石垣完成の記念塔

20180203-18

その奥に石があります。思案のしどころなのは、周囲を石で囲ってある中にあること。

20180203-19

20180203-20

本殿の裏には祠がありました。

20180203-21

その右横にも2基の祠

031S_20180203222544043.jpg

3時の位置にはお稲荷さん。左右に2基の狐(狛犬)

032S_2018020322254512d.jpg

4時の位置に折れた石碑。

036S_20180203222547377.jpg

本殿正面に戻りました。左右に狛犬(これは向かって左)

039S_2018020322254893e.jpg

本殿正面から向かって右をしたところに手水鉢。

040S_20180203222550322.jpg

尾崎君の碑をはさんで灯篭。

041S_20180203222552823.jpg

043S_20180203222553119.jpg

これで境内の石造物はすべて
境内を出て参道を下ると途中(境内を背にして左に)再度尾崎一雄氏の石碑

052S_2018020322255572d.jpg

参道の入り口、下曽我駐在所交差点に2つの大きな石造物
 
054S_201802032225562d5.jpg

20180203-22

と古刹の多いこの界隈は数多くありました。

石造物調査会定例フィールドワーク

石造物調査会の定例フィールドワーク。早川地区の第2回目。
まずは、小田原市早川445 前の変形4叉路にある道祖神。これは先週末久野の道祖神を見に行った際、保坂氏が教えてくれた稲荷型のもの。豊穣の神としての稲荷と道祖神が習合したものらしい。

20180120-01
専門家が同行してくれなければ稲荷神社として通り過ぎてしまう(笑)

すぐそば(早川450の新幹線ガード下)にあった馬頭観音

20180120-02

早川491の大きなお宅の横を入る人の出入りがあまりない細道を登ると天神社(?)がある。

20180120-04

その途中に庚申塚が5つ建っていた。

20180120-03

延宝の文字が見えるからそのころから何回かの庚申講を行ったことを記念して建てられたもののようだ。
青面金剛像が彫られるものも多いらしいが、この5基はすべて三猿(見ざる・言わざる・聞かざる)が彫られており、それは庚申の申がさるに通じることからとのこと。

続いて早川小学校内にある碑を見に行く。(事前に保坂氏より学校側の許可を頂いてある)

20180120-05

皇紀2600年を迎えとあるから1940年のことが記されている。日中戦争の最中、物資の逼迫を打破するために開拓をして食糧増産に励むことが銃後の責務であり、その志に従って早川右岸を開墾したことが書かれている。
今はそんな開拓した田畑は皆住宅となり、こうした碑が残っている事すら忘れられているが、そうした時代があったこと。間違った教育で純真な日本人が戦争加担をしてしまったことが分かる。
ちなみに同年12月に小田原町、足柄町、大窪村、早川村、酒匂村の一部が合併し 小田原市が誕生した。

午後からは漁港施設会議室を借用して今日のまとめをするので漁港に向かう。その途中の小田原市早川2丁目1の道祖神。

20180120-06

漁港は週末と会って混雑。小田原の新名所の一つになった感がある。僕らもその一軒で昼食。

20180120-08

20180120-07

漬け丼は魚を炊き込んだ物や海藻ご飯食べ放題。空の丼と漬けのお刺身、そしてあら汁とひじきの炊いた物。空腹で食べ放題のお店に入るといやしくも何杯もお代わりをしてしまい後悔をするが、その癖は今日も治っていなかった(爆)
2階なので空いていてここはお勧め。

今日行った箇所(特に庚申供養塔)の薄れた文字を解読するのがメインを2時間ほどして解散。

せっかくなので僕らは居神神社の『勝って甲の緒を締めよ』の碑を見に行く。

20180120-09

誰もが知っているこの格言が小田原発祥のものと言うのは誇らしい、小田原のうんちくがまた一つ増えました。
14000歩、今日もよく歩きました。

どんど焼きと道祖神

何事もそうですが1つのテーマを掘り下げれば掘り下げるほど面白いことがたくさん見つかります。
小田原市石造物調査会の特別フィールドワークで久野のどんど焼きを見に行くことになりました。
学芸員の保坂氏は、どんど焼きに際して山車を引きお囃子があるのは珍しい事、とあわせて、久野中宿には変わった道祖神があると話されました。
久野に住み約60年、中宿の道祖神が珍しい道祖神と言う話は初めて聞きました。

人型(ひとがた)とか形代(かたしろ)と呼ばれる道祖神。

20180104-02

向かって右の道祖神は、顔も着衣ものっぺりとしています。真ん中の道祖神の着衣とはあきらかに違います。

20180104-03

中宿バス停の前の道祖神。こちらは1985年ころのもの。時代を反映しているのか、表情が豊かです。たとえばひな人形なども時代とともに顔が洋風・童顔になっていっているのと同じではないでしょうか?

20180104-04


たとえば「千と千尋の神隠し」にも形代は出てきます
陰陽師だとかにも出てきますし、ひな人形もルーツは人形に自分の厄をつけて流すことで無病息災を願うところから始まったと言います。
道祖神の初期の時代、様々な疫病や難儀と言った厄を人型(形代)に転嫁することで自身を守る信仰があったのでしょう。

13日を楽しみにしています。ご興味のある方は郷土文化館まで

石造物下調べ(1)

小田原市の郷土資料館主催の市民グループ、石造物調査会に入れてもらっています。
細かい調査まですると、何十年もかかるけれど、細かいところは学芸員の方ではないと何とも言えないところもあります。
という事で、手が空いている時に、どこにどういう石造物があるかだけでも事前にチェックして、いざ学芸員の方と一緒に歩く時のガイドとなればと思い、さっそく今日から開始しました。

旧地元の久野と新地元の曽我のチェックをしたいところですが、今日は車がないので歩いて行ける下曽我から!

下曽我駅前のロータリーをスタート。
長谷川豊吉氏の胸像。

20171230-01

20171230-02


20171230-03

裏面には人となりとこの碑を作った関係者の名前が刻まれていました。

横浜銀行先の木村肉店さん前の路地を入ったところに道祖神。

20171230-06

裏面は無彫刻。

20171230-07

こちらは殿沢踏切の所の石仏

20171230-04

20171230-05

森戸川にかかる光明橋右岸にある水神。

20171230-11

住宅地の真ん中にポツリとある塚。個人のお墓ではないようですので囲いの中に入らせてもらいます。
山武士塚と書いてあるのだろうか? どういう塚なのかはわかりません。

20171230-12

20171230-13

第2回まとめの会

石造物調査会の第2回のまとめの会が行われました。10月11月に調査した石造物の記録清書をいたしました。
4回の計画のうち1回が雨で中止、3回×2寺院を廻りましたが、やはり2か月前だと記憶も薄れ(笑)
まとめも時間を空けずにした方がいいのかもしれません^_^;

それでも永久寺では、三十三観音、三界萬霊塔、日蓮名号等
養林寺では、江戸期三界萬霊塔、六地蔵の真ん中に子育て地蔵のある七地蔵
養託寺ではペット供養の墓石
法授寺には如意輪観音のほかにも詳細の不明の石仏(下写真)があったと、保坂氏より報告が出され少し思い出された次第です。
20171216-03

20171216-01

次回からは早川地区に場所を移動し、寺中心から路傍の石造物がメインになっての調査が始まりますが、その前に臨時の調査会が開催されます。

20171216-02

わが故郷久野のどんど焼きを見ようというご提案。
生まれ育った物には何も疑問が無かったどんど焼き。山車が繰り出され、お囃子が流れるのは珍しく、神奈川西部から静岡のみだとか…。
そして中宿の人型道祖神も珍しいとのことで、楽しみにしたいと思います。

なお、3月24日に僕らがどんな活動をしているのか? 部員とともに10,11月に歩いた城山(?)を一緒に歩こうという企画も検討開始。ご興味持たれた方は、キャンパス並びに市広報誌で募集をいたしますので、チェックしてください。
プロフィール

take1960

Author:take1960
FC2ブログへようこそ!

カテゴリ
リンク
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

カレンダー
06 | 2018/07 | 08
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 - - - -
最新記事
検索フォーム
最新コメント
最新トラックバック
FC2カウンター