7月30日(チケットはおかげさまでソウルアウト)

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子どもの頃近所づきあいは当たり前だった。
雨が降ると隣との垣根の隙間を通って洗濯物を軒下に入れに行くのは大人も納得した子ども通しの暗黙の仕事の約束。
両親が共働きの同級生は良く我が家で帰りを待っていた。
子ども同士遊びに行くというこみにけーション以外にも、多くの周辺の親の目の下で子どもたちは育って行く・・・そんな姿が当たり前だった。何の違和感もなかった。

いつからだろう?隣人がどんな人かもわからないという風土が日本を蔓延させたのは?
いつからだろう?朝すれ違う人が挨拶をしないで行くのが当たり前になっちゃったのは?
いつからだろう?自分より一世代前の大人にしたの名前で呼ばれなくなってきちゃったのは?

そんなのはなんか嫌なんだよね。お節介なばあさんに余計な事を言われた方がうざくても無視されるよりよっぽど楽しいし、朝はおはようで始まりたい。「Takeちゃん」と子どもの頃かわいがってもらった名前でいくつになっても呼ばれたい。

コミニティってそんなもんじゃないかな?

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(ポスターは画面上でクリックすると大きくなります)

我が街小田原はかろうじてそんないい風土は残っています。組内(自治会)のおばちゃんたちは相変わらずTakeちゃんと呼んでくれるし、引っ越してきた若夫婦などもどんな方かも知っているし挨拶をかわせる。
でも、おすそ分けの週間なんかは薄れて来たね。車があるし、深夜までやっているスーパーやCVSがあるから、サザエさんに載っているような食材の貸し借りはなくなっちゃった。

さとにきたらええやん 大阪の釜ヶ崎と言う寄せ場(ドヤ街)のど真ん中にある子ども支援施設を取り巻く大人と子どものドキュメント。いろんな大人いろんな子ども、そしていろんな半生。でも底辺にある「ええがな、ええがな。なんくるないさー」というどっしりした理念がホッとさせる。
そんな映画の上映会です。
お時間ありましたらぜひぜひです。

釜訪問あらため大阪訪問記(Ω)

タイトルに「改め」を入れた理由は、釜のみの訪問予定だったにもかかわらず優しいみんながあちこち連れて行ってくれたから。
まずはMさんと行った生野鶴橋。桃谷4丁目のコリアタウンまで連れて行って頂き、そうしたらたまたま彌栄神社のお祭りで初めてだんじり(でも走らずにゆっくり通過だったけれど(笑))を見たりしたけれど、なんて言っても駅前(駅中?)の商店街。迷路のように入り組んで絶対迷子になることは請け負い。でもいろいろな魅惑のお店がたくさんで迷子を楽しめる場所でした。

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食べたことのないトマトのキムチとMさんおすすめのヤマイモのキムチ。そして焼肉とビール。今度は生野コリアンタウンめぐりの旅行きます。またぜひ案内お願いします。

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そして16日。M蓮さんとN口さんにも半日以上つきあわせてしまいました。
くどいほど釜ヶ崎は危険な町じゃないよ、穏やかでいい町ですよ、と言っていますが、じゃあまったく犯罪がないかと言えばうそです。それは東京でも小田原でも交通事故や万引きから始まって殺人事件が起こることだってあります。その危険性があることはどこを旅する時も持っていなければいけない防犯意識です。
この釜ヶ崎でも矢島祥子先生と言う女医さんが殺害されて変死体で木津川で発見された事件がありました。しかし警察は自殺として処理をしようとします。「西成のマザーテレサ」とも呼ばれていた彼女のご家族やシンパは捜査のやり直しを求めますが警察の動きは鈍かったと聞きます。

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彼女の奉仕の精神に基づいた行動はある意味貧困ビジネスにしてみれば目の上のたんこぶ。そして第22次釜ヶ崎暴動は警察と暴力団の癒着であることから、そしてその後も公言した方の不審死や行方不明からも闇の部分の存在を感じます。
御遺体が発見されたのが落合上渡船場(津守側)と思って黙とうし、ここから無料の渡し船に乗りリトルオキナワにと出かけましたが、帰路確認したところご遺体が見つかったのはこの渡しではなく千本松渡船場(南津守側)だったそうです。でも事件を思い出せただけでもいいとしましょう。

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渡しは乗船時間1分程度。泳ぎが得意な人なら十分泳げる川幅を釣り船程度の船が15-20分に一往復。ですが結構楽しい。自転車までOKなので僕らとご一緒した方の約半数は自転車組。だから舟に椅子がない。でも揺れるからとバスや電車と同じ感じで鉄のパイプが天井にありそれにつかまります。
リトルオキナワと呼ばれた平尾商店街。大正期から沖縄の人が移住して出来たエリアだそうです。ふるさとの味、故郷の物品を懐かしんでもだんだん大阪の味や物品が自分のそれになって行っていったのかもしれません。ふるさとを忘れなじ、とは言っても、輸送費がかかる価格の高い沖縄のものばかり日々の生活で使うわけにはいかないのでしょう。日曜でシャッターが閉まった店舗ばかりでしたが、その販売品に沖縄の2文字がわかるものはほとんどありませんでした。2世3世という言い方はふさわしくないのかもしれませんが、大阪の生活が長くなれば大阪が故郷になるのでしょう。

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平尾の探索を楽しんだ僕らは、西成に戻りジャンジャン横丁を通り恵美須神社を目指します。が、大祭以外は門を閉めているようで中は見れませんでした。
そして「なんばのお土産なら絶対釣鐘饅頭」というN口さんの強いお勧めでお土産を買い、通天閣本通の中ほどにある昨日N口さんと一緒に梅もぎボラした方のお店でフレッシュジュースでブレイク。
N口さんは夕食の準備をしてきたとご辞退をされたのでM蓮さんと串焼きで約2万歩の労を互いに讃えました。

何度も言っている旅は3つの『しい』の評価。おいしい、楽しい、そして(町の人が)優しい。釜にはその3つが十分にありました。
さとにきたらええやん、今月末に上映します。そこからは残念なことに「おいしい」は感じ取れないでしょう。でも楽しいとか優しいとか感じられたら、ぜひ大阪に遊びに行くことをお勧めします。
交通費:7040円×2   =14080円
宿泊費:ちょっとリッチなドヤ泊1800円
食事6食:3000円円
一泊三日で2万円で十分楽しめます。

最後にこの旅(フィールドワーク)に関して多くの方のご協力を頂きました。すべての方に感謝。

釜訪問あらため大阪訪問記(3)

一番の不幸は謂れもない偏見蔑視を受けること。たぶん釜の子どもはそうしたことは何度か経験しているかもしれない。
行く前に読んだBlog手記の一つ、オコジョさんの「大阪府西成区で過ごした28年」は何度かご紹介した。
子どものときはわからない偏見蔑視を思春期や大人になって感じてしまう。それはコリアンタウンでも聞いたことのある話だし、釜や寿だけの話じゃない。
でも自分の故郷のことをせせら笑うかのように『ああ、あそこね』と言われた悲しみは言い難いものがあるだろう。
それを払しょくさせるものは何か?それは周囲の大人たちの愛情でしょう。

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今回の目的は何度も書いています通り、『さとにきたらええやん』の自主上映会がきっかけでした。釜ヶ崎と言う特定のエリアで、なぜに子どもたちなのか? 他エリアではなくなぜに釜なのか? という疑問は正直払拭はし切れずに実行委員になりました。Bestな選択ではない、でもBestな選択のみがスポットの当たる必然性もなく、Bestじゃないことにスポットが当たることでまた違う視線での考えが生じることもあります。
そして齢60近くの僕らにとって「こどものさと」の風景は実は何も珍しくない風景なのです。兄弟の上は下の子の面倒を見なければ親に叱られるのは当然でしたし、下の子はおにーちゃんおねーちゃんの理不尽な事にも我慢しなければならなかったものです。
いいものはいつもおにーちゃんおねーちゃんのもので自分はお下がり。遊びに行く時は体力のあるおにーちゃんおねーちゃんが仲間と走っていくのを泣きながら追いかけていくのに自分の遊びに夢中でかまってくれなかった。
そんな子どもながらの熱い戦いに似た一生懸命のコミニュケーションがこの狭い空間にびっしり詰まっていました。この日僕のほかに神戸親和女子大の方がフィールドワークで訪れていて一緒に施設を案内してくれるというので、子どもたちは公園に遊びに行くことになりました。
『(今まで)自分が遊んだもの片づけて』『片づけられない子は連れて行かないよ』中高の子がリーダーシップを発揮します。
「こら、○○、片づけてへんやろ』「エー自分が遊んだものは片づけたもん」『嘘や、**がまだ出しぱなしやん』「あれはおれのあと誰かが遊んだ」
いわゆる「いいこ」じゃない、なんとかずるしようとする戦い。昔思い出すなぁ~。生き馬の目を抜くことこそ生き延びるコツだというのは、児童数の多かった僕らの時代では何の不思議もない子どもならではの戦い。
児童少子化やモンスターペアレント、ゆとり教育…さまざまな世の中の変動と教育論で子どもを取り囲む環境も変わり、内申書を気にして『いい子』にならなければいけなくされた今。
さとの施設中の熱気はそうした昔を髣髴させる熱き楽しき戦いの場でもあったように思いました。

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さとの運営組織は
大阪市留守家庭対策事業(学童保育)
大阪市地域子育て支援拠点事業(つどいのひろば)
小規模住宅型児童養育事業)(ファミリーホーム)
児童自立生活援助事業(自立援助ホーム)
そして緊急一時保護・宿泊所やエンパワメント事業など自主事業 です。

そして、川崎の自主上映会の時にも、最初に質問が出されたのはその運営費。
それでも行政から約6割がねん出されているそうですが、軍事費はふやせども福祉に関する費用は減らせという多くの国会議員・地方議員の大合唱の元、今後はますます減額の可能性もあります。
そんな中で、この里の子どもたちは自分たちで1年間(もしかしたら数年間?)様々な学びをして、遠くはアウシュビッツや沖縄と言ったところにフィールドワークに行っています。意外でした、もっと汲々としているとおもったのに海外までのフィールドワークしているなんて・・・驚きでした。
こうしたお金は海外の企業や宗教団体から送られてくるもので、海外のお金の使い方が実際形として目に見えない『教育』につぎ込まれているという姿勢に感銘を受けました。そしてそうした資金を取り付ける弛まぬ努力をしている職員の皆さんにも頭が上がりません。
同時にそうした勉強をしてきていざ行こうとした時に無国籍の子どもがパスポートを取得できないと言った残念な事例もあるのだという話も聞きました。
この話は昨日中田牧師よりお借りした小柳牧師の「教育以前」につうじる話でした。
お役所の管理のために個が無視される。何か大切なものが認められずに残念な思いがしてなりません。

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『自分は自分じゃないか』『ここにいる自分を証明して見せているのだから納得しろ』と自分が言っていても戸籍がある以上融通が利かない。誰のための戸籍なのか?何のための戸籍なのか?なんで戸籍で証明されなければならないのか?
星新一氏のショートショート『番号をどうぞ』
湖のボート遊びで湖に落ちてIDをなくした青年。何をするにも「ではIDの番号をどうぞ」と言われ、駅でも警察でもキャッシングディスペンサーでも何もしてもらえない。自分の友人に会ったものの、「いや確かに似ているが他人の空似かもしれないし、君に化けたスパイが俺に近づいて情報を盗もうとしているかもしれないので信用はできない。君だと信用できるのは君のIDだけだ」と証明してもらえなかった、と言う寓話。
まさに本人よりも戸籍が優先される社会、そして今後は戸籍だけではなくマイナンバーとして、自分以上に尊重されちゃうようになるのでしょう。
何かの都合でマイナンバーが取得できない子は生涯日本国内の様々な権利の恩恵が受けられなくなるかもしれません。

話は変わりますが、同じ戸籍の問題で蓮舫氏の行動が注視されています。彼女が公表すると当然悪しき前例となり、同じような無戸籍や他国籍の方も立証しなければいけないという羽目になる可能性もあります。責任ある党首と言う立場はそうしたことも熟考してほしいところです。
さてそんな話から友人が新美南吉氏の「手袋を買いに」を思い出した、と言うトピックスを書かれました。
素敵な話を思い出され、僕自身はほのぼのとしたのですが、あの話は単にほのぼのではなく、例えば洋品店店の店主はお金が本物かどうか確認するのです。その姿に憐れみではなく人の平等の大切さや不正を許さない新美南吉氏の決意も感じるのです。
冬の寒空だから憐れんでやるとか子ぎつねだから可哀想、ではなく、正規のお金を持ってきたからキツネにも手袋を売るという平等の正義。
もし日本人でなければ国会議員はおかしい、党首という責任ある地位につくのはどうか?と言う議論の前に、日本を愛することとは何か?大切な故郷であり続けるにはどうしたらいいか?が大事な話ではないかと思うのです。
そこに戸籍は存在しない論議する真摯な姿勢の有無の平等性、そして国を憂う体を装った自分の利益の追求者への鉄槌、そうしたものの大切さを感じてしまうのです。大切なのは無国籍になった子供への憐れみではなく、戸籍ではなく大切なものの有無を大事にする社会でしょう。
マイナンバーで管理する社会が素敵な日本の創造なのでしょうか?

釜訪問あらため大阪訪問記(2)

ここから先はノンフィクションですが、100人の人生を語れば100個の物語を書かなければいけません。
多数派の話と言う前提で、この話以外で野宿生活をしている人、困窮の人生にいる人もたくさんいることを前提にしていると言う事をまずお知らせします。

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横浜寿町も寄場です。海外からのまた国内でも遠距離からの物流が船を使った時代からの港にはそこからトラック輸送する日通をはじめとする大手の配送業者の倉庫が立ち並んでおり、その風景はみなとの景色と相まってノスタルジックな気持ちとさせる観光地にもなっています。そこで船から荷物を運ぶ湾岸労働は、仕事がきついけれど給料もいいという情報が流れ、体力に自慢があり故郷を出ざるを得なかった人たちがこうした港町に集まります。しかし船は定期的に来るものではなく、特に時化(しけ)等で舟が来なければ日雇いの彼らは仕事にあぶれてしまいます。
そうすると、港湾労働以外の仕事の手がほしい人、例えば建設現場から人夫出しと呼ばれる手配師が仕事につけなかった人を探しに来ます。港湾仕事でもないけれど日雇い卯の仕事につける訳です。それでも仕事につけなかった人には「あぶれ手当」と呼ばれる一時金が職業安定所から出ます。
手配師は、元からの労働賃金を私的に一部ピンハネをするので違法行為で警察の取り締まりの対象となり、また建設現場も法規上さまざまな災害対策をしなければならないのでだいぶ減りました。今はどちらかと言えば、市町村が対策事業として清掃などの仕事を作り日雇いの方がそれに携わっています。
僕らが釜についた7時にはすでにその日の募集が終わっていたことは、前述のとおりです。
そうした人が多く寝る場所もなく路上で生活しているのが寿ですが、釜ヶ崎や山谷も港湾労働の一言を他の職種にするだけで、町の成り立ちはさほど違いはありません。
不安定な日雇いの仕事よりも、ダンボールを集めたり空き缶をリサイクルしたりすることに生業を求める人がいます。25gアルミ缶のリサイクル業者の引き取り価格は80円/㎏。40個集めて潰して80円、自転車の後ろに山になったアルミ缶を入れて運んでいる人がいますが、朝早いうちから一日集めて10kg程度でしょうか。800円とか1千円の世界です。

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仕事につけた人でも1日1万数千円、あぶれれば手当がもらえても5千円程度。アルミ回収なら1千円。これで1日の生活をするわけですが、人間一番の苦痛は何もやることがなくボケッと時間をつぶすことです。
そうなると宿に泊まることよりも、時間をつぶすことに関心が行きます。
一日TVを見ず本も読まず、家の中にいることを考えればわかると思いますが、それが永遠に続く恐怖。それから逃れるためにはパチンコへの誘いがあるのかもしれません。
僕個人は大音量とたばこの煙、そして勝てなかった時の後悔を考えると、たまに儲かる喜びよりも大きく、パチンコ屋に足を運ぶことはありませんが、野宿生活を余儀なくしてやることがなく、時間がつぶせなくなったらどうなるかはわかりません。
そしてわずかのお金をすってしまった人は、酒の力を借りて路上で寝たりしています。

1994年12月寿に初めて行った時はヤンカラが炊かれその周りで多くの野宿者が暖を取っていました。
どのシーズンを問わず道路には寝ている人が居ました。
しばらく小田原交流パトの方が忙しく2014年久々に行った時には愕然としたのは路上で寝ている人が皆無だったこと。ダンボールハウスやブルーシートハウスがなかったこと。
野宿生活を余儀なくされた方も、良くも悪くも保護政策の元、ドヤや無低に住むようになり、TVとエアコンのある時間をつぶせる生活ができるようになり、わずかにでも余ったお金は余暇に使えるようになりました。
静かな町になりました。関わったものとしてはなんだか寂しい思いがあることも確かなことです。

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釜にはそんな光景がまだありました。言い方があっているかどうかわかりませんが、活気がありました。
酔っぱらっている人、大声で言い争っている声、それと寿に比べても何倍もの自転車。カオスの感じがする東南アジアのそれに近い町。
あわせて(きちんと仕事もしているのでしょうけれど)目障りなほど多い警官。一転何だか監視社会のど真ん中に入れられた窮屈感。警察署はまるで要塞。人の力ではどうにもできない頑丈な高い門でぐるりと一周囲まれ、建物の4,5階?あたりから監視カメラで外部を監視しています。何も悪いことしていないのに、と言う悲しい気持ちは蔑視偏見への視線への抵抗。でも相手がその正当なレジスタンスに対して真摯に感じてくれなければ蔑視偏見はなくなりません。

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人は山谷を 悪く言う
だけどおれ達 いなくなりゃ
ビルも ビルも 道路も出来ゃしねえ
誰も解っちゃ くれねえか
だけどおれ達ゃ 泣かないぜ
はたらくおれ達の 世の中が
きっと きっと 来るさそのうちに
その日にゃ泣こうぜ うれし泣き
(岡林信康氏 山谷ブルースより)

ここに住む人たちは一生懸命ビルを建て橋をかけ道路を整備した人です。ちょっと要領がよくないから、お金の使い方もうまくなかったり、難しい法律を僕よりも少し学ぶことが嫌いなだけです。
口がうまくないからすぐに怒鳴っちゃうし、人一倍のプライドや漢気が邪魔をするときもあるけれど、根はいい人ばかりです。
それを「あいつらは家がないから悪さをするんじゃないか」とパトをして回る。このエリアは危ない人たちの巣窟のように言われる…。
口八丁笑顔で国民をだますやつにはいろんな人がぺこぺこして俺たちは人じゃないように扱う。
そんなに自分が偉いのかねェ、そうだとしたら俺ゃあえらくなりたくはねぇや!!

夜は特にあぶないなんて言われてはいますが、15日の夜回りの終了時間は22時過ぎ。最終地点はオタロード(日本橋)、そこから同行の仲間と一緒に釜まで戻りましたが、当然ながら何の心配をするような出来事もありませんでし、周囲を気にするような感じでもありませんでした。穏やかな夜でした。

釜訪問あらため大阪訪問記(1)

4月に「さとにきたらええやん」自主上映会の実行委員にならないか?とのお誘いを受け、ならば一度は釜ヶ崎に足を運ばなくてはと思い、寿地区センターや教会や昔あった@あしがらと言う市民グループを駆使して、案内人を引き受けてくださる方を見つけ万全の態勢を整え、7月14日23時過ぎ京都・大阪・堺行きの高速バスに乗車。
最近の長距離移動の交通機関は両側カーテンで光が洩れず、なおかつ各シートに電源と車内にはフリーWifiの設備がめぐらされているので何かと便利。行きは携帯をいじりながら夜が更けていきます。
7時9分に南海なんば高速バスターミナルに到着予定が大阪以降の一般道の道路事情なのか6時43分着。これは小田原以西では乗降者のいない高速バスならではの出来事なのでしょう。南海なんば駅5Fの冷房の効いたインフォメーションセンターで本日の午前中案内をしていただくNさんと待ち合わせ。お越しになるのを待ちます。彼女が小田原にお住いのころ@あしがらで一緒に活動をしたことがあり、その後関西に移られてからは釜の夏祭りや越冬に参加されている話を聞いたのでお声をかけさせてもらって、引っ越しの中お忙しいのに来て頂けることになりました。お会いするのは2012年11月久野の峯自然園さんでの@あしがら主催のBBQ会以来。
約5年ぶりですがお変わりなく笑顔で登場(^_^)/

2Fの南海なんば駅。東京の駅との違いは改札を抜けても通路が延びそこから上り(下り)って自分の指定の電車のプラットホームに行くことが多いですが、ここはどーんと一面に広がるプラットホーム。なんだかヨーロッパの駅みたい。
日々会社と自宅、もしくは教会と自宅と言う人混みの中に入ることがないとこうした多くの人間を見るとただただ緊張(笑)

2駅目が新今成。この駅の南が釜ヶ崎と呼ばれる場所。大阪市ディープと呼ばれるエリアだが、同時に大阪の南エリアの中心地でもあり、多くの路線がこの駅を中心に南へ北へ、そして西へ東へ。また地下へと延びています。これが地元っこと話していると訳が分からなくなる、今回一番苦労した部分です。

降りたところがあいりん労働福祉センター。ちなみにこだわる人はいなくなったのかもしれませんが、あいりんと言う名は行政が釜ヶ崎と言う旧地名を抹殺するためにつけたエリアの名前。ですから釜ヶ崎と言う地名を捜しても地図にはないし、あいりんもそうした行政の作為ある名前なのです。そんな安易なあいりん地区と言う名前を僕は好むことが出来ず相も変わらず釜ヶ崎と呼び続けています。
時刻は午前7時。すでに今日の仕事につけた人、あぶれた人、そして労働福祉センターに来る多くの人たちを相手にした露天商。今日も1日が始まります。

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周辺は、リノベーション、いやリフォームの方が近いか、と言ったホテルが立ち並びます。多くのホテルの入り口には、生活保護の相談受けます、と言った言葉、1カ月での利用なら割引しますと言った旨の掲示がなされています。
いわゆるドヤと呼ばれた施設です。

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ちなみに今回僕が泊まったのもそうした施設の一つ。ホテル和香さん。1800円。
2畳ほどにベッドと棚。棚には小型冷蔵庫とTV、洋服掛けと靴箱。あっ、スリッパに履き替えて靴は部屋まで持っていきます。エアコンは完備。天井が壊れた跡があり色違いのパネルで補修した形跡があったり、以前に泊まった客がエアコンを無理やりいじったのか羽が移動するため機械にぶつかりきしみ音がしたり、トイレが部屋にないので貴重品が気になればトイレに行くのにも部屋に鍵をかけなければならなかったり、そもそも部屋に鍵はついておらずフロントで1000円のデポジットで借りなければならなかったり、シーツはシミがあったりと気が付くことはいくらもありましたが、1800円ですよ、それにリネンだって洗って糊掛けまでしてありますし部屋の中は埃ひとつないのですから何の問題もなく次回行く機会があればドヤ改装ホテルを選びます。高級ホテルの18000円がばかばかしくなる気すらしちゃいます(笑)

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各階に簡単な炊事場と電子レンジが備え付けてあります。周囲にもたくさんの飲食店がありますが、徒歩350mの所に24時間スーパーの玉出もあります。白米は65円でした。

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ちなみに自販機の缶コーヒーも50円です。

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さとにきたらええやん

釜のルポ映画の自主上映会の実行委員へのお誘いを受けました。
基本的にはOKだけれど、僕の気性から言って釜を知らずして実行委員にはなれないと思っているのです。(野宿者支援は、横浜寿と地元小田原で25年以上していますが、外部には行ったことが無い)
何事もフィールドワーク、自分の五感を駆使して知ったことを伝えたいという願望がパワーの源になると思っています。

3・11の際に、2名の牧師と一緒に福島・宮城を訪れました。TVでは何度も見ていたあの光景でしたが、行ったら全然違ったのです。そこには音が無かった。そこには臭いがあった。TVというディジタルな信号を通してでは図り知り得なかった「生」を感じました。
人間は全情報のうち視覚から約7割取得していると言われています。体に入る栄養素で言えば、糖質や脂質、たんぱく質にあたるものかもしれません。
でも、最近のサプリメントのCMを見ればわかるようにそれだけでは生きていけないのですよね。微量栄養素と言われるビタミンやミネラルが無いとだめなのです。
視覚以外の聴覚や嗅覚、触覚と日頃余り気にしていない感覚を駆使しなければ、物事は見極められないと僕は思うのです。だからフィールドワークしなければいけないと思っています。ビタミン、ミネラルがあってこそ健康に生きられるように、空気に触れて五感をフルに駆使して感じることで、そしてそこでの人とのふれあいのぬくもりでステップアップすると思うのです。

そんなこんなで下調べしたら興味深いBlogに出くわしました。
釜ヶ崎に初めて足を踏み入れた女子大生のBlogですが、恐る恐る踏み入れてからどっぷりとはまっていく様子が手に取るように描かれています。

僕も何度も書いていますが、元来は排他的立場の人間でした。人生の計画性のなさが招いた結論。ホームレス全否定の考え方でしたが、当時の小田原教会の藤田牧師が寿地区センターの委員長をしており、その牧師が病気で倒れられ、教会の雑務を若者でしている際にWさんという仲間がポツリと「牧師がやっていたことを牧師が倒れたから誰も引き継がないことはダメだよね」という旨の事を語られたのです。何かその言葉に非常に説得力を感じ、そしてなぜか数ある牧師が奉仕している中から寿の文字が頭に浮かんだのです。
信仰をもつ者の勝手な言い分ですが、このひらめきを僕は「神の導き」だと思っています。食わず嫌いで否定をしていたホームレス問題、それ以外にも多数奉仕をしていた牧師の行動の中から僕がなぜこれを選んだのか?と言えば、全く分からないのです。本当に神によって与えられた使命だったのだろうな、と思っています。
それでも地区センターの三森主事にTelをして、車を寿に走らせている時、僕の頭の中はニューヨークのスラムの写真のように、車の4本のタイヤがかっぱわられ、フロントガラスに大きなひびが入りペンキでいらずら書きされている哀れな僕の愛車の姿でした。
やっぱり行くのはよそうかな?という不安感を押さえて行ったのは、電話をしたので藤田委員長の代理で行く僕を主事が待ってくれているからという意味のない義務感でした。
街に近づけば、うわさ通り道路でヤンカラが焚かれ、中には凍てついた道路で寝ている人もいる僕の思った通りの姿でした。
でもこの先の行き方が分かりません。
「コノヤロー車なんかで乗り込んできやがって」などと敵意むき出しで思われないように低姿勢で、「すいません、越冬本部はどこでしょう?」と問えば、オッチャン氏は丁寧に道を教えてくれて気を付けるように言ってくれました。
『あれ?僕はいったい何に怯えてたのだろう?』
・・・そして東南アジアのようなゆるい時間の流れのこの街にいつぞやハマって行きました。
TVのドキュメントでいくら寿のことをよく言う番組が放映されたところでこの感覚にはならなかったでしょう。

そして今でも恥ずかしい思い出があります。
毎年の越冬の際は当然ながら自分の食べ物は自分で調達するのですが、ドヤ街ですから安価な店が多いのです。
たとえばりんご1/4個で10円のように、わずかなお金しか持ち合わせていない人でも買えるように工夫がしてあります。
そうしたお店の売り方が新鮮で興奮し後先を考えることなく野宿の方がたくさんいる中をお腹いっぱいになるほどの食べ物を購入して本部へ意気揚々と帰って来たことがあります。
あの時お店にいた野宿の仲間はどう思ったのだろう?俺も腹減っているのに、という羨望のまなざしで僕を見ていたのだとしたら本当に申し訳ない気持ちでいっぱいです。冷静さを欠いた行動に今も心が痛みます。

釜ヶ崎と女子大生。と題したBlogを読みながらそんな20余年前を思い出しました。
16日は初打ち合わせがあるそうです。顔を出してもしお受けするのなら一度釜の町を見に行きたいと思います。
それが僕が実行委員になれるかどうかのような気がします。現地で嬉しいこと恥ずかしいことがあればこそ、本気で釜を伝えられそうな気がするのです。

そういえば2011年に小田原からお仲間が奈良に引っ越して釜に関わっていると言われました。釜でお会いできたらそれも嬉しいな・・・。

小田原市斎場問題(2)

5月14日に小田原市斎場の改修工事を「PFI(Private Finance Initiative:プライベート・ファイナンス・イニシアティブ)」で行う事は、税金の無駄遣いになることはあっても市民のためにならないことを「連続もの」で書き始めたものの多忙に追われ続きが書けていませんが、久野の住民の中にもこの問題点を知る人が多くなり、また議員の中にもゆっくり考えるべきだという考えが浸透し、下記のような発表が小田原市からなされました。

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6月議会には上程されないようですので、この夏の間をかけてゆっくりと問題点を洗っていきたいものです。

市議会議員選も中盤です

 統一地方選は後半戦に入った。19日告示の市区長選などに続き、21日には町村長選や町村議選もスタート。選挙カーが駆け抜け、街中にポスターが登場する。大正時代に選挙運動の決まりができてから90年。昔ながらのルールのもとで、今も選挙戦が繰り広げられている。

 「サトウ、サトウ、サ・ト・ウをお願いします」
 選挙期間に突入すると、どこからともなく聞こえてくる候補者名の連呼。選挙カー乗車歴24年の安東美智子さん(46)は、約250の選挙でマイクを握った。「指の間から票が逃げないように」と、手を振る時は必ず指を閉じて。いつもの験担ぎだ。

 でも、そんなに名前ばかり繰り返さなくてもいいのに――。いや、繰り返すしかないのだ。

 理由は公職選挙法にある。走行中の選挙カーで演説などの選挙運動をすることは原則禁止されているが、例外として連呼は認められている。1964年、ポスター掲示などをめぐる規制が強化されたのと同時に決まった。「規制と緩和。バランスをとろうとしたのでは」と総務省。
 1軒ごとに票をお願いする戸別訪問が禁止されている日本では「連呼は貴重な選挙運動の一つ」と当選2回の神奈川県議は言う。
 選挙カーの声が届かないと「うちらを忘れたのか」と怒る支持者もいるとか。「ちゃんと見てますというPRなんだ」。相模原市議選の現職陣営がそう話していた。ただ、山形県選管が2013年に公表した調査では、連呼を参考に投票先を決めた人は0・4%。選挙運動に「正解」はない。
(朝日新聞デジタル - 04月21日 09:39)

博識の友人にお聞きすると、「選挙で連呼」という手法はナチスから始まったのだとか…。

三宅洋平氏が国政選挙に際してチャランケという言葉を愛用していました。
今回の小田原市議会議員選挙において僕もピンクドットをイメージカラーとしている候補者を支援していますが、実は「その一人」だけが当選すればいいと思っているわけではありません。
残念ながら1票しかないので、いちばん古くからの付き合いで、政策に一番共鳴できるから、その1票を投じるだけで、1人だけ当選しても小田原市は変化していかないことは分かっています。
過半数以上の「仲間」を作れることが大事なんです。

20150422-01

それ故に、あしがらには大きな期待をしています。
選挙の時はそれぞれ自分を当選させなければならない議員さんたちも、その人たちを応援している人たちも、当選した暁には、ともに当選を祝いあい、そして山積している問題点を一緒に整理し、一人ではやりきれないことは分担していく、そんな組織になってくれたらいいな、と思うのです。

議員の仕事は政策です。選択するのも政策です。
「明るい小田原を目指します!」 いやいや、小田原市議会議員になろうと志す方は、「暗い小田原」なんて目指さないでしょ?
もっと具体的に、小田原城ホールの話、斎場の話、しましょうよ。
何が問題なのか、どうしたいのか、一緒に語りましょう。
そういう議員を選ぶのに、選挙カーの上から政策を発言できないのなら、選挙カーなんて全面禁止すればいい。うるさいだけの邪魔な存在です。

そうじゃない、具体的にどのようなヴィジョンを持っているか語り合えるそんな選挙戦になれば、政策に書かなくても「明るい小田原」になります。
きちんと政策を学び、そして語り合えるすべての方の当選を祈っています。
選挙が終わったら あしがらでみなで色々な「政治」を語り合いましょう。
選挙は政策なんて関係なく名前の連呼だけとシラケテしまわないように…。

期日前投票

次日曜は小田原に居ないので、期日前投票に行ってきました。
まだ投票用紙も来ていないので、はんこを持って来いだとか、身分証明書が必要だとか、いろいろとめんどくさいことを言われると思いましたが、結果から言えば何も持っていかなくても構いませんでした。

20150420-01

市役所2階に行けば、仮設の投票所が出来ていて、入り口で受付票を受け取ります。
記載する内容は、住所、名前、理由(チェック式)、と今日の日付だけ。
それを渡すと市民名簿と照合し、投票権をもらえます。

普段の投票とさほど変わらない時間で投票できました。

201504020-02

さて、今日もわが地域に数台の街宣車が来ました。お名前を連呼する車。
そして1人だけ辻立ちをされて政策を語っていたのが聞こえました。
現市長は市長になる前から知っているお仲間でしたが、失礼な言い方をさせてもらえば昔の青島都知事と同じく最近はご本人の政策が全く出てこないで市役所職員の傀儡市長の体をなしているような感じです。

ヒルトンホテルは、前年度の家賃収入をチャラにして9億円という破格値で販売し、小澤前市長が50余億で作るという事にもっと安価な「身にあった」城下町ホールをと言っていたはずなのに約100億と予算計上。
斎場問題は今後も少しずつ書いていきたいと思いますが、40余億の予算をたててPFI事業という形で民間の懐を肥やす算段です。
小澤氏の予算計上にNG、として加藤氏を応援したものの、具体的なこの計画への必然性の回答がない今、議会できちんと問うてくれる議員はなんとしても当選してもらわなければならないと思っております。

100億とか40億とか矢継ぎ早に巨額な箱モノを提案するのなら、議会できちんと議員と議論してほしいものです。
そしてそうした議論ができる議員こそ、小田原市には重要な存在なのです。

いよいよ公示

天候不順(つまりは現場も予定通り作業が進まない)のと、僕個人もこのあと数日お休みを頂くことで、少し忙しい毎日を過ごしています。
そんな今週の最後の仕事は、明日の公示掲示板に張るポスターを選挙事務所に取りにいくこと。

誰の? と興味津々の方もいるでしょう。
なのでヒント・・・

20150418-01

こんなピンクドットのポスターの方。
議員は法律を作り、行政がその法律を守っているかチェックするのが仕事。
でも、多くの議員は、市の職員が提案した法律だからと賛成をする・・・。会計監査が会計が確かだからというのと同じでそれならば不要なんです。
議員が議員として必要とされるのは、行政に任せるのではなく、自分の力でその提案が正しいかチェックる能力のはず。
この議員はそうした意味では確かな人。

明日は少し早起きして数か所のポスター張りをいたします。
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