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おせちもいいけどカレーもね

礼拝出席教会の変更、住まいの転居、余暇の相棒だったキャンピングカーを手放す、という人生の根底を揺り動かす大一番の一年だった2018年は、小田原教会の信仰の先達をお見送りし、そして炊き出しで幕を締めました。
夜の訪問は転居に伴い物理的(時間的)に伺えなくなったので、炊き出しに集まる方も知らない顔ばかり。
訪問を続ける仲間に聞けば、ここに来ているのは、生活保護を利用している方ばかりとのこと。
活動の根底をこちらも揺るがされてしまいます。
多くの野宿を余儀なくする方はあまり人づきあいがうまくないし、そもそも昨今の日本は小田原のような都会ではない町でも隣近所とのお付き合いは希薄になり、ここに来れば「旧友」と会えるのなら、炊き出しを続ける意義はあるし、でももっと困窮している人も多くいるのならそちらにも手を出したいという希望もあるし、でも何よりはこのボランティアをしている中心は後期高齢者の面々が多く若い人が入ってこなければそう長くない先には終止符を打たなければならないことも事実だし、といろいろと思い煩う今日この頃。

正月は「明日はお雑煮」と呼びかけたけれど8人しかお越しいただけず残念でした。が2日はようやく12人とかろうじての二ケタ。
炊き出しに来られる人数が少ないのはどうにか食べ繋げているのだから嬉しいことだけれど、50人近くの方が来ていた時期に比べれば寂しい状況です。
それでも、支援者の方は、昨年末に転会(他の教会から小田原教会に籍を移された)をなされたM姉がお孫さんを連れて連日ご参加くださったり、「さとにきたらええやん」実行委員を一緒にやったサニーさんが来てくれたりと嬉しい出来事もありました。

連日の炊き出しは今日3日までで、このあとは2月まで毎日曜日のみとなります。
今日は、小田原交流パトのメンバーのT兄のご友人のお店のカレー。毎日おにぎりとトン汁ばかりなので目先を変えて、と言うことができるのも現場のメンバーの後ろにこうした見えない方々のご支援があればこそ。

20190103-01

僕らは彼らの困窮の「こ」の字も減らすことはできませんが、それでも何かあった時に、この冬炊き出しで食べた味を思い返し、「悪い事ばかりじゃない」と踏ん張ってくれれば、と思います。

変貌を遂げた2018年を過ごし、あたらな2019年を僕も迎えました。この先何が待ち構えているか、はまさに神のみぞ知るところです。
そしてそれは野宿の仲間、生活保護利用者の仲間の方も同じでしょうね。もしかしたら不安と失望の念で新年を迎えたかもしれませんが、きっといいこともたくさんあると毎日笑顔でいたいものです。

いつも喜んでいなさい。
絶えず祈りなさい。
すべての事について、感謝しなさい。


これを実践していればきっと2019年はいい1年になれるはずです。
僕も顔晴っていきます(^_^)/

ふるさと納税って儲かるの?

大災害が発生したときの募金に対して一部のパブリックな組織がそれを全額被災地に送らずに事務手続き代として自団体収入にしてしまう、と書き立てられたことがある。
どんな組織でも、その組織で働く人がいれば、全額を被災地に送れないことは致し方ないことだが、それでも自分のなけなしの募金がどう使われるかはとても強い関心事であることも確かだ。

最近はそうした一時的な増額では事業が成り立たない地方自治体が「ふるさと納税」という形で財源改善をしようとしている。
が、実際のところどうなんだろう?
TVを見れば、「ふるさと納税」の代行企業がタレントを起用し日に何十回とコマーシャルフィルムを流す。
その費用は当然ながら各地方自治体から捻出される。

そして警告に対しても

 ふるさと納税制度を巡り総務省は27日、返礼品の基準違反を新たに確認したとして、31自治体を公表した。返礼品に加え、ネット通販大手「アマゾン」のギフト券を付与。これも返礼品に含まれるとみなし「調達費が寄付額の30%以下の地場産品」ではないと判断した。 KYODO 12/27(木) 14:52配信

とある。30%の返礼品&TVコマーシャルの作成放映費用、これを除くとどの程度収入があるのだろう?
わが町小田原もふるさと納税をしているが、どれだけの財源になっているのだろう?
きちんと計算したら逆に赤字だった、なんてことがなければいいが・・・。

議会質問でもしてくれないかなぁ?

ヨナと自民

新しい内閣が出来上がったとたんから、答弁が出来ない、口利きや選挙違反があった、など総理大臣が自信をもって「全員野球」と命名したチームはエラーを繰り返す。
エラーとフォアボールは勝ち試合を落とす、と言われているけれど、それでもどっこい安倍内閣はしぶとく戦っている。

最近知った心理学用語で「ヨナコンプレックス」と言う言葉。
このヨナは旧約聖書に出てくる人名だ。
神に(異宗の地)ニネベに行き悔い改めさせよ、と言われるも、違う神の言葉を聞くはずがないから嫌だと、全然違うタルシュシュに向かえども、神は嵐を起こしヨナを大きな魚に飲み込ませ、ニネベに生かせた。
ピノキオのアイディアのもとになる話。

ヨナは神の声を聞くことができた。これは聖書が神の声を聞いた人すべてを記載したものでないとしても1万年近くで100人にも満たないような数字から見れば特記する奇跡を体験した人。自信をもてばいいはず。しかし不安から回避した。
同じように自信がないとモーセも言った。が、モーセは逃げずに神と対話を続けた。
やってみたいことがあっても何か理屈をつけてできないとあきらめる心理をこのヨナの名前からヨナコンプレックスと言うそうだ。

人間は今までできなかったことができるようになることを喜ぶのと同時に不安になる心理を抱えているそうだ。
それは危険を冒すことが死に直面する太古からの受け継がれたデータらしい。
特に狩猟民族からいち早く農耕民族に転化した日本人にとって、その地で農作物を作ることは危険な猛獣と戦わずに済むという不安解消のテクニックを知ったのでその不安意識が特に働くのかもしれない。「石橋をたたいても渡らない」などと自虐的に言う言葉すらある。が、それほど変化や冒険を嫌う。

多くの日本人が最近の政治を良しとはしていない。しかし、それでもじっと耐えるのはまさにヨナコンプレックスのせいなのだろう。
それでも堪忍袋の緒が切れ、民主党(当時)に政権を渡した。
民主党は自民に比べて決して悪い政治ではなかった。東日本大震災と言う悲劇が訪れ、自民時代の負の遺産である原発の事件があった故に支持を失ったように見えたが、もしかしたらこれもヨナコンプレックスだったのかと思う。

民主になって良い世の中に転化する怖さ・不安。それが本当のところの自民化の逆戻りだったのか。
とすれば我が国が非自民になることは受け継がれたDNAがある以上無理なのか?

ぼろぼろとエラーが続出する安倍内閣の支持率がどの程度と出るかはとても気になるところ。

7年半の年月

2011年秋に「大人の社会見学」に行った仲間から宅配便が届きました。

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7年半の間何度となくかの地を訪れている友人からです。
東日本大震災が起きてから半年後、わずかでもお金を落としに行こうと伺ったあの日、僕らは気仙沼から南三陸を通り石巻、東松島を通って帰りました。
同時に教会では、あごら(バザー)で下記キーホルダーの販売をしたので購入しました。石巻まで行きながら時間の都合で行けなかった女川を覚えてカレーと一緒に買いました。

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キリスト教会は、さかなをモチーフにしたデザインのグッズが多いのです。それは、ΙΗΣΟΥΣ ΧΡΙΣΤΟΣ ΘΕΟΥ ΥΙΟΣ ΣΩΤΗΡ(ギリシア語で、イエス・キリスト、神の子、救い主)と書き頭文字を並べるとΙΧΘΥΣ(イクスス)となりこれは魚と言う意味であるとか、ガタコンペに行く道筋は魚の頭に向かって歩んで行けという道案内に使ったからなのです。
はい、我が愛車のキャンピングカーもイクスス号とみなから呼ばれております。

そんなデザインに惚れた部分もあり、女川は一度は行かなければいけない街なのです。

友は今年もそんな女川に行き、コースターとスプーン
何と名前入り\(^o^)/

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わーい\(^o^)/すごい!!嬉しいな!!ありがとね!!

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昔買った本を引っ張り出します。宝島社の発行した「東北思い出写真館」 すべてを失った人の1本のツイッターが発刊のもとになったとか。誰か自分の故郷の写真を持っていませんか?
目の前の景色は大きく変わり、そして思い出さえも失った失望感。その時に集まった膨大な写真の中の1ページ女川の風景。

わが町も変貌は続いている。好みの町かと言えば僕はあまり肯定的ではない。がそれはじわりじわりとなので諦めがつくものかもしれない。
が、被災地は違う。
この町がどうなったか?この景色はどう変わったか? は前を知らない僕にはたとえ行ったとしても分からないだろう。
しかし、このキーホルダーやコースタースプーンを作ってくれた人にはあってみたい。この小さなグッズにかける思い、この小さなグッズを通してお交わりするまだ見ぬ人との交流。
待ってくれている気がする、そんな優しさがある。

海は今日も青いだろうか? 山は緑の木々を生い茂らせているだろうか? それを見て笑顔になれているだろうか?
10月31日はケルト民族の大みそか。ハロウィンデーだ。
1年の最後の日にとても素敵な贈り物が届いた、さぁ心機一転11月も顔晴ろう!!
いつか女川に遊びに行くためにも

危険地帯に行くのは「愛」ある故

安田純平氏の釈放・帰国に際して、賛否両論インターネット上で意見が交わされている。
それは国内の一般人だけではなく

オランド大統領「フランスにリスクを取る記者がいるのは良いことだ」
フランス世論「危険な国に行くことはバカじゃない。むしろ彼らのおかげで、シリアで起きていることの情報が届く」


と海外でも大きく取り上げられている。
『愛の反対は憎しみではなく無関心です』と言う有名な言葉がある通り、僕らは自己中心主義にならず少しでも周囲に関心を持ち困窮には手を差し伸べたいものです。
逆さまな立場になり、困窮のど真ん中にいればその困窮を知ってそこから解放してもらう協力をぜひしてもらいたいと思うのは至極当然なことです。

何度も書いている事件ですが、1995年、僕らの住んでいる久野に産廃焼却施設の計画が持ち上がり、僕らは反対運動をおこしました。
その時に、多くの取材が来てくれました。新聞が、TVが、週刊誌が箱根山のふもとで起こっている事件を公表してくれました。
視聴者・読者は世の中のたくさんあるニュースの一つですが、闘っている僕らにとってはまさに生活をかけた困窮の毎日でした。その困窮を伝えてくれるマスコミには大変感謝したものです。挫けそうになる心は世論の味方を以て奮い立たせるのです。

ですから、中東の武力衝突地にすむ普通の人たちにとって取材してくれる喜びの深さはよくわかります。僕らは殺されるようなことはなかったけれど、彼らは毎日が死との向かい合わせ、それゆえに僕ら以上にマスコミが全世界に報じてこの厳しい毎日からの解放の協力を待ち望んでいたでしょう。
そしてマスコミに属するジャーナリストはその使命感を命に変えてもと思っていたでしょう。

このことは安田氏一人云々の話ではなく、ジャーナリストが危険な場所に赴く理由と平和に暮らしている僕らがその活動を通して何をしなければならないか?と言う哲学だと思います。
無関心でありたくない、隣人愛を実践したい。それが「愛」と言う感情を持つ生命体として生まれたものの存在意義ではないでしょうか?

東南アジアと日本、革新と保守

友人が東南アジアを旅して日本を思うコメントを書いていた。
読んで思った。
保守とは今までの伝統や文化や考え方、社会を維持していこう!と言う考え方なので、日本の保守とは、戦後の「追いつけ追い越せ」をベースに、そして田中角栄氏の日本列島改造論、そして小泉純一郎氏と竹中平蔵氏による規制緩和と言う流れ。つまりは経済発展のために国民の犠牲を強いてきた政治だった訳で、でもGNPが低い時は未来に希望があり夢があった。
映画三丁目の夕日に出てくる人たちに笑顔があるのはそうしたベースがあると思う。
が、追いついてしまった今、夢と未来がないまま、経済力の対外競争に勝つために賃金や福祉のカットをしながらも、上記の保守、つまりは「追いつけ追い越せ」をしていることに生きがいをなくす人が増え、働いても離職するなどの人生設計がしにくい時代になった。
何を日本は目標にするのか? もう、昨日までの保守の続きは難しい。が、明治期からの海外へのあこがれから言えば200年の経済発展の保守的な思想は変わらない。
しかし変わらなければ日本の未来もないような気がする。人生を楽しめる国になってほしい。

第35回全国地域・寄せ場交流会2018愛知

第35回全国地域・寄せ場交流会2018愛知 に行ってまいりました。
場所は愛知青年の家と言うパブリックな施設。 13-14日の1泊2日なので、元気な人は今も歓談をなさっているでしょうし、明日は9-12時で全体会でも活発な意見交換がなされると思います。
が、とりあえず自分が参加したところのみをご報告。

前述のフリー切符で豊橋駅。興味深いのはプラットホーム。
飯田線はJRでありながら名鉄と一緒のプラットホームで、行く間に検察があります。そしてナンバーも飯田線と東海道線の間に名鉄と言う関係。

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そんな改札を抜けて

豊橋から岐阜と言うのは僕ら関東人にしてみればむちゃくちゃ距離がありそうに思いえるのだけれど…

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連結車両。どこかで切り離すのかな? でもやっぱり名鉄は赤一色がそれらしい。

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会場の最寄り美合は

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駅からは閑静な住宅街を抜け、農業大学校を抜ければ、会場。
受付を済ませ、さっそく全体会。
まずは諸注意を実行委員スタッフの東岡さんから

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そして司会を小野さんにバトンタッチをして

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基調講演をし対する会もあるけれど、今回は全国の仲間の声を聞こうと、全体会は全員の自己紹介タイム。

仙台夜回りグループは、2011年に震災見舞いに行った場所 今井先生に置かれましてはお忙しい中1日周辺を案内してくれました。今回はNさんが来られたので先生へよろしくのごあいさつを託しました。

埼玉のKさん、東京反五輪のOさんらは以前寿でお話を聞いたメンバー。あうん・フードバンクは言わずと知れた山谷で根を張っているメンバー&フードバンクはお世話になっています。
神奈川はきずなから5名、戸塚のIさん、寿のオリジンさん、と僕
釜ヶ崎からは、こどもの里、山王子どもの家から1+2名。ジョイフルさつき、医療センター、釜日労、そして矢嶋先生のご遺族(ご家族)もお越しくださいました。
毎月月命日に発行している通信も91号を数えて今ももちろん真相解明に向けて情報収集をしているそうです。

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昨日も仲間と寿の街中のドヤをリノベーションしたHotelに泊まるにあたって、不安視する人に寿は怖くない街、とお話ししました。実はこれは正しくもあり正しくないことでもあります。
寿でも山谷でも釜でも野宿生活の人は得てして人が良すぎるきらいはあり、きちんと人と人として接していれば何にも怖い人はいません。しかし、そんな人の良い生活弱者である野宿者からわずかなお金を丸め込もうという人がいる訳です。喩えを変えればコツコツと年金をためたご高齢の人の方が騙しやすいから「おれおれ詐欺」は多発するのと一緒です。そうした人にしてみれば騙して金もうけをしようとしていることを邪魔する人には容赦しない凶暴性があります。
矢嶋先生が殺されたのもそうしたことが原因ではないかとも言われています。そう言う意味では矢嶋先生の事件は貧困ビジネスに立ち向かう一つのシンボリックな事件として忘れてはいけないし、何か少しでもお手伝いしたいことなのです。(拙いBlogですが、これを読んで、ここから矢嶋先生のことをリサーチしてくれる人がいてくれたらうれしいです)
2017年の訪問の際にお世話になった釜の皆さんにもごあいさつ。
そして京都夜回りの会からはお二人。
また鹿児島ホームレス者を支える会からも遠路はるばるお越しくださいました。
もちろん地元愛知はたくさんのグループが…。
豊橋サマリア会さん、ミャンマーからの難民申請が2001年認められて大府で働いていられるOさん、のわみの会さんからは20名、オアシスさんも数名の方がお越しくださいました。

さて、分科会は無低問題を選択。
座長はのわみのHさん、参加者は同じくのわみのMさん、あうんのAさん、京都夜回りのOさんと僕と言う少数のメンバーでした。
が少数ゆえに濃い話をいたし2時間があっという間でした。小田原の無低に対する行政の指導には大いに問題があると思いましたが、他の地区もにたりよったりで「お土産」になる情報はありませんでしたが、それ故に、全国、全県のメンバーとの意見交換と共同の要請抗議活動が大事だということが1つの結論でしょうか?

小田原交流パトの活動にもつなぎ生かしていきたいものです。

理にかなう

緒方議員は9月28日、体調不良で咳が止まらなかったためにのど飴をなめながら定例会本会議の演壇に立った。
RKK熊本放送の議会中継動画を見ると、緒方市議が質疑のために登壇しようとした際、朽木信哉議長が「緒方議員、まだ待ってください!」と制止。続けて「何か口にくわえておられますか」と質問した。
会場から失笑が漏れ、緒方市議が「龍角散のど飴をくわえています」と答えた。登壇し、緒方市議が「のどを痛めておりまして...」と話し始めたが、その後、ほかの市議から次々と「臨時休会!」と怒号が飛ぶ事態に。
午前10時から始まった定例会は、通常であれば昼頃には閉会する予定だったが、このために議会進行は約8時間止まって紛糾した。
「のど飴をなめる」という行為が、会議規則にある「品位の尊重」に触れるとして急きょ懲罰特別委員会が設けられた。会議規則では「議員は、議会の品位を重んじなければならない」などと記載されており、飲食については特に言及はない。
休止して開かれた懲罰特別委員会では、陳謝させることが決まった。この時、「陳謝文」は本人が文言を考えるのではなく、緒方市議は用意された文章を事務局から渡され、そのまま読むようにと言われたという。
緒方市議は「自分の言葉ではない」として、用意された文書を読み上げるのではなく、自分自身の言葉で説明することにしたという。
だが、それが「陳謝文と内容が違う」として「違うだろ!」などと紛糾し、議会への一定期間の出席停止という、さらに重い処分となった。その結果、9月28日のその後の議会には出席できなくなった。
HUFFPOST

議会とは何をするところなのだろう?
僕の考えに間違いがなければ、市民の代表として意見を言い、そして論じ、決定を下す場所だと思う。
であるのなら何が大事なのだろう?
まさに論ずることだ。
論ずるためには何を配慮しなければならないのだろう?
それは明確な発言をすることだ。つまり腹が減ったからと言って口の中にご飯を入れたりするのはもってのほかだ。
が、同時に体調不良の時に急き込んで発言が不明確になりそうならばそれを避けるのは当然の義務だ。

のど飴をなめないでゴホゴホ聞き苦しい意見を言うのと、それを回避しようとしてのど飴をなめるのと、どちらが責任ある態度なのか?どちらが議員としての品位ある態度なのか?

イギリスでは咳込んだテレサ・メイ首相にフィリップ・ハモンド財務相がのど飴を差し出したそうだ。

ある安息日に、イエスが麦畑を通って行かれると、弟子たちは歩きながら麦の穂を摘み始めた。
ファリサイ派の人々がイエスに、「御覧なさい。なぜ、彼らは安息日にしてはならないことをするのか」と言った。イエスは言われた。「ダビデが、自分も供の者たちも、食べ物がなくて空腹だったときに何をしたか、一度も読んだことがないのか。アビアタルが大祭司であったとき、ダビデは神の家に入り、祭司のほかにはだれも食べてはならない供えのパンを食べ、一緒にいた者たちにも与えたではないか。」
そして更に言われた。「安息日は、人のために定められた。人が安息日のためにあるのではない。だから、人の子は安息日の主でもある。」
 マルコによる福音書2:23-28

みんなの食堂

20181003-01

先日、ワンダフルのページでもご案内しましたが、ようやくみんなの食堂計画が始まります。
今後はこのグループページを中心に計画を進めて行こうと思います。

まずは私の店から食事券を毎月20枚分、地域の民生委員さんにお渡しします。
周辺の独居老人の方などのもとにお届けする予定です。


自分が子どものころから過度に人の目を気にしやすい性格だったからかもしれないけれど、子ども食堂は自分の幼少期の性格なら出入りできなかったと思うのです。たとえ貧しくておなかをすかせていたとしても、家族もお腹を空かせているのだろうな、と思うと、自分だけが満腹になることはいけないと自粛しちゃったろうと思うのです。
それは僕が特異的ではなく、多くの子どもは大人が思う以上に親の動向を見ているはずだし、DV被害の子どもが親をかばうように子どもは親が大好きなはず。だから子どもに気を遣わせちゃあいけないと思うのです。

偽善かもしれません。だって見ず知らずの人がアフリカとか中東でお腹を空かせていても気にもならずにおいしいものをたくさん食べれるのですから・・・。でも近しい人を差し置いていくのはどうも苦手です。食べている最中にその人のことが気になります。

ですから、子どもに限定した子ども食堂には結局関与しないままに終わりました。
大人も入れる食堂でなければ意味がないと・・・。

ですから僕にとっては理想に近い働きが始まったみたくてとてもうれしいのがこの「みんなの食堂」
例えば、券をもらった人が裕福であろうが貧しかろうが構わないのなら、お金はあるけれど一人で食べるわびしさを味わいたくない人も来ることも構わないし、そういう人が帰りがけに誰かのために1食分の500円をドネートすればいい。
子ども食堂に行くのが嫌な子どもでも親と一緒に堂々と来れる。
「必要とする」人の背景は縛らない方がいいと思うのです。その方が来る人もどんな理由で来ているか詮索されないで済むと思うのです。ただ来たい人が来る。来たくても来れない人のために少しだけお手伝いをする。そんな働きになればいいですね。

ワンダフルさんは新店舗になってからまだ一度もお伺いしていない施設。食事をしながら是非ドネードしに行きたいです\(^o^)/

地方都市の未来

松田教会の会堂改修にご協力くださっている杉本先生と歓談した時にフランスの街づくりについてさらりと表面だけお聞きした。
そんなことが頭の片隅に残っている時に、この本の紹介も受けた。

20181002-11

少し前に鈍行しか止まらないK駅前で洋服店を営んでいる方と飲みながら少し話す機会があった。
「ショッピングモールが出来てとても厳しくなった」と言われた。
確かに、僕は小泉内閣時代の大規模店舗の規制緩和は街をつぶしたと思っているので、それは間違いだとは思わないが、駅前の個人商店を厳しくしているのはインターネット販売(通販)だろう。
げんに店主の行っていたショッピングモールの1つは撤退の憂き目に遭っている。デパートすら生き残りは大変な時代だ。

暇な時間のつぶし方としてウィンドゥショッピングと言う行動がある。買うあてはないけれど町を歩きながら世の流行を探るというものだが、実は僕にはそうした楽しみは存在しない。
買い物は必要なものをぱっと行って目的のものだけ買ってさっと帰るものなのだ。
だから、カタログ販売で文具が売り出された時は嬉しかった。行かずに済むのだ。
しかしカタログ故に商品数は限られる。それがインターネットになり格段にボリューミーになった。もう町に店がなくてもいい、そんな時代になってしまったのだ。
狭い倉庫にはディスプレィで飾る必要はない。愛想をよく接客する(しかも24時間!)店員もいらない。そんなことを気にかけずに済んでいるのでコストダウンができる(はずだ)。

こういう人間がいるから町がシャッター街になるんだろうな、と思う。

でも、町は華やかさがあった方がいい。

この町のメインストリート 僅か数百メートル
さびれた映画館と バーが5、6軒
ハイスクール出た奴等は 次の朝 バッグをかかえて出てゆく
 MONEY(浜田省吾)

と言う歌がある。東京と言う日本で一番の都市からわずか1時間の町であってもこの歌にうなずいてた。
何を望んでどういう未来を期待していたのか?
もっと幼いころは手塚治虫氏の描かれた何重もの高速道路が縦横無尽に張り巡らされている隙間を空を飛ぶ車が行きかうアトムに将来を託していた。

僕の行ったことのある数少ないヨーロッパはイタリアとオランダだ。アムステルダムの朝、駅前の広いテラス席で一人の酔っ払いが夜をあかしてまだ寝ていた。でもとても素敵な朝に見えた。
日本は落とした財布が出てくると海外では評判だという。でも、アムスも朝までぐでんぐでんのオヤジが寝ていても大丈夫なんだ。昨日はここで友としこたま飲んだんだろうと思うと思わず想像して笑みが出る。緊張からの解放、油断が許されているのだ。

はましょうのMONEYの歌。その街の魅力の無さは、やさしい人がいないことだ。やさくれた心の自分を受け入れてくれる住民がいないことだ。きっと1984年のこの町の住民は頭を金髪に染めてピアスをあけている「はみ出した」若者を許さない目があったのだろう。いたたまれない視線に町を出ていかざるを得なかったのだろう。
心を開け放して酒を飲みながら朝まで居る場所があるかなのだ。

シャッター通り、それは無人の象徴。
もう一つ言えば、僕は蒼く遮断する高層ビルのミラーガラスが嫌いだ。外からの人を差別しているような「お高く留まった」スマートな近代建築が…。己をさらけ出さずに、俺と仲良くなりたいのならお前が来いよ、的な見下した冷たさ。
アトムに出てくる町は、オヤジになった僕には息が詰まる。それと同じなのだ。
しゃべり心を通わせる「有機物」がない。シャッターはそんな象徴でもある。
「お互いさま」の精神がそこにはない。寂しいのだ。

語り合う場、愚痴を聞いてもらえる場所。相談をし慰めを受け元気になって自宅に戻れる場所。
そうしたお店がある町ならきっとシャッター通り何て呼ばれないんじゃないかな?

なんて思いながら、今日届いたこの本を、さてこれからじっくりと読んでみよう。
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