下流老人

1か月前になりましたので告知です!!

初老の子なし夫婦、だからさほど日々の生活にお金がかかるわけじゃあないけれど、それでも時たま生活が厳しいなぁと思う時がある。
やはりこの国は多くの中産階級が一気に下流化しているのだろう。
野宿者の支援をしていて、関連の本を読んだりニュースを聞いたりしてもそうだ。
生活の困窮を訴える人が路上生活(いわゆるホームレス生活)をしていない所から見聞きする機会が増えた。若いご家族が3食食べられない、とか、派遣で働いているけれどアパートに住めないから24時間店で夜を過ごす、とか…。

そんな昨今の現実を知り、自分の生活にどう生かすのか? 退職が間近に迫っている中、僕らも例外ではない。
寿地区センターで下記の学習会が開催される。

20170607-11

場所は紅葉坂教会。地図はこちら

7月30日

子どもの頃近所づきあいは当たり前だった。
雨が降ると隣との垣根の隙間を通って洗濯物を軒下に入れに行くのは大人も納得した子ども通しの暗黙の仕事の約束。
両親が共働きの同級生は良く我が家で帰りを待っていた。
子ども同士遊びに行くというこみにけーション以外にも、多くの周辺の親の目の下で子どもたちは育って行く・・・そんな姿が当たり前だった。何の違和感もなかった。

いつからだろう?隣人がどんな人かもわからないという風土が日本を蔓延させたのは?
いつからだろう?朝すれ違う人が挨拶をしないで行くのが当たり前になっちゃったのは?
いつからだろう?自分より一世代前の大人にしたの名前で呼ばれなくなってきちゃったのは?

そんなのはなんか嫌なんだよね。お節介なばあさんに余計な事を言われた方がうざくても無視されるよりよっぽど楽しいし、朝はおはようで始まりたい。「Takeちゃん」と子どもの頃かわいがってもらった名前でいくつになっても呼ばれたい。

コミニティってそんなもんじゃないかな?

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(ポスターは画面上でクリックすると大きくなります)

我が街小田原はかろうじてそんないい風土は残っています。組内(自治会)のおばちゃんたちは相変わらずTakeちゃんと呼んでくれるし、引っ越してきた若夫婦などもどんな方かも知っているし挨拶をかわせる。
でも、おすそ分けの週間なんかは薄れて来たね。車があるし、深夜までやっているスーパーやCVSがあるから、サザエさんに載っているような食材の貸し借りはなくなっちゃった。

さとにきたらええやん 大阪の釜ヶ崎と言う寄せ場(ドヤ街)のど真ん中にある子ども支援施設を取り巻く大人と子どものドキュメント。いろんな大人いろんな子ども、そしていろんな半生。でも底辺にある「ええがな、ええがな。なんくるないさー」というどっしりした理念がホッとさせる。
そんな映画の上映会です。
お時間ありましたらぜひぜひです。

6月29日のパトビラ(№984 - 中学生の大活躍 -)

毎週、野宿を余儀なくされている方(ホームレス)のところを訪問する際に持っていくパトビラ、今日はこんなことを書いてみました。

優勝賞金4320万円、将棋界のタイトル戦の中で一番賞金額の多い竜王戦の決勝トーナメント。日ごろはニュースになれども大きな扱いにはならないこの試合が今年は藤井聡太四段の29連勝と言う日本新記録のかかった大一番をうけてテレビや新聞などのマスコミも詰めかけました。
そして結果はご存知の方も多い達成というもの。
穴熊囲いと言う守りの戦法が30年ほど前は流行だったけれど、最近はコンピュータを相手に研究をするようになり、みな守りより攻めの手筋のようです。落語の演目『浮世床』ここに出てくる素人将棋は王をとられたのに気が付かず続けていたり、また下ネタですが玉をとられるのが嫌だとふんどしの中の金に守ってもらったり、とドタバタばかり。そんなシーンが落語になるのはやはり将棋は庶民の遊びなんでしょうね。
双子のまなかなチャンが主役を演じた朝の連続テレビの『ふたりっ子』は阪田三吉を夢見る棋士が一方の主人公。寄せ場釜ヶ崎を舞台に番組が進みました。暗いニュースの多い中若い棋士の活躍は頬がゆるみます。


ふたりっ子ももう20年も前の朝ドラになっちゃったんですね。
でも、こうしたニュースで日の目あたるかも…。

ホームレスと呼ぶのはもうやめようよ

中風の人に『あなたの罪は赦される』と言うのと、『起きて、床を担いで歩け』と言うのと、どちらが易しいか。という聖書の一節を抜き出したトピックスを書いた。
その御言葉の前段は
数日後、イエスが再びカファルナウムに来られると、家におられることが知れ渡り、大勢の人が集まったので、戸口の辺りまですきまもないほどになった。イエスが御言葉を語っておられると、四人の男が中風の人を運んで来た。
しかし、群衆に阻まれて、イエスのもとに連れて行くことができなかったので、イエスがおられる辺りの屋根をはがして穴をあけ、病人の寝ている床をつり降ろした。 イエスはその人たちの信仰を見て、中風の人に、「子よ、あなたの罪は赦される」と言われた。


昨日のパト。ここ10日ほど帰っていない方いて、2週目の昨晩は周辺の仲間からのまず第一声は、その仲間の安否。
自分のことでもない、血もつながっていない方の安否。
もし、行き倒れになっていたらやってられないじゃないか。その心配の仕方は家族を、言い方を変えれば少し年老いてきた自分の父親を気にするそれだ。辛い人生は自分にも置き換えられる、推測できる。その最期の時、せめて孤独死ではなく仲間として手向けたい、だから安否は他人ごとではなく気にかかる、そんなオーラが伝わってくる。

ホームとハウスは違う。
ハウスは単なる物理的な「家」であり、野宿を余儀なくする人の中にも、ハウスレスの人もいればしっかりしたブルーシートやダンボールのハウスを持つ人もいる。そんな為かハウスレスと呼ぶ人はいない。
ホームとは単なる「家」という構築物ではなく、家族という概念までを込みでホームだ。だからホームレスという言葉を言いだした人は家族から離れて、孤独に家を持たない人を指して言った言葉だろう。

でも、この日僕が出会った人は、個々にハウスを持ちながら見事なコミニティを構築していた。そこには血縁は無いがホームがあった。
僕らはこの夏、「さとにきたらええやん」という映画の上映会と、北村年子氏による道親を主とした講演会を企画している。
道親とは、釜ヶ崎こどもの里のような、血縁を度外視して大勢の大人がみなで地縁の子どもたちを育むという意味のようだ。
その趣旨からいえば、野宿のコミニティも道親社会だ。
中風の友を助けるためには、屋根を剥がすことすら厭わないほど激しい愛情だ。

もう僕らはホームレスと呼ぶのはやめよう。しっかりとした道親としての「家族」がそこにある。

中風の人に『あなたの罪は赦される』と言うのと、『起きて、床を担いで歩け』と言うのと、どちらが易しいか。

たとえば野宿生活を余儀なくされた高齢者。2,3日何も食べていなく、悪いことを承知でついパンを万引きしちゃった、としたら、当たり前のことである『人の物を盗んではいけない』と正論で諭すことは僕には厳しいな。周囲から弱く間違っていると批判されても上から目線で、生命を維持しようとする本能の行為を批判は出来ない。

6月22日のパトビラ(№983 - 水でも食中毒になる場合もあります -)

毎週、野宿を余儀なくされている方(ホームレス)のところを訪問する際に持っていくパトビラ、今日はこんなことを書いてみました。

妙高山に課外授業に出かけ、湧水をその最中や持ち帰って家族と飲んだ人たちが相次いで食中毒にあった、と言うニュースが6月6日の毎日新聞で報じられました。
山中の湧水は毒されていなくおいしい水と思いがちですが、野生動物や鳥の糞尿を経由して細菌が含まれているケースも少なからずあります。前述の食中毒事件もカンピロバクターによるものでした。乾燥と加熱に弱く、逆に冷蔵に強い細菌ですので、冷蔵庫の普及した現在では冷蔵の過信から被害数も多く、ノロウィルスに次いで事例が多いと言われています。
皆さんはあまり山登りをする機会はないかもしれませんが、小田原市内でも井戸水など地下水を汲める場所もあります。「飲料には適しません」、と言う標記もある場所もありますが、理由は様々でも多くは細菌検査をしていないが故の標記なのでしょう。対策は煮沸することです。
特にこれからは気温も高く細菌の繁殖が多くなります。飲食の素材は煮炊きをすることはもちろん、箸や食器、まな板や包丁なども煮沸植毒を心がけてください。
それでも腹痛や吐き気などがあった場合は、食中毒を疑って早めに医者に行ってください。食中毒は思っている以上命に係わります。


高温多湿の日本において食中毒を引き起こすさまざまな最近の活動が活発になります。
最近自身が悪さをする場合は最近を死滅させれば問題は解決します。今日書いた事例はまさにそのようなもの。カンピロバクターは60余℃でも死滅しますので、煮沸消毒並びに煮炊きで結構抑制は出来ます。
でも、黄色ブドウ球菌やボツリヌス菌は、最近が毒素を作りそれを摂取することが問題になるわけで、耐熱毒素の場合は生き物でないのでいくら煮炊きをしても発症する恐れがあります。
また真空パック内のように酸素が無いと活動する菌が居たりと保存形状だから大丈夫と言う認識も必ずしも正しくないです。
色々な食中毒菌がいて、そのすべてを野宿の仲間に覚えてもらうのは酷です。故に体調不良を感じたら医者に行くという部分だけご理解いただければいいな、と思う次第です。

教育以前

寄せ場(ドヤ)に住む人も当然のことながら普通の人間だけれど、そこに来るまでの半生の紆余曲折は町に暮らす僕らよりはるかにすごいものを持っている人が多い、これもまた事実だと思います。
小田原で路上生活を余儀なくしている人たちも、少なからずここに書くことを阻まれるような方もいますし、野宿を余儀なくする人がもっと多い横浜寿町でも「やばい」人とたくさん出会いました。
ですから書いておきたいことはありますが、さてなんて書こうか躊躇することも多いです。
それでも書いたのは、釜ヶ崎に行くまえにと中田牧師がお貸ししてくれたこの本です。

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小柳牧師の著書。もうなかなか手に入らない本です。お借りできたことはとてもラッキーでした。
小中学校の先生でケースワーカー。しかし、当初書いたように僕らの想像を超えている家族が多いです。
戸籍がない子、長期欠席を余儀なくする子。親に育成を拒否されてひとりで生きていく子。
以前にも紹介しましたが大阪府西成区で過ごした28年はまさに20世紀から21世紀になるころの釜ヶ崎で生活したとある女性の半生ですが、小柳牧師とはまた違ったタッチで、でも同じ苦しさを書かれています。
オコジョさんの書は小柳先生の文章を裏付け、そして子どもの立場から描いていました。
そして小柳先生の本には書かれていない麻薬の販売の話なども書かれています。つまり見てはいけないものを見てしまうこともあるのでしょう。その危険性は小田原の町の中のそれとは違うのだと思います。
釜ヶ崎の赤ひげ先生矢島祥子さんが何者かに殺害され遺体が木津川に浮かんでいる事件も、何かそうした危ない事件と関係しているのかもしれません。
しかし釜ヶ崎と言うだけで警察すら捜査がおざなりになります。
人として認めていない側面を感じます。
小柳先生の御本の中にも、あいりん小から来たと言うと途端に無言の蔑視を感じるという旨の記事がありましたが、まだまだそのような差別はあるのでしょう。



2分過ぎからの警察の暴行・・・やっぱり問題です。釜以外だったらこうはならかったじゃいでしょうか?

そうした中ゆえに愛がとても愛おしいのかも知れません。
子どもは親を選べないと言います。そして生まれる場所すら選べません。
でも親は自分の子ども以外も愛おしむことができます。育てることができます。

生きる事に必死な動物、例えば草食動物は肉食動物から襲われた時に、敵いそうだと判断した時は誰彼を問わず集団で守ります。
集団での守りが無くなったのはもしかしたら、安全だから大丈夫と言う生命の危機能力が欠乏しているからかもしれません。
それ故に生きることがしんどい寄せ場の仲間は血縁を問わずに助け合おうという意識が強いのかもしれません。

書きながら自問します。自分はいったい何を言いたくてこのBlogトピックスを書いたのだろう?
何も目的は無い。ただ自分が抱えられない何かがある。理不尽な思いを吐き出したい。誰かに読んでもらって共有したい。
社会はますます劣化している中、僕は何をすればいいのだろうというストレス。
でもまずはあと1か月後、フィールドワークに行く。有意義な時を過ごせるように準備を怠りなくしたいものです。

6月15日のパトビラ(№982 - 生活保護の利用はなるべくアパートで -)

毎週、野宿を余儀なくされている方(ホームレス)のところを訪問する際に持っていくパトビラ、先週の話の続きです

5月16日に小田原市と意見交換をしました。課長通知0318001号「職や住まいを失った方々への支援の徹底の2(4)あ項」つまり生活保護利用は居宅のある者と言う項目をクリアーすれば、路上からでも「生活費の金銭管理、服薬等の健康管理、炊事・洗濯、人とのコミュニケーション等の確認」などの行政からのチェックがないアパートの入居が可能なことは確認しました。
しかし、一度行政の指導に従い無低に入ると、数カ月以上行政のお眼鏡が叶うまでは「生活費の金銭管理、服薬等の健康管理、炊事・洗濯、人とのコミュニケーション等の確認」をテックされてアパートに移れないのです。しかもそのチェックは行政だけではなく無低の管理者との2人3脚だということだそうです。なんの法的拘束力や資格のない民間人が、ましてやその生活保護費の一部を利用して運営している側の人間をチェック機能としていることはやはり平等な政策ではないと思えます。
そもそも行政はその人を監視管理する権利はあるのでしょうか?生き方が束縛されることには問題がないのでしょうか?
生活保護の利用が無低に入居した人のみ制限されなければいけない理由はどこにあるのでしょう?


法治国家です。ですから、不正がまかり通って、正直者は馬鹿を見る、であっても、僕らは正直者でいてほしいことをビラで伝えていきたいと思います。
しかし、今回の問題はそうではないのです。
性格も何もすべて同じの双子の兄弟が共に野宿を余儀なくするような生活に陥り、一緒に市役所に相談しに行ったとします。
市は野宿の生活だから、今日のパトビラの当初にあるように「保護の決定」時点で「住所が無い」つまりは野宿の場合はNGになってしまうので、「住所」が取れる無料低額宿泊所に入所を勧めます。
双子の片割れは、それを受け入れて無低に入所しましたが、片方は難色を示し不動産屋に掛け合いました。不動産屋は憐れんで、仮予約でもいいと言ってくれたので、そのアパートの部屋で生活保護を取れました。
同じ性格だから、お金の管理も周囲の方々との付き合いも同じなのに、無低に入った方はそこから行政と無低の経営者から監視の半年を過ごします。
何の権利があって、私生活をそこまで監視されなければならないのか、と不満を持ちますが、それをクリアーしないとアパートに転居できないと受け入れざるを得ないのです。
それは法の下の平等ではないように思います。私生活をそこまでのぞかれる必然性はどこにあるのでしょう?

基本的に、不動産屋にかなりの説得が出来なければ、仮予約と言う不動産屋にリスクの高い契約はできないので、野宿を余儀なくしている人は無低に入らざるを得ないのが現状でしょう。
そうするとアパートからアパートに転居する生活保護を利用している人は、なんの生活のチェックを受けないのに、野宿生活を余儀なくした方のみまるで生活がまともにできないだろうから、チェックをするような態度にはどうしても納得がいかないのです。

6月8日のパトビラ(№981 - 生活保護の利用はなるべくアパートで -)

毎週、野宿を余儀なくされている方(ホームレス)のところを訪問する際に持っていくパトビラ、今日はこんなことを書いてみました。

生活保護法30条は、1項でアパート等居宅において生活保護を行うことが書かれ、2項でそれが叶わなければ無低などで生活保護が行われる。と書かれています。でも保護を利用したい人の意に反してはいけないと書かれています。
しかし、同時に精神疾患、または薬物やアルコール依存症などで自力でコントロールが叶わずそのために様々な施設で入居し、その入居者に生活保護を利用してもらうことは理に叶っていると思います。
でも、そうでない方の生活保護はやはりアパート等個人の希望する場所で利用できるのが当然だと思います。
それは憲法22条1項「何人も、公共の福祉に反しない限り、居住、移転及び職業選択の自由を有する。」を尊重することを最優先しなければならないからです。しかし、どうもこの「公共の福祉」と言う言葉を行政は過大解釈しているきらいがあります。「ホームレスに対する生活保護の適用について」において生活費の金銭管理、服薬等の健康管理、炊事・洗濯、人とのコミュニケーション等の確認を行政に通達しているのです。
それについて筑紫女学園大学の池田和彦先生は異を唱えており、また小田原市もジャンパー問題の委員会の中でできるだけアパートでの生活を薦める、と言っています。その意識が生かされない憲法違反に等しいような過剰な制約には反対していきたいものです。


今回の話は非常に大事な話なので、いつにもまして是非読んで頂きたい話です。

憲法第25条『すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。』

は日本のどの関連法律もこの趣旨を犯してはならないものです。

その配下(関連)法律に生活保護法があり、
第30条 生活扶助は、被保護者の居宅において行うものとする。ただし、これによることができないとき、これによつては保護の目的を達しがたいとき、又は被保護者が希望したときは、被保護者を救護施設、更生施設若しくはその他の適当な施設に入所させ、若しくはこれらの施設に入所を委託し、又は私人の家庭に養護を委託して行うことができる。
2  前項ただし書の規定は、被保護者の意に反して、入所又は養護を強制することができるものと解釈してはならない。
3  保護の実施機関は、被保護者の親権者又は後見人がその権利を適切に行わない場合においては、その異議があつても、家庭裁判所の許可を得て、第一項但書の措置をとることができる。


最初に個人の居宅で保護は行われるべきである、と書かれ、それが叶わない時は無低当施設や病院のベッドなどでも構わないと記載されています。ただし、2項目ではそれに際しては本人の同意がなければならないと書かれています。
そして3項目ではそれでも同意が不要の場合もあると言います。

個別に見れば、本来は本人の居宅(アパート)で生活保護は受けるべきだが、日雇いで働いた人が怪我などで(労災を嫌がる企業もいっぱいいるんです)入院しその費用は払えない場合はベッドの上で保護の利用開始があるなどもOKという意味でしょう。
でも、2項と照らし合わせると強引にアパート等の居宅でない無低のような一時保護施設でしか利用できないことがあってはならないので、本人の同意の必要性を書いています。
ただし、意識が無い場合、薬物などで自分の意見が正確に伝えられない場合は同意を待つことなく病院や施設内で保護の利用開始が始まります。
というのが生活保護法。

そんな生活保護法の運用の最中、様々なトラブルが生じることがあります。その対処のために、地域ごとの条例があったり、また細かい通達事項があります。その一つに「ホームレスに対する生活保護の適用について」があります。
そこには生活費の金銭管理、服薬等の健康管理、炊事・洗濯、人とのコミュニケーション等の確認
の必要性が書かれているわけです。
それを盾に現在無料低額宿泊所からアパートに入る時は、本人の希望の後、約半年ほどの金銭管理ができるか?とか近隣住民とのコミニュケーションが取れるかなどをケースワーカーさんがチェックします。

しかしそれは憲法22条 何人も、公共の福祉に反しない限り、居住、移転及び職業選択の自由を有する。
何人も、外国に移住し、又は国籍を離脱する自由を侵されない。
に抵触しないだろうか? と疑問視します。


「ごみ屋敷」と呼ばれる家庭があります。その一部は生活保護利用者です。「ペットの行動(鳴き声)」で諍いを起こす家庭もあります。その一部は生活保護利用者です。家賃の滞納や電気ガスの供給ストップをされている人がいます。その一部は生活保護利用者です。
もちろん保護を利用しない人でもたくさんいますし、それを理由に憲法の恩恵から除外されることはありません。
ごみを散らかして片づけもしないで転居することは、民事上や道義的責任はあるものの、憲法22条の保障された転居の自由を束縛されるものではありません。ペットの諍いで周辺住民から訴えられても民事上・道義的責任はあっても転居を強要されることなく生活保護利用者なら利用を継続しながら住み続けられます。家賃の滞納があったからと言って大家さんではなく行政職員から無低に転居をさせることはありません。

しかし、野宿者が無低に入った後は、そうした様々なことが出来るか行政がチェックしおめがねに適わなければアパート入居をさせてはいけないと厚労省が言うのです。
明らかな差別問題ではないでしょうか?


筑紫女学園大学の池田和彦先生の論文『生活保護制度における居宅保護と施設保護』から引用させて頂くと
ホームレス以外の要保護者が生活保護を申請する場合、当然のことながら、上記のごとき判断基
準に則して「居宅生活を営むことができるか否か」がチェックされることはなく、原則として居宅
保護が適用される。かようなチェックがホームレスの場合にのみ課せられること自体が差別的取り
扱いであると同時に、実際にも、多くのホームレスは、チェック項目のいずれかに該当すると見做
され、居宅保護が原則であるとは言い難い状況を生んでいる。「居宅生活を営むうえで必要となる
基本的な項目」のいずれかに課題が見出されることはあろうが、そのことが「居宅生活を営むこと
ができ」ない理由となるか否かは別次元の問題であり、基本的には、居宅保護を行いながら、必要
な支援を届けるべきなのである。


これは明らかな人権問題であり少し真剣に考えたい問題であります。た
だ、法律関係者でも学者でもないので、鵜呑みにしないでください。これが正しいかどうかを市などと協議していくつもりでいます。

6月1日のパトビラ(№980 - 生活困窮者は減ってはいない -)

毎週、野宿を余儀なくされている方(ホームレス)のところを訪問する際に持っていくパトビラ、今日はこんなことを書いてみました。

厚生労働省によりますと、今年1月に全国の市区町村で行われた巡回調査で、河川敷や公園などで確認されたホームレスの人は5534人で、去年から701人減りました。調査を始めた2003年からおよそ5分の1に減少し、過去最少でした。男女別では男性が9割を占め、都道府県別では、東京都が最も多い1397人、次いで、大阪府、神奈川県の順でした。
と言うニュースが5月24日TBSより配信されました。
では、生活困窮者が居なくなったのかと言えば、例えば無料低額宿泊所に代表される貧困ビジネスで自由を奪われたり、また24時間店で過ごしたり、アパートに入居しながらも1日1食しか食べられない毎日を過ごしたりしています。ようは場所を変えただけに過ぎません。
決してめでたしめでたしと言うわけではないのです。何の社会問題も見えないところに押し込められ、問題がなかったことにされることが一番の大きな問題です。
同時にオリンピックや万博を言い訳に寄せ場(ドヤ街)の再開発を計画している話もあります。町中から1か所に押し込めらせ、その場所すら奪われる、この国の弱者への風当たりはひどいものだと言わざるを得ません。


北京オリンピック、ブラジルオリンピック・・・オリンピックになると各国のスラムは為政者の手によって破壊されます。
外国から見た母国が「かっこいいように」、人の命を無視してでも体裁を繕う。
そこにいた人はどうするのだろう? 狭い場所にひしめき合ってでも生きている人たちをバラバラにする。それは弱者が支え合う「寄せ場」の解体、つまりは集団による強者化を防ぎ、文句を言わせないようにする手段。物理的な「居住」だけではなく、寄り添い支えあう「人の交流」という精神を破壊する行為。
そこに大手資本が再開発の名で低価格で土地を買う名目が手を貸す。

全国から野宿の人数が減ったという報告書。景気が良くなったというのか?と言えばだれもがNo!と答える。そして生活保護受給者は増加の一途。
ここから僕らは現実を推測しなければならない。
数だけでごまかされてはいけない。
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