8月24日のパトビラ(№992 - 9月1日の防災訓練は気を付けて -)

毎週、野宿を余儀なくされている方(ホームレス)のところを訪問する際に持っていくパトビラ、今日はこんなことを書いてみました。

9月1日にビッグレスキューかながわというオリンピックを前に関東全域の大きな防災訓練が開催されます。人数もさながらホバークラフトも来るらしく規模も最大級だそうです。そうなると気になるのは、空をオスプレイが飛ぶかもしれないという不安。何しろ2009年から9回事故を起こしている世界一危険な乗り物です。そしてストロンチウム90という放射性物質がつかわれている可能性もあるという話も聞いています。
会場の酒匂川は、白鴎中や小田原東高校がある文教地域。多くの学生のいる傍で開催するのなら危険なオスプレイは飛ばさないでほしいと思います。また、「君子危うきに近づかず」の言葉通りみなさんも酒匂橋や大橋通過の際はお気をつけてお通り下さい。近隣で寝ている方はその日の昼間は避難していたほうが無難かもしれません。ホバークラフトにしろオスプレイにしろ尋常じゃない風が吹きます。
さて、私事ながら今週をもって無期休暇を頂きます。
無期と言う言葉は永遠にと言う意味に誤解されそうですが、そうではなく、いつになるか分からないだけで戻る気は満々です。ただ半年後になるのか1年後になるのかは不明ですが・・・。拙いパトビラでしたが、「楽しみにしているんだよ」と言う言葉に励まされて書き続けました。読んでくれたみなさんありがとう。またお会いする日まで。


何度墜落しようが、速度が早いだけで荷物も積めずに被災した家をもっと大きな破損につなげる暴風を起こそうが、オスプレイをどうしても使おうとするのは何故なんでしょう?
また記事にも記しましたが、ストロンチウムが使われていると言うニュースをみるとあながちいい加減にも見えず不安だけが広がります。ストロンチウム90は放射性同位体元素で、カルシウムと似ているのでカルシウムのように体内に取り込まれやすいと言われています。学校のそばに果たしてそんな危険な物質を使っている可能性のある危険なヘリが来るのでしょうか?残念ながら否定できないのが、安倍政権です。

さて、文面後半は私事で紙面を頂戴しました。個人的な話ですが、転居します。引っ越し作業や遠方になる職場との往復等で、しばらくはバタバタしそうです。そんな訳でお休みを頂くことにしました。
将来の計画を立てた後は、残りのメンバーに委ねなければならないので、「無低からアパートに入る」ことを阻むさまざまなファクターの回避と、野宿者への偏見の打開、そしてパト運営の基盤の一つ財政を健全にすることに半年をつぎ込みました。
8日の小田原市との意見交換やさとにきたらええやん実行委員さんの協力に基づく集会の開催などで、不在になる前に一定の効果を残すことができました。まだまだ不完全な所はきっと残りのメンバーさんが知りぬぐいをしてくれるでしょう。
年末年始の炊き出しも新しいメンバーさんがお力を貸してくれることになったので安堵であります。
ただ、昨日の集会などで「小田原交流パトロール」にご関心を頂き、パトに参加してみたいという方もいらっしゃいました。僕の都合がつく時はご一緒するのは吝かではありませんのでお気軽にお問い合わせください。

また、今号を持ちましてBlogにパトビラを載せるのも終了となります。お読みくださいました皆様にも感謝申し上げます。

8月17日のパトビラ(№991 - 神頼み -)

毎週、野宿を余儀なくされている方(ホームレス)のところを訪問する際に持っていくパトビラ、今日はこんなことを書いてみました。

この8日に市民を対象に小田原交流パトロールの報告会を致しました。会の内容やコンセプトをお話ししました。
そこで話しきれなかったことですが、聖書に「わたしが飢えていたときに食べさせ、のどが渇いていたときに飲ませ…」と言うフレーズがあります。そのフレーズについて釜ヶ崎で活動をしている本田哲郎神父は、日本語の翻訳は少し違っている、正式には「私が飢えていた時に自分で食べていけるようにしてくれ、のどが渇いている時に自分で飲めるようにしてくれた」と書かれていると言う話。
サッカーの背番号12はサポーターのもの。応援の力を知っていればこそ11人でやるサッカーの次の12番をファンのためにあけてあります。野球でも同じでホームグランドでは勝率が上がります。また、受験勉強をして合格した生徒は『家族の応援のおかげ』などと言うインタビューもよく聞く言葉です。僕らは一人で頑張っているようで、決して一人ではなく、縁の下の力持ち、支えの上で生活をしています。
僕らも力には限りがありますが、精いっぱい応援したいです。そしてそう思う多くの市民がこの日の集会で増えました。またそれは神様も一緒。神頼みをしたから、パトのメンバーにお願いしたからもう大丈夫ではなく、ともに変わっていけるよう力をあわせたいです。


トピックスだけを見ると直前と同じことを書いていますが、前回のはBlogをご覧になっていられる方、そしてこのトピックスは野宿を余儀なくする仲間たちへのパトビラの内容をUPしているものですので重複をお許し下さいね。
どんな誰もが神様の目には等しく尊い方。それは平等と言う側面だけではなく、自分の意志と自由で生きる権利を与えられたという意味でもあります。だから逆に言えばだれもが一生懸命生きなければいけないし、一生懸命生きている者同士支え合わなきゃあいけないんですよね。
そして支え合いの中から希望と元気(パワー)が生まれます。

野宿者のことを学ぶ中から

13日表記の集会を開始しました。

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現役中学教師の柏木先生の講演は、授業内容が度肝を抜くようなもので、そしてその授業を受けて、自分で考える能力の開花をする中学生たち。それはスタンディングオベーションをしたいほどの内容。

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それは今回は直接野宿者支援とは違うし、きっと他の誰かが書いてくれるでしょうからここでは割愛します。

この会の中でフリーディスカッションをいたしました。その中でとても大事なことが質問されました。それは
「寄り添っているか?」と言う疑問です。「相手の気持ちに寄り添えているか?」と言う問いかけです。
本来一番大事なことでこの話をしたかったのですが、不慣れなコーディネートでどんどんピンポイントの論議にはまり、肝心な精神(なんのために活動をしているか?)を事前に話しきれていなかったので、そこに切り込んでくれたことはありがたかったです。

聖書の中に、マタイによる福音書と言う箇所があり、その25章35節に
「わたしが飢えていたときに食べさせ、のどが渇いていたときに飲ませ…」と言うフレーズがあります。
そのフレーズについて釜ヶ崎で活動をしている本田哲郎神父は、日本語の翻訳は少し違っている、正式には「私が飢えていた時に自分で食べていけるようにしてくれ、のどが渇いている時に自分で飲めるようにしてくれた」
大いに違うことがお分かり頂けるでしょうか?僕らはこうでなければいけないと思っています。

でもそれは一時のおにぎりを不要だと言っている訳ではありません。人は十分に食べなければ活動できません。遠い明日に就職活動をするためには今日一日生き抜かなければならない、そのためのおにぎりは「自分で食べていけるようにする」ものです。
でも、永遠に「あげる」「もらう」の関係ではいけないというのです。

その人が自分で食べていけない理由はどこにあるのでしょうか?
実はそれを柏木先生の授業ではきちんと取り上げたのです。
まさに「イエスが隣人を語る」ことに目をやった結果、子どもたちは否定していた野宿者を受け入れ、野宿者問題の本質にぶつかったのでしょう。
本質は路上で寝ている事実ではありません。本質は路上で寝なければならなくなった社会構造です。
一生懸命働いた揚句に、路上で生活をせざるを得なくなり、それを何も知らない自分が蔑視していたことに気付いた時に、社会の理不尽さに立ち向かいたいという勇気をもった。その気づきが授業内容だったのでしょう。
そして微力な自分であるのならどうするか?そこにディベート力が必要で、そこには他人と生きていくための語学の大切さ、それが国語(日本語)学なのでしょう。

もう一つ大切な関係は「祝福」です。この話は質問者の回答にも少し触れました。
以前こんなBlogをかきました。
社会の中に居る事で大切なボランティアはなにか?と言えば笑顔を作り出すことでしょう。
それが 子どもたちのように何のスキルもなくてもできることが僕らには残念ながらできなくなっていく。
それをしっかりと認識し、力不足の大人たちが子どもたちの力を借りて、笑顔と言う明日の希望の力にしてもらう活動にしていければいいですね。本当に寄り添えて行けているか?はひび葛藤で、もしかしたら出来ていないかもしれません。でもBestを尽くすことだけはしっかりと全うしたいです。

そして「している」だけではないことも教わります。パトのメンバーに家族を送る出してくれた方、「息子にとって野宿のオッチャン達は『道親』だ」と言う発言こそが、隣人の本質だったと思います。

多くの仲間たちと一緒に一つの集会を作り終え、そして幾何の方が野宿者支援に関心を持ってくれたことは感謝です。
また、カンパ箱には15.761円 もありました。謹んで御礼を申し上げるとともに大切に用いますことを申し述べさせて頂きます。

野宿者のことを学ぶ中から

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「さとにきたらええやん」上映会がこの日曜 30日に行われます。映画のあと北村年子さんを講師にお話をお聞きします。
一つは釜ヶ崎にあるこどものさとに集まる子どもたちが血縁でなく地縁で結ばれた多くの大人たちの愛情で育っていく「道親」と言う考え方の拡大。
そしてもう一つは野宿者がおかれている現状。
そうした中、小田原でも野宿生活を余儀なくされている方のこと、それを支援する側に釜ヶ崎のこどもの里と同じように子どもたちがいるのなら、もっと深く聞きたいというと言う要望が出てきたので、映画会の第2弾を開催する運びとなりました。

会場は80余人ですので、早いもの順です(^_^)/
予約もお受けいたしますのでご興味ご関心のある方はご連絡ください。

原爆投下の日

正確な時期は失念したが1980年代中旬から小田原のスクランブル交差点で小田原在住の被爆者の方と一緒に原水禁の署名と募金活動を約30年続けた。
きっかけは、

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の絵本でも紹介されたHさんの音頭取り。(右下の小田原と書かれた方)
世の中を変えることが出来るほど大きな力ではないことは分かっているけれど、町の中で大きな声をあげてPRすることが、すなわち風化防止。なんだかわからない輩がでかい声張り上げていたな、原爆がどうだとか…。そんなあやふやな理解でもいい、原爆と言う言葉がインプットされれば、いつかその記憶が蘇える。
何割の方に理解して頂けたかもわからないし、今日日「長崎に原爆が投下された年月日は?」と問われて何割が正解を言ってくれるかも知るのも怖いくらいなデータなんだろう。少しでも食い止められればと切に思う。
その活動が今から約30年前に終止符を打たざるを得なかったのは、もう被爆者の方々も(もちろん僕ら教会での協力者も)高齢になり、夏の暑い昼下がりにやれるだけの体力が無くなってきたから。活動をやめなければならないのは悔しいいし苦しい。
苦しい…それは思いが広がらないという側面がそういう気持ちにさせる。始めた方の意志が通じ国の考えが改まったならともかく、思い半ばでやめてしまう事は申し訳ないという気持ちも湧く。
でもスタンディングだけがPRではない。今僕らは自由にFacebookやツィッター、ミクシーなどのSNSに投稿する権利を持っている。
9日、僕らは今一度原爆に想いを馳せよう! 唯一の被爆国、いやそんなことはない、実験地に住むネイティブアメリカンやビキニ環礁の住民たち、そしてチェルノブイリに住んでいた方々・・・。みんな被害を受け困窮の日々を過ごしている。そうした人たちと一緒にやはり原子力の使用は人類には無謀だと言わなければならない。そしていかなる理由であれ人を殺める権利が無いことも声を大にして言い続けたい。

8月10日のパトビラ(№990 - 小田原市生活支援課と意見交換してきました -)

毎週、野宿を余儀なくされている方(ホームレス)のところを訪問する際に持っていくパトビラ、今日はこんなことを書いてみました。
いつもはA4一枚ですが、書ききれなく今日はA4二枚です。

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8日に小田原市福祉健康部生活支援課と意見交換をしてまいりました。
大きなテーマは2つで、その1つはジャンパー問題に端を発した「生活保護行政のあり方検討会」報告書の「改善案」の動向。
1.所内で研修をたくさんしてどうすれば正しく優しく生活困窮の人たちと対応できるかの検討。 
2.1項で学んだことを窓口やケースワーカーの訪問時に実践できるようにする改革。このなかには既に改正した「保護のしおり」やそれを使っての人権に伴った利用審査、保護の申請からの決定まで14日で治める努力の徹底などがあります。 
3.またケースワーカーなどの職員が仕事をしやすくするような環境づくり。人員の増員や市長・副市長とのミーティングなどをする等を掲げています。 
4.保護を利用している人が後ろめたくないように、当然の権利と胸を張って使えるようにすること 
5.市民に開かれた生活保護。4項と類似していますが、市民が保護利用に理解をするように啓発していく。 こうしたことをしていくと報告がありました。

もう一つのテーマは、NPO無料低額宿泊所からアパート等への転居や無低の施設概要について、です。
いわゆる厚生省課長通達7―107で、面接時にいくつもの要件を中心に総合的に判断をすること自身は異論ないですが、「あり方検討会」の中で有識者の方が、一時宿泊所なので長期無低に留めるのはよろしい事ではないと語り、それについては市側も納得したことなので、最低限の金銭管理や火元管理などの安全管理などができる人に関しては、アパートに転居後にケースワーカーさんと一緒にそのほかの詳細改善をしていけるようにしてほしい事。面接官が本人以外無低の運営者や施設管理者などの意見を重視するのは(空き部屋を嫌がる運営者と言う立場なので)アンフェアーになる、等の意見を提言してきました。
多くの部分は市役所担当者も納得していただいたので今後改善されると思っています。
こうした意見交換会は定期的に行っていきたいと思います。


小田原市さんが板挟みで大変なことは重々承知の上で、でも国や県は顔の見える関係じゃなく、僕らが頼るのはやはり市行政なのです。野宿の一人一人の顔を見ながら、困窮の悩みを直で聞きながら、小田原で生活してよかったと言える街づくりにしていってほしいです。そのためには市民グループとして協力を惜しみません。

第三のレス

30日の会が神奈川新聞の紙面に載りました。取材ありがとうございます。
それを実行委員仲間の友人がフェイスブックで教えてくれました。ありがとうございます。
そうした2つがあってこのトピックスをあげることができました。

20170806-01

houseless(物質の家というものが無いハウスレス)とhomeless(帰る場所・家族などの精神的なつながりが無いホームレス)は以前から多くの方の指摘がありましたが、今回北村氏はinformationless(と言う言葉は使わなかったけれど情報不足)も一つの貧困になると言われました。

なかなか理解できずにおりましたが、学校でラインの仲間外れなどといういじめが多発していることなどは、お金があり、家には心配をする家族がいても、長時間ともに過ごす学校の仲間がいなくなると途端に人生が謳歌できなくなることなのだと、後々実感がわいて…。

いまや情報と言うのは一つの大切な道具であり、それ故多くの人が、ラインやフェイスブックなどでほかの人とつながりを求め、そこからの情報で安心感を得ている時代です。
それを良し悪しと言う分析をしたところで、残念ながらそういう事実はありますし、このBlog自身だって、一番最初に書いたように、新聞記者と僕にその情報をフェイスブックで教えてくれた友がいなければ成り立たず、その嬉しい情報をほかの仲間とも共有したいという意思によって成り立ちます。
スマホと言う物質を持っていながらも、まさに「情報ホームレス」の問題は新しい貧困(心の痛手)を生み出す問題なのかもしれません。

それに第三次産業は情報で利益を生み出している産業帯です。インサイダー取引なんて言葉があるように、その情報を不正に取得するのは法で罰せられています。それだけ情報は貨幣価値を持っている事でもあります。
パソコンの使い方がわからない人が不平等に、不利益をこうむらないように、少なくとも人と人との交流の中では考慮しなければならないのでしょうね。

原爆投下の日

アメリカの核の傘に守ってもらっている日本。ゆえに核兵器廃絶条約の国連会議に参加しなかった。
世界中に多くの衝撃を与えた、直後のヒロシマ原爆投下の日。
核の傘と言うのは何か?アメリカが核をもっていて何か有事の時は核兵器を使うぞ、だから戦争を仕掛けるな、と言う意味なのだろう。
憲法9条1項:.日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
ここに書かれているのは「威嚇すらしてはいけない」という理論の最高の思想をもちながら堕落していく姿を見ていくのが忍びない。
子どもの喧嘩だってそうだ。兄貴や親の姿をちらつかせるのは卑怯者だ、と言うのは僕ら子どもの頃の常識だった。かっこ悪い事だった。
そういう時代を過ごした僕は、日本国がそんなかっこ悪い事をしているのが残念でしょうがない。

8月3日のパトビラ(№989 - 土用波には気を付けて -)

毎週、野宿を余儀なくされている方(ホームレス)のところを訪問する際に持っていくパトビラ、今日はこんなことを書いてみました。

中国の思想に五行と言うのがあります。すべてを5つに分けて考える発想。酒を飲んだ時に「五臓六腑に染み渡る」という五臓もそうだし、高松塚古墳で見つかった墓を守る空想の動物「玄武・白虎・朱雀・青龍・麒麟」もそうです。
季節も「春・夏・秋・冬」のほかに季節の変わり目18日間を「土用」と呼びます。春、秋、冬の土用は廃れてしまいましたが、立夏直前の18日の夏の土用は風習や文化として残っています。江戸時代夏の間は誰も食べることのなかった鰻屋のご主人のボヤキを聞いた平賀源内さんが「土用の丑の日に鰻を食べる」という日本で初めてのキャッチフレーズを作り、鰻を食べる習慣ができたのも夏の土用が文化として生き残る原因の一つかもしれません。
さて、この時期の海は、「土用波」と恐れられています。これは、日本の周辺は穏やかでも、南の大海の中では台風が発生していて、その大波が日本の海岸まで来るからです。天気はいいし、風は凪っているし、絶好の海水日和、なはずなのに、注意を喚起する黄色い旗や遊泳禁止の赤い旗がはためくのはそうした遙か南洋の台風が影響しています。見える危険には人間は注意しますが、見えない危険には案外不注意なもの、海岸の方は気を付けて下さい。


ペテン師はペテン師でござい、と言ういでたちでもないししゃべり方でもありません。誠意にあふれている容姿であり言葉でもあります。だからこそ引っかかってしまう人が後を絶たないのでしょう。
海もそうなのかもしれません。台風の荒れた海ではだれも泳ぐことはありませんが、端が黄色や赤でも静かな海だったら大丈夫だろうと気が緩んでしまうものかもしれません。
でも、それが危ないことは繰り返し喚起することは大事なことかもしれません。
台風が続々と発生しています。野宿を余儀なくしている人だけではなく、夏休みです。レジャーの方々も十分気をつけてほしいものです。

下流老人

語り口は、まるでケーシー高峰さんや綾小路きみまろさんを髣髴させる、辛口(棘のある言葉)を織り交ぜながら飽きさせないように話を進めていく。
7月22日、教団紅葉坂教会で行われた、神奈川教区寿地区センター主催の藤田氏の講演には時代に即したタイトルゆえか満員御礼。お仲間のSunaoさんの司会進行のもと定時に始まりました。

20170725-02

下流老人…誰が貧困でもいけないですが、なぜ高齢者の生活が安定しなければいけないか?と言えば、若い時に一生懸命働いて年金や税をまじめに支払っても、高齢になったとき国は自分の生活を保障してくれないとなれば、年金や税を尊重しなくなるのではないでしょうか?
そう言う意味において「くれ騙し」にあったような高齢者の貧困は市民に大きな不安をもたらせます。

貧困のレベル、それは1人暮らしでは125万/年、2人なら170万/年、4人なら245万円/年(いずれも直接税をひかれた後)で、これを下回ると生活が困窮し、たとえば暑くてもエアコンの使用を我慢しようという気持ちになり、熱中症で救急搬送されたりもある訳です。国民年金だけだとこうした所帯になりやすいのが現状の日本で、これ以下の所帯を貧困所帯と呼び、全世帯の中の貧困所帯を貧困率と呼びます。
日本は16.1%が貧困でOECD加盟34か国のうち6番目に悪い数値です。
これを高齢者所帯だけで見ると19.4%に跳ね上がり、OECDワースト4となってしまう訳です。
日本は景気がいい、とか、アベノミクスなどと言われていますが、人生の終盤の時先進34国の中で下から4番目の貧困の中で生きるという事は将来に希望を持てない国家なのでしょう。
もうひとつ問題は、リタイアした後別所帯である子どもにもSOSを出すことが不可能な状態であることも注視しなければならないです。正規雇用率が低くいつ解雇されるかわからない不安定な状態では親の面倒を見たくても不安でできないこともあります。

そういう下流老人が増えた今の日本。ならではの事件事例はたくさん発生しています。
・2015年5月に起こった川崎市の簡易宿泊所火災事件
 ここはドヤと大差が無く正規の住居に住めない貧困の要支援、要介護1,2級の方もたくさん入所していました
・2015年6月に起こった新幹線内の放火事件
 高齢者が困窮の日々に嫌気をさして焼身自殺を図った事件
・2016年1月のスキーツアーバスの事故
 65歳と言う高齢者が深夜バスの運転手を続けなければならない事情
・2015年11月 埼玉の心中事件
 47歳の娘が81歳の母親と74歳の父親の未来を苦にしての心中事件の裏には、生活保護利用問題がありました。、
・2016年10月28日 軽トラが登校の列に突っ込んだ事故
 87歳の運転手は認知で自宅が分からず走り回っている最中のパニック事故 

こうした事例は加害者だけに責任を負わせるのは忍びない気がする事故事件ばかりです。

今日の講演会のサブタイトルは「ひととのつながりが貧困と闘う武器となる」です。
講師の藤田氏は貧困と言うのは経済的な問題だけではなく、つながりが切れることで情報が無いことで生まれる部分も多いと語ります。孤独死に対して不安を持っている人が先進諸国の中で高いことがそれを裏付けていると思います。

「核家族」が日本の家族形態になって幾久しいです。それによって孤独死の不安の増えているのかもしれない中、「拡大家族」は大切だと藤田氏は説きます。それは一つは教会(宗教団体)であり、一つは市民力(ボランティア力)ではないでしょうか?
野宿者支援、そしてこのあと7月30日に上映する「さとにきたらええやん」の映画の一つのテーマ道親。こうした大きな動きをするには「核」が必要です。個人が個人でそれぞれ動いてもなかなかできるものではありません。
その核になるのが上記の宗教団体や市民のボランティアです。

さて日本の平均余命は90余歳。しかしその年齢は死産(0歳)や交通事故や病で若くして亡くなった方の年齢も含まれていて、中位寿命で平均余命より3年ほど長いと言われています。いずれにしろ60歳でリタイアしたならあと30年ある訳です。会社人としてのリタイアは人生の2/3の部分にある訳です。
残りの1/3は自分の生活を気にせず、余暇を楽しんだりボランティアとか社会貢献をするときなのでしょうけれど、その時まで働かざるを得ないことが問題です。上記のように「ひととのつながりが貧困と闘う武器」として闘ってほしい方が闘えない状況に陥ってしまいます。

日本は最低賃金もドイツの半分程度です。賃金が低ければ社会保障は手厚くなければいけませんが、それも低いです。
昭和の右肩上がり、「待ちぼうけ」の歌ではありませんが、二匹目のどじょうを狙って無策のまま過ごしてきた日本は、いつの間にか貧困国家になりました。子どもも若者も高齢者も貧困に喘いでいるのに、なぜか意識だけは相変わらず中流意識。実はそこが問題なのでしょう。
『理想主義のない現実主義は無意味である。現実主義のない理想主義は無血液である。』ロマン・ロラン氏の言葉です。多くの国民に中庸左派の意見を言うとそれは理想で現実的ではないと言いますが、自分が貧困であるのにその現実を直視せず中流でいるつもりも大いに非現実的です。
社会が変わらないとまさに「無血液」な社会が蔓延しちゃいます。
よい学びの時が与えられました。感謝です。
という訳で本買っちゃいました。ゆっくり読み直したいものです。

20170725-01
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