束縛された不自由からの開放

宇都宮けんじ氏がFBで紹介していたニュース。

ホームレスを経験した人が働き、地域の人と交流できる場所をつくりたい――。そんな願いを込めた小さなカフェが東京都練馬区に18日、オープンした。フェアトレードの豆を自家焙煎(ばいせん)したコーヒーや本格カレーが味わえる。

 名前は「カフェ潮(しお)の路(みち)」。一般社団法人「つくろい東京ファンド」(稲葉剛・代表理事)が、クラウドファンディングなどで集めた寄付金で開設した。民家を改修し、2階がカフェ、1階がコーヒースタンドになっている。

 つくろい東京ファンドは2014年7月、空き家を利用した生活困窮者のための個室シェルター「つくろいハウス」を東京都中野区に開設設し、住まいの確保や生活支援をしている。いまは都内4区に22部屋を用意。これまでに約50人が生活保護を利用するなどして一般のアパートに移った。

 ただ、アパート入居後も地域で孤立しがちで、仕事を探そうにも高齢や障害のためフルタイム勤務は難しい人が多い。稲葉さんは「『住まい』の次は『仕事』と『居場所』が必要。それなら自分たちでつくろうという思いでカフェを立ち上げました。地域の方も高齢者もお子さんも集まれる、みんなの居場所にしていきたい」と話す。

 カフェでは20~70代のホームレス経験者5人がスタッフとして働く。時給は1千円。その人の事情や体調に応じて柔軟な働き方ができる。さらに多くの人に呼びかけていくという。将来的には子ども食堂や学習支援にもカフェを活用していきたいとしている。

 ログイン前の続きコーヒーは200円、日替わりランチ500円、カレー700円。シェフを務める同ファンドの小林美穂子さんは「カレーは3時間かけてつくっています。おいしいですよ」。お金がない人も足を運べるよう、余裕のある人が「次に来店する誰か」のために飲食代を前払いする仕組みも採用し、「お福わけ券」と名付けた。200円と700円の2種類がある。

 見学会やプレオープン日には、かつて新宿駅の段ボールハウスで暮らしていたホームレス経験者も含め、稲葉さんの長年の知人が集まった。かつて日雇いで建築の仕事をしていたという男性(64)は「顔見知りが多いから、またコーヒー飲みに来ます。お店がはやるといいな」と話していた。

 カフェは火、木の12~17時、コーヒースタンドは火~金の12~15時。今後営業日を増やしていきたいとしている。詳細は同ファンドのウェブサイト(http://tsukuroi.tokyo別ウインドウで開きます)で。
 朝日新聞 清川卓史 2017年4月21日06時00分

本田哲郎神父の著書「釜ケ崎と福音」内の言葉を借りずとも野宿を余儀なくしている人にお声をかけると、その多くは生活保護を取得したいという言葉より、もう少しここで自分の力で頑張りたい、という回答が返って来ることが多いのは、野宿者支援をしている人共通の認識だと思います。かくいう僕も高齢の野宿者に、体調不安から少ししつこいぐらいに生活保護受給の正当性を語ったこともありますが渋られることが圧倒的に多かったです。

さて、井手先生の仰った『自由のなさ』こそが弱者の意味、という言葉を昨日聞く機会があり、全くその点こそが一番の問題点なのだと思った次第です。
僕らが当たり前にしている「会話」や「生活」。考えてみると、例えば学校のいじめではこの「会話」における自由のなさ、つまりは無視・孤立が一番の苦痛なのでしょう。野宿の人も大きなコミニュティがあるドヤ街、また小田原のような地方都市でもコロニーを作って生活している人は「会話」がありますが、ドヤ街の中でも小田原でも孤立している仲間がいます。僕らが訪問をすれば誰とも会話する機会が無く溜まった言葉が出てきてあっという間に30分、時には1時間ほども傾聴したケースもあります。仲間不足という「自由のなさ」という弱者であるわけです。
また、野宿のコロニーからアパートに居宅設定した直後(半年くらい)で亡くなられるケースもありました。部屋という囲まれた空間から外に出れなくなって、大自然という自由が奪われた…出ようと思えば自分の部屋だから出れるのでしょうけれど囲まれた不自由さを味わった結果なのかもしれません。囲まれた瞬間に保守的な心が生じ、外に出るのが怖くなるのかもしれません。
地方都市から電車を乗り継いで東京に行く、最初の一歩が踏み出せない。興味ある集会なので出てみたいが勇気が出ない。楽しそうなんだけれど、不安な要素は無いんだけれど怖気づいている自分。踏み出してみれば「なんだ、簡単な事じゃん」と言えるのは分かっているんだけれどな…。
河島英五さんというミュージシャンの方がいて、その方の作品に「てんびんばかり」というのがあります。その一説に

うちの仔犬はとても臆病で一人では街を歩けない
首輪をつけると とても自由だ
僕を神様だと思っているんだろう

というフレーズがあります。僕らは首輪をつけられることが不自由な象徴として感じますが、首輪をつけてのお散歩はご主人さまと一緒という自由を感じているというこのフレーズはよくわかります。自由かどうかは自分の感性に行動が適合できるかどうかなんですよね。

問題は、他人によって首輪をつけなければいけないという強制、首輪をしてはいけないという圧力があることが「不自由」=「自由のなさ」でしょう。
支援を始めたころ、若気の至り(と言っても若くはなかったけれど)アパートに入りたくないという自由を無視して必死に自分の意見を押し付けてしまったかな、と思っています。
傾聴などとかっこいいことを語りながら、実は持論を静かに聞いてくれたのは野宿を余技する人だったのかな?と思うのです。

聖書に善きサマリア人の喩というのが載っています。

ある人がエルサレムからエリコに向かう道中で、強盗に襲われて身ぐるみはがれ、半死半生となって道端に倒れていた。祭司、レビ人といった神殿にかかわる人々はこの人を助けずに通り過ぎた。しかしユダヤ人から大変に嫌悪されていたサマリア人は、この半死半生の人を助けた。傷口の治療をし、家畜に乗せて宿屋まで運び、宿屋に怪我人の世話を頼んで費用まで出した。
このたとえ話の後、律法学者に対してイエスは、このたとえ話で誰が怪我人の隣人であるかを律法学者に問い、律法学者が「助けた人(サマリア人)である」と答えると、「行って同じようにしなさい」とイエスは言った。

という喩は、とかくサマリア人になりなさい、的な説教になりますが、けが人の僕の話を聞いてくれる野宿者こそが(社会で蔑視されているけれど)サマリア人なんだな、と思います。

それでも孤独でストレスをため込んで吐き出すことが出来なければ病んでいきます。
野宿者支援というのは実はこうした孤独解消のボランティアなのかもしれません。
そしてQOL(クオリティ・オブ・ライフ)働きたい人に働く場を創造する活動なのかもしれません。
子ども食堂も野宿者の支援も市民の理解やスキルが上がって来て形はどんどん良く変わっていくのかもしれません。
今まで僕らの活動は「寄り添う」共生に趣きをおいていましたが、少し「脱出」QOL、笑顔を拭くりだす支援ににシフトしていくべきなのかもしれませんね。

自民党は久野の住民をテロリストとおもっていたのか!!

ついに国会審議がはじまった共謀罪。19日の衆院法務委員会で安倍首相は、「我が国がテロ組織による犯罪を含む国際的な組織犯罪の抜け穴になることを防ぐ上において極めて重要」などと“テロ対策”であることを強調したが、もはやこんな詭弁が通用するわけがない。

 というのも、今回の共謀罪の取りまとめ役となっている自民党法務部会長である古川俊治参院議員が、「テロだけじゃない」とテレビで断言したからだ。

 その発言が飛び出したのは、昨日20日に放送された『羽鳥慎一モーニングショー』(テレビ朝日)の人気コーナー「そもそも総研」でのこと。コーナー進行役の玉川徹氏が共謀罪の重要人物である古川議員に取材を行ったのだが、そこで古川議員が語った内容は、まさに共謀罪の恐ろしさを裏付けるものだった。

 たとえば、安倍政権は共謀罪の捜査対象はテロ組織などの「組織的犯罪集団」に限られているというが、277ものの犯罪のうち、ひとつでも2人以上で計画や準備行為をしたと見なされれば「組織的犯罪集団」とされてしまう。そこでもっとも懸念されているのが、沖縄における基地反対のように、一般市民が参加する運動が「組織的な威力業務妨害罪にあたる」として共謀罪を適用されるのではないか、という問題だ。

 そこで玉川氏は、沖縄のように基地建設を阻止するために市民たちがトラック車両を現場に通さないよう座り込みで抗議する、そのことのために銀行でお金を下ろすなどしたときにも共謀罪は適用されるのか?ということを古川議員に質問。すると、古川議員はこう述べたのだ。

「仮に完全にトラックを防止するっていう目的だけにみんなが集まると、仮にですよ、仮にね。極めて具体的な計画でやる。具体的な計画といったら危険性が出てくるということですから、まさにやろうとしているということなんですね。そして、そのための実行準備行為をやったという段階じゃないと、これ適用になりませんから」

ここですかさず玉川氏は「逆にいえば、そこまでやれば適用できるということですよね」と言うと、古川議員は「そうなれば、組織的犯罪集団として認定される可能性はありますね」と明言したのである。

 つまり、トラック阻止を計画し準備しただけで「組織的犯罪集団」となり、共謀罪で逮捕されてしまう、というのだ。安倍首相は「一般市民が対象になることはない」と繰り返し強調するが、とんだ大嘘ではないか。

 反対運動だけではない。例として、原発のような国策を推進する企業に対してSNS上で集団で批判を書き込むといった行為を信用毀損・業務妨害罪にあたるとして共謀罪が適用される可能性について、古川議員はこのように言い切った。

「故意があるということは確定的に何か証拠に出ていて、かつ、その具体的な計画で、まさに実行の段階に入って、それで実行準備行為があるという段階になれば、それはその犯罪は成立するので、あり得ることです」

 この古川法務部会長の説明によって、共謀罪とはやはり、テロとはまったく関係がない一般市民に、権力者の思うがまま、いくらでも適用できる法案だということがよくわかるだろう。しかも、古川議員はこんなことまで言い出したのだ。

「テロなんて言ってませんよ、この法律だって」
「それはいろんな意味でですよ、テロだけじゃないですね」

「テロ等準備罪」とテロの脅威を利用した嘘っぱちのネーミングに置き換えたのは安倍政権だが、その取りまとめ役たる法務部会会長である古川議員は自らが、“この法案はテロだけが取り締まりの目的じゃない”ときっぱり宣言したのである。

 ようするに、「テロ等準備罪」というのは詭弁でしかないと自民党議員によってお墨付きが出たわけだが、問題は、安倍首相がこうした詭弁を弄して国会議論を掻き混ぜ、共謀罪を押し通そうとしていることだ。

実際、前述した19日の衆院法務委では、民進党・山尾志桜里議員が、安倍首相は1月の予算委では「そもそも犯罪を犯すことを目的としている集団でなければなりません」と言っていたのに、その3週間後にはオウム真理教を例に出し「当初はこれは宗教法人として認められた団体でありましたが、まさに犯罪集団として一変したわけであります」と説明を一変させたことを指摘。「“そもそも発言”を前提とすれば、オウム真理教は『そもそも宗教法人』なので対象外ですね? どちらが正しいんですか?」と質問を行った。

 すると安倍首相は、藪から棒にこんなことを言い出した。
「“そもそも”という言葉の意味について、山尾委員は『はじめから』という理解しかないと思っておられるかもしれませんが、『そもそも』という意味には、これは、辞書で調べてみますと(中略)これは『基本的に』という意味もあるということも、ぜひ知っておいていただきたいと。これは多くの方々はすでにご承知の通りだと思いますが、山尾委員は、もしかしたら、それ、ご存じなかったかもしれませんが、これはまさに『基本的に』ということであります。つまり、『基本的に犯罪を目的とする集団であるか、ないか』が、対象となるかならないかの違いであって。これは当たり前のことでありまして」

 姑息にも程があるが、「そもそも」という言葉を「基本的に」という意味で使うことは一般的にほとんどないだろう。たとえば三省堂の『大辞林』では、名詞用法としては〈(物事の)最初。起こり。どだい。副詞的にも用いる〉とし、接続詞としては〈改めて説き起こすとき,文頭に用いる語。いったい。だいたい〉と説明している。「基本的に」という意味は書かれていない。

 同様にネット上でも「『基本的に』なんて意味で『そもそも』と言うか?」と疑問が呈され、朝日新聞は『広辞苑』『日本語大辞典』『大辞林』『日本国語大辞典』を調査し、どの辞書も〈「基本的に」とする記述はない〉と記事にしている。さらに辞書をテーマにした「四次元ことばブログ」では、30種類以上の辞書を調べても、戦前の辞書まで遡って調べても、「そもそも」を「基本的に」と語釈する辞書は見つからなかったとレポートしている。

ぜひ安倍首相にはわざわざ調べてみた辞書が何であるのか明かしていただきたいものだが、言うまでもなく、山尾議員はそんなことを問いただしたかったわけでは決してなく、“誰がターゲットとなるのか”という重要な問題が本題だったはず。それを自分の発言責任を放り出して、根拠もない自己弁護で議論を進展させようとしないのだ。

 だが、今後もこのような詭弁に詭弁を重ねるバカバカしい議論がつづいていくことは必至だろう。しかも、この日の法務委では、まともな答弁ができない金田勝年法相の“代打”として、要求されてもいない林真琴刑事局長を政府参考人として出席させることを強行採決。前代未聞の国会ルール破りを展開した。

 しかし、こんな滅茶苦茶なやり方で、どんな問題法案だって押し通せてしまうのが安倍“独裁”政権である。冒頭に紹介した『モーニングショー』のように、いまこそメディアは共謀罪の危険性と安倍政権の暴挙を暴き立てていかなくてはならないのだ。

(編集部)LITERA 2017.04.21|社会

自治会をあげて地域の環境問題を守る。
それは香川県の豊島や岐阜の御嵩町をはじめいたるところで起こった民間産廃施設反対運動があり、わが町小田原市久野もご多分に漏れず山間部の計画のためにできる限りのことをした。僕らもトラックの前に座り込みもした。行政センターの駐車場に寝泊まりをして反対を言い続けた。
原発反対や沖縄辺野古・高江の米軍基地反対も形は違えども「公害」問題だ。地元民にすればまさに火の粉が降りかかった大変なことなのだ。

テロリストが、私はテロリストでこれから危険な行為をするなど言うはずがないことは子どもでもわかる理屈。
地下に潜ったテロリストをあぶりだすためにはどうするのか? と言った時、立法提案者たちは認めていないがこの共謀罪では民間人を犠牲にして捜査対象にする、ということだろう。
でも実はそんなところに真意を置いていないだろうと推測していたが、まさにその疑心は的中した。この法案は、あくまでも政府の建設しようとしている迷惑施設に反対するものを法的に処罰しようという内容だったのだ。
自治会長が捕まる。反対運動のリーダーが逮捕される。そうして運動の力を弱め、政府のやりたい放題にする。このための法案でもあることを僕らは肝に銘じておかなければならない。

もしそれは嫌だというのなら法案賛成政党に票を入れない。これしかない。

4月20日のパトビラ(№974 - 人権を司法が守る -)

毎週、野宿を余儀なくされている方(ホームレス)のところを訪問する際に持っていくパトビラ、今日はこんなことを書いてみました。

千葉県弁護士会の会長が52歳の壮年の方になりました。若い方が熱意をもって会を引っ張ることは素晴らしい事です。しかも弁護士と言う大事なお役目の会ですからなおさらです。
そんな会長のあいさつがホームページ上に乗っていましたが、そこには
『国民の人権を不当に侵害する法律や行政行為は、裁判手続などの司法作用により正されなければならないということです。』とありました。日本の三権分立が大きくゆがめられています。沖縄では法を曲げてでも米軍基地を作ろうとしているし、原発事件の片棒を担いでまだ放射線量の高い所に帰村させ補償を打ち切ることも法治国家でありながら法が国民を守らない出来事です。
もちろん野宿の仲間を囲む事例もたくさんあります。生活保護実施要領等の解釈をもってなんとか路上からアパートへ直接入居せずに敷金・礼金の不要な無低に一度介してからとしていますが、森川弁護士は同資料内の「安定した住居のない要保護者が住宅の確保に際し、敷金等を必要とする場合」は一定額を支払うべきという一文をもって支払うのが当然と言います。まさに行政行為が憲法25条の精神に則ってほしいものです。専門家の弁護士をはじめ、市民グループも一体となって憲法の権利を守り続けたいです。


洗足の木曜日で訪問をお休みしました。2週間ぶりの訪問です。
だいぶ暖かくなってまいりました。皆さん元気で過ごしているでしょうか?
同時にジャンパー事件以降、小田原市の行政の在り方も注視し、久々に僕の生活の中心となりました。
そのほかにも、東京都渋谷区の公演の封鎖とかもニュースとして流れていました。

そんな訳で学習会の公示です。
交流学習会「公園で、路上で、排除されても、また暮らす」

2017年3月27日に事前告知なしに宮下公園の封鎖が強行され、抗議した支援者・野宿者が逮捕されるという事態が起きています。日々暮らすために必要な荷物を取り戻すだけでも、多大な労力と時間がかかったといいます。
オリンピックの会場となる予定の明治公園では、度重なる排除が起きています。
現実に公園に暮らしている方から、オリンピック関連の再開発が進む中での排除とその闘いの実際について聞いていきたいと思います。

日時:2017年4月23日(日)午後2時~
講師:小川てつオさん(反五輪の会)
場所:寿生活館4階 会議室(横浜市中区寿町3-12-2、JR石川町駅北口下車、徒歩5分)
主催:寿支援者交流会(045-641-5599・寿生活館4階)


私も参加する予定です。人権問題にご興味のある方ぜひどうぞ!!

さとにきたらええやん

釜のルポ映画の自主上映会の実行委員へのお誘いを受けました。
基本的にはOKだけれど、僕の気性から言って釜を知らずして実行委員にはなれないと思っているのです。(野宿者支援は、横浜寿と地元小田原で25年以上していますが、外部には行ったことが無い)
何事もフィールドワーク、自分の五感を駆使して知ったことを伝えたいという願望がパワーの源になると思っています。

3・11の際に、2名の牧師と一緒に福島・宮城を訪れました。TVでは何度も見ていたあの光景でしたが、行ったら全然違ったのです。そこには音が無かった。そこには臭いがあった。TVというディジタルな信号を通してでは図り知り得なかった「生」を感じました。
人間は全情報のうち視覚から約7割取得していると言われています。体に入る栄養素で言えば、糖質や脂質、たんぱく質にあたるものかもしれません。
でも、最近のサプリメントのCMを見ればわかるようにそれだけでは生きていけないのですよね。微量栄養素と言われるビタミンやミネラルが無いとだめなのです。
視覚以外の聴覚や嗅覚、触覚と日頃余り気にしていない感覚を駆使しなければ、物事は見極められないと僕は思うのです。だからフィールドワークしなければいけないと思っています。ビタミン、ミネラルがあってこそ健康に生きられるように、空気に触れて五感をフルに駆使して感じることで、そしてそこでの人とのふれあいのぬくもりでステップアップすると思うのです。

そんなこんなで下調べしたら興味深いBlogに出くわしました。
釜ヶ崎に初めて足を踏み入れた女子大生のBlogですが、恐る恐る踏み入れてからどっぷりとはまっていく様子が手に取るように描かれています。

僕も何度も書いていますが、元来は排他的立場の人間でした。人生の計画性のなさが招いた結論。ホームレス全否定の考え方でしたが、当時の小田原教会の藤田牧師が寿地区センターの委員長をしており、その牧師が病気で倒れられ、教会の雑務を若者でしている際にWさんという仲間がポツリと「牧師がやっていたことを牧師が倒れたから誰も引き継がないことはダメだよね」という旨の事を語られたのです。何かその言葉に非常に説得力を感じ、そしてなぜか数ある牧師が奉仕している中から寿の文字が頭に浮かんだのです。
信仰をもつ者の勝手な言い分ですが、このひらめきを僕は「神の導き」だと思っています。食わず嫌いで否定をしていたホームレス問題、それ以外にも多数奉仕をしていた牧師の行動の中から僕がなぜこれを選んだのか?と言えば、全く分からないのです。本当に神によって与えられた使命だったのだろうな、と思っています。
それでも地区センターの三森主事にTelをして、車を寿に走らせている時、僕の頭の中はニューヨークのスラムの写真のように、車の4本のタイヤがかっぱわられ、フロントガラスに大きなひびが入りペンキでいらずら書きされている哀れな僕の愛車の姿でした。
やっぱり行くのはよそうかな?という不安感を押さえて行ったのは、電話をしたので藤田委員長の代理で行く僕を主事が待ってくれているからという意味のない義務感でした。
街に近づけば、うわさ通り道路でヤンカラが焚かれ、中には凍てついた道路で寝ている人もいる僕の思った通りの姿でした。
でもこの先の行き方が分かりません。
「コノヤロー車なんかで乗り込んできやがって」などと敵意むき出しで思われないように低姿勢で、「すいません、越冬本部はどこでしょう?」と問えば、オッチャン氏は丁寧に道を教えてくれて気を付けるように言ってくれました。
『あれ?僕はいったい何に怯えてたのだろう?』
・・・そして東南アジアのようなゆるい時間の流れのこの街にいつぞやハマって行きました。
TVのドキュメントでいくら寿のことをよく言う番組が放映されたところでこの感覚にはならなかったでしょう。

そして今でも恥ずかしい思い出があります。
毎年の越冬の際は当然ながら自分の食べ物は自分で調達するのですが、ドヤ街ですから安価な店が多いのです。
たとえばりんご1/4個で10円のように、わずかなお金しか持ち合わせていない人でも買えるように工夫がしてあります。
そうしたお店の売り方が新鮮で興奮し後先を考えることなく野宿の方がたくさんいる中をお腹いっぱいになるほどの食べ物を購入して本部へ意気揚々と帰って来たことがあります。
あの時お店にいた野宿の仲間はどう思ったのだろう?俺も腹減っているのに、という羨望のまなざしで僕を見ていたのだとしたら本当に申し訳ない気持ちでいっぱいです。冷静さを欠いた行動に今も心が痛みます。

釜ヶ崎と女子大生。と題したBlogを読みながらそんな20余年前を思い出しました。
16日は初打ち合わせがあるそうです。顔を出してもしお受けするのなら一度釜の町を見に行きたいと思います。
それが僕が実行委員になれるかどうかのような気がします。現地で嬉しいこと恥ずかしいことがあればこそ、本気で釜を伝えられそうな気がするのです。

そういえば2011年に小田原からお仲間が奈良に引っ越して釜に関わっていると言われました。釜でお会いできたらそれも嬉しいな・・・。

4月6日のパトビラ(№973 - 『春の日』直前、受難の木曜はお休みします! -)

毎週、野宿を余儀なくされている方(ホームレス)のところを訪問する際に持っていくパトビラ、今日はこんなことを書いてみました。


いろいろな神様が自分のテリトリーを支配する八百万の考え方を日本人の多くが持っていたりします。「サ」というのも稲作農業神の神様の名前で、稲を植える時期は「さなえ」、そのころ降る恵みの雨を「さみだれ」、田植えが終わった後の祭りを「さのぼり」、稲につく虫を「さばえ」と稲に関するものに「サ」の字がついたりします。諸説ありますが「桜」も、稲作の神の「サ」の居る場所「座(くら)」に植える木から来たとも言われています。
神の居る場所、神と出会った場所、そうした貴重な場所に「建屋」を立ててほめ奉りたいのは、一神教のキリスト教でも同じことで、例えばエルサレムには聖書の各場面の場所と言う場所の上に教会がたてられています。まさに結界のごとく「聖地」としての神の場に桜を植えたとするのなら、それはそれで古代日本人の美意識を感じます。
と同時に日本はやはり農業国なんだな、と感じます。四季の移り変わりを肌で感じ、春と言う生命の誕生の時期を桜を愛でることで喜ぶ姿は素敵だなと思うのです。
さて、来週はキリスト教会ではイースターの直前の木曜で大切にしている洗足の木曜です。ですので私たちの訪問ももお休みをさせて頂きます。そしてイースターは洋の東西は違っても、主のご復活と生命の誕生を喜ぶ日です。希望の春であります。


桜を愛でるのが大好きな日本人は多いと思います。
季節が生命の誕生と言う春になってきたこと、そして短い期間で花が散ってしまうはかなさを一緒に味わえる花見の文化は、本来は宗教的・哲学的な意味合いに感じますが、最近はまさに「花より団子」。寒さに負けずに楽しく飲むことが最優先のような気がしてなりません。
この裏には、農地の減少を感じざるを得ません。四季を実感しながら労働に勤しむ百姓の減少を感じざるを得ません。
桜の語源や由来を探りながら何か本来の意味が失われていく一抹の寂しさを感じてしまいました。

来週の木曜は洗足の木曜。そして最後の晩餐の日です。教会が大切にしている日です。当初クリスチャンばかりで始めた小田原交流パト、クリスチャン以外の方も参加するようになった今も相変わらず年に1,2度のお休みの週です。

かみ合わない?かみ合わさない?

小田原市の「生活保護行政のあり方検討会」の立ち位置は、
小田原市が大きなミスを犯した。それを反省し再発を防止するために有識者の方々を呼んで「何がまずかったのか?」「何を変えればいいのか?」を、有識者から小田原市職員が聞くというもの
という僕の解釈であながち間違えてはいないと思う。
しかし、その中で、有識者からの質問に腑に落ちない説明があった。
一例をあげれば最後の会の扶養調査のやり取り。

有識者:DVなど家族親族に居場所を知られたくない場合、小田原市から扶養調査が入れば小田原市にいることが分かってしまう。怯えている人にそれは大きな恐怖だが、小田原市は扶養調査にどのような配慮をなされているか?
市職員:配慮はしている。
有識者:配慮をしているだけではわからないので再質問。しないでほしいと言った場合は利用者の要求に従ってしないのか?それとも市のやり方を曲げずに調査をしているのか?
市職員:次の職員への申し送りを含め各段の配慮をしている。

どう見てもかみ合わせないような答弁で、まるで国会中継を見ているようだった。が、ここは何度も言うが、既にミスを犯してしまった市側が意見を聞いて改革をする場。隠すこともなく、言いにくいことも洗いざらい言った中で、「じゃあこのような改革をしたらいかがですか?」というアドバイスをもらう場所。
そこは(僕の推測も含めるが)「配慮をしながらも調査を致しました」と正直に言う場でしょ?なんでこの場に及んでも保身に走るの?

4回の会議を開いて有識者の先生方の貴重な意見を聞けて良かったと思う反面、少しだけ不安が残った。

そして、市から過日の小田原交流パトの抗議書への回答が来た。

20170327-01

当たり前の文書。公文書だからこういう書き方しかできないのかもしれないけれど、何か失望感漂う回答。
あり方検討会では、市民との溝を埋める事、分かりやすく丁寧にすること、が求められたはず。
何か違う…。こんな通り一遍の回答書なら要らない。
この違和感が、結局4回の検討会はなんだったのか、という失望感に変わらないことを祈るばかりだ。

生活保護行政乃あり方検討会

4回にわたっての表記検討会が終わりました。
5人の有識者の皆さん、本当にありがとうございました。

今日もいくつかずしりと来た発言がありました。

「(生活困窮者と)寄り添うことで不正が無くなる。」
近しい人、いつでも意見交換している人とは通じるものがあります。そしてその人のために迷惑をかけてはいけないと思うものです。友人はなかなか裏切れません。

「生活保護を受けることが屈辱だと思う社会概念、これが問題」
「困った時にサポートを受けるのは恥でもないと誰もが思える小田原市になってほしい」

座長の井手先生は、今回のジャンパー問題は「弱者がより弱者をたたく構造」だと語られました。誰かを助けるために誰かが犠牲になってはいけない、と。
そう言う意味では、市民が叩かせようと輪になってはやし立てた存在かもしれません。一番の問題は生活保護利用者を偏見の目で見ていなかったか?を真摯に問わずにいた僕ら市民かもしれませんね。

「当事者は小田原市民であること。堂々と市役所に行ってほしい。当事者こそ改革のパートナーだ」

以前スェーデンに行った際、生活保護利用者の方が乗馬をしていた。そこでそばにいた人にそのことを問うたら、労働の貴さ楽しさを知りながら働きたくても働けないかわいそうな人なんだ、だからせめて乗馬くらいの気晴らしをさせてあげなくては人生つまらないものになってしまう、と諭された。

そして代る代るに、この問題は保護課の問題ではない。そして小田原の問題でもない。と言われました。
どの部署にも、どの町にも出てくる可能性があります。たまたま小田原市であり、たまたま保護課がやり玉にあがりました。
ですので、小田原市においては全庁的に取り組んでほしいです。
過去にも襲撃事件を受けて市と交渉したことがあります。が、教育委員会は暖簾に腕押し、言葉を濁し僕らが提案要求した長期休み直前の人権問題を考える時間の取得はされませんでした。
この初夏もきっと市役所と意見交換の時を持つでしょう。はたして教育担当の部署はこの問題をわがことのように感じてくれたでしょうか?
埼玉の無低で違法な行為がありました。小田原市保護課の職員は立ち入り検査や指導強化をするでしょうか?
市民数に比べて、また全生活保護者数に比べて、母子家庭の保護数が極端に低いです。僕らの知らないところで、またもしかしたら行政も自分たちの言動が水際作戦になって利用をあきらめている人はいないでしょうか?
保護のしおりの改定を約束しましたが、改定をするまでの期間暫定的なしおりの作成をするよう委員会からの提言が出ました。いつどのようなものができるでしょう?

実は市が今日まで4回の提言をするかどうかは、上から目線で僭越ではありますがやはり僕ら市民の監視の目が必要になると思います。世の光・地の塩となれ、と聖書は僕らに語りかけます。そうありたいと思います。

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久野と辺野古

 米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古への移設計画をめぐり、翁長雄志(おながたけし)知事は25日、前知事が出した辺野古沿岸部の埋め立て承認について「撤回する」と表明した。承認の撤回は、工事阻止の「最大の切り札」(県幹部)とされる。翁長氏が撤回を表明したのは初めて。
 翁長氏は、計画に反対する市民団体などが開いた、移設先の米軍キャンプ・シュワブ前での抗議集会に初めて参加。政府が県の岩礁破砕許可の期限が今月末に切れた後も工事を続ける姿勢を示していることを挙げ「岩礁破砕も無視して通り過ぎていこうとしている。あらゆる手法で撤回を必ずやります」と宣言した。
 埋め立て承認をめぐっては、翁長氏は承認を取り消したが、最高裁で違法とされ、取り消し処分を取り消した。「取り消し」は、承認そのものに問題があったことを理由に無効にする方法。これに対し「撤回」は、承認後に起きた事業者(政府)の重大な違反や問題を理由に、承認を無効にする方法だ。
 翁長氏が承認撤回に踏み切れば、政府は工事を進める法的根拠を失う。このためすぐさま対抗措置を取るのは確実で、新たな法廷闘争に発展することになる。
  朝日デジタル (上遠野郷) 2017年3月25日13時22分

自分の人生の中で一番政治(生活)に関わったのは、何度も書いている久野の産廃問題。

その時久野以外の小田原市民、そして多くの市議や県議も、「どこかに作らなければいけないのに久野の連中はうるさくてしょうがない」とうんざりした空気があったことを覚えています。
最たるものは某市議が『どこの家にも便所がある』と小田原市を一軒の家に例えて、久野を便所と喩えたことは20年経った今も忘れられない言葉でした。
必要悪の施設と言われたものも同じです。行政が何とかしようと躍起になっているものも同じです。

市民運動と住民運動は違う。これが上記の温度差で気づいたことです。火の粉をかぶって熱くて初めて社会問題にぶつかる住民運動は熱意と団結力が強いです。自分たちが困窮したからこそ、他市でもふるさとを守ろうという闘いにはエールを送りたいです。
本来ならば久野の人たちもあの時の自分たちと同じ困窮の日々を過ごしているのだからとエールを送ってほしいですが、やはり自分の故郷から離れれば当時の久野以外の方がこの問題に関心を示さなかったようになかなか盛り上がらないのでしょう。
でも、久野は最後に勝ったのです。
あの住民運動を思い出しながらエールを送り続けたいものです。

枝葉末節の道徳・根幹の道徳

初めての小学校道徳の教科書検定が終わり、8社の24点66冊が出そろった。本来、「考え、議論する」を掲げたはずなのに、文部科学省が検定過程で付けた数々の意見からは、教科書作りに積極的に関与しようとする姿勢が浮き彫りになった。高校の地理歴史や公民の教科書でも、集団的自衛権や南京大虐殺などの記述が、文科省の指摘に従って横並びになった。
「しょうぼうだんのおじさん」という題材で、登場人物のパン屋の「おじさん」とタイトルを「おじいさん」に変え、挿絵も高齢の男性風に(東京書籍、小4)▽「にちようびのさんぽみち」という教材で登場する「パン屋」を「和菓子屋」に(同、小1)▽「大すき、わたしたちの町」と題して町を探検する話題で、アスレチックの遊具で遊ぶ公園を、和楽器を売る店に差し替え(学研教育みらい、小1)――。
 いずれも文科省が、道徳教科書の検定で「学習指導要領の示す内容に照らして、扱いが不適切」と指摘し、出版社が改めた例だ。
 おじさんを修正したのは、感謝する対象として指導要領がうたう「高齢者」を含めるためだ。文科省は「パン屋」についても、「パン屋がダメというわけではなく、教科書全体で指導要領にある『我が国や郷土の文化と生活に親しみ、愛着をもつ』という点が足りないため」と説明。「アスレチック」も同様の指摘を受け、出版社が日本らしいものに修正した。
 「ここまで細かいとは」。各社の編集者はこうした検定のやり方に戸惑う。

 検定に臨んだ8社は、2015年に告示された指導要領が学年ごとに定める「節度、節制」「感謝」「国や郷土を愛する態度」など、19~22の「内容項目」を網羅することを求められた。
 学校図書(東京)の編集者は指導要領やその解説書を読み込み、出てくる単語をリスト化。本文や挿絵、設問に漏れなく反映されているか入念に点検したが、それでも項目の一部がカバーされていないという検定意見が数カ所ついた。別の出版社の編集者は「単語が網羅されなくても、道徳の大切さは伝えられる。字面だけで判断している印象だった」と不満を口にする。
 最終的に、検定では8社の計24点(66冊)の教科書に誤記や事実誤認を含めて244の意見がつき、このうち43が指導要領に合わず、「本全体を通じて内容項目が反映されていない」などの指摘だった。
 各社は指摘に沿って本文やイラストを修正したが、これまで検定の対象外だった副読本より、「横並び感」が強まった。

 中身だけでなく、文科省は教科書を使った授業のやり方にも注文をつけた。
 出版社は教師が指導しやすいようにと、読み物の冒頭や末尾に設問を入れるところが多かった。そんな中、低学年向けの教科書だけ、あえて設問を入れなかった社もあった。「指導の自主性を尊重したいという考えから」(編集者)だったが、指導要領が定めた「問題解決的な学習について適切な配慮がされていない」という意見がついた。
 最終的には、設問を挿入して検定を通ったが、編集者は「設問をあらかじめ示すことは、読み手の子どもに先入観を与え、読み方を規定することにつながりかねない。『考える道徳』に反しないか」と疑問視する。
 横並びの印象が強いのは検定だけが理由ではない。出版社側の思惑もある。
 各社が学年ごとに掲載した約30~40の教材には「定番」が目立つ。文科省の副読本「私たちの道徳」や旧文部省の道徳指導資料などにある教材を全社が引用。「はしの上のおおかみ」「花さき山」「ブラッドレーのせい求書」「雨のバス停留所で」「手品師」などは全社が掲載した。このほか、4社以上が採用した資料も少なくとも16ある。
 複数の出版社は「現場の教員から『授業の実践例が豊富な定番を使いたい』という声が多い」とし、「採択されるには、多くの先生が教えた経験のある教材を一定程度入れるしかない」(編集者)と打ち明ける。
 全ての教科書が扱った「いじめ」関連の内容では、ネット社会を背景に、ネットいじめについて学ぶ読み物が並び、仲間はずれにされる場面を演じるコーナーを設ける教科書もあった。(前田育穂、菅野雄介)

■地理歴史や公民、政府の主張が随所に
 一方、高校の地理歴史や公民では、戦後補償や安全保障などをめぐる記述で、政府の主張や立場が随所に反映された。
 14年の憲法解釈の変更による集団的自衛権の行使容認と15年成立の安全保障関連法は、現代社会と政治・経済の全8冊に掲載された。うち5冊が「閣議決定をもって一部『行使できる』ことに変更」など、集団的自衛権を使う際の前提になる「新3要件」に触れなかったり、例として1要件だけを取り上げたりした。「立法までの経緯などを記せば3要件は書かなくても理解できる」(編集者)といった判断だ。
 これに対し、文科省は「新3要件をすべて書かなければ、生徒にとって理解し難い」と指摘。その結果、8冊すべてに新3要件が掲載された。政府は3要件をもって集団的自衛権の行使は限定的なものだと強調しており、こうした点を踏まえたとみられる。
 戦後補償についても、日本史2冊に対し、慰安婦問題に関する15年末の日韓合意を書くよう求める検定意見がついた。「戦後補償を詳しく書く場合、日韓合意の記述は『最近の動向』として不可欠」というのが文科省の見解だ。ただ、検定中に、朴槿恵(パククネ)大統領をめぐる疑惑が浮上するなど、日韓合意の履行を危ぶむ声もある。執筆者の一人は「22年まで使う歴史の教科書に慌てて書く必要があったのか」と話す。
 14年1月に検定基準が改定され、ときの政権の立場が強調される傾向は強まっている。「政府見解がある場合はそれに基づいた記述」「近現代史では通説的な見解がない数字などはそのことを明示」といった内容で、この基準に基づく検定意見は今回も南京大虐殺(南京事件)の犠牲者数などで計11件あった。「日本では数万~十数万以上など諸説あり」「中国政府は30万以上を主張」と書いていても、「通説的な見解がない」ことを明確にするよう求められた。執筆者の一人は「教科書から多様性が失われ、マニュアル化が進んでいる」と心配する。(木村司、沢木香織)

■小学校道徳の「22の内容項目」(学習指導要領による)
善悪の判断、自律、自由と責任▽正直、誠実▽節度、節制▽個性の伸長▽希望と勇気、努力と強い意志▽真理の探究(5、6年生のみ)▽親切、思いやり▽感謝▽礼儀▽友情、信頼▽相互理解、寛容(3年生以降)▽規則の尊重▽公正、公平、社会正義▽勤労、公共の精神▽家族愛、家庭生活の充実▽よりよい学校生活、集団生活の充実▽伝統と文化の尊重、国や郷土を愛する態度▽国際理解、国際親善▽生命の尊さ▽自然愛護▽感動、畏敬(いけい)の念▽よりよく生きる喜び(5、6年生のみ)

朝日デジタル 前田育穂、菅野雄介 木村司、沢木香織 2017年3月24日23時15分

「あなたたちはこれを何て呼ぶ?」キャベツを指さした台湾の原住民の方がそう言う。
「キャベツ…ですか…?」
「あなたたちの先輩たちはこの島に来て、これを玉菜と呼べと強制しておいて、自分たちはキャベツと呼んでいるんだ…。」
そんな会話を読んだのが2012年2月に厳しい金銭をやりくりしてでも台湾に行こうと決意した最初のきっかけでした。

自分たちで敵国語と勝手に決めて禁止させ、禁止を守っている庶民を見捨てて、自分たちはカタカナ語に戻す変わり身の早さと節操のなさ。これを日本人の誇りとか日本文化への愛情というのならチャンチャラおかしいというものです。

パン屋だと郷土の文化や生活に親しめず愛着がわかないというのいうのでしょうか?
それを発言している人たちの食事や生活はどんなものなのでしょうか?
明治以来150年弱の歴史、そこには良くも悪くも様々な利便を取り入れてきました。洋食を食べる文化、イスとテーブルの生活様式、和服から洋服に移行したファッション。それは和への愛着じゃないというのなら、少なくとも言われる方々はそれ相応の和へのこだわりをお持ちの上でのご発言なのでしょう。
自分は洋ものかぶれだが、他人の子どもたちには和を押し付けたいというのならそれは偽りの教育であり、そもそもパン食文化が和ではないという発想すら僕は認識違いだと思います。
明治の当初、ちょん髷を切り洋を受け入れた人を「散切り頭」と反発した日本文化の保守勢力。でも今では相撲取り以外はちょん髷を結う人はほとんどいないことから、時代の変化を無視して和だとか洋だとか言っている事がナンセンスなんです。
日本語だって『いとをかし』などと喋っている人を見たことがないどころか、多くの為政者や有識者が自慢げにカタカナ言葉をしゃべっています。
あわせておじさんがおじいちゃんになった、そこには高齢者を慈しもうという教育がある・・・? 生活困窮者を無視して、様々な弱者を無視して、苛めと不登校問題を無視して、高齢者だけを取り上げて何が道徳なのでしょう?
万人平等にいたわりましょうが基本じゃないのでしょうか? 分かりやすいように特化した形で一部を隠し想像させずにいることが過去の子どもたちのホームレス襲撃にも結び付いたのだと思っています。特化した道徳がそこから落ちこぼれる「徳」を作り出してはいけないのです。
特定の人だけを愛する選民主義的な道徳は決して正しいものだと思えません。間違った押しつけにならないことを切に祈ります。

ダウト!!

100万円を手渡しされたのをわざわざ金庫に入れず、振り込むなんておかしい。故にこれはおかしいな、と思っていて、それ故に国会では尻つぼみになっちゃうのだろうと思っていたら、まさかの展開。

とんでもない爆弾証言が出てきた。先ほど終わった衆院予算委員会での学校法人森友学園の籠池泰典理事長の証人喚問だが、午前の参院での証言で出てきた「平成27年11月17日に総理夫人付タニサエコさんからいただいたファクス」について、衆院でさらなる詳細が発覚した。

 午前の証人喚問での籠池理事長の話によると、平成27(2015)年5月29日に定期借地契約を締結し、その土地の買い受け特約が10年だったが「もっと長い期間へ変更できないか」との思いから「私たちの教育理念に賛同している昭恵夫人に助けをいただこう」と考え、同年10月に昭恵夫人の携帯に電話。留守電だったためメッセージを残したところ、後日、内閣総理大臣夫人付のタニサエコという人物から連絡があり、「なかなか難しい」との返事がきた。

 さらに同年11月17日には、以下のようなファクスが送られてきたという。

〈時間がかかってしまい申し訳ありませんが、財務省本省に問い合わせ、国有財産審理室長より回答を得ました。
 大変恐縮ながら、国側の事情もあり、現状では希望に沿うことはできないようでございますが、引き続き、当方としても見守ってまいりたいと思いますので、何かございましたらご教示ください。
 なお、本件は昭恵夫人にもすでに報告させていただいております。
内閣総理大臣夫人付 谷査恵子〉

 このファクス文面はすでに午後のワイドショーで公開されているものだが、午後の衆院の証人喚問で民進党・枝野幸男議員に引き続きこのファクスについて問われた籠池理事長は、上記の文面を読み上げた後、なんともう1枚紙をめくって、文面を読みはじめた。まだ公開されていない2枚目、つまりファクスのつづきがあったのだ。しかも、それは衝撃的な内容だった。

「『10年の定借の是非』『50年定借の変更の可能性』『土壌汚染や埋設物の撤去期間に関する資料の扱い』そして4番(目)が『工事費の立て替え払いの予算化について』というふうなことも書いていただいている。『一般的には工事終了時に精算払いが基本であるが、学校法人森友学園と国土交通省航空局との調整にあたり、予算措置が付き次第、返金する旨の了解であったと承知している。平成27年での予算での措置ができなかったが、平成28年度での予算措置を行う方向で調整中』というようなものをいただいています」

 籠池理事長からの「依頼」に対し、安倍昭恵夫人は秘書を動かして財務省に掛け合い、その上で「国有財産審理室長」が「平成28年度での予算措置を行う方向で調整中」と回答していた──。つまり、昭恵夫人は国有地の取引に関して財務省から回答を引き出していたのである。

 この衝撃的な内容に、枝野議員は「安倍総理が従来おっしゃっていたことと全然違う。本当に重いご発言なんですよ。きょうのご発言は事実と違えば偽証罪に問われ、このファクスが偽造・変造されたものであれば、罪に問われます。間違いないものなんですね?」と確認。しかし籠池理事長は、明確に「間違いございません」と返答した。

 安倍首相は2月17日の国会答弁で「私や妻が(国有地売却や学校認可に)関係していたことになれば、首相も国会議員も辞める」と宣言している。もし、この籠池理事長が読み上げたファクスがほんとうに昭恵夫人側から送付されていたとすれば、昭恵夫人が国有地売却に「関係」していたということになる。

 この疑惑のファクスは早晩テレビなどのメディアにも出てくるかと思われるが、これが事実なら、総理辞任は必至だろう。

リテラ / 2017年3月23日 17時45分

このFAXは本物なのか、結局口利きをしたのだろうか…。
証人尋問、今まで虚偽の発言をして処罰の対象になるのは籠池氏なのか、安倍氏なのか?
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