25'th anniversary Travel diary(8章1節 忘れた頃に)

絵はがき・・・・?

文字は見慣れた連れの文字・・・・。

一瞬間をおいて状況を理解できました。

そう、PEI(プリンスエドワード島)で、モンゴメリーが勤めていた郵便局からポストカードを送ると、その消印は赤毛のアンの消印なので、結構リーズナブルなお土産(思い出)としてみな出されていますが、今年は残念ながら昨日でこの郵便局はクローズドになってしまいました。そこでもしご希望の方がいましたら私が来シーズンのオープニングまでお預かりして責任持ってお出しします、とガイドのKayoさんが言ってくれた絵はがきでした。(青字の上をクリックするとその記事にリンクできます)

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(文字が歪んでいるのは、ちょうどこの上に住所と名前を書いてしまったので、それを修正したからです)
白熊の切手がラブリーです(笑)

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絵はがきはモンゴメリーの生家で買ったんでしたね。確か購入後、そのミュージアム内でスタンプを押したんだっけな。少し忘れてき始めている(笑)

言葉通り到着しました。ありがとう。もう一度思い出がよみがえりました。
今回の旅は、ドライバー、おふたりのガイド、添乗員、そして仲間の皆さんに恵まれたたびでした。特にガイドさんには、ティムホートンズのプレミアムのキャップを送ってもらったり、こちらでは絵はがきを送ってもらったり、と通常の業務以上の過分なサービスをしてもらいました。感謝です。
お交わりのあった皆さんは人生をエンジョイしているでしょうか? Blogを辿っていただけることがあれば嬉しいものです。

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25'th anniversary Travel diary(7章3節 一考察その3)

浅野温子さんが挑発的な目で・・・・、スクリーンを眺めている男たちはそんな彼女の妖しげな美しさに思わず息を呑み喉仏をゴクリと鳴らす・・・・。そんな『スローなブギにしてくれ』の原作者、片岡義男氏の『アップル・サイダーと彼女』を読んだ。
250ページの然程厚くない本に50もの短編が収められているエッセイだ。しかし、そんな数多くのエッセイ集のタイトルが『アップル・サイダーと彼女』であることは、氏がこのアップル・サイダーと言う飲み物に、そして売り子に特別な思いを持ったのかと思い、古本を買った次第だ。

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舞台はテネシーからヴァージニアに向かう郊外。『Take Me Home, Country Roads』とジョン・デンバー氏が歌ったあたりだ。そんなカントリーロードを走っていると、だんだん道が赤茶けて、そして埃臭くなって来る。
思えばルート66を走りたくってやってきたアメリカもだいぶ長くなってきて、本来の目的や期待感がだんだん薄れてきた感じだ。俺は何をやっているんだろう?そんな疑問が頭に浮かぶが、考えることもめんどくさいのでただ車を走らせる。
10月も終わりだというのにまだまだ暑い。今思えば、モーテルを出る時にコーラの一本でも買っておけばよかったって事。ハンフリーボガートや松田優作を気取るわけじゃあないけれど、モーテルの台所で、オートミールを炊いたが、熱そうなドロドロのオートミールがやけに俺に対して挑戦的なので、水道の水をぶちまけて冷やしてそのままディスポイザー行きさ。自宅ならきっと猫と一緒の食事で、そんなオートミールもおいしいんだろうが、旅先じゃあそんな相棒すらいない。

民家と民家の間の感覚がだんだん離れ、いよいよ肥料のにおいが強い田舎町さ。こんなところじゃあ、GSくらいしか立ち寄るところが無いな、と思っていたら、朝日が輝く中にアップルサイダーと書いた看板を出して、女の子がちょこんと座っている。

いつもの俺と明らかに違った。俺はその店の前で車を止めた。
鼻がつんと上を向いたおすまし顔の女の子が、可愛く笑った。2杯で5円。こんなお金で商売になるのかよ、笑顔に引かれて俺は注文をした。
この地方はりんごの産地ではない。しかし、アメリカ人はこのアップルサイダーが好きだ。バーのドアの向こうの大酒のみの姿ばかりを想像していた俺は、このなんとも甘い子ども向けののみものをいい大人が飲むとは信じられなかった。
ガラスの大きな容器の中から、子どもには難しそうな長いひしゃくを上手に使い、彼女はグラスにアップルサイダーを入れた。2杯でと言うのは、1杯目と2杯目のりんごの割合を変えているから、だから甘いのを飲んだ後、少しすっぱいのを飲んでね、と彼女は言った。

俺は決してロリコンではない、と思う。が、この屈託の無い笑顔の目には何か世の男性に挑発的に誘いをかけているような気すらする。妖しげな表情を見ている俺を楽しむかのように、彼女は俺の前で俺を見据える。俺は明らかに目の吸引力に引っ張られた沈没寸前のぼろ船だった。

フォードの5000ccのピックアップが俺の車の後ろに止まった。ドアを開けて出てきたのは、このあたりに住むファーマーか、テンガロンに銀色の手入れを丹念にされた口ひげ、スタンハンセンってプロレスラーが居たな、とぼんやりと思い起こすような体型だ。フォードのトラックが小さく見えるぜ。
彼はたち続けに2杯のアップルサイダーを飲んで50円玉をテーブルの上においてフォードに乗り込み立ち去った。

なるほど、5円だけなんかとケチってはいけないわけだ。ベースのお金に彼女へのチップ、これがかかるんだな、と俺もまねをして50円を渡した。
サンキュー、当たり前のように受け取った彼女の顔には既に笑顔は無く、次の車が来るほうに顔を向けている。笑顔の代価に50円は少ないわけか・・・・。おませな彼女はうらぶれた俺なんか以上に経営を知っている。
ローレライの歌声に引っ張られた船乗りたちはたちまち激流に飲まれて沈んだというのを読んだ。まさに今の俺は、引っ張られて浅瀬の岩で沈没してしまったようなもんだ。

40歳に近いのに俺はいったい何をやっているんだろう?
クリンチ・マウンテンの上空は日本では見られないような澄み切った青空が広がっていた。


・・・・っていうのは読み終わった僕の主観的な想像を含めたこの『アップル・サイダーと彼女』のあらすじです。あくまでも主観的な感想ですよ(笑)

PEIでアップルサイダーを飲んだ。エイキンさんのお宅を拝見させてもらった時だ。彼女のそれは、きっとりんごだけではなく何種類かの果物とシナモンなどの香り付けが入っていた上品なものだろうが、片岡義男氏がアメリカの片田舎を旅した時に飲んだそれはきっと素朴な味だったのだろう。
そしてその素朴感が忘れられない思い出だったのかもしれない。

25'th anniversary Travel diary(7章2節 一考察その2)

アイデンティティ(地域・組織・集団などの共同体への帰属意識)を持つ、とは何か?
カナダの旅で一つの大きなテーマを感じました。
ノバスコシアでは、ノルマンの民の入植後、今度はしきりにゲルマンの民が入植し、しかも英国人たちがヨーロッパで入植を斡旋し、その母国らしい町作りを進めたわけです。
たとえば世界遺産に指定されたルーネンバークという名前は明らかに、ドイツ語の響きを醸し出しているし、そこの教会の多くが、プロテスタント系が多いことからも理解できると思います。

州のタータンがあると言うガイドさんの説明に、興味を持ちました。

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お土産に買ったノバスコシア州のタータン柄のボールペン

アイデンティティを持ち続けるためには、やはり「絶対」なものが必要であり、一つはそれを宗教に求めると思います。個々の信仰ではなく、アイデンティティのための「宗教」、つまりは町のどこからでも見えるような大きな伽藍の礼拝堂と、力ある存在の加護と反した時の絶対的な罰。こうしたものを共有することでアイデンティティは保持できるのでしょう。
見知らぬ場所、しかも未開の地です。どんな動物がすんでいるのか? 近隣に人はいるのか?いるのなら友好的な人なのか? 数千年前、イスラエルの民は、土地をめぐって、全滅をした民族もいますし、自分たちもそうして滅ぼした上に国家を成り立たせています。逆にバビロニア捕囚などの憂き目にもあっています。そうした時々にいつも民衆の希望は『神』にあったわけです。インマヌエル=神ともにいまし・・・・そうして自分たちをいつも愛して救ってくれた・・・・そんな歴史が、頭の中を通過したのだと思います。この不安の解消は、コミニティの強化、つまりは中心に絶対的な存在が必要になるのでしょう。
ルールを守る間、仲間の中でトラブルを起こさない間は、祝福された時間が与えられるも、そこから逸脱した瞬間村八分の恐怖があるわけです。この恐怖を味わいたくないがために、自分を殺してでも村の中でうまくコミニュケーションをとっていこうとするわけです。
信徒を急激に伸ばす宗教の特徴の一つは、必ずそこに罰という名の恐怖を与えることがたぶんにあります。ルールを強めて、そこから逸脱させない、この規律こそアイデンティティの保持には不可欠なのかもしれません。
日本が日本人としてのアイデンティティが余り持たないのは、僕ら日本キリスト教団の中のリベラルな一派(小田原教会もそうですが)と同じく、自由に生きる権利が義務や責務や一致に比べて非常に強い点にあるでしょう。
しかし、戦時下は、そんなことをしたら統率力を失い、敵対する力に敗北してしまいますから、神の名によっての聖戦と位置づけ、神ともにいますことに心を奮わせることで戦意を維持するわけです。そのような時には、自らのユニフォームを共に着ることで安堵感と戦意の向上があるわけです。
ヨーロッパにおいて自分たちの先人はそうして権利を守ってきた、1000年ほど前の移民者はそんな知恵と知識を持って、新しい地での生活にそれを生かそうとしたのでしょう。

タータンはファミリーである証拠。この町でつつがなく暮らしていくために、そして仲間意識を持つ楽しみと強みを実感するためにだんだん広がっていったのでしょう。そしてそれが町の色合いとなってみなが認めたのでしょう。

そんな話を奥田実紀さんの『タータンチェックの文化史』を読みながら想像しました。

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名は体をあらわす、と言う日本のことわざがあります。
マシューやマリラは言います。アンが自分の名前に誇りを持たずに、友人のダイアナの名前にうっとりとすると、異教徒のような名前だ、と快く思わないシーンもでます。
アンの語源はヘブライ語の Hannah(恵み)から来ていると言われていますので、すなわちそのままキリスト教の流れを持つ名前に対して、ダイアナはローマ神話の月神ルーナとごっちゃになったり、樹木神とよばれたりする、多神教の女神の一人に名前の語源があるので、マシューやマリラは好まなかったのでしょう。
こうしたマシューやマリラの宗教的な頑なさは、時代背景や所属教会の指導もあるかと思います。
日本でもキリスト教はハイソサエティの家庭の情操教育も兼ねて広がった経緯があります。僕ら子どものころの「こども賛美歌」には、「神様が見ているので良い子でいましょう」的な賛美歌が何曲もありましたが、最近は「そのままの君を神様は愛しているんだよ」的な歌のほうが増えてきました。
マリラがパフのない洋服にこだわったのも、同様に清貧を重んじているプロテスタントの色が濃く現れている時代ゆえのエピソードで、タータンの歴史と同じく、その町でつつがなく生きるためには、そうした「常識」を守ることは必然だったのでしょう。

しかし、音楽もビートルズがビーチボーイズが、ビートの聞かせて曲を作れば、顔をしかめていた大人たちをよそに、そうした新しい時代が町の中に浸透し、そうして歴史は流れていくのでしょう。

自らの地を離れて、たぶん二度と故郷の地を踏めないと思った移民の民が、新しいカナダの地において団結して生きていくためのアイデンティティ。
それがタータンであり、名前であり、強いては国家意識、国民意識、民族意識、つまりは自分自身が何者なのか?と言う疑問なのでしょう。
そんな疑問と、融和によって(ルーツが何であろうが)自分はカナダ人という誇りの狭間で、それでもゆったりと朗らかに生きていけているアトランティックカナダの風土がやはりうらやましいほど素敵なものだと感じました。

25'th anniversary Travel diary(7章1節 一考察その1)

にんじん色の髪の少年は、根性がひねくれているといい、そんな「にんじん」というあだ名を自分の子どもにつけた母親。
なぜ、母は実の子に愛情をもてず、父親は息子への関心はなく、兄弟は「にんじん」をかばわないのか・・・・。そして、そんな「にんじん」の年に似合わない気の遣い方とはけ口。現在の児童虐待のそっくりな1894年に発表されたジュール・ルナールの児童文学だ。

アーサーコナンドイル氏のシャーロックホームズ・シリーズの中の「赤毛連盟(THE RED-HEADED LEAGUE)」という話は、
赤毛連盟に告ぐ――米国ペンシルヴァニア州レバノンの故イズィーキア・ホプキンズ氏の遺志に基づき、今、ただ名目上の尽力をするだけで週四ポンド支給される権利を持つ連盟員に、欠員が生じたことを通知する。赤髪にして心身ともに健全な二十一歳以上の男性は誰でも資格あり。月曜日、十一時、フリート街、ポープス・コート七番地、当連盟事務所内のダンカン・ロスに直接申し込まれたし。
赤毛であったことが大変だったので仲間のために何とか援助をしたいと思っていると言うホプキンス氏という存在しない人のこんなニセ広告に引っかかってしまったウィルソンさんに関わった事件だ。
こちらは1891年に発表された。
赤毛のアンが発表された1908年とほぼ一緒の時代だ。

赤毛はなぜこうまで誰もが書くほど蔑視されたか? 一つの疑問だった。
今ほど髪の毛を染める流行もない時代だったが、黒髪-赤毛-栗毛-金髪、色の近い順から記せば、欧米に多い金髪に比較的近いのは、黒髪より赤毛だろう。
そうした中、黒髪のダイアナは何も悩まず、アンは赤毛であることにコンプレックスを持ち、隣人のリンドおばさんに「みっともない赤い髪」と蔑視された事で怒り、孤児院へ返されそうになるわけだ。

なぜ、欧米で発行されたジャンルの異なる3冊がそれぞれ、赤毛が嫌われる内容なのか、その理由・時代背景などを調べてみた。

岐阜女子大の佐藤義隆氏の書かれた『「赤毛のアン」の魅力を探る』の中に、そのことが記されていたので、紹介してみよう。
それによると、金髪は良妻賢母、黒髪は情熱的な悪女という紋切り型のイメージがあるそうだ。そんなのナンセンスだとの意見もあるだろうが、いやいやわれわれ日本人も、血液型に関してはさほど変わらないイメージを持つ。
A型は、云々かんぬん・・・・。言ったり聞いたりすることは一度や二度ではないだろう。そんなイメージなのだろう。
では、赤毛とはどんなイメージを欧米諸国民は持っているのか?それは『裏切り』のイメージだと記されている。
イスカリオテのユダ然り、アダムとイブの息子カインもそうだと言う言い伝えがあるほどだ。
そのイメージの原因は、ケルト系の民族のヘアカラーによる点がある。ケルト民族には赤毛が多いらしい。
ハロウィンもクリスマスもケルト民族のお祭りだ。それが中世以前にヨーロッパに広がり、キリスト教と結びついた。そうした力のある民族と接している時には、気を使いながらもどこかで反発をするものだ。すぐれた文化そしてその精神思考(宗教や生活方法)の違いを驚愕しつつも神秘的な魔法使いとして偏見の目で見るようになる。
恐れは転じて蔑視に繋がることがある。イエス=キリストが活動した時代、医者もそうした理由で蔑視されていた。
それが赤毛が嫌われている理由の大きなひとつのようだ。

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25'th anniversary Travel diary(6章1節 GoTo Akitsu_shima)

早朝5時15分。こんな時間に出発するのも、シャーロットタウンから出発する飛行機は全部で11便、日本に帰る便に乗るには、6:25発のトロント行きか、6:50発のモントリオール行きに乗らなければいけない。
4時50分、一番最初にグランドフロアーに降りた僕らの前には、もうさっきから待っていたよ、とニコニコ顔のDave氏の姿だった。
みなを待っている間に、時間を惜しむように写真を撮り始めた僕らを見つけたフロントマン氏、ホールの電気、そして暖炉にも火を入れてくれた。

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サンキュー、お礼にフロントマン氏も撮っていいか?と訪ねると、僕のおでこに手を当てて『熱でもあるんじゃないか』と(笑) それでもポーズをとるところは、優しく陽気な性格だからだろう。

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空港まではわずか15分。いよいよこの小島ともお別れだ。
連れが日本の土産と、お茶の干菓子と手ぬぐいをDave氏にプレゼント。親日家のDave氏ならきっと喜んでくれるだろう。

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空港では名残惜しげにCow’Sの牛がお見送り。

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空港内の唯一の軽食堂で軽く朝食。

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コーヒーは陶器のカップが置いてあるので勝手に注いで、1一杯何がしの料金を支払う。
ツナサンドも美味しい。

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まだ真っ暗な中にも朝日の直前の明るさが感じられる。

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エアカナダ系列の近距離航空のJAZZ航空。そのCRJ100/200ERが僕らがモントリオールにむけて乗る飛行機だ。 50人乗りの小さな飛行機。なぜか席番号はA,C,D,Fだ。12列+13列目はA&C、反対側はトイレ。そんな飛行機の10Dが僕の席。
エアカナダに比べてシートはこちらの方が上質で上品だ。

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飛行機は、まず滑走路の端っこまで走り180度回転。そしてそこから勢いをつけて夜明け前の空に突入した。
昼間ならパッチワークと評されるPEIの航空写真も、夜明け前なので色具合が悪い。

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コンフェデレーションブリッジが見えた。最後のPEIのランドマークだ。これで本当に最後だ。

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1時間後、スナック菓子とドリンク。コーヒーがコーラにならないように絶対通じそうなオレンジジュースにする(笑)

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まもなくモントリオール、高度を下げる直前ターンを開始。すると朝日が真後ろに見えた。力強い朝日だ。

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モントリオールだ。ここで行ったのは万博だっけ、オリンピックだっけ。
小さな飛行機のタラップから僕らが降りる頃、僕らのかばんも機尾から降ろされていた。連れの赤いかばんだ。

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さすがに大きな空港。待合のロビーはWiFiと電源が常備されている。PCがあれば、ニュースを見たり、Blogを書いたり、そしてぶらりとバックパックの一人旅ならここで宿の予約も可能だ。

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9時発モントリオール発トロント行きのAirbusA320-200に乗る。3人掛けが左右に、そして縦33列の132人のエコノミー席と14人のExecutive Classでなるこの機の24Aに座る。

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クッキーとコーヒー(ホットコーヒーと注文(笑))が1回出され、トロントへ。

トロントでは2時間の搭乗待ち。カナダドルの残を使うために色々とお店を回り、見事ティムホートンズのコーヒー2杯でどんぴしゃ。
ここで僕は砂糖とミルク入り、連れ合いはブラックでの2杯を注文。同じ容器なので、「ふぃっち?」と黒人のおばちゃんに尋ねれば、「コッチガミルクトサトウイリ」と日本語で!!
驚いた顔をすると、嬉しそうにウィンクをして渡してくれた。こんな気配りはSurpriseで嬉しい。

行きと同じBoeing777-300ER。行きの55Dとは違い、この機では22D。18からエコノミーが始まるので、かなり前のほうだというのが推測できるだろう。

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まずはコーヒー。
そして、1食目。先のビーフが僕、あとのマカロニはつれのもの。

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行きとは違うコースらしい。夜食は、カップヌードルとビーフスライスの挟まったコッペパンのサンドイッチ。

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2食目は、僕はオムレツ、連れは雑炊。

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よく知った地図になった。北海道、そして東北仙台・・・・。成田がそこまで近づいた。

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短かった旅もこれで終了。
でも、まだ興奮冷めやらぬ中、暫く、PEIとかノバスコシアとかと言う文字に反応してしまうだろう。
旅行記専門の4トラベルにダイジェストを載せました。
PS

2008年5月に同じようなルートで廻られたNAKANPの日記さまのBlogにリンクを貼らせてもらいました。

2010年初夏に同じツアーで回られたはちさまのBlog「プリンスエドワード島~親子三代 赤毛のアンの旅」にリンクさせてもらいました

僕らと同じ時期に、別ツアーでPEIに行かれたmirais27さんの関連BlogにTBさせてもらいました。

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25'th anniversary Travel diary(5章3節 シャーロットタウンの日は落ちて)

少しでも時間があると見ると、Dave氏はロケーションのいいところを通ってくれる。今回の旅では、そんなサービスを僕らは何度も受けた。
今日の帰りも、そのまままっすぐ帰れば自分の仕事は終わりだが、わざわざ道を BrightonRd(ブライトン通り)からビクトリア・パークを迂回する海沿いの Park_Roadway(パーク・ロードウェイ)に廻ってくれて、その入り口で止まってくれた。
そして海沿いをケント・ストリートに入り、Rodd_Charlottetownに戻った。

今日は夕食は自由だ。そして僕はこの日シャーロットタウンに住んでいる日本人の方からBlogを通してお会いしたいとの連絡を受け19時にこのホテルで待ち合わせをしている。

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その間少しの時間だが町を散策してみよう。いくつもの教会の尖塔がさっきから気になっている。

夕日のまぶしい中、ホテルの部屋から見えた教会に向かおうと思う。
Pownal_St(ポウナル通り)を進んだ先の、St_JAMLS教会だった。ここはスコットランド系(KIRK)の長老教会だ。

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続いて横を抜けて、Fitzroy_St(フィッツロイ通り)の角の、St_Peter’s教会を写す。聖公会の教会だ。
レンガの建物は歴史が色として付着していくようで見て楽しい。

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司祭館なのか教会の関連施設のようだ。
大きなかぼちゃが飾ってある。Kayoさんの説明ならここはお菓子をくれるぞ!!

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教会の前のパーキング。真っ赤なJeep。日本と違ってフロントのナンバープレートの義務はないらしく、カナダの国旗のプレートがついていた。

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Rochford_St(ロッチフォード通り)からAllSouls_Ln(オールソールズ小路)を通って一度ホテルの前に。

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今度はKent_St(ケント通り)を北上。メインストリートのQueen_St(クィーン通り)を右折。
ここのCow’Sの表札のウシが可愛いぞ

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Gratton_St(グラフトン通り)に入る。
目の前にはコンフェデレーション・センター。ここは夏の間はミュージカル「赤毛のアン」を上演している。
Lunaという雑貨店が面白そうとF母娘、そしてえっちゃが入る。
呼ばれなければ来ない、というスタンスは、最近日本でも増えてきたが、声をかけた時のみ対応と言うのはありがたいものだ。
色合い・デザインなどは日本と違う感性もあるが、雑貨のウィット感の興味のツボは変わらないのかも知れない。
思わず笑ってしまうようなものもいくつもある。
添乗員のK本さん来店。これだけある店の中からこの店を選んで入ってきましたか!同じような関心事に僕らもびっくり。
彼女も今日は少し早めのオフタイムだね。一週間色々とありがとう!

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プロビンス・ハウス、つまりは州議事堂。ここがカナダの発祥だ。アイザック・スミスと言う有名な建築家のものらしいが、残念ながら僕は知らない人だ。
この敷地の裏に、3本の尖塔が見える。行ってみよう。

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St.Dunstan’s BASILICA 教会と言うカトリック教会だ。余りに大きく全景をカメラに写すことは不可能だった。

3つの教会を見たのでブラブラとホテルに戻ろう。

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をぉ!僕のハンドルと同じ名前の鮨屋だ。カナダ流のお鮨も興味があるが・・・・。

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クィーン通りは一番の繁華街。そしてこの街はアンの島。メイン通りはアンのショップが一杯だ。
写真のアンのチョコレート屋さんで、アンの好物のポテトチップのチョコレートがけを試食に出してくれたが、僕にはあわなかった、残念。

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をぉ!マクドナルドさん。首相をお辞めになってどこに行ったと思ったらこんなところで人間ウォッチングですか。時間があれば色々お話を伺いたいところもありますが、残念です。

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バス停だ。こんなに大きなバスなんだ。
そして時刻表もなんだか細かくて見難い。

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些細なものかもしれないが、魅力的な被写体が一杯だ。

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そんなものを見ながらの散歩は終了した。まもなくKiyoさんが来られる。
KiyoさんはこちらのBlogを書かれている方で、東京でエンジニアとその部門に長けているために専門的な営業をなされた方だそうだ。が、その生き方に疑問を感じ、定年前にこちらの移住を決めたと言う。
うらやましい生き方だ。
じゃあ、君もどうかね?と問われれば、ネックは語学だな。そして寒さだ(笑)
しかし、この4日間いつも町の人は優しかった。こんな街に住めれば心が豊かになるだろうな、うらやましい次第だ。

Roddのレストランには、5人が彼を迎えて短い時間だったが、会話を楽しんだ。

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食事も昨日のジャガイモ丸ごと1個ではなく、コロッケだった。

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明日は5時に出発だ。わざわざお越し頂いたKiyoさんとお別れして部屋に戻った。

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25'th anniversary Travel diary(5章2節 午後のアップルソーダ)

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シャーロットタウン観光センター先のシーフードレストランが今日の昼食会場。

パンの形が面白い。

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食事は、こちらでは初めて食べるお米。ピラフやパエリアのような感じ。油っこく少々癖があるがまぁいける。添えはパスタ。それにメインは魚のフライ。カロリーが高そう(笑)
ビールやワインにあうのだろうけれど、午後は人様のお宅にお邪魔するので自重。

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食後のコーヒーのスプーンはコーヒーの中にさしてもって来ました。こんなに飲んだらガボガボになっちゃう。

今まで持っていた空が雨の重みに耐えられなくなり、シトシトとしずくが落ちてきた。最後の観光日なのに残念。だが、あとは室内のみだ。

バスは今回のKNTツアーの目玉の一つプリンスエドワード島の『一般家庭』を訪問する。その前に、僕が『Cow'S、Cow'S』とうるさく言っていたもんで、カウズに連れて行ってくれることになった。
最近できた新しいショップだとの事。

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前にも記したが、美味しいアイスクリーム屋の癖に、キャラクターグッズにものすごく力を入れているお店だ。
その内容も、パクリ(コラボ)が多く、今はキティーちゃん顔の牛とか、マリオブラザース顔の牛とかが人気のようだ。
その昔初めてCow’SnoTシャツを見たときに、赤毛のアンのように麦わら帽子に赤いみつあみのお下げ髪の牛がいたのでそれがほしかったが、残念ながらもう製造はしていないとの事。

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しばしの買い物Timeにみな笑顔で出てきた。さぁ、いよいよ一般家庭での午後の紅茶Timeだ。

WarrenGroveと言う町に住むAikenさんと言う方のお宅だ。
再度ツアーの企画を見よう。プリンスエドワード島に住む『一般家庭』を訪ねて、だ。広告に偽りあり!!
どう見ても『一般』ではない。ハイソサイティーの高級住宅だ。
一般家庭というのは、だ、
娘のお下がりの洋服を着たりとか、
ダイエットという言葉には興味があるが、おいしいスィーツの誘惑には勝てず、それを食べるためにはウェストはゴムのズボンを履かざるを得ないとか、
お買い得、本日限りの言葉を聞くと耳がダンボになってしまうとか
つまりはそういう家庭のことだ。

そんなハイソなマダムだが、気さくに僕ら13名(添乗員さん、ガイドさん交えて)を家に上げてくれた。
13人の訪問者をいとも簡単に家に上げられる、やはり『一般』ではない(笑)

奥さんの好みは、唐三彩(デルフト・伊万里)のイギリス進化系の陶磁器なのか、しかも赤の基調で統一されそれは美しい。

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アップルソーダ(濃いリンゴジュースをホットで飲む飲み物)とチョコケーキのティータイム。しかも、器は色々な器が用意されていて、みな目移りしながらマイカップを選んでいた。
アップルソーダは癖になる美味しさだった。

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降っていた雨がいつの間にか上がった。太陽の光が葉っぱについたしずくを照らして一層まぶしい。
庭をご案内します、と言う言葉にわれ先に広い広い庭に出て行った。

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広大な敷地の奥に、もう一つ小さな白い建物がある。何か?と訪ねると、そこはアトリエとして使用している建物だった。

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品のない言い方だが、お金持ちのご夫妻なのだろう。でもそれだけではないのは、中古の家をここに求めたあと、全てご主人が大工仕事をし、奥様がガーデニングと室内装飾をした努力の賜物がある。
家作り・庭造りは、他人に任せて言ううちは綺麗にならないものなのだろう。

僕らは彼女にSpecialThanksをいってAikenさん宅を後にした。
さて、彼女は僕らがお邪魔しているときに、僕らの写真を撮ってくれて、BlogにUPしていいか?と訪ねられた。
もちろん、と答えた結果がこれだ。

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Blogなので更新をされればLogはアーカイブの中にでも保存されて日の目は見なくなる。最新のBlogになっているかと思うが、彼女のBlogのURLこちらだ。

さぁ、今度は庶民だ(笑)スーパーで買い物をしてホテルに戻ろう。

おりしもハロウィン、こちらもハロウィングッズで一杯だ。

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カードを書く国民性か、カード売り場の大きさも半端じゃない。

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氷もばかでかい。

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入り口玄関にはお買い得(割引券)がある。必要な人はここから切り取って持っていくと安くなるらしい。

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スーパー探索を終えて、僕らはホテルに戻った。

テーマ : 海外旅行記
ジャンル : 旅行

25'th anniversary Travel diary(5章1節 Hillsborough橋を越えて)

13日、この日は残念な日の一つである。それは、今日が観光の最後の日となってしまったからに他ならない。
ワクワクしながら待ったこの旅行も、今日の観光を終えれば、明日の朝早く日本への帰国の途に着くだけな訳だ。

もっと一杯吸収したいことがある、と今日も時差ぼけ午前3時の起床をしたので、荷物の整理(今日でこの宿は終わり)をして読書Time。外が明るくなったので、みな(連れ合いとF母娘)を誘って食前の散歩。
キンドレットスピリッツへの入り道、メモリーレーンを6号線(キャベンディシュメインロード)に向けていき、そして、昨日バスが入ったグリーンゲーブルを戻るルートだ。
突然キツネが道を横断。朝食の支度かな?

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朝焼けのグリーンゲイブルズはやはりきれいだった。最後にもう一度目に焼き付ける。

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食後、僕らは笑顔のDave氏に迎えられながらバスに乗り込む。

Dave氏は、今日も一本赤い道を教えてくれた。

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ますはポイント・プリム・ライトハウスを見に行こう。
シャーロットタウンに向かう13号線の途中にハンターリバーの町がある。ここがアンとマシューの出会いの駅とされているので、ここからマシューの馬車で13号線を北に向かったと思われる。その道を僕らは逆にシャーロットタウンにむけて走る。

多くの灯台がある中、今回僕らは(PEIの中では)2つの灯台を見学した。一つは、昨日見に行ったケープ・トライオンの灯台。こちらはセント・ローレンス湾を照らす灯台だ。
そして今日行くポイント・プリムは、昨日フェリーで渡ったノーサンバーランド海峡を照らしている。

キャベンディッシュからポイント・プリムまでの距離が長いことと、同場所にトイレがない(あるのかもしれないが数が極めて少ない)ので、シャーロットタウン観光案内所でトイレ休憩。
こちらに来て思ったのは、観光箇所が観光箇所化されていないことがある。日本なら、こうした場所は過剰な利便性を観光客に与える。
曰く、トイレやコンクリの大駐車場。曰く、説明の看板や綺麗なパンフレット。あるのが当たり前だと思っている。
しかし、それらの整備には当然ながらお金がかかる。お金がかかれば、それを観光客から回収しようと、入場料を取る。入場料を平等に取るには、支払わない人をなくす為に、周囲に塀や柵を作る。つまりは日本の観光地はクローズド、そう外部と分け隔たれた『そこだけが観光地』になっているわけだ。
解りやすい一例をあげれば『古都・京都』に行き、拝観料を払った名刹の中は確かに古都だが、一歩その寺から出ればコンビニやチェーン店が軒を並べ、その前の大きな道路を車が我が物顔に走る。その姿は決して古都ではないはずだ。お寺の中と外は明らかに遮断された世界だ。
それに対してこちらの多くは、周囲の大自然も含めて、自分の街の誇りを自分のフレンドのためにおすそ分けしている感がある。街も我が家もそして観光地も一体化して、楽しんできたような気がするのだ。
だから、トイレがないとか、観光案内所にベンチやジュースの自販機がないとか、道路の舗装がしていなく道が悪いとか、そんなことは一切気にならない。いや、返ってそんな『異物』があったら目に付く、そんなおおらかな感さえした。
これは日本の観光地も考えてもいいことかもしれない。

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真っ白なこの灯台はPEIで一番古い灯台だと言う。へーそうなんだ、僕は丸(円柱)く作るのが難しいから初期の灯台が四角(四角錐)で、だんだん風を受けない丸(円柱)にしたのだと勝手に推測していたが、どうも違うようだ。しかもこの灯台はレンガ造りである、とのこと。

やはり海を渡る風は強く冷たい。襟を立てながら海岸に降りられるところに行く。海岸では海草が打ち上げられていた。

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朽ちたボートが哀愁ある『絵』のモデルになってくれた。

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ここは国立公園外、手ごろな赤い石をお土産に持ってきた。



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Aの位置ではなく、その上あたり。

さて、続いて廃村になってしまったオーウェル村をそのまま、日本の明治村のように残したOrwell Corner Historic Village(オーウェル歴史村)に向かう。
明治村と違うのか、かの施設は、現存している施設を全国(一部は外国)から集めたのに対して、この歴史村はつい最近までこの形で生活が営まれていた点だ。
だから正確に言えば、明治村よりも木曽妻籠・馬籠宿や白川郷・五箇山、福島大内宿に似ているのかもしれない。

本当はこの施設は既にクローズト(冬期休業)には行っている施設だが、KNTの交渉で開けてもらえることになった。
これまた明示村との比較になるが、ここは最近何とか運営費を回収しようとするために、また来客を楽しませんるために、施設内を色々なアトラクションに改造している。が、オーウェル歴史村は、中で飲食もできなければ、アトラクションも全くない。いってみれば自分の街の昔を知ってくれ、といさぎいいまでの無経営振りだ。それができるのは、カナダと日本の税金と経済、生活費の違いがあるのかもしれない。

まずは教会に行く。確かここも長老主義教会だったと聞いたような気がする。

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椅子の背もたれの補強の板の木目が綺麗に見えるのが解るだろうか?しかし、これは貧しい教会ゆえにそんないい板が買えないので、全てペインティングしたのだと言う。聞かなければ全く解らないほど見事だ。

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隣には学校がある。
全学年が1つのクラスで授業を受けていたようだ。

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M川先生の授業を受ける。

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黒板の上には、英国連邦の一員のカナダの学校。エリザベス女王の肖像が飾ってある。

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学校の前(きっとここが奥様方のおしゃべり広場だったのだろう)、共同の井戸がある。が、結構重たい。女性ではなかなか水が出ない。

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その奥には商店がある。村一つの商店で、生活必需品は何でも揃うし、時にはここで物々交換もしたらしい。

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また、郵便局の業務も兼ねていたし、2階では装飾の仕事もしていたようだ。

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その裏には鍛冶屋など農工機具屋が並んでいた。夏の間はこの島一番のイケメンがここでデモをしていたらしい(TVにも出演したとか)

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農家もあった。と言うより、家畜が好き勝手に遊んでいる。1890年代の農家は日本でもそうであったと思うが、そのままだ。

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ちょっぴり童心に戻ってワクワクしながらわざわざ開けてくれたオーウェル歴史村を後にした。
ここの紅葉がこの島では一番きれいだったかもしれない。

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25'th anniversary Travel diary(4章5節 夕食はBBQ)

めまぐるしかった。整理しないとどこに行ったか忘れてしまうほどだし、NSでCスミスさんにも言われたが、ともすればアンのことなのか、モンゴメリー女史のことなのか、ごっちゃになってしまう。

さて、バスの中はレクチャータイム。
PEIはとても穏やかな町で、その地は穏やかな人を育む。NSもハリファックスはいざ知らず、マホーンベイなどは横断歩道でない場所でも歩行者が渡る素振りを見せるとたちどころに車はブレーキをかける。歩行者優先は人類誕生からの常識のような振る舞いだ。
この島もまったく同じようで犯罪危険とは縁がないが、危険はまったくないかと問われればどうもそうではないらしい。
その危険物体とは・・・・

実はスカンクなんだそうだ。
非常にびびりーな性格らしく、すぐに尻を上げ異臭の液体を敵に吹き付けるのだそうだ。これを浴びれば、ホテルもそしてまた飛行機も入室(乗船)拒否にあうので、見かけたら必ず逃げること。
そして万が一浴びてしまったら、トマトジュースで洗うと一番臭いが取れるとのこと。
誰がトマトジュースで洗うことを思いついたのかは興味あるところだったが、幸いなことに僕らはその真偽を確かめることなくPEIを後にした。

さて、くさい話の後にこのまま夕食の話をするのは余りにも失礼だろう。

ではもう一つ季節柄、ハロウィンの話を!
ハロウィンと聞くとどうしてもアメリカ留学中の日本人が、『フリーズ(止まれ)』と『プリーズ(どうぞ)』を聞き間違えて射殺された痛ましい事件を思い出してしまう。
仮装をして『お菓子くれなきゃ悪戯するぞ』といいながら子どもたちが近所の家庭を廻る行事だが、広いカナダ、隣まで距離があるがどうするの?歩いていける距離じゃあない、とKayoさんにお尋ねすると、昔は馬車でみんなで行っていたが、最近はお父さん(お母さん)が車で同行しているとのこと。
しかも、あるルールがある、とのこと。
それはカボチャが飾ってないうちは用意がないので行ってはならない、と言うもの。ご存知でしたか?

さて、宿に戻った後、僕らは夕食前に行けなかったお化けの森に行くことにした。
このお化けの森は、アンとダイアナの家の間の近道として使用される細い松の茂った小路だ。
アンはお得意の想像力を駆使して、この森には多くの霊が宿っていて、見たらその家族が死んでしまうと言うストーリーを組み立てマリラに話します。
が、しばらくしてマリラは急いでダイアナの家にお使いに行くことを頼みます。アンは自分のストーリーに怯えてしまいます。

そんな小道も明るいうちは程よい散策道だ。紅葉がきれいな木も何本かある。

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が、惜しむべきか、会社帰りのおっちゃんたちがカートでゴルフ場を走り、固い白い玉を打ち合って喜んでいることだ(笑)
このキャベンディシュにおいてはせっかくの物語だが、浸ることは難しい。

森を抜けたところにあったのは、ダイアナの家・・・・・ならぬ何番かのホール。

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この日は、宿の庭でのBBQの予定だったが、さすがにこの陽気、日が落ちれば寒さが募る。と言う訳で、場所をダイニングに変えてBBQだ。

まずはワインで乾杯。
そしてムール貝。

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口直しになぜかウォーターメロンを食べるのだとか・・・・。そして食べれば当然『種飛ばし競争』になるのはいずこも同じらしい(今日は室内だからNGでした)

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サラダとパン

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そして、ご主人がボイルしてくれたロブスター。

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PEI牛ステーキとジャガイモ。

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そして、魚介類の臭いがあるといけないとテーブルを片付けてくれてくれた後、デザートのアイスクリーム。

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朴訥とした夕食の宴だったが、何よりも真心のこもったおいしいものだった。

食後はまたわが部屋でいつものメンバーで乾杯。

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25'th anniversary Travel diary(4章4節 そして北に向かう)

ケンジントンからはなおも西に向かう。
目的地はインディアンリバーにあるSt.Mary's教会。あれ?Kensingtonで見た教会もSt.Mary's教会だったような・・・・と思って家で調べたら、やっぱりそうだった。このSiteを見ると、小さな島ながら本当に多くの教会があるのがわかる。


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Kayoさん曰く、こちらの教役者の多くは、教会には住まずに街中に住み、その多くはまた別の仕事で生計を立てているとのこと。
そう、PEI第2の大きさ、そして木造教会では一番大きな教会であるインディアンリバーのこのSt.Mary's教会もご多分に漏れず、地域住民(信徒)の減少等で教会維持が厳しくなり、その結果編み出されたのがインディアンリバーフェスティバルだ。年間20~30回開催されるサマーコンサートには、全世界からファンが詰め掛けると言う。
教会のWebSiteにもそのスケジュールが詳しく載っている。

さて件の教会は、記したように大きな教会で青空によく映える。尖塔には聖人のレリーフがならび、カトリックならではの艶やかさと、そして中は厳格というよりフレンドリーな感じの教会だ。

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僕らが中を見ている間Dave氏がどこからか紅葉のカエデモミジの枝を持ってきてくれた。お土産にするといい、と。今回の旅をフォローしてくれる人はみんな気配りの達人ばかりだ。こうした気配りが旅をますます楽しくさせてくれる。

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途中スクールバスが前を走る。向こうではスクールバスへの子どもたちの乗降中は、追い抜いてはならない規定になっている。
そんなわけで僕らのバスも止まったので前をパチリ。

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教会を後にした僕らは、続いて北海岸にある輝く湖、銀の森屋敷に向かう。この屋敷は、亡くなった母のきょうだいアンナおばの嫁ぎ先であり、モンゴメリー自身も36歳の時ここで結婚式を上げた場所でもある。


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『裕福度』のものさしは難しい。一軒家を持つこと、美味しいものを食べること、海外旅行に行くこと。色々な自分の生活の楽しみ方がある中で、それでも人は他人と比較し物差しを当てようとする。
『うだつが上がらない』の語源となったうだつとは隣家との境の屋根の上の壁。延焼を防ぐ目的だが、財産がある人ほど大きい、と言うのはこの夏徳島で聞いた話。
このPEIでも同じようにものさしがある。それが万能オーブンだ。そしてそのオーブンの上に乗っているアイロン(鉄ごて)の大きさと重さだ。この家のそれはまず立派だった。

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1階には結婚式を挙げた部屋が、2階には花嫁の更衣室があり、この2階の更衣室にはモンゴメリーが使用した鏡が今でもあるが、この部屋はここで結婚式を上げる方の花嫁以外は入室は出来ない。今でも多くの方がここで結婚式を挙げているという。

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僕らの感覚では、結婚式は僕らが牧師の下に出向いて、つまりは教会で、するものだと思っていたが、カナダでは牧師を呼んで好きなところで挙げるのはさして不思議な話ではないようだ。

幼い時からよく訪ねていたモンゴメリー女史は、この2階からガラス窓越しに、腹心の友ダイアナ・バリーとその家族を創作したのかもしれない。そしてその時、このガラス越しにキット日を浴びた湖は輝いていたのだろう。

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その裏庭で僕らはこの家の持ち主と一緒に一人一本ずつ植樹をした。このKNTツアーの目玉の一つでもある。

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リンゴの木が点在していて、赤い実がなっていた。採って食べていいよ、とご主人。
そして土産物屋に併設されている休憩所で、イチゴ水が振舞われた。

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アンがいた!! こちらでは、ボランティアというか近所の子どもたちがアンの衣装を来てこうした観光地で観光客の相手をする。が、時間が遅く、僕らが気がついた時には迎えのお母さんと一緒に帰るところだった。

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アーン、カムバ~ック!!(涙)

輝く湖水・銀の森屋敷を後にした僕らはケープトライオンのライトハウスに行く。この秋日本では、ガッキー事 新垣結衣さんが主演、音楽はあの一青窈さん、映画『ハナミズキ』がヒットしているそうだが、その舞台は10日に行ったペギーズ・コーブやハリファックスの街だが、その前に上映された石橋高明さんのお嬢さんの穂のかさんが初主演した映画『アンを探して』にこのライトハウスがロケ先として使われたそうだ。


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「海をバックに灯台が撮れる場所」としてDave氏とガイドのKayoさんがバスを止めて僕らを下ろしてくれたが、その絶景に僕らはみんな灯台に向かって歩き始めた。しょうがないバスはノロノロと僕らの後をついてくる。
大豆畑と言っても、既に収穫は終わり銅く枯れた枝が残っている。そんな広大な銅の先には、紺碧の海の青とスカイブルー。アクセントに赤い帽子をかぶった白い灯台ときたなら、これ以上の色はいらない。

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そして今日最後の観光地、フレンチリバーに向かった。正体不明謎のリッチマン氏がこの場所を提供してくれているそうだ。


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この島でも有数のフォトスポットに僕もシャッターを押し続けた。

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