KU-KAI(4)

拷問の一種に「すりこみ」があります。
「お前はもう必要とされていない」「仲間はすでに口を割った」ことを繰り返し繰り返し伝えることで、「そうなのか!」と偽情報を信じ込ませることです。
現に埼玉県朝霞市の女子中学生誘拐監禁事件の犯人も「親はすでに見捨てて捜査もされていない」ことを繰り返し伝え、逃げる気を削いだといわれています。

江戸川乱歩氏のD坂の殺人事件では、目撃者が犯人の服装を証言しますが、1人は白だと言いもう一人は黒だというのです。本気でそう証言しているので捜査が行き詰まり明智探偵登場となるわけですが…。
人は目で見たものを神経を通して脳に伝え、保管し、必要とあらば思い出し、神経を経て口に伝えます。目と脳と口はそれぞればらばらの器官で神経と言った細い線のみでつながっているのですし、脳内のインプット場所と保管場所とアウトプッチの場所もそれぞれ神経でつながっています。

TVのバラエティで 人間観察バラエティモニタリング と言う番組があります。周囲が一致協力しだました時、どういう反応をするのかを隠しカメラで見るという内容ですが、例えば怪談話をした後でコップが勝手にテーブルから落ちる(という仕掛け)をターゲット以外が全員無視した時、そのラップ現象を信じるのか? 運転手と乗客2人だけのタクシーの中で、女の人の鳴き声が聞こえたのに運転手は何も聞こえないと言ったらどうするか? などをTVモニターで見ているわけです。
すると、だんだん自分が信じられなくなっていくのです。目で見た真実を脳が受け入れなくなったり、脳が見ていないふりをしたりします。自分自身で情報を変えてしまうのです。

僕らは夢を見ます。起きて、ああ夢だったのだ、と安堵(残念)がる時がありますが、夢だったのか現実だったのかは自分自身でそう信じ込んでいるだけなのかもしれませんし、「寝言」は確かに自分の口から出るものですが、自分の意志でしゃべっているわけではありません。

もっと極論から言えば、俳優さんは、自分の意志で演じてセリフをしゃべっていますが、自分の意志ではありません。言わされているだけです。
ですが、「役に染まる」と言います。アイドルも脱却するタイミングは難しい、といいます。見ている人は「やらされている」ことを知りながらも、まるで本人の意思でやっているように錯覚する人も少なからずいます。

僕らの「脳」は結構頼りないものなんだな、と思うのです。勝手に「刷り込み」で正しかった事実を否定できてしまうのです。
オウム真理教や戦時下の日本の教育のように、人を殺すのは正しいという「刷り込み」があれば、他人からそれは違うと言われてもその他人の意見を受け入れられなくなります。

20180202-02

この物語の中で、さまざまな妖術が出てきます。が、その妖術のほとんどがいわゆる催眠術のようなものである時、空海のような冷静な判断と自己への自信は大切なものになるでしょう。
それが仏教の言う修行なのかもしれませんし、教会が大切にする祈りあいなのかもしれません。己の弱さとの闘いはいつの世もあるのでしょう。一番の厳しい闘いの相手なのでしょう。
本のインプレッションにならないまま4冊の本の紹介を終了いたします。ご興味頂けましたら映画「空海」は2月24日から公開ですし、本は書店、インターネットで購入することも図書館で借りることも出来ると思います。
そしてもう一つ、玄宗と楊貴妃の話ももう少し読みたくなりました。

KU-KAI(3)

生前にひどい目にあって怨念を持つ動物といえば、ヘビやキツネとともに猫が代表格のように思います。
恐怖が物語的に構築されていく過程には何があったのだろう?と言うのは興味の湧くところです。ヘビやキツネは農業神の神使(つまりはネズミを取り、米を守る)から大切にせよ、と言う教えから、殺すなかれ、つまりは殺すと祟るという発想になったのだと思いますが、猫も同類の経緯からなのでしょうか?

ヘビやキツネはペットとして飼うことは多くないかと思いますが、猫は犬とともに愛玩動物としてなじみが深いです。
そんな動物が怨念を持つと恐れられる動物となる経緯はどこなのか? 犬になく猫のみが怨念を持つのは、桃太郎の家来の話ではないですが忠誠心がなく、自己中的な行動にあるのでしょうか?

そもそも日本の化け猫伝説は中国から来たようで、猫鬼神という老山猫の精を蠱毒にし、憑き物とする話は広く伝わっています。日本の猫又然り、老猫は化けやすいようです。
しかしアジアだけでなく欧米にも猫の妖怪は存在するようで、オヴィンニク(ロシアやスラブ)、ケット・シー(スコットランド)、ワンパス・キャット(テネシー州)やバステト(古代エジプト)、バール(旧約ソロモン王時代)とありますが、僕が知らないだけかもしれませんが、やはり欧米においては猫が化かしたり怨念を持ったりすることは少ないようです。
そうそう、でも黒猫は縁起が悪いんでしょ? というご意見もあるかもしれませんが、これはもともとは、黒猫は元々「餡子(あんこ)猫」と呼ばれて福の象徴だったので、その「福」に素通りされるなんて縁が無いね、という意味で「黒猫に横切られると縁起が悪い」という言葉が生まれた、だけで全くの後世のこじつけです。

20180202-01

さて、二ノ巻まででも1つの大きな物語として完成したと言ってもいいわけで、そんな妖猫と楊貴妃の物語、続いてはその解決に向かっていくわけです。
さて、仏式の葬儀などに列席した時に聞く経文。色即是空。夢枕獏氏はこの本を使って「仏法は無力だ」と語らせていますが、僕もクリスチャンとしてキリスト教は無力だと思っています。それは多くのクリスチャンや牧会者も同じ気持ちで、故に「み心のままに」と祈るのです。自分の願いを神に託して神が代行するなんておこがましいのです。神(この本で言う宇宙)の方が、人間の作りし宗教よりはるかに・・・比較できないものであることをわかりやすく書いています。葬儀などで聞く言葉の意味を知れて嬉しい知識となりました。
そうでありながら『空』を理解できない『色』・・・仏教はそれを煩悩と呼ぶのでしょうし、キリスト教も中世の修道院などはそうした邪念を捨てることに懸命になった時代もありましたが、そこからの脱出は人が罪の中に生まれた以上は無理なんでしょう。でも願わくば、死した以降怨念を残すこの物語のようにはなりたくありませんね。

世界三大美女 クレオパトラ7世、楊貴妃、ヘレネー(小野小町)。こちらも明治になって、料理じゃないが和洋中がバランスが取れるだろう、と日本人が勝手に小野小町に変えたと言われていますが、その一人の楊貴妃、そして取り巻く阿倍仲麻呂や関係者。歴史の荒波に翻弄された2人とその出来事を50年後に紐解く空海と白楽天。2巻かけて書かれた流れ、実はここからがいよいよ佳境のようです。

KU-KAI(2)

李白舟に乗りてまさに行かんと欲っす・・・。
それと
天にあっては願わくは比翼の鳥となり、地にあっては願わくは連理の枝となりましょう。

古文漢文は嫌いじゃあなかったですが、40余年離れているとすっかり記憶から無くなりましたが、上記2つはインパクト強かったのでしょうか、今でも諳んじれるのです。
中国の山中の村、といえばたけのこのような墨絵の山の中、そこを流れる急流。しかも川の深さは深さ千尺。今でいう300mの深さ、まさに深淵の崖の上の小道に数十人が並び、谷底の小舟を見送る姿を想像していました。『ありがとう』「さよなら」そんな李白の声は山中腹の道の住民には届かず、大きく手を振り別れを惜しんだ…なんて風景を想像しながら漢文の時間を過ごしたものです。
しかし、齢六十弱、世の中の利便性も大きく変わり、GoogleMapやインターネット記事なども手軽に読めるようになったので、桃花潭を検索し、こんなBlogを見つけました
李白を招いた汪倫の巧みさ、しかしそのもてなしに感服した李白は詩に謳うほど感激をしたんでしょう。300mもあるこの川の深さより厚いもてなしを受けた、と。
しかし、Blogの写真で分かるようにこの桃花潭は竹棹でこぐ小舟。たぶん深さは2mもないのでは(笑)
漢文の授業ではすっかり李白の大袈裟に騙されたことを40年経った今悟りました。

白楽天の長恨歌。生まれ変わるなら離れられない比翼の鳥や連理の枝になりましょう、と契りあうものの、結局我が身かわいさで楊貴妃は見捨てられてしまうのです。
こういう悲劇、日本人好きですよね。はいやはりありました、楊貴妃の墓、熱田神宮にです(笑)
信じる信じないに関わらずこういうミステリースポット大好きなんです(爆) そのうち名古屋に行った時は、是非熱田神宮行ってみよう(^_^)/
PS 山口県の油谷町の二尊院も楊貴妃の墓があるそうです。

20180201-01

しかし学校の勉強って縦割りだったので、世界史は世界史、漢文は漢文で過ごしてしまい、安倍仲麻呂や李白と空海・白楽天と言うのが同時期に活躍した方で、その間が50年ほどと言うのを再確認したわけです。
三ノ巻に続く

KU-KAI(1)

誑(たら)しの意味を見ると「巧みな言葉で騙す」ことであるから、決して褒められた言葉ではない。が、時代とともに言葉の使い方は変化し、「人たらし」と言う言葉が使われるようになりました。
人たらし を検索すると、「受けるよりも与える人」、「話し上手」、「自尊心が高い」、「自分にひき込む」 と言う特徴だと書かれており、その結果多くの仲間がその周囲に集まりアクティブに行動できる、対人関係でいえば「まことに素晴らしい」を意味する言葉だと思えます。そして世の人に問えば代表格は豊臣秀吉だ、などとも言われています。
短絡的(30―50年スパン)で見れば、秀吉はターゲットを絞った相手の懐に飛び込むのがうまく、また人使いが上手であるので「人たらし」かもしれませんが、なかにはいけすかん奴とする人の数も同時にものすごく多かったでしょうし、その傾向は数百年たった今もあります。
人類歴史からみれば秀吉の「人たらし」度はさほど高くなく、本当に高いのは例えばイエス=キリストであったろうし、僕は空海が日本の歴史上では最たる人かと思うのです。
1000年たった今、「御大師様」と慕われる人柄、スキル高いと思います。

なんて詳しくもない空海のことを書くのは、2月に「空海」が上映されることになり楽しみにしているから。
原作は、郷土の作家かつ母校の先輩の夢枕獏氏。密教と言う宗教と人を織り込んだ作品は、ハリーポッターやロードオブリングのような冒険活劇ではない深層心理をえぐるような煩悩(己)との戦いの魅力があふれています。

まずは、原作から、と言うことで今更ながら文庫本をぽちっと。

20180131-01

読んでなおさら楽しみになった映画。「沙門空海唐の国にて鬼と宴す一ノ巻」を読み終えて、描かれる空海は、気まずいことでも隠し事をしない(どうどうと自分の行為に責任を持ち恥じることないという自信がある)、とにかくよく動く。聖書の描く人間イエスとオーバーラップする点も多分にあります。読んでいて福音書を空想してしまうのです。洋の東西の「人たらし」の最たる御仁2人故なる業でしょうか。
そこにホームズばりの理論に基づいた推理がちりばめられ、ワトソン君のような橘逸勢とのコンビで、このあと奇々怪々の事件を解明していくようです。
第2巻に続く。
 

相馬を思い出し、聖書を納得する

教会に関わらず、すでに周知の中に外から人が入ってきたら紹介をする。
ただ、宗教と言うのが日本では難儀なもののように感じている人も少なからずいるので、新たな教会に行くと受付で「よろしかったらお願いします」とアンケートのようなものを渡されます。
そこには、礼拝の中で紹介していいですか?と言う項目があります。
もちろんアンケート自信を拒んでも笑顔で「失礼いたしました」と取り下げてくれるので、このBlogを見て教会に行くと個人情報を取得されてしまうのか?と恐れている人がいたら、そんなことはないと言っておきます。
家を訪問する教会はエホバの証人くらいですが、彼ら彼女らは争うことすら禁じられているので帰ってくれと言ったら素直に帰っていくので、ℋぼほぼ教会に関してはたとえ住所が分かっても困ることはないでしょう。

話がそれましたが、30余年来の小田原教会外の教会に行ったので、受付でアンケートを依頼を受けました。既に清水師とは小田原交流パトで何十年も行動を共にしているし、1月21日に伺うことも事前に行っておいたのでいまさらアンケートでもないでしょうが、そこは他の人は知らない事情。もしかしたら教会は初めての方?と親切丁寧にお教え下り、当方もアンケートに「礼拝後の紹介は構わないか?」のと言う問いに「はい」を○付けしをお渡ししました。

礼拝後は司会の人が紹介をする前に清水牧師からご紹介をして頂きました。
先生の一番の思い出は2011年4月にD.ヒューズビー師と3人で行った東北のことでその逸話を含めてのご紹介頂きました。
7年経ちますが今になってもふしぎな時間でした。聴覚だけが失われたような無音の世界でした。いや、決して無音じゃないのです。清水師ともヒューズビー師とも会話をしたし、被災者の方ともたくさんお話をしました。でも風吹く音、川や海の水の音も何も聞こえなかったような気がして、音だけが思い出せないのです。

その後も、小田原との交流もあり、南相馬や相馬には何度か伺いましたし、がんでもいいじゃん♪の仲間と宮城海岸線を旅し足り、福島のRFLにいったりしました。
しかし、あえて紹介に東北の話題を入れて頂くと、無性に福島が懐かしくなります。
で、Amazonnを探っていたら面白そうな本を見つけてポチッと。

20180129-01

震災を通じて、3・12を通じて知り合った方が何人かいますが、皆さん責任感がお強く放射能検査をしっかりしているので、我が家は安心して購入しております。
が、それでもと言う人に対しての配慮ある本のタイトル。
そして読み続けていく内に、交渉事が好きだという話。
頭に浮かんだのが僕の好きな聖句。

イエスは言われた。「『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』 これが最も重要な第一の掟である。第二も、これと同じように重要である。『隣人を自分のように愛しなさい。』
律法全体と預言者は、この二つの掟に基づいている。」


結局三浦さんの交渉術は『隣人を自分のように愛しなさい』の実践なんだなぁ、と。
勝ち負けではなく、どうしたらWinWinの関係になれるか。
被害額+精神的慰謝料ではなく、明日からの希望の代償としての交渉だったのでしょう。
勝ちまかして利を得るのではなく、自分と隣人とフェアートレードする間柄。

また小高に行きたくなった(笑) まだ震災後の南相馬に行っていない方ぜひ行きましょう。そして帰りには飯舘村などを通って国の無策に憤りましょう。
いずれにしろ百聞は一見にしかず、です。

傘寿まり子

人気アニメサザエさんのお父さんの波平さんは54歳と言う設定。昭和期を生きてきた僕らにとって還暦まじかの波平さんは一家の大黒柱で働きぬいてもう間もなく退職し、家族から心をこめて『お疲れ様でした。あとはゆっくり暮らしてください。』と言われ、盆栽をいじりながら余生を楽しむ・・・そんなイメージを抱く年齢でした。

が、自分がその齢を大きく超え、それでも働かなければならず、そして老け込む年齢でもなく(どうみても波平さんよりは若作りに見えると自負している(笑))生活していると、日本の世の中やっぱり変わってきているものだ、と実感します。
教会やサークルに行っても50代後半の僕らは「若者でしょ」的に言われ、60代70代の皆さんのハツラツぶりにシャッポを脱ぐ感が否めません。

同時に、老老介護と言う言葉が飛び交い、孤独死などと言う言葉を聞くたび、この国の高齢者の居場所はどこにあるのか? を憂いざるを得ないことも確かです。

寸評を聞いて思わず購入した漫画。

20180118-01

タイトルで分かるように主人公は80歳のおばあちゃん。どこにでもいるような(核家族だとお金がかかるからあきらめて同居)の大ばーちゃん。だが、生活の些細な諍いからも自分の居場所に疑問を持ち、そして家出をしネットカフェ住まいになる。ある意味、今野宿を余儀なくする方よりも多いかもしれないネットカフェ難民となります。

80歳がそんな訳ないだろう、と否定しきれない部分がありながらも、やはり80歳でこんなアクティブな生き方が出来たら楽しいだろうな、と第1巻を読んでの感想。
漫画は時代を写す、と言われるのなら、21世紀初頭の時代背景をしっかり写した漫画。2巻以降を楽しみにしております。

DESTINY 鎌倉ものがたり エピソード集

映画が思った以上におもしろくて家に帰っても余韻に浸り思わずアマゾンでポチッと。

20171220-11

19もの原作物語が詰まっていたんですね。実はすっかり忘れている話や読んだ覚えもない話もあって、映画のあのシーンだな、と回顧しながら読みました。

この本を購入される方は、まず映画を見てから本を読みましょう。2度おいしいです。

DESTINY 鎌倉ものがたり

何度も書いているけれど、西岸良平氏の鎌倉ものがたりは、昭和時代の初期くらいまで日本文化が持ち合わせた「未知への恐れ」と言う魑魅魍魎・妖魔をおどろおどろしくもほのぼのと書いた秀作で僕のお気に入りの漫画。
そんなお気に入りの漫画の実写版が先週より封切され、さっそく見に行ってきました。

20171217-01

漫画の実写版は得てして僕の中ではこう評価が少なく、せいぜい同じ原作者の「三丁目の夕日」くらいかな、と思っております。
ですから今日も期待と不安半分半分での鑑賞。

結果は高評価。十分楽しめました。
原作とは全く違う、別原作者の話のようなストーリー。べたな愛情話でしたが、一つ一つがうまく絡んでいて、見終えた後は水戸黄門や大岡越前をみたように、勧善懲悪の大好きな古き日本人の魂を高揚させるような流れでした。

その中にいくつもの原作話がちりばめられ、かと思いつつも、画面は、「いやいやこれはジブリ作品(千と千尋の神隠し)じゃなく西岸作品(鎌倉ものがたり)だぞ」、と突っ込みたくなるようなものでした。

みんな純粋に愛(フィリアとかアガペー的な)の中に生きていて、ああ愛っていいなと単純に、ただ単純に楽しめるものでした。
堺さんはもとより高畑充希さん、好演技でした。幸せな若妻が訳あって先立つ苦悩の表現素晴らしかった。
でも、近所の故瀬戸優子が死と現存のパワーを説明したり、黄泉で見える風景はその人その人次第だなどの会話がありますが、所詮理屈が通る話じゃないので理論の説明をすればするほど、紗をかけてぼやかして話さないとなんか鼻につきます(笑)

あと、「静」はカウンターの後ろにあんなに大きな座席あったんですね(爆)

もう一つ、ネタバレになりますので文字色変えて記載。
何度も生まれ変わって昭和でも結ばれた二人。話の中では平安期からと言っていますので、僕のみた漫画は2度目の生まれ変わりなのかも…(^_^)/
ちなみに映画の中では一色先生のお宅は由比ガ浜たい公園のそばとなっていました(もちろん架空)*1

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「無言」を読む

「お化け・妖怪」と「幽霊・心霊現象」は似ていて異なり、後者は近年に急激に広まった都市伝説、噂話の類が多いように思います。
その代表作(?)が、タクシーに乗る幽霊の話。
淋しい場所から深夜女性が一人タクシーに乗り込み行先を告げる。しかし、そこに着いた時には乗ったはずの女性はおらずシートがぬれていた…。
こんな話が語り継がれているけれど、この発祥はどこかと調べたら、いくつかの説の中に川端康成氏の名前が出てきたことを11月20日のBlogの中に若干記しました
ノーベル賞文学賞受賞、代表作の映画化程度の知識しかない僕でも、雪国の書き出しは知っているし、伊豆の踊子や何冊かは読んだ覚えがあります。
でもその程度の知識しかなく、純文学者と心霊現象の相関性は全く知り得ませんでした。
で、2冊購入。

20171205-01

20171205-02


その一つは「無言」の入った短編集。この「無言」は1953年、川端康成氏54歳の作品。大作を相次ぎ発表し国際ペンクラブの執行部になったころ。

実は僕は、文字面だけの解釈でいまいちこの短編の「怖さ」が理解できませんでした。
大宮明房なる御仁は病で手も口も不自由になった、それを見舞う話。 と 精神的な障がいをもった作家志望の息子が書いたと言っている白紙の原稿用紙を読んで感想を言う母親の姿。 と 件の「小坪バケトン」の幽霊。この3つがなかなか僕の中でシンクロしない・・・。
少しヒントをもらおうと、寸表(感想)を書かれている人のBlogを訪ねまわった。その中のおひとりの 東照/たむさん を読んでなるほど、と。

さとり(覚)という妖怪がいる。有名な妖怪話だからご存知の方も多いと思いますが、山の中で木こりが一人火を焚きながら夜を過ごしているといつも間にか子どものような姿が火の向こうに座っているのが見えました。そしてその子どものような姿のモノは自分の頭の中の考えをことごとく語るので木こりはそのたび恐怖が増します。恐怖の限界に近づいてもう駄目だと思った瞬間、火にくべていた節が跳ねさとりに飛び、さとりは人間は考えもしないことを突然しでかす、と逃げ帰るという話。

自ら語ることも書くことも止めた大宮明房。真っ白な原稿用紙の息子。幽霊に語り掛けるとたたられるという運転手のアドバイス。共通なのは、東照/たむさんの案じている通り五感を使わなくても心(頭)の中には浮かんでいるものを、大友明房の娘さん、精神障がいを持った人のお母さん、そしてタクシーの乗客の脳裏の思いをシンクロした幽霊もさとりの妖怪も感じたとしたら…。主人公はたたられてしまったのでしょうか…?

僕自身は世間の言うたたりというものを信じてはいませんが、たたりというのは物事への興味が尽きない、執着するようになるという意味では「憑りついた」ものかもしれないと思います。
この作品をある意味機会に学生時代に書いた自伝的幼き日の辛い思いが湧きだすようにこうした小説を書き続けます。
その間も彼の大切な仲間が死んでいき、氏もこの小説から20年弱自らの命を絶つわけです。

古本でしか手には入りませんが、僕の知らなかった川端康成氏を存分に知り得た2冊でした。

午後ののんびり

怒涛の10月を終え、まだまだ片付けは終わらないもののどうにもこうにもやる気が起きず・・・
こんな日はのんびり過ごそうと玄関に飾るジグソーパズルをしたり

20171104-04
(P.E.I.4点セット(笑) ウェルブタは関係ない(笑2))

なかなかお会いできずに年賀状だけのお付き合いになってしまっている方に引っ越しのお知らせを書いたり…。

そして・・・
ちょっとそそられて思わずポチした本が2冊到着。
小学生でもわかるように書かれた物理学書と哲学書(?)

20171104-01

星が落ちてこないのは星が移動しているから・・・。つまりは水を張ったバケツをグルグル振り回しても水が落ちてこないのと同じで地球から落ちない勢いで遠ざかっている、これが宇宙は膨張している所以。
宇宙が誕生した時に粒子10億1個と反粒子10億個がぶつかり、ぶつかった10億個はエネルギーになったがぶつかり損ねた1個が地球や他の星、各星々の土壌や取り巻く窒素、水や生命を生み出した。半端じゃないほどの不運なものがこの宇宙の構成物質なんだ、と言う話など、理科の中でも一番苦手だった物理をわかりやすく解説してくれる本。

ところで昨日、ひょんなことから中学の英語の先生のご家族とお会いしました。英語と言う教科は苦手だったので、先方の先生がもし覚えているとしたら苦虫をつぶすような顔をなされるような生徒でしたが、それでも生徒の僕は不思議と嫌いな先生はいなかったんですよね。どなたもみんないい思い出で笑って話せることばかり。
物理もT澤先生に教わりました。午後一での授業はただただ睡魔との闘いだったことしか覚えていません(笑)

しっかり勉強しなかったから、だから今この本の中で「温度の定義」と問われても、温度って熱いとか寒いとかで定義なんて考えたこともないけれど、「分子の動きやすさ」なんですよね。
おもしろかったです。

2冊続けて一気読みしたのがこちら

20171104-02

よくよく有名な話です。足の速いアキレスの前を足の遅い亀が走っていて、アキレスが亀に追いつこうとした瞬間、亀はまた前に進むのでアキレスは亀に追いつけないという事を、間違いであることを理論で論破すること…。
そしてそこから波及した追われるものは火事場の馬鹿力で思いがけない力を発揮するが、簡単に追えると思っている者は力を抜くという「うさぎと亀」の逸話は、このパラドックスを逆手に取った話で、世の中理論だけではないことをおもしろく書かれていました。
そもそも数学とか物理学とかは、アキレスと亀は等速での移動を前提になっているけれど、世の中では等速での移動なんてありえない。

2冊読んだらあっという間に夕暮れ。

20171104-05

普段は昼間家にいることないからなぁ~。台所からこんな夕日が見れることを知った黄昏時。些細なことでも知ることの幸せをたくさん味わえました。
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