自民党は久野の住民をテロリストとおもっていたのか!!

ついに国会審議がはじまった共謀罪。19日の衆院法務委員会で安倍首相は、「我が国がテロ組織による犯罪を含む国際的な組織犯罪の抜け穴になることを防ぐ上において極めて重要」などと“テロ対策”であることを強調したが、もはやこんな詭弁が通用するわけがない。

 というのも、今回の共謀罪の取りまとめ役となっている自民党法務部会長である古川俊治参院議員が、「テロだけじゃない」とテレビで断言したからだ。

 その発言が飛び出したのは、昨日20日に放送された『羽鳥慎一モーニングショー』(テレビ朝日)の人気コーナー「そもそも総研」でのこと。コーナー進行役の玉川徹氏が共謀罪の重要人物である古川議員に取材を行ったのだが、そこで古川議員が語った内容は、まさに共謀罪の恐ろしさを裏付けるものだった。

 たとえば、安倍政権は共謀罪の捜査対象はテロ組織などの「組織的犯罪集団」に限られているというが、277ものの犯罪のうち、ひとつでも2人以上で計画や準備行為をしたと見なされれば「組織的犯罪集団」とされてしまう。そこでもっとも懸念されているのが、沖縄における基地反対のように、一般市民が参加する運動が「組織的な威力業務妨害罪にあたる」として共謀罪を適用されるのではないか、という問題だ。

 そこで玉川氏は、沖縄のように基地建設を阻止するために市民たちがトラック車両を現場に通さないよう座り込みで抗議する、そのことのために銀行でお金を下ろすなどしたときにも共謀罪は適用されるのか?ということを古川議員に質問。すると、古川議員はこう述べたのだ。

「仮に完全にトラックを防止するっていう目的だけにみんなが集まると、仮にですよ、仮にね。極めて具体的な計画でやる。具体的な計画といったら危険性が出てくるということですから、まさにやろうとしているということなんですね。そして、そのための実行準備行為をやったという段階じゃないと、これ適用になりませんから」

ここですかさず玉川氏は「逆にいえば、そこまでやれば適用できるということですよね」と言うと、古川議員は「そうなれば、組織的犯罪集団として認定される可能性はありますね」と明言したのである。

 つまり、トラック阻止を計画し準備しただけで「組織的犯罪集団」となり、共謀罪で逮捕されてしまう、というのだ。安倍首相は「一般市民が対象になることはない」と繰り返し強調するが、とんだ大嘘ではないか。

 反対運動だけではない。例として、原発のような国策を推進する企業に対してSNS上で集団で批判を書き込むといった行為を信用毀損・業務妨害罪にあたるとして共謀罪が適用される可能性について、古川議員はこのように言い切った。

「故意があるということは確定的に何か証拠に出ていて、かつ、その具体的な計画で、まさに実行の段階に入って、それで実行準備行為があるという段階になれば、それはその犯罪は成立するので、あり得ることです」

 この古川法務部会長の説明によって、共謀罪とはやはり、テロとはまったく関係がない一般市民に、権力者の思うがまま、いくらでも適用できる法案だということがよくわかるだろう。しかも、古川議員はこんなことまで言い出したのだ。

「テロなんて言ってませんよ、この法律だって」
「それはいろんな意味でですよ、テロだけじゃないですね」

「テロ等準備罪」とテロの脅威を利用した嘘っぱちのネーミングに置き換えたのは安倍政権だが、その取りまとめ役たる法務部会会長である古川議員は自らが、“この法案はテロだけが取り締まりの目的じゃない”ときっぱり宣言したのである。

 ようするに、「テロ等準備罪」というのは詭弁でしかないと自民党議員によってお墨付きが出たわけだが、問題は、安倍首相がこうした詭弁を弄して国会議論を掻き混ぜ、共謀罪を押し通そうとしていることだ。

実際、前述した19日の衆院法務委では、民進党・山尾志桜里議員が、安倍首相は1月の予算委では「そもそも犯罪を犯すことを目的としている集団でなければなりません」と言っていたのに、その3週間後にはオウム真理教を例に出し「当初はこれは宗教法人として認められた団体でありましたが、まさに犯罪集団として一変したわけであります」と説明を一変させたことを指摘。「“そもそも発言”を前提とすれば、オウム真理教は『そもそも宗教法人』なので対象外ですね? どちらが正しいんですか?」と質問を行った。

 すると安倍首相は、藪から棒にこんなことを言い出した。
「“そもそも”という言葉の意味について、山尾委員は『はじめから』という理解しかないと思っておられるかもしれませんが、『そもそも』という意味には、これは、辞書で調べてみますと(中略)これは『基本的に』という意味もあるということも、ぜひ知っておいていただきたいと。これは多くの方々はすでにご承知の通りだと思いますが、山尾委員は、もしかしたら、それ、ご存じなかったかもしれませんが、これはまさに『基本的に』ということであります。つまり、『基本的に犯罪を目的とする集団であるか、ないか』が、対象となるかならないかの違いであって。これは当たり前のことでありまして」

 姑息にも程があるが、「そもそも」という言葉を「基本的に」という意味で使うことは一般的にほとんどないだろう。たとえば三省堂の『大辞林』では、名詞用法としては〈(物事の)最初。起こり。どだい。副詞的にも用いる〉とし、接続詞としては〈改めて説き起こすとき,文頭に用いる語。いったい。だいたい〉と説明している。「基本的に」という意味は書かれていない。

 同様にネット上でも「『基本的に』なんて意味で『そもそも』と言うか?」と疑問が呈され、朝日新聞は『広辞苑』『日本語大辞典』『大辞林』『日本国語大辞典』を調査し、どの辞書も〈「基本的に」とする記述はない〉と記事にしている。さらに辞書をテーマにした「四次元ことばブログ」では、30種類以上の辞書を調べても、戦前の辞書まで遡って調べても、「そもそも」を「基本的に」と語釈する辞書は見つからなかったとレポートしている。

ぜひ安倍首相にはわざわざ調べてみた辞書が何であるのか明かしていただきたいものだが、言うまでもなく、山尾議員はそんなことを問いただしたかったわけでは決してなく、“誰がターゲットとなるのか”という重要な問題が本題だったはず。それを自分の発言責任を放り出して、根拠もない自己弁護で議論を進展させようとしないのだ。

 だが、今後もこのような詭弁に詭弁を重ねるバカバカしい議論がつづいていくことは必至だろう。しかも、この日の法務委では、まともな答弁ができない金田勝年法相の“代打”として、要求されてもいない林真琴刑事局長を政府参考人として出席させることを強行採決。前代未聞の国会ルール破りを展開した。

 しかし、こんな滅茶苦茶なやり方で、どんな問題法案だって押し通せてしまうのが安倍“独裁”政権である。冒頭に紹介した『モーニングショー』のように、いまこそメディアは共謀罪の危険性と安倍政権の暴挙を暴き立てていかなくてはならないのだ。

(編集部)LITERA 2017.04.21|社会

自治会をあげて地域の環境問題を守る。
それは香川県の豊島や岐阜の御嵩町をはじめいたるところで起こった民間産廃施設反対運動があり、わが町小田原市久野もご多分に漏れず山間部の計画のためにできる限りのことをした。僕らもトラックの前に座り込みもした。行政センターの駐車場に寝泊まりをして反対を言い続けた。
原発反対や沖縄辺野古・高江の米軍基地反対も形は違えども「公害」問題だ。地元民にすればまさに火の粉が降りかかった大変なことなのだ。

テロリストが、私はテロリストでこれから危険な行為をするなど言うはずがないことは子どもでもわかる理屈。
地下に潜ったテロリストをあぶりだすためにはどうするのか? と言った時、立法提案者たちは認めていないがこの共謀罪では民間人を犠牲にして捜査対象にする、ということだろう。
でも実はそんなところに真意を置いていないだろうと推測していたが、まさにその疑心は的中した。この法案は、あくまでも政府の建設しようとしている迷惑施設に反対するものを法的に処罰しようという内容だったのだ。
自治会長が捕まる。反対運動のリーダーが逮捕される。そうして運動の力を弱め、政府のやりたい放題にする。このための法案でもあることを僕らは肝に銘じておかなければならない。

もしそれは嫌だというのなら法案賛成政党に票を入れない。これしかない。

久野と辺野古

 米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古への移設計画をめぐり、翁長雄志(おながたけし)知事は25日、前知事が出した辺野古沿岸部の埋め立て承認について「撤回する」と表明した。承認の撤回は、工事阻止の「最大の切り札」(県幹部)とされる。翁長氏が撤回を表明したのは初めて。
 翁長氏は、計画に反対する市民団体などが開いた、移設先の米軍キャンプ・シュワブ前での抗議集会に初めて参加。政府が県の岩礁破砕許可の期限が今月末に切れた後も工事を続ける姿勢を示していることを挙げ「岩礁破砕も無視して通り過ぎていこうとしている。あらゆる手法で撤回を必ずやります」と宣言した。
 埋め立て承認をめぐっては、翁長氏は承認を取り消したが、最高裁で違法とされ、取り消し処分を取り消した。「取り消し」は、承認そのものに問題があったことを理由に無効にする方法。これに対し「撤回」は、承認後に起きた事業者(政府)の重大な違反や問題を理由に、承認を無効にする方法だ。
 翁長氏が承認撤回に踏み切れば、政府は工事を進める法的根拠を失う。このためすぐさま対抗措置を取るのは確実で、新たな法廷闘争に発展することになる。
  朝日デジタル (上遠野郷) 2017年3月25日13時22分

自分の人生の中で一番政治(生活)に関わったのは、何度も書いている久野の産廃問題。

その時久野以外の小田原市民、そして多くの市議や県議も、「どこかに作らなければいけないのに久野の連中はうるさくてしょうがない」とうんざりした空気があったことを覚えています。
最たるものは某市議が『どこの家にも便所がある』と小田原市を一軒の家に例えて、久野を便所と喩えたことは20年経った今も忘れられない言葉でした。
必要悪の施設と言われたものも同じです。行政が何とかしようと躍起になっているものも同じです。

市民運動と住民運動は違う。これが上記の温度差で気づいたことです。火の粉をかぶって熱くて初めて社会問題にぶつかる住民運動は熱意と団結力が強いです。自分たちが困窮したからこそ、他市でもふるさとを守ろうという闘いにはエールを送りたいです。
本来ならば久野の人たちもあの時の自分たちと同じ困窮の日々を過ごしているのだからとエールを送ってほしいですが、やはり自分の故郷から離れれば当時の久野以外の方がこの問題に関心を示さなかったようになかなか盛り上がらないのでしょう。
でも、久野は最後に勝ったのです。
あの住民運動を思い出しながらエールを送り続けたいものです。

枝葉末節の道徳・根幹の道徳

初めての小学校道徳の教科書検定が終わり、8社の24点66冊が出そろった。本来、「考え、議論する」を掲げたはずなのに、文部科学省が検定過程で付けた数々の意見からは、教科書作りに積極的に関与しようとする姿勢が浮き彫りになった。高校の地理歴史や公民の教科書でも、集団的自衛権や南京大虐殺などの記述が、文科省の指摘に従って横並びになった。
「しょうぼうだんのおじさん」という題材で、登場人物のパン屋の「おじさん」とタイトルを「おじいさん」に変え、挿絵も高齢の男性風に(東京書籍、小4)▽「にちようびのさんぽみち」という教材で登場する「パン屋」を「和菓子屋」に(同、小1)▽「大すき、わたしたちの町」と題して町を探検する話題で、アスレチックの遊具で遊ぶ公園を、和楽器を売る店に差し替え(学研教育みらい、小1)――。
 いずれも文科省が、道徳教科書の検定で「学習指導要領の示す内容に照らして、扱いが不適切」と指摘し、出版社が改めた例だ。
 おじさんを修正したのは、感謝する対象として指導要領がうたう「高齢者」を含めるためだ。文科省は「パン屋」についても、「パン屋がダメというわけではなく、教科書全体で指導要領にある『我が国や郷土の文化と生活に親しみ、愛着をもつ』という点が足りないため」と説明。「アスレチック」も同様の指摘を受け、出版社が日本らしいものに修正した。
 「ここまで細かいとは」。各社の編集者はこうした検定のやり方に戸惑う。

 検定に臨んだ8社は、2015年に告示された指導要領が学年ごとに定める「節度、節制」「感謝」「国や郷土を愛する態度」など、19~22の「内容項目」を網羅することを求められた。
 学校図書(東京)の編集者は指導要領やその解説書を読み込み、出てくる単語をリスト化。本文や挿絵、設問に漏れなく反映されているか入念に点検したが、それでも項目の一部がカバーされていないという検定意見が数カ所ついた。別の出版社の編集者は「単語が網羅されなくても、道徳の大切さは伝えられる。字面だけで判断している印象だった」と不満を口にする。
 最終的に、検定では8社の計24点(66冊)の教科書に誤記や事実誤認を含めて244の意見がつき、このうち43が指導要領に合わず、「本全体を通じて内容項目が反映されていない」などの指摘だった。
 各社は指摘に沿って本文やイラストを修正したが、これまで検定の対象外だった副読本より、「横並び感」が強まった。

 中身だけでなく、文科省は教科書を使った授業のやり方にも注文をつけた。
 出版社は教師が指導しやすいようにと、読み物の冒頭や末尾に設問を入れるところが多かった。そんな中、低学年向けの教科書だけ、あえて設問を入れなかった社もあった。「指導の自主性を尊重したいという考えから」(編集者)だったが、指導要領が定めた「問題解決的な学習について適切な配慮がされていない」という意見がついた。
 最終的には、設問を挿入して検定を通ったが、編集者は「設問をあらかじめ示すことは、読み手の子どもに先入観を与え、読み方を規定することにつながりかねない。『考える道徳』に反しないか」と疑問視する。
 横並びの印象が強いのは検定だけが理由ではない。出版社側の思惑もある。
 各社が学年ごとに掲載した約30~40の教材には「定番」が目立つ。文科省の副読本「私たちの道徳」や旧文部省の道徳指導資料などにある教材を全社が引用。「はしの上のおおかみ」「花さき山」「ブラッドレーのせい求書」「雨のバス停留所で」「手品師」などは全社が掲載した。このほか、4社以上が採用した資料も少なくとも16ある。
 複数の出版社は「現場の教員から『授業の実践例が豊富な定番を使いたい』という声が多い」とし、「採択されるには、多くの先生が教えた経験のある教材を一定程度入れるしかない」(編集者)と打ち明ける。
 全ての教科書が扱った「いじめ」関連の内容では、ネット社会を背景に、ネットいじめについて学ぶ読み物が並び、仲間はずれにされる場面を演じるコーナーを設ける教科書もあった。(前田育穂、菅野雄介)

■地理歴史や公民、政府の主張が随所に
 一方、高校の地理歴史や公民では、戦後補償や安全保障などをめぐる記述で、政府の主張や立場が随所に反映された。
 14年の憲法解釈の変更による集団的自衛権の行使容認と15年成立の安全保障関連法は、現代社会と政治・経済の全8冊に掲載された。うち5冊が「閣議決定をもって一部『行使できる』ことに変更」など、集団的自衛権を使う際の前提になる「新3要件」に触れなかったり、例として1要件だけを取り上げたりした。「立法までの経緯などを記せば3要件は書かなくても理解できる」(編集者)といった判断だ。
 これに対し、文科省は「新3要件をすべて書かなければ、生徒にとって理解し難い」と指摘。その結果、8冊すべてに新3要件が掲載された。政府は3要件をもって集団的自衛権の行使は限定的なものだと強調しており、こうした点を踏まえたとみられる。
 戦後補償についても、日本史2冊に対し、慰安婦問題に関する15年末の日韓合意を書くよう求める検定意見がついた。「戦後補償を詳しく書く場合、日韓合意の記述は『最近の動向』として不可欠」というのが文科省の見解だ。ただ、検定中に、朴槿恵(パククネ)大統領をめぐる疑惑が浮上するなど、日韓合意の履行を危ぶむ声もある。執筆者の一人は「22年まで使う歴史の教科書に慌てて書く必要があったのか」と話す。
 14年1月に検定基準が改定され、ときの政権の立場が強調される傾向は強まっている。「政府見解がある場合はそれに基づいた記述」「近現代史では通説的な見解がない数字などはそのことを明示」といった内容で、この基準に基づく検定意見は今回も南京大虐殺(南京事件)の犠牲者数などで計11件あった。「日本では数万~十数万以上など諸説あり」「中国政府は30万以上を主張」と書いていても、「通説的な見解がない」ことを明確にするよう求められた。執筆者の一人は「教科書から多様性が失われ、マニュアル化が進んでいる」と心配する。(木村司、沢木香織)

■小学校道徳の「22の内容項目」(学習指導要領による)
善悪の判断、自律、自由と責任▽正直、誠実▽節度、節制▽個性の伸長▽希望と勇気、努力と強い意志▽真理の探究(5、6年生のみ)▽親切、思いやり▽感謝▽礼儀▽友情、信頼▽相互理解、寛容(3年生以降)▽規則の尊重▽公正、公平、社会正義▽勤労、公共の精神▽家族愛、家庭生活の充実▽よりよい学校生活、集団生活の充実▽伝統と文化の尊重、国や郷土を愛する態度▽国際理解、国際親善▽生命の尊さ▽自然愛護▽感動、畏敬(いけい)の念▽よりよく生きる喜び(5、6年生のみ)

朝日デジタル 前田育穂、菅野雄介 木村司、沢木香織 2017年3月24日23時15分

「あなたたちはこれを何て呼ぶ?」キャベツを指さした台湾の原住民の方がそう言う。
「キャベツ…ですか…?」
「あなたたちの先輩たちはこの島に来て、これを玉菜と呼べと強制しておいて、自分たちはキャベツと呼んでいるんだ…。」
そんな会話を読んだのが2012年2月に厳しい金銭をやりくりしてでも台湾に行こうと決意した最初のきっかけでした。

自分たちで敵国語と勝手に決めて禁止させ、禁止を守っている庶民を見捨てて、自分たちはカタカナ語に戻す変わり身の早さと節操のなさ。これを日本人の誇りとか日本文化への愛情というのならチャンチャラおかしいというものです。

パン屋だと郷土の文化や生活に親しめず愛着がわかないというのいうのでしょうか?
それを発言している人たちの食事や生活はどんなものなのでしょうか?
明治以来150年弱の歴史、そこには良くも悪くも様々な利便を取り入れてきました。洋食を食べる文化、イスとテーブルの生活様式、和服から洋服に移行したファッション。それは和への愛着じゃないというのなら、少なくとも言われる方々はそれ相応の和へのこだわりをお持ちの上でのご発言なのでしょう。
自分は洋ものかぶれだが、他人の子どもたちには和を押し付けたいというのならそれは偽りの教育であり、そもそもパン食文化が和ではないという発想すら僕は認識違いだと思います。
明治の当初、ちょん髷を切り洋を受け入れた人を「散切り頭」と反発した日本文化の保守勢力。でも今では相撲取り以外はちょん髷を結う人はほとんどいないことから、時代の変化を無視して和だとか洋だとか言っている事がナンセンスなんです。
日本語だって『いとをかし』などと喋っている人を見たことがないどころか、多くの為政者や有識者が自慢げにカタカナ言葉をしゃべっています。
あわせておじさんがおじいちゃんになった、そこには高齢者を慈しもうという教育がある・・・? 生活困窮者を無視して、様々な弱者を無視して、苛めと不登校問題を無視して、高齢者だけを取り上げて何が道徳なのでしょう?
万人平等にいたわりましょうが基本じゃないのでしょうか? 分かりやすいように特化した形で一部を隠し想像させずにいることが過去の子どもたちのホームレス襲撃にも結び付いたのだと思っています。特化した道徳がそこから落ちこぼれる「徳」を作り出してはいけないのです。
特定の人だけを愛する選民主義的な道徳は決して正しいものだと思えません。間違った押しつけにならないことを切に祈ります。

沖縄フィールドワーク(シュワブ入口)

辺野古の海は、地元の意を無視し工事を進めようとする安倍政権に、知事、市、住民が猛反発し訴訟合戦になり、負け戦を危惧した安倍陣営が工事をストップした関係上、抗議の場所はキャンプシュワブ基地の前になりました。
宿のチェックアウトを済ませ、国道58号線を走り、キュワブの前に行けば数はさほど多くないものの抗議行動をしています。
車を止め短い時間ですが、参加します。

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基地内から車が出るたびに当局関係者が座り込んでいる住民を移動させます。

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基地の反対側の路側にはここにもテントが・・・。

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瀬長亀次郎氏、国立のぞみ教会でそれこそ10年ぶりに再会した金井牧師の住民運動でのリスペクトしている御仁。金井牧師の船の名の「不屈」はここからとったと聞いた。

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場所が悪いところでの反対運動、トイレや飲み物の確保は死活問題。しっかりとサポートがある故に安心して運動に参加できる。

10時30分になってしまった。同行の仲間が沖縄市のヒストリートの展示を見たいという。そしてレンタカーの返却は14時だ。名残惜しいが次に向かおう。

高速を使って小一時間。歴史を学び、僕個人は唯一のカタカナの市町村のコザ市の空気を感じたかった。
内地から見捨てられて助ける者が無い沖縄の暗黒時代。米兵の度重なる狼藉に堪忍袋の緒が切れた。それがコザ暴動。先日見たセデックバレの霧社事件とダブった。

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沖縄フィールドワーク(わたしもその中にいる)

タイトルはマタイによる福音書18章20節の中の言葉。
それは神と人との関係でもあるし、人と人との関係を俯瞰的に神が見ているという意味かもしれません。
仲間が代表で不当拘留されているならいつも一緒と勇気づけることは当然のこと。
そんな当然のことをしているのだけれど胸が熱くなります。

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キムキガンさんの歌声が警察建物の中に拘留されている仲間が聞こえますように。
と同時に、仕事故に建物入口をガードする警官の皆さんだって、ともに同じ場所にいる人間同士、心が解放されて神様の恵みがありますように。できれば敵対する警官ではなく



のCMのように「小さい平和」でも守って尊敬される警官になってくれることを切に願います。人生は「かっこいい」より「大切を守る」方がかっこいいです。
周囲の人が笑顔で感謝を述べ、子どもたちが尊敬のまなざしで見上げてくれる、そんな職業になりますように。

沖縄フィールドワーク(N1裏)

座り込み抗議行動の最中お昼を過ぎました。リーダーより一度解散をし、めいめい食事を取りまた午後に備えましょう、との連絡。
そこで僕らは、N1裏に取れて行ってもらいます。
ぐるっと新川ダムを迂回し、畑は農家の迷惑になるので避けるようにしてN1裏に到着。しかしそれは地元のガイドさんがいたから言えること。行く途中は両側は背丈2mを超えるサトウキビ畑。歌の文句じゃないけれどざわわざわわとそよいでいるだけで全く視界がゼロ、そこを数度曲がるとまるで迷路に誘い込まれたようで迷子になります(笑)
むちゃくちゃ大きなテント(ブルーシートのタープ)。ここで200人規模の集会が開催されたそうです。社民党の福島瑞穂氏などはこのテントの下、ブロックに板を渡したところに銀マットを敷いて寝泊りをしてまで反対運動をしたとのこと。根性入っていますね(笑)

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そして先日、ヒロジ沖縄平和運動センター議長と日本キリスト教団の神奈川在住の牧師が逮捕拘留の原因になった場所。現地衝突でもみ合いになり肩をつかんだとかつかまないとかと言うだけで逮捕。しかも現行犯ではなく1カ月も経ってからわざわざオキナワから神奈川まで逮捕をしに来て拘束するということに権力の横暴さと費用の掛け方の問題を感じてしまいます。多分お二人とも不起訴処分になるでしょうが酷い話です。

お昼を食べながら、留守番のかくさんからお話を聞きます。

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こちらの地図は辺野古浜通信さまから借用。

今後H地区建設を考える時、ダムの上の橋の強度問題や距離の問題を鑑みれば一刻も早くN1地区を完成させ、基地内を通過させたいというのが狙いのようで、N1裏は今後熾烈な攻防になりそうです。

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基地側が住民が中を覗けないように作った目隠し。

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前写真の目隠しと住民テントの間の緩衝地帯。住民テントへ向かう最中。沖縄では魔よけでこうして草を結ぶのだという。基地から魔が入ってこないように大事なモニュメント。

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住民テント入口、ここからは魔物も防衛局も入れません。
対行政での反対運動には3種類の住民があらわれます。積極的な反対運動をする人、立場上反対運動が出来ないので沈黙を守る人、それとお上に逆らう事を良しとしない、しょうがないよと諦める人。
久野の闘いにおいてリーダーシップを取った方から『同調しない人(仲間でない人)は反対者だ、と言うのと、反対をしないのは仲間だ、と言うのは全く違う』と言います。賛同して参加しない人を排除をすればそれだけ力が分散してしまいます。
でも、N1裏そばに農地を持っている人は、もしN1裏テントが突破されてしまったらここはダンプの通り道になってそれこそ農業どころではなくなる危険性は感じてほしいなと思います。
あの時話を聞いていればこんなことにならなかった、と言う後悔だけはしないでほしいです。

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故郷を離れた方がよく見えるのかもしれませんが、こうした若者が多いのは嬉しいです。


もう一つ、これは沖縄中の問題。それはこのやんばるこそが沖縄の水がめ。離着陸だけなら基地上空だけですが、プロペラの角度を変える時にも墜落しやすいオスプレイ、機体のバランスを取るためにストロンチウムが使われ散るという情報もあり、水がめの上やそばに落ちたりすれば途端に水不足になります。

前回も書きましたが、行政と闘う時に住民側が非常に不利益を被るのは、行政側は「税金」と言う僕らのお金を湯水のように使う事です。久野の住民運動でも僕らは手弁当で節約をしているのに対して闘う相手は『僕ら反対側』の税金も含めて他人のお金で闘うこと。
N1裏には2台のレンタカーが乗り捨てられています。これはN1裏が車でしかいけないような場所にあることから行政がN1裏に来て置ける車の台数を減らさせようとここに乗り捨てたらしいです。
その置き去りにするだけのためのレンタカー代は約80万円にも上ります。
庶民には考え付かないような無駄遣い。

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しかも、やっとすれ違える幅の道路なのに幅寄せしないで置き去りにしていたので、座り込みのメンバーが農作業の邪魔にならないようにみんなで持ち上げて反対者のテントそばに移動させたという何とも迷惑な話です。

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住民側は手作りの甲蓋で側溝にふたをして止めているので車の走行は可能です。

さて、17時から名護署に不当拘留されている仲間の釈放を求めての抗議行動があるとのことでそこに参加させて頂くこととして若干時間が取れました。そこで行きたかった「Cafe水母」は今からでは無理ですか?とガイド役のUさんにお聞きすれば、いいですねコーヒー飲みに行きましょう、と乗ってくれたのでおやつタイムに入ります。

この喫茶店は「標的の村」の主人公の一人安次嶺現達さんのお店。N1のそばの自宅でCafe山甕(やまがめ)を経営していたのですが、のべつまくなし飛ぶオスプレィの騒音にご両親もお子さんたちも不眠になり、子どもたちの健康を考えてN1から小1時間離れた海岸に新しいお店を構えたとのこと。

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美しい海岸線が見える浜に手作りのお店。床板1枚1枚をいろいろな色のペンキで塗りながらも、お互いの色がお互いを尊重しているから邪魔ではない部屋を通って1段高い海岸の見える部屋に行けば暗めの部屋の窓から見事なオーシャンブルーの海が見えるように窓際に一列席が設けられています。

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多分敷地内の畑に植えられているバジルを練り込んだケーキとオーガニックコーヒーを注文。
滋賀から沖縄に移住して今日のガイドをお引き受けくださったUさんご夫妻から沖縄の暮らしなどを聞きながら海を眺めながら至福の時間。

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余りに楽しく心地よく、時計を見れば、そろそろ出発しないと名護署前の抗議に間に合わなくなりそうです。

沖縄フィールドワーク(N1補足)

【沖縄タイムス】2016年10月27日 10:43
乗客を乗せたバス引き返す 沖縄・ヘリパッド建設めぐる混乱で

26日午後0時45分ごろ、沖縄県国頭村安波の村道で米軍ヘリパッド建設に抗議する市民と機動隊が衝突し道路が混乱、乗客を乗せた村営バスが通行できず引き返した。
 国頭村によると、バスの運転手は普段のルートであることから通行許可を求めたが、現場の機動隊員から「今は通れない」と言われたという。乗客1人が目的地で降車できなかった。


と言うニュースがFacebook経由でUPされていた。文面だけ読むとむとあたかも一触即発の中で通れないように読める。
が、実際この目で見た限りではそんなことなかった。沖縄タイムスさんは、沖縄のローカル紙ゆえによく現場をわかっている人が読むためにこういう書き方をしたのかもしれないが、神奈川では多分きっとみんな勘違いをするので、このニュースの日時とは違う24日の僕の見た現地の様子をGooglEearth(俯瞰写真)で説明したい。

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拙Blog(オキナワフィールドワーク(N1) 編)を参考にしながらあわせて見て頂きたい。
青のラインが当局の車両停車場所並びにコーンによる規制場所。
ゲートの入り口(ゲート側:・右側)に、木の板を椅子代わりに住民が座っている。道路の反対側は路肩の茂みの中にテントを張ってある。これがゲート前の赤、つまりは住民側。
その周りを当局がバリケードしている。つまりこれが一番の通行のネック。(青で赤を取り巻いている部分)

もちろん「通らせてくれない」「長い時間通行止め」は確かだ。でも、そこには反対運動の住民の存在は無かった。
反対運動の住民は十分通行できるように幅を開け路肩に座っているし、機動隊の車が道をふさぎコーンでもっと道を狭くしている。この事を補足しておきたい。

沖縄フィールドワーク(N1)

24日のスタンディグの抗議のあとは、地元の知人のガイドでN1に連れて行ってもらいました。
行くまえにいろいろとリサーチをすると、住民の車が駐車しているので地元農家の方の生活道路が妨害されているという書き込みも目にしました。それは問題が生じるだろうな、と思いながら向かいます。
結果として

20161024-03

20161024-08

20161024-04

住民の座り込みはアルソックの警備よりも内側です。

住民が行くまえから警察が道路半面を占拠。しかも住民の車は路肩一杯に寄せて止めてあるものの、警察・機動隊車両は大型の上に路肩に寄せることなく道路の真ん中に止め、その横にコーンを置いてあるから結構迷惑。
座り込み住民の車が迷惑と言うのは間違いのようです。

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そして右翼が大音量で座り込みの前で停車。後ろには地元の住民の車が渋滞します。
警察や機動隊が渋滞解消に尽力しますが、まったく無視。
座り込み住民はかなり気を使いながらの行動ですので地元の方が迷惑をかけることは少ないようです。本当に迷惑をかけているのはだれか?
中身のない汚い言葉のオンパレードで警察を無視して居直る姿には辟易します。防衛論や環境論を対話するのなら少しは意味もあるでしょうけれど、怒鳴り散らして警察に迷惑をかけ行ってしまいました。
とはいえ、これは僕が見た範囲の話であり僕の主観も含まれていることも事実。そして「泥棒にも三分の理」と言う格言もあります。日々の現実もこのようなものでしょうけれど、何が本当で、本当の正しいところはやはり自分の目で見て頂くことが大切です。どうぞ皆さんも本当の高江の姿を見てください。

そして整然としている住民に対して何故こんなにたくさんの人が必要なんだというくらい大勢が囲みます。名目は、僕ら市民を交通事故や右翼などから守るためらしいですが、そうだとしたら警察諸君は「敵に背を向けている」訳で、それでは市民を守れません。

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午前の座り込みの最後は簡単な報告集会。遠方からと牧師も一言スピーチ。

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仙台から来たという母娘は、3・11の時自衛隊に本当に助けられた。地元の人はみんな感謝している。願わくば感謝される行動だけしてくれる組織になってほしいとスピーチ。

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ここに来ることができない人は寄せ書きなどを送り連帯。
大きなうねりになっています。

沖縄フィールドワーク(抗議スタンディング)

高江ヘリパッドを作るには、森を破壊することと同時に、建築資材を搬入する必要があります。
現在は道路などを作っておりますので、コンクリートが必要になり、それに使う砂利は国頭やなんと天草から運ばれているそうです。
先週行った熊本とこんなことでつながるとは思いませんでしたが、天草は天草で反対運動が起きているそうです。
そして国頭や大宜見のおじー・おばーから若者まで自分のふるさとがヘリパッドと言う軍事基地の礎石になってほしくない、人殺しの村になってほしくない、騒音で苦しむという未来への禍根を残してほしくない、と早朝トラックや関係省庁の車へのアピール、そして啓発として反対の意思表示を表らしています。
「本来ならゲート前で座り込みしたいがそうも出来ない」「だから自分のできることをやっていくんだ」と語ってくれます。

僕らも2日間7時から1時間ほど2カ所の道路わきで反対の意思表示を一緒にさせてもらいました。

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僕らの親くらいのおじーやおばーは戦争を体験し、その悲惨を「想像ではなく」「実際に体験」しているわけです。だから絶対反対と体をおしてでも来ます。
小さなお子さん連れのお母さんはこの子の将来のためにと言います。
そして若者は30分ほど通過の車へアピールをした後、仕事へと出かけて行きました。本当は砂利を運搬する車へアピールをしたいのでしょうけれど、そんな願いを持っていて叶わぬままの出勤でしょうけれど、でも出来る事をする姿は僕らを奮え立たせます。

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無線を使って仲間と連絡を取るリーダーが『来るぞ』と言います。初めて参加する僕らは緊張をします。
そんな中、パトカー2台、続いて機動隊のバス2台に続いて10tダンプが続きます。
ゆっくりゆっくり30km/hと言うスピードで走ります。
真ん中に関係ない車を入れないように、警官の緊急車両が信号の色に問わず走るのだそうです。
時には通学する子どもたちの列を危ないよ行って歩行をさせずに警官が遮り『トラック様のお通りだい』とばかり、大名行列が続きます。20台を超えるトラックがゆっくりゆっくり30㎞/hのスピードで走るので、一般車両はその後ろに長蛇の列です。
そんなことを毎日毎日国道を40kmと言う長い距離迷惑行為を続けています。
この姿を見ただけで、そこまで市民を犠牲にしてやることかと言う怒りが湧いてきます。

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排気ガスを出しながら走る車を前にした抗議活動。でも道路の向こうは青い海、そして海からの心地よい風が重苦しい活動を和らげてくれます。

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晴れの日も雨の日も黙々とスタンディグ。やんばるの天気は特に通り雨が多いそうで、青空なのに雨降り。

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久野の闘いの時、農民の抗議はやはりむしろ旗掲げてだな、と僕らも多くのむしろ旗を掲げたのを思い出しました。権力者に対抗するのは泥臭いこうした闘い方が似合う。

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上記でも書いたけれど、パトカーが民間車両を守る。久野の闘いの時も行政検査を深夜(早朝)4時からした。そこまで肩入れするのは何故か?
どう見ても平等ではない。住民の主張を無視しても日米安保を守りたいのか。アメリカ軍人の違法行為には逃げ腰の行政が、日本人には強気なのが気に入らない。

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ダンプが行き過ぎてからドヤドヤドヤと僕らの前にバリケード。なんなのだ?

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ほぼ一人の住民に一人の機動隊員がつく。僕にはこの彼だ。目を伏せて前に立つ彼はまだ10代なのかとも思う。
写真を撮ろうとするとすかさずカメラの前に立つ。上官に「身を挺して写真を撮られるな」と言われているのか?だとしたら彼らに人権は与えられていないのだろう。
アメリカの海兵隊は、人間の権利を奪うために名前を奪う、全員ナンバーで呼ぶ。そういえば、宮崎駿氏の「千と千尋の神隠し」も名前を奪う。
名前と言う差別化をする道具はそこに感情を生む。だから飼い犬のように名前があればその死は悲しみだが、犬の死と言う一般論の時には涙は出にくい。
故に軍隊も機動隊も個別と言う差を奪い十羽一絡げにするのだろう。

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わずか数分、僕らの前に立った彼らはすぐにバスに乗り込んでダンプカーとともに高江に向かった。何のためにバリケードしたのかわからずじまいだった。

沖縄フィールドワーク(続・やっこくねーぞ)

N1で聞いた、「俺は負けたことが無い」…自信過剰か!と思われるような発言。
でも勝つまでやり続けるなら、途中途中の局面で挫折しそうな困窮に陥っても、へこたれても、もうだめだと思っても、そして一時活動を休止しても、充電して立ち上がって元気なもとの姿になれば「俺は負けたことが無い」訳だ。
オキナワの闘いで得た哲学。でもこれは住民運動だけじゃない。
人生、嫌なことが続いたり、悩んだり、それこそ生きるのが苦しくなったりしても、そしてそこで歩き疲れて歩くのが嫌になりしゃがみこんじゃっても、もう一度立ち上がれば負けじゃない。
「俺は負けたことが無い」と威張ろう(笑)そう人生の最後の日まで胸を張りながら生きたいものだ。

そんなことをFacebookに書いた途端、がんのソウルメイトの杉浦 貴之さんが2013年に書いた言葉をUPしていた。
自分の中でシンクロした。

先日の投稿で、「決める」ことの大切さを書きました。
体の全細胞は、宿主が“決めて”くれるのを待っている。「どう生きたいんだ!」と。
そして、「決めた」あとの続きが必要です。
「絶対に治す!」
「絶対、絶対、絶対」
というのは、強いようで、実はもろい。

「絶対に中折れしない!」
って、“絶対”を続けすぎると、かえってプレッシャーになり、中折れしやすくなる。
何だか例えが良くない(笑)。

妻に「絶対にこぼさないで食べて!」と言われるほど、食べ物をこぼしてしまう自分がいます。経験ないですか?
「絶対に」を続けすぎると、実はその逆の現象を引き寄せていることに気づきます。
一度、強い決意を持って、「絶対・・・」とやるのはいいと思います。
ただ、それが過ぎると、陽極まって陰に転じるように、ずっとは続けない方がいい。
“決意”のあとが大事。

決意した後は、“信頼”。
「中折れしないに決まっている」
自分は大丈夫という信頼に持っていく。
「絶対に治す!」から「治るに決まっている」へ。
「絶対・・・」は交感神経が優位で、「治るに決まっている、大丈夫」は副交感神経が優位になりそうですね。
”決意”の後は、“信頼”に昇華できたら最高!

闘いもそう。一度ダンプが入られたら負けてしまった、おしまいだ、ではない。
高江の闘いは前向きだ。ダンプの搬入を5分遅らせた。やったね。
このしたたかさは勝ちにつながる。
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