束縛された不自由からの開放

宇都宮けんじ氏がFBで紹介していたニュース。

ホームレスを経験した人が働き、地域の人と交流できる場所をつくりたい――。そんな願いを込めた小さなカフェが東京都練馬区に18日、オープンした。フェアトレードの豆を自家焙煎(ばいせん)したコーヒーや本格カレーが味わえる。

 名前は「カフェ潮(しお)の路(みち)」。一般社団法人「つくろい東京ファンド」(稲葉剛・代表理事)が、クラウドファンディングなどで集めた寄付金で開設した。民家を改修し、2階がカフェ、1階がコーヒースタンドになっている。

 つくろい東京ファンドは2014年7月、空き家を利用した生活困窮者のための個室シェルター「つくろいハウス」を東京都中野区に開設設し、住まいの確保や生活支援をしている。いまは都内4区に22部屋を用意。これまでに約50人が生活保護を利用するなどして一般のアパートに移った。

 ただ、アパート入居後も地域で孤立しがちで、仕事を探そうにも高齢や障害のためフルタイム勤務は難しい人が多い。稲葉さんは「『住まい』の次は『仕事』と『居場所』が必要。それなら自分たちでつくろうという思いでカフェを立ち上げました。地域の方も高齢者もお子さんも集まれる、みんなの居場所にしていきたい」と話す。

 カフェでは20~70代のホームレス経験者5人がスタッフとして働く。時給は1千円。その人の事情や体調に応じて柔軟な働き方ができる。さらに多くの人に呼びかけていくという。将来的には子ども食堂や学習支援にもカフェを活用していきたいとしている。

 ログイン前の続きコーヒーは200円、日替わりランチ500円、カレー700円。シェフを務める同ファンドの小林美穂子さんは「カレーは3時間かけてつくっています。おいしいですよ」。お金がない人も足を運べるよう、余裕のある人が「次に来店する誰か」のために飲食代を前払いする仕組みも採用し、「お福わけ券」と名付けた。200円と700円の2種類がある。

 見学会やプレオープン日には、かつて新宿駅の段ボールハウスで暮らしていたホームレス経験者も含め、稲葉さんの長年の知人が集まった。かつて日雇いで建築の仕事をしていたという男性(64)は「顔見知りが多いから、またコーヒー飲みに来ます。お店がはやるといいな」と話していた。

 カフェは火、木の12~17時、コーヒースタンドは火~金の12~15時。今後営業日を増やしていきたいとしている。詳細は同ファンドのウェブサイト(http://tsukuroi.tokyo別ウインドウで開きます)で。
 朝日新聞 清川卓史 2017年4月21日06時00分

本田哲郎神父の著書「釜ケ崎と福音」内の言葉を借りずとも野宿を余儀なくしている人にお声をかけると、その多くは生活保護を取得したいという言葉より、もう少しここで自分の力で頑張りたい、という回答が返って来ることが多いのは、野宿者支援をしている人共通の認識だと思います。かくいう僕も高齢の野宿者に、体調不安から少ししつこいぐらいに生活保護受給の正当性を語ったこともありますが渋られることが圧倒的に多かったです。

さて、井手先生の仰った『自由のなさ』こそが弱者の意味、という言葉を昨日聞く機会があり、全くその点こそが一番の問題点なのだと思った次第です。
僕らが当たり前にしている「会話」や「生活」。考えてみると、例えば学校のいじめではこの「会話」における自由のなさ、つまりは無視・孤立が一番の苦痛なのでしょう。野宿の人も大きなコミニュティがあるドヤ街、また小田原のような地方都市でもコロニーを作って生活している人は「会話」がありますが、ドヤ街の中でも小田原でも孤立している仲間がいます。僕らが訪問をすれば誰とも会話する機会が無く溜まった言葉が出てきてあっという間に30分、時には1時間ほども傾聴したケースもあります。仲間不足という「自由のなさ」という弱者であるわけです。
また、野宿のコロニーからアパートに居宅設定した直後(半年くらい)で亡くなられるケースもありました。部屋という囲まれた空間から外に出れなくなって、大自然という自由が奪われた…出ようと思えば自分の部屋だから出れるのでしょうけれど囲まれた不自由さを味わった結果なのかもしれません。囲まれた瞬間に保守的な心が生じ、外に出るのが怖くなるのかもしれません。
地方都市から電車を乗り継いで東京に行く、最初の一歩が踏み出せない。興味ある集会なので出てみたいが勇気が出ない。楽しそうなんだけれど、不安な要素は無いんだけれど怖気づいている自分。踏み出してみれば「なんだ、簡単な事じゃん」と言えるのは分かっているんだけれどな…。
河島英五さんというミュージシャンの方がいて、その方の作品に「てんびんばかり」というのがあります。その一説に

うちの仔犬はとても臆病で一人では街を歩けない
首輪をつけると とても自由だ
僕を神様だと思っているんだろう

というフレーズがあります。僕らは首輪をつけられることが不自由な象徴として感じますが、首輪をつけてのお散歩はご主人さまと一緒という自由を感じているというこのフレーズはよくわかります。自由かどうかは自分の感性に行動が適合できるかどうかなんですよね。

問題は、他人によって首輪をつけなければいけないという強制、首輪をしてはいけないという圧力があることが「不自由」=「自由のなさ」でしょう。
支援を始めたころ、若気の至り(と言っても若くはなかったけれど)アパートに入りたくないという自由を無視して必死に自分の意見を押し付けてしまったかな、と思っています。
傾聴などとかっこいいことを語りながら、実は持論を静かに聞いてくれたのは野宿を余技する人だったのかな?と思うのです。

聖書に善きサマリア人の喩というのが載っています。

ある人がエルサレムからエリコに向かう道中で、強盗に襲われて身ぐるみはがれ、半死半生となって道端に倒れていた。祭司、レビ人といった神殿にかかわる人々はこの人を助けずに通り過ぎた。しかしユダヤ人から大変に嫌悪されていたサマリア人は、この半死半生の人を助けた。傷口の治療をし、家畜に乗せて宿屋まで運び、宿屋に怪我人の世話を頼んで費用まで出した。
このたとえ話の後、律法学者に対してイエスは、このたとえ話で誰が怪我人の隣人であるかを律法学者に問い、律法学者が「助けた人(サマリア人)である」と答えると、「行って同じようにしなさい」とイエスは言った。

という喩は、とかくサマリア人になりなさい、的な説教になりますが、けが人の僕の話を聞いてくれる野宿者こそが(社会で蔑視されているけれど)サマリア人なんだな、と思います。

それでも孤独でストレスをため込んで吐き出すことが出来なければ病んでいきます。
野宿者支援というのは実はこうした孤独解消のボランティアなのかもしれません。
そしてQOL(クオリティ・オブ・ライフ)働きたい人に働く場を創造する活動なのかもしれません。
子ども食堂も野宿者の支援も市民の理解やスキルが上がって来て形はどんどん良く変わっていくのかもしれません。
今まで僕らの活動は「寄り添う」共生に趣きをおいていましたが、少し「脱出」QOL、笑顔を拭くりだす支援ににシフトしていくべきなのかもしれませんね。

4月20日のパトビラ(№974 - 人権を司法が守る -)

毎週、野宿を余儀なくされている方(ホームレス)のところを訪問する際に持っていくパトビラ、今日はこんなことを書いてみました。

千葉県弁護士会の会長が52歳の壮年の方になりました。若い方が熱意をもって会を引っ張ることは素晴らしい事です。しかも弁護士と言う大事なお役目の会ですからなおさらです。
そんな会長のあいさつがホームページ上に乗っていましたが、そこには
『国民の人権を不当に侵害する法律や行政行為は、裁判手続などの司法作用により正されなければならないということです。』とありました。日本の三権分立が大きくゆがめられています。沖縄では法を曲げてでも米軍基地を作ろうとしているし、原発事件の片棒を担いでまだ放射線量の高い所に帰村させ補償を打ち切ることも法治国家でありながら法が国民を守らない出来事です。
もちろん野宿の仲間を囲む事例もたくさんあります。生活保護実施要領等の解釈をもってなんとか路上からアパートへ直接入居せずに敷金・礼金の不要な無低に一度介してからとしていますが、森川弁護士は同資料内の「安定した住居のない要保護者が住宅の確保に際し、敷金等を必要とする場合」は一定額を支払うべきという一文をもって支払うのが当然と言います。まさに行政行為が憲法25条の精神に則ってほしいものです。専門家の弁護士をはじめ、市民グループも一体となって憲法の権利を守り続けたいです。


洗足の木曜日で訪問をお休みしました。2週間ぶりの訪問です。
だいぶ暖かくなってまいりました。皆さん元気で過ごしているでしょうか?
同時にジャンパー事件以降、小田原市の行政の在り方も注視し、久々に僕の生活の中心となりました。
そのほかにも、東京都渋谷区の公演の封鎖とかもニュースとして流れていました。

そんな訳で学習会の公示です。
交流学習会「公園で、路上で、排除されても、また暮らす」

2017年3月27日に事前告知なしに宮下公園の封鎖が強行され、抗議した支援者・野宿者が逮捕されるという事態が起きています。日々暮らすために必要な荷物を取り戻すだけでも、多大な労力と時間がかかったといいます。
オリンピックの会場となる予定の明治公園では、度重なる排除が起きています。
現実に公園に暮らしている方から、オリンピック関連の再開発が進む中での排除とその闘いの実際について聞いていきたいと思います。

日時:2017年4月23日(日)午後2時~
講師:小川てつオさん(反五輪の会)
場所:寿生活館4階 会議室(横浜市中区寿町3-12-2、JR石川町駅北口下車、徒歩5分)
主催:寿支援者交流会(045-641-5599・寿生活館4階)


私も参加する予定です。人権問題にご興味のある方ぜひどうぞ!!

4月6日のパトビラ(№973 - 『春の日』直前、受難の木曜はお休みします! -)

毎週、野宿を余儀なくされている方(ホームレス)のところを訪問する際に持っていくパトビラ、今日はこんなことを書いてみました。


いろいろな神様が自分のテリトリーを支配する八百万の考え方を日本人の多くが持っていたりします。「サ」というのも稲作農業神の神様の名前で、稲を植える時期は「さなえ」、そのころ降る恵みの雨を「さみだれ」、田植えが終わった後の祭りを「さのぼり」、稲につく虫を「さばえ」と稲に関するものに「サ」の字がついたりします。諸説ありますが「桜」も、稲作の神の「サ」の居る場所「座(くら)」に植える木から来たとも言われています。
神の居る場所、神と出会った場所、そうした貴重な場所に「建屋」を立ててほめ奉りたいのは、一神教のキリスト教でも同じことで、例えばエルサレムには聖書の各場面の場所と言う場所の上に教会がたてられています。まさに結界のごとく「聖地」としての神の場に桜を植えたとするのなら、それはそれで古代日本人の美意識を感じます。
と同時に日本はやはり農業国なんだな、と感じます。四季の移り変わりを肌で感じ、春と言う生命の誕生の時期を桜を愛でることで喜ぶ姿は素敵だなと思うのです。
さて、来週はキリスト教会ではイースターの直前の木曜で大切にしている洗足の木曜です。ですので私たちの訪問ももお休みをさせて頂きます。そしてイースターは洋の東西は違っても、主のご復活と生命の誕生を喜ぶ日です。希望の春であります。


桜を愛でるのが大好きな日本人は多いと思います。
季節が生命の誕生と言う春になってきたこと、そして短い期間で花が散ってしまうはかなさを一緒に味わえる花見の文化は、本来は宗教的・哲学的な意味合いに感じますが、最近はまさに「花より団子」。寒さに負けずに楽しく飲むことが最優先のような気がしてなりません。
この裏には、農地の減少を感じざるを得ません。四季を実感しながら労働に勤しむ百姓の減少を感じざるを得ません。
桜の語源や由来を探りながら何か本来の意味が失われていく一抹の寂しさを感じてしまいました。

来週の木曜は洗足の木曜。そして最後の晩餐の日です。教会が大切にしている日です。当初クリスチャンばかりで始めた小田原交流パト、クリスチャン以外の方も参加するようになった今も相変わらず年に1,2度のお休みの週です。

かみ合わない?かみ合わさない?

小田原市の「生活保護行政のあり方検討会」の立ち位置は、
小田原市が大きなミスを犯した。それを反省し再発を防止するために有識者の方々を呼んで「何がまずかったのか?」「何を変えればいいのか?」を、有識者から小田原市職員が聞くというもの
という僕の解釈であながち間違えてはいないと思う。
しかし、その中で、有識者からの質問に腑に落ちない説明があった。
一例をあげれば最後の会の扶養調査のやり取り。

有識者:DVなど家族親族に居場所を知られたくない場合、小田原市から扶養調査が入れば小田原市にいることが分かってしまう。怯えている人にそれは大きな恐怖だが、小田原市は扶養調査にどのような配慮をなされているか?
市職員:配慮はしている。
有識者:配慮をしているだけではわからないので再質問。しないでほしいと言った場合は利用者の要求に従ってしないのか?それとも市のやり方を曲げずに調査をしているのか?
市職員:次の職員への申し送りを含め各段の配慮をしている。

どう見てもかみ合わせないような答弁で、まるで国会中継を見ているようだった。が、ここは何度も言うが、既にミスを犯してしまった市側が意見を聞いて改革をする場。隠すこともなく、言いにくいことも洗いざらい言った中で、「じゃあこのような改革をしたらいかがですか?」というアドバイスをもらう場所。
そこは(僕の推測も含めるが)「配慮をしながらも調査を致しました」と正直に言う場でしょ?なんでこの場に及んでも保身に走るの?

4回の会議を開いて有識者の先生方の貴重な意見を聞けて良かったと思う反面、少しだけ不安が残った。

そして、市から過日の小田原交流パトの抗議書への回答が来た。

20170327-01

当たり前の文書。公文書だからこういう書き方しかできないのかもしれないけれど、何か失望感漂う回答。
あり方検討会では、市民との溝を埋める事、分かりやすく丁寧にすること、が求められたはず。
何か違う…。こんな通り一遍の回答書なら要らない。
この違和感が、結局4回の検討会はなんだったのか、という失望感に変わらないことを祈るばかりだ。

生活保護行政乃あり方検討会

4回にわたっての表記検討会が終わりました。
5人の有識者の皆さん、本当にありがとうございました。

今日もいくつかずしりと来た発言がありました。

「(生活困窮者と)寄り添うことで不正が無くなる。」
近しい人、いつでも意見交換している人とは通じるものがあります。そしてその人のために迷惑をかけてはいけないと思うものです。友人はなかなか裏切れません。

「生活保護を受けることが屈辱だと思う社会概念、これが問題」
「困った時にサポートを受けるのは恥でもないと誰もが思える小田原市になってほしい」

座長の井手先生は、今回のジャンパー問題は「弱者がより弱者をたたく構造」だと語られました。誰かを助けるために誰かが犠牲になってはいけない、と。
そう言う意味では、市民が叩かせようと輪になってはやし立てた存在かもしれません。一番の問題は生活保護利用者を偏見の目で見ていなかったか?を真摯に問わずにいた僕ら市民かもしれませんね。

「当事者は小田原市民であること。堂々と市役所に行ってほしい。当事者こそ改革のパートナーだ」

以前スェーデンに行った際、生活保護利用者の方が乗馬をしていた。そこでそばにいた人にそのことを問うたら、労働の貴さ楽しさを知りながら働きたくても働けないかわいそうな人なんだ、だからせめて乗馬くらいの気晴らしをさせてあげなくては人生つまらないものになってしまう、と諭された。

そして代る代るに、この問題は保護課の問題ではない。そして小田原の問題でもない。と言われました。
どの部署にも、どの町にも出てくる可能性があります。たまたま小田原市であり、たまたま保護課がやり玉にあがりました。
ですので、小田原市においては全庁的に取り組んでほしいです。
過去にも襲撃事件を受けて市と交渉したことがあります。が、教育委員会は暖簾に腕押し、言葉を濁し僕らが提案要求した長期休み直前の人権問題を考える時間の取得はされませんでした。
この初夏もきっと市役所と意見交換の時を持つでしょう。はたして教育担当の部署はこの問題をわがことのように感じてくれたでしょうか?
埼玉の無低で違法な行為がありました。小田原市保護課の職員は立ち入り検査や指導強化をするでしょうか?
市民数に比べて、また全生活保護者数に比べて、母子家庭の保護数が極端に低いです。僕らの知らないところで、またもしかしたら行政も自分たちの言動が水際作戦になって利用をあきらめている人はいないでしょうか?
保護のしおりの改定を約束しましたが、改定をするまでの期間暫定的なしおりの作成をするよう委員会からの提言が出ました。いつどのようなものができるでしょう?

実は市が今日まで4回の提言をするかどうかは、上から目線で僭越ではありますがやはり僕ら市民の監視の目が必要になると思います。世の光・地の塩となれ、と聖書は僕らに語りかけます。そうありたいと思います。

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3月23日のパトビラ(№971 - ファストフードと場末の飲み屋(2) -)

毎週、野宿を余儀なくされている方(ホームレス)のところを訪問する際に持っていくパトビラ、今日はこんなことを書いてみました。

先週バイト先で給料もらうためには笑顔で接客と言われるからそうしているのだ、と言うのと同じ発想で市役所福祉課職員もいないでほしい、と言う話をさせてもらいました。実はこのように思っているのは今から2000年前にもいたのです。
神から与えられた律法(法)だけを守ればいい、と言う考え方はもうよそうよ。神が何でそんな律法(法)を作ったのか考えて、その意思に従うように生きようよ、と言ったのはキリスト教を始めたイエスです。神は金持ちとかユダヤ人とか心身が元気な人と言った特定の人だけを愛しているわけではない、だから誰もが神に愛されているのだから人間も皆隣人を愛そう、と言ったのです。
仕事は組織内ですることですから、何か決まりがなければだれにどう何を頼めばいいかわからなくなります。でも、その対応をするのが担当官です。その人となり、人間味が律法(法)によって疎外されたり、逆に律法(法)だけ守っていればいいやと言う発想で仕事をしているとすれば、どうしても相手が望むような結果にならないでしょう。
クリスチャンになれとかいうつもりはありませんが、どんな宗教をもっていようが、また信仰をもたない人であっても、社会の中での交流の基礎は「隣人を愛す」にあると思います。


野宿の方をクリスチャンにしたい故にこの活動をしている訳ではありませんが、ベースはこの世の中でLove&peaceで生きて頂きたいという自分の希望はそこここで伝えています。
それは野宿の仲間同士でもそうですし、行政との間もそうです。行政も権力に笠を着せてはいけないですが、相談する側も謙虚に行くことで、お互い相手を尊重できると思います。
この事は人が社会を築くことの基本であり、いつも僕らは頭の中に入れておかなければいけないことでしょう。

3月16日のパトビラ(№970 - ファストフードと場末の飲み屋 -)

毎週、野宿を余儀なくされている方(ホームレス)のところを訪問する際に持っていくパトビラ、今日はこんなことを書いてみました。

生活保護行政のあり方検討会の3回目が終わりました。困窮者・弱者と連帯する小田原市行政のあり方を有識者の方たちが指摘しながら進んでいます。
しかし問題はここからです。検討をし、提言を受けても一人一人自分たちは変わるんだ、と言う強い決意がなければ意味がありません。
例えばファストフードやチェーン店の居酒屋では、バイトの子が満面の笑顔で挨拶をしてくれますが、うがった言い方をすればそれはそうしろ、というマニュアルがあるからです。バイトの時給をもらうことが目的でその代りに笑顔のあいさつになります。
場末の居酒屋の初老の女将が口汚い言葉で「まったく安いつまみばかり頼みやがって」と言ってもそのお店が程よく流行っているのなら、そこには客との心の交流が出来ているからなんでしょう。お客がお店を信頼しているからでしょう。
市役所職員も笑顔で相談者に「お客様」と言うことを私たちは求めていません。今困窮しています、と言った時、親身に相談に乗ってくれてBestな回答を出してくれることを欲しています。
あとは国や県が困窮者の保護費をケチらないこと。そして市長においてはゆっくり相談に乗ってもらえる程度のマンパワーを保護下に提供してくれることです。


小田原市は変わろうという努力をしていると思います。
でも、それを後押しするのは、後者に記した福祉財源とマンパワーでしょう。
ゆっくりと相手の困窮に耳を傾け、そして自分の持っている地市域をフルに働かせて、相手にBestな進言をし、そして相手から『ありがとう、本当に助かったよ』と言ってもらえる関係を作ってあげたいです。
胸を張って自分の仕事に誇りの持てる職場にしてあげたいものです。
担当お一人お一人はそういう人ばかりですから…。

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3月9日のパトビラ(№969 - 森川弁護士ビシッと指摘 -)

毎週、野宿を余儀なくされている方(ホームレス)のところを訪問する際に持っていくパトビラ、今日はこんなことを書いてみました。

ジャンパー事件を受けて生活保護行政のあり方検討会が開催されています。根底となった傷害事件について、検討委員の森川弁護士が、小田原市の対応についてビシッと指摘しました。
1. 野宿生活で保護を申請する時、居宅をNPOの無料低額宿泊所しか紹介しないのはおかしい
2. NPO無料低額宿泊所に6カ月以上入居するよう指導するのもおかしい
3. NPO無料低額宿泊所を拒否した場合、生活保護の申請相談を受け付けないのはおかしい
この3点は皆さんにとって大きな関心ごとだと思います。今まで小田原市は、相談に行けば無低を紹介し半年程度の生活実績をもって社会的な生活が可能と判断していました。その裏にはアパート入居後にすぐに失踪し、その敷金礼金を監査されて改善を求められたという側面もあったでしょうけれど、弁護士から法的に問題が指摘されそれについて反論しなかったことから、監査においても専門家からの違法とキチンと言えるようにする覚悟だと思っています。また、14日以内に保護の判断を出すことを30日まで引っ張っていることも問題視されました。迅速な決定がなされると思います。小田原市保護政策も大きく前進します。


小田原市職員は、根はいい人が多いと思います。今回の事件でそう感じました、上からの命令には「ド」が付くほど生真面目に対応しているのでしょう。
だから経済的にひっ迫していると言われれば板挟みでこの難局を乗り越えようとしたのだろうな、と思います。
多くの矛盾点がこの2回専門家の先生から出されました。僕も行政から説明を受けて、その説明が間違いだったという事も分かりました。その一つがこのトピックスです。

たぶん、僕に「まず無低!」を説明してくれた職員はウソを言おうとしてわけではないでしょう。本当に部長や課長から監査が通らないから、ダイレクトにアパート入居をさせないようにと言う指示があったのでしょう。
でも、それが法的におかしいのであれば、堂々と監査官と渡り合わなければいけないのです。
監査官も自分がクレームとつけることで法的に問題を起こさないように十分法律を読みこなしたうえで、そして「血の通った」という想像力と裁量権を以て臨んでほしいものです。

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ジャンパー問題

昨日第三者による検討が始まり、それでまた大きなニュースになっている小田原の福祉。出席したものとして他の方のご意見はいかがなものか? と、関係ワードを入力しサーチ。するとちょっと面白い話にぶつかりました。
それは、 二宮町(西湘)にものもうす~問題点検証します、投稿してください!さまの1月17日のコメント。
名前をアンノーンとしていますし、メールアドレスなども記入していないので、まったくどういう方なのか? 文章から推測される市福祉関係者なのか? も分かりませんが、
多くの方がカチーンときたジャンパーの文字について誤解があるとの弁明。
、We are the justice,must be justiceは「我々は正義であり~」と訳されてしまっています。しかしながら、当時の私の想いとしては、「我々は公正であり~」
・・・つまり、公務員なんだよ、それを心せよ、というつもりだったということでしょう。もしそれならニュースを見聞きした人の印象はどうなのか?と思います。

ジャンパーに関しては問題点は2点。
1つは文字の内容。
もう1つは外出時に着たこと。
昨日の第三者検討会において、委員の方のお調べでは、当初は外出着ではなかった、と語られました。
だとしたら、1,2点とも大きく捻じ曲げられた情報で僕らは問題視してしまったかもしれません。

そうだとしたら検討すべきは10年もの間何故多くの市職員がこのジャンパーを着ていたにもかかわらず、誰も気づかなかったのか?注意をしなかったか?という点になるのではないかと思うのです。
行政は縦社会とか言いますが、その欠点が如実に表れてしまったこと。市長たちも大事に思っているはずの福祉の部署に出入りした時も、仲間として会話を交わすことが無かったのではないか?と思われる点です。

ただ、1つ気にかかるのは、このコメント投稿者の方は市福祉課の方のようです。なぜこの問題がニュースになった時釈明をしなかったのか?は気掛かりです。

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生活保護行政のあり方検討会

すでに会場前の廊下には十人以上の方が待っており、その横で市の職員が受付名簿の記載を促しています。
あと15分ほどで『第1回生活保護行政のあり方検討会』の傍聴の抽選会が始まります。15人の傍聴者は結局倍余りの35名になったなったというものの議員も市民も市外からの方もみな一律抽選をしなければなりません。
が、結局定時には30余名だったためにくじを引くことなく入場。身動きが取れないほどに詰め込まれた中で、市役所企画課の神名部氏の司会で会が開始されました。
目の前にはTVクルーが5組、スチールが数名立っているので、第三者の有識者の先生方、市職員の様子はよく見えません。

加藤市長が一言挨拶をして、座長の井手先生にバトンタッチ。先生は慶応大経済学部教授です。
言いたいことはたくさんあるが、座長と言う立場に据えられて、個人の意見を言う時間が無いのが残念。一言だけ自分の意見を述べて開始したいと挨拶し、
この問題は「不正を取り締まらなければならない」と言う正義と「保護者のプライバシー・人権の保護」と言う正義のぶつかり合い。
ではだれが犠牲者なのか?ジャンパーを作る行動を起こした背景までメスを入れなければならないと語られました。
続いて森川清弁護士、猪飼周平一橋大教授、和久井みちるさんがあいさつを兼ねて問題点を語られましたが、まさにこの井手先生の挨拶の言葉を異語同音で語った感があります。

その後A4両面30枚近くの資料を生活支援課長が説明しました。
が、そこから浮かび上がってくるのも井手先生の挨拶を裏づけるような内容です。

今日は問題点の洗い出しで、今後あと3回みっちりとした検討会が開催されますが、庁内の空気と担当課の空気の温度差やケースワーカーの仕事への余裕づくり(人数増加)、そして保護の要求をYesを前提にすることが大事であることが解決策のようです。
そうだとすれば、生活保護費の費用は国の予算から出てきますから、どうやって国の政策が国民に優しくなるかと言う小田原市を離れた問題になるような気がします。

2回目以降が楽しみです。 

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