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第35回全国地域・寄せ場交流会2018愛知

第35回全国地域・寄せ場交流会2018愛知 に行ってまいりました。
場所は愛知青年の家と言うパブリックな施設。 13-14日の1泊2日なので、元気な人は今も歓談をなさっているでしょうし、明日は9-12時で全体会でも活発な意見交換がなされると思います。
が、とりあえず自分が参加したところのみをご報告。

前述のフリー切符で豊橋駅。興味深いのはプラットホーム。
飯田線はJRでありながら名鉄と一緒のプラットホームで、行く間に検察があります。そしてナンバーも飯田線と東海道線の間に名鉄と言う関係。

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そんな改札を抜けて

豊橋から岐阜と言うのは僕ら関東人にしてみればむちゃくちゃ距離がありそうに思いえるのだけれど…

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連結車両。どこかで切り離すのかな? でもやっぱり名鉄は赤一色がそれらしい。

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会場の最寄り美合は

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駅からは閑静な住宅街を抜け、農業大学校を抜ければ、会場。
受付を済ませ、さっそく全体会。
まずは諸注意を実行委員スタッフの東岡さんから

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そして司会を小野さんにバトンタッチをして

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基調講演をし対する会もあるけれど、今回は全国の仲間の声を聞こうと、全体会は全員の自己紹介タイム。

仙台夜回りグループは、2011年に震災見舞いに行った場所 今井先生に置かれましてはお忙しい中1日周辺を案内してくれました。今回はNさんが来られたので先生へよろしくのごあいさつを託しました。

埼玉のKさん、東京反五輪のOさんらは以前寿でお話を聞いたメンバー。あうん・フードバンクは言わずと知れた山谷で根を張っているメンバー&フードバンクはお世話になっています。
神奈川はきずなから5名、戸塚のIさん、寿のオリジンさん、と僕
釜ヶ崎からは、こどもの里、山王子どもの家から1+2名。ジョイフルさつき、医療センター、釜日労、そして矢嶋先生のご遺族(ご家族)もお越しくださいました。
毎月月命日に発行している通信も91号を数えて今ももちろん真相解明に向けて情報収集をしているそうです。

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昨日も仲間と寿の街中のドヤをリノベーションしたHotelに泊まるにあたって、不安視する人に寿は怖くない街、とお話ししました。実はこれは正しくもあり正しくないことでもあります。
寿でも山谷でも釜でも野宿生活の人は得てして人が良すぎるきらいはあり、きちんと人と人として接していれば何にも怖い人はいません。しかし、そんな人の良い生活弱者である野宿者からわずかなお金を丸め込もうという人がいる訳です。喩えを変えればコツコツと年金をためたご高齢の人の方が騙しやすいから「おれおれ詐欺」は多発するのと一緒です。そうした人にしてみれば騙して金もうけをしようとしていることを邪魔する人には容赦しない凶暴性があります。
矢嶋先生が殺されたのもそうしたことが原因ではないかとも言われています。そう言う意味では矢嶋先生の事件は貧困ビジネスに立ち向かう一つのシンボリックな事件として忘れてはいけないし、何か少しでもお手伝いしたいことなのです。(拙いBlogですが、これを読んで、ここから矢嶋先生のことをリサーチしてくれる人がいてくれたらうれしいです)
2017年の訪問の際にお世話になった釜の皆さんにもごあいさつ。
そして京都夜回りの会からはお二人。
また鹿児島ホームレス者を支える会からも遠路はるばるお越しくださいました。
もちろん地元愛知はたくさんのグループが…。
豊橋サマリア会さん、ミャンマーからの難民申請が2001年認められて大府で働いていられるOさん、のわみの会さんからは20名、オアシスさんも数名の方がお越しくださいました。

さて、分科会は無低問題を選択。
座長はのわみのHさん、参加者は同じくのわみのMさん、あうんのAさん、京都夜回りのOさんと僕と言う少数のメンバーでした。
が少数ゆえに濃い話をいたし2時間があっという間でした。小田原の無低に対する行政の指導には大いに問題があると思いましたが、他の地区もにたりよったりで「お土産」になる情報はありませんでしたが、それ故に、全国、全県のメンバーとの意見交換と共同の要請抗議活動が大事だということが1つの結論でしょうか?

小田原交流パトの活動にもつなぎ生かしていきたいものです。

みんなの食堂

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先日、ワンダフルのページでもご案内しましたが、ようやくみんなの食堂計画が始まります。
今後はこのグループページを中心に計画を進めて行こうと思います。

まずは私の店から食事券を毎月20枚分、地域の民生委員さんにお渡しします。
周辺の独居老人の方などのもとにお届けする予定です。


自分が子どものころから過度に人の目を気にしやすい性格だったからかもしれないけれど、子ども食堂は自分の幼少期の性格なら出入りできなかったと思うのです。たとえ貧しくておなかをすかせていたとしても、家族もお腹を空かせているのだろうな、と思うと、自分だけが満腹になることはいけないと自粛しちゃったろうと思うのです。
それは僕が特異的ではなく、多くの子どもは大人が思う以上に親の動向を見ているはずだし、DV被害の子どもが親をかばうように子どもは親が大好きなはず。だから子どもに気を遣わせちゃあいけないと思うのです。

偽善かもしれません。だって見ず知らずの人がアフリカとか中東でお腹を空かせていても気にもならずにおいしいものをたくさん食べれるのですから・・・。でも近しい人を差し置いていくのはどうも苦手です。食べている最中にその人のことが気になります。

ですから、子どもに限定した子ども食堂には結局関与しないままに終わりました。
大人も入れる食堂でなければ意味がないと・・・。

ですから僕にとっては理想に近い働きが始まったみたくてとてもうれしいのがこの「みんなの食堂」
例えば、券をもらった人が裕福であろうが貧しかろうが構わないのなら、お金はあるけれど一人で食べるわびしさを味わいたくない人も来ることも構わないし、そういう人が帰りがけに誰かのために1食分の500円をドネートすればいい。
子ども食堂に行くのが嫌な子どもでも親と一緒に堂々と来れる。
「必要とする」人の背景は縛らない方がいいと思うのです。その方が来る人もどんな理由で来ているか詮索されないで済むと思うのです。ただ来たい人が来る。来たくても来れない人のために少しだけお手伝いをする。そんな働きになればいいですね。

ワンダフルさんは新店舗になってからまだ一度もお伺いしていない施設。食事をしながら是非ドネードしに行きたいです\(^o^)/

交通費の算段

昨日あげたトピックス
やはり、下記イヴェントへの参加の気持ちが強まる。

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しかし行くためにクリアしなければいけない算段が2,3つある。
「ボンビーな」じじい(爆)、故に、どうにか費用をかけずに行くことが求められる。
そこで見つけたのは

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14日は礼拝もあるのでお休みは避けたい。必然最終列車での帰宅が余儀なくされる。つまりは、交通費は往復で2670円。
豊橋まで片道1400円弱で行ける。これは凄いことだ\(^o^)/
と言うことで一歩参加が近づいた。

今日日エアコンは『健康で文化的な最低限度の生活』だよね

社会福祉を学ばれている大学生の友人が、授業の一環で無料低額宿泊所を見学に行ったというFBメッセンジャーをもらったので、何通かのメールやり取り。
無低も狭い部屋でエアコンがないのは、それこそ憲法25条に抵触しちゃうよな、なんて思いながらのやり取りを終えたところにこの話題。

今夏の猛暑に対して、生活保護の受給者はどう身を守っているのでしょうか。エアコンがない人は涼を求め街に出て、食費を削って冷房を使う人もいます。ぎりぎりの生活で暑さと戦っていました。(斉藤佑介)

 名古屋市南区に住む男性(71)はひざが悪い。だがエアコンの利いた図書館や公共施設をめざして歩く。「生きることが今の私の仕事ですから」。1日の歩数は1万1千歩を超える。
 8年前に派遣会社の雇い止めにあい、年金の加入期間が足りず、生活保護を受け始めた。6畳一間、風呂なし、トイレ共同。半世紀前のアパートに備え付けのエアコンは壊れたまま。手元に残る生活費は月5万円ほどで、余裕はない。
 夜は窓辺で蚊取り線香をたき、扇風機をまわす。「今年は寝られん」。午前2時すぎに眠りに落ちる。

 愛知県刈谷市。築50年のアパートで暮らす視覚障害者の男性(64)はエアコンの使用を控えている。窓と玄関の戸を開け、扇風機を使う。ぬるい風が抜ける。
 ログイン前の続き「今年は激烈な暑さ。天井もはがれたみたいだわ」。台所の天井は暑さで壁紙がはがれ、垂れていた。
 2009年に糖尿病で失明。失業したことで生活保護の受給を始めた。働いていたころに買ったエアコンはリモコンが壊れ、温度調節ができない。普段は使わないが、この夏は4日分フル稼働させた。電気代を月3千円程度に抑えてきたのに、8月だけで1万円を超えそうだ。
 そのぶん食費を削った。1日1食。日中は麦茶と梅干しを口に入れ、水風呂に5回つかる。「これ以上削れません。貯金? とんでもない。買い替えも難しい」
 週1回ボランティアが同伴する朝の散歩もやめた。静かにラジオを聴く日々。「涼もうと思っても私は外に行かれんのです」

 船堀メンタルクリニック(東京都江戸川区)の精神科医松尾徳大(なるひろ)さんは毎月約300世帯の受給者を診察する。そのうち10~20%はエアコンがないという。8月、50代の男性受給者が電気代節約のためエアコン使用を控え、熱中症により1週間で2度も搬送された。
 「死者も出る猛暑のなか、受給者の暮らしは憲法が保障する『健康で文化的な最低限度の生活』とは言えない」と指摘する。

 厚生労働省は6月、熱中症対策として、4月1日から生活保護を受給し始めた世帯でエアコンがないなど、条件を満たせばエアコン購入費(上限5万円)の支給を認める通知を出した。
 「あくまで緊急性が高く特別な事情がある人への『一時扶助費』。原則は保護費のやりくりで買っていただき、うまくためられない方は社会福祉協議会の貸し付けを利用してほしい」と担当者は言う。
 社協は生活福祉資金貸付制度の「福祉費」として「障害者用自動車の購入」「その他日常生活で一時的に必要な経費」など、目的別に上限額(目安)を設けてお金を貸してきた。全国社会福祉協議会によると、エアコン購入は「その他」にあたる。15年度の貸し付けは1900件ほどだが、多くはエアコン購入が理由とみられるという。

 生活保護問題対策全国会議事務局長の小久保哲郎弁護士(大阪弁護士会)は「今回の厚労省の対応は一歩前進だが、対象があまりに限定的。3月以前に保護対象となった受給者にも支給すべきだ」と訴える。
 貸付金についても「結局お金を返さなければならず、ただでさえ生活扶助基準の引き下げで減っている保護費をさらに削り、受給基準となる『最低生活費』以下の暮らしを一定期間強いることになる」と話す。
 10月にはさらなる保護費の削減が始まる。小久保弁護士は「エアコンがあっても節約のため使わない受給者が多い。国は生活保護基準の引き下げを撤回し、冷房費にあてる『夏季加算』を創設すべきだ」と話す。
 厚労省によると、生活保護受給者数は5月現在、約210万人、世帯数は約163万世帯という。
朝日新聞ディジタル 2018年8月25日15時51分 斉藤佑介氏記

国が動いた。
が、この国の一時扶助金融資の政策は果たして生活困窮者に情報としていきわたるのか?と言えば甚だ疑問だ。
野宿者支援をして大いに感じるのは、「貧困」とは確かにお金等の財産がない事を言う言葉かも知れないけれど、情報も「貧困」格差がある。
「保護もらう権利がありますよ。」と言う言葉にも、しり込みする野宿の方は多い。役所は敷居が高いのだ。
だからこそこうした支援活動と言うボランティアは大事なことだと僕は思っている。野宿者の所に行くときに持っていく「パトビラ」に様々な情報を載せるのは、「情報貧困」からの脱出を促すのも僕らの使命だと思っているからだ。

野宿者支援をして分かったのは、冬も厳しいが夏はそれ以上厳しい季節かも知れないということ。
冷えた体を温めるのは、流木等でたき火をし、公園で汲んだ水を沸かして温かい飲み物をとればいい。工夫をすればどうにかできることはある。
が、夏の熱がこもった体を冷やすのは難儀だ。冷たいものも、風を起こす道具もすべては「電気」が提供する道具だ。電気の無い彼ら彼女らはひたすら我慢するだけだ。

斉藤記者の取材の方は65歳や71歳、既に国の義務を十分果たされた方なのだ。そうした方が憲法が侵され健康を損ねそうなのだ。そしてそのような人はごまんといるのだ。

「生活保護なめんな」ジャンパー問題から1年半、小田原市が進めた生保改革 と言う名のレポ

 「保護なめんな」「生活保護悪撲滅チーム」――。ローマ字と英語で書かれたジャンパーを羽織って、生活保護受給者宅を訪問する。2007年から約10年にわたって神奈川県小田原市の職員が着用していたものだ。
 2017年1月に問題が発覚し、職員の対応は「受給者を威圧する」と批判された。市は改善を宣言する。あれから1年半、小田原市の生活保護行政は大きな変化を遂げていた。

7月14日、東京。生活保護問題に取り組んできた弁護士らが開いたシンポジウムで、小田原市の職員2人がやや緊張した面持ちで報告を始めた。
 「小田原市の取り組みを報告するのはこれが初めてです」と市企画政策課の加藤和永さんは語る。ジャンパー問題が発覚してから、市の対応は早かった。
 対応を振り返っておこう。市の生活保護担当の職員らが「保護なめんな」「SHAT(※生活保護悪撲滅チームの頭文字をとった略称)」と書かれた黒いジャンパーを作り、受給者宅を訪問していた。
 2007年に生活保護の支給が停止された男性が、小田原市役所の職員を切りつけるという事件が起きたことを契機に作ったものだという。
 ジャンパーには「私たちは正義」「不正受給者はクズだ」といった趣旨の英文もプリントされていた。
 市は「職員がモチベーションをあげるために作成した」と弁明したが、すぐに加藤憲一市長が「生活保護受給者の気持ちを傷つけた」と謝罪した。
 加藤市長は一連の問題を「組織的な問題」と位置づけ、「生活保護行政のあり方検討会」を設置する。
 財政学者の井出英策・慶応大教授、社会政策に精通した猪飼周平・一橋大教授ら有識者に加え、市職員、そして実際に生活保護を利用した経験がある和久井みちるさんを加えた。
 検討会は原則として公開で進められ、小田原市の何が問題だったのか、何を変えなければいけないのがオープンに話し合われた。

最初に進めたのは言葉の改革だった。生活保護「受給者」から生活保護「利用者」へ。生活保護は市民の権利と位置づけ、利用することは卑下することでも批判されることでも、バッシングされるものでもないという趣旨だ。
 改革は4点に集約できる。第一に職員数の増加。第二に申請から決定までの時間短縮、第三に生活保護のしおりの見直し、第四に自立支援への動きだ。
 生活保護行政に取り組んでいる市福祉政策課の塚田崇さんは語る。
 「まず社会福祉士の数も拡充し、ケースワーカーの数を増員しました。これまでケースワーカー1人で91・3世帯担当していたのを、81・3世帯まで減らし、女性職員の数も増やしました。
これまで保護申請から決定まで7割が2週間以上かかっていたのを改善しました。今では約90%が申請から2週間以内に決定を出しています。
まず申請を受けて保護をしてから、細かい状況を調べればいう方針になりました」
 まず困っている人を保護し、「市民の不幸を最小化するためにどうしたらいいか」(加藤さん)を一義的に考える方針だ。
 この日、職員と一緒に登壇していた和久井さんはこう語る。
 「私はこれまでメディアの取材を受けてきても、『生活保護の悲惨な実態』は聞かれても、生活保護行政がどうあってほしいと話してほしいと言われることはありませんでした。
『保護のしおり』についてかなりきつい発言もしましたが、聞いてもらえて良かったと思っています」
 しおりは「利用者目線」を最大の目標に、全面的に見直され、イラストを増やし、漢字にもすべてルビをふった。

重要だったのは自立支援だ。組織目標としてこれを掲げ、地域と協力して、利用者の状況に応じて農作業などに参加できる仕組みを整えた。自宅以外に社会との接点を作ることも、社会参加に向けた重要な「支援」だ。
シンポジウムで印象に残る発言があった。元世田谷区職員で生活保護ケースワーカーを務めていた田川英信さんの発言だ。彼は言う。
'''
「この社会では福祉行政にあたっている人も含めて、『見えないジャンパー』を着ている人がいる」'''
 事実、小田原市のジャンパーには今でもネット上で「何が問題なのか」「むしろ当たり前のことを言っている」という声があふれている。生活保護バッシングも強まっている。
 小田原市が賢明だったのは、こうした擁護論に乗らなかったことにある。
 参加者からの声にもあったが、生活保護には「誤解・デマ・偏見」がついてまわる。「不正受給」という言葉には特に過剰な反応がある。
 読売新聞で社会保障を中心に取材を続ける原昌平記者も指摘するように不正受給は金額ベースで0・5%に過ぎない。
 さらに「不正受給とされた中には細々した案件が多数あり、必ずしも悪意のない『申告漏れ』レベルのものも、行政運用の厳格化によって不正と扱われている」のが現状だ。
 生活保護の重要な課題は不正受給ではなく、本当に必要な人に生活保護という制度が行き届いていないことにあるのは多くの専門家が指摘するところだ。
 行政が「保護なめんな」などと圧力をかけて利用のハードルを上げるのではなく、「権利」と位置付け、自立支援に取り組むことは、課題解決に向けた一歩になるだろう。
 もちろん課題も残っている。和久井さんは「利用者のアンケートを実現してほしい」と要望していた。行政の改革が表向きのきれいごとに終わっていないか。本当に利用者の便益になっているか。必要なものに届いているかという視点を持ってほしいということだ。
 小田原市はスピード感を持って改革に取り組んだ。他の自治体は続くことができるだろうか。「見えないジャンパー」を着ている自治体ばかりでなければいいのだが……。


記者 / ノンフィクションライターの石戸諭氏のレポートがyahoo!ニュースに上記のごとく載っていた。
14日は既に入っていた予定の為に伺えなかったが、氏のレポートを読んで概要は理解できた。ありがたいこと。

小田原市長肝いりの改善命令で確かに業務内容は大きく変わった。短時間にここまでの変貌を見させた職員の尽力は大いに評価できる。
同時に、和久井氏も仰っているが、例えば市民の意識は変わったか?に関してはいまだわからない。

良くも悪くも小田原は平穏だ。
小田原駅のバスロータリーに夜になると、野宿を余儀なくする方やまた保護を受けているが飲み仲間のいない人が集まって酒を酌み交わす。
多分迷惑だろう。が、強硬的に力づくでの排除はない。これは支援している人間にとってもありがたい話だ。

こんなところで飲むな!と言う声の方が多いと思う。それはひとつの日本の常識(良識)として承っておくが、例えば15年ほど前と言う古い話で恐縮だが、イタリアフィレンツェに行った際、日本と同じような気候ながら多くの市民は家に冷房を持っておらず、夜になると夕涼みがてらドォーモにはいる石段に腰掛け三々五々酒を飲む。大声で笑うのでドォーモのそばのホテルに泊まった僕らは24時くらいまではかなり騒がしかった。
しかしそれが市民スタイルだ。日本と違うと言われるかもしれないが「人間の営み」としては日本人もイタリア人も一緒で、一日の疲れを仲間とともに酒で癒しているだけだ。そして彼らも小田原駅のバスロータリーで飲む方々も「お店で飲むだけ」の費用を持ち合わせていないだけのことだ。

小田原の福祉業務の担当者たちは市役所の中で孤立し、幾何からの市民からも厳しく見張れ、のクレームを受けたのだろう。それゆえにあのようなジャンバーを作ったと思われる。
決して許されることではないが、孤立の辛さは痛いほどわかる。

和久井氏の問いかけに戻ろう。利用者は今回の変化をどう受け止めているのか?併せて小田原市民は、日本国民はどう思っているのか? が問われる問題だ。
「見えないジャンバーを着ている」というご発言。然り。
それは行政職員だけではなく、市民が着ている問題でもある。
蔑視なら、偏見なら、それはジャンバーを着ていることだ。
小田原市はそうした方々に懇切丁寧に、憲法25条や13条で守られるべき人権を説いて欲しいし、時には犯されそうなときは矢面に立ってほしい。
国民意識の変貌こそが小田原ジャンバー問題の解決点だ。

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17日から月9ドラマで(^_^)/

先週友人が遊びに来てくれて、漫画コミックスの『健康で文化的な最低限度の生活』の1-4巻を持って帰られた。というのも、拙宅には1~4巻しかなかったからで、思い出したように5,6巻を購入した。
保護を利用したい人や保護の制度を説明してつながればいいな、と思う人と接してきた僕にとって、あまりにもリアルで涙が頬を伝わるシーンが豊富な漫画。

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生活保護課の職員さんを通して、様々な保護希望者を描く。
漫画のように利用をしたいと願う人、本人は乗る気ではないけれど、年齢や健康状態からつなげたいと思う人とぶつかり話をしている中、どうしても「わがまま言うなよ」と言う気持ちが湧きあがることが多々あった。

困窮の中にいるのはその人の責任であったりなかったりする。が比率を見れば誰もが自分以外のファクターによって困窮している事が多い。「お人よし」の人が多いので騙されたり裏切られた過去を持つ人もたくさんいる。
そして僕らが声をかける。最初はけんもほろろ、生活保護なんてそんなおいしい話があるはずがない、お前も騙しに来たんだろう? そんな人もいた。
なんどもお話しして疑心を払しょくし、じゃあ一つ言うことを聞いてみようか、と言う気になる。
将来設計の希望を語るのを聞く。

とたんその希望の多さやリスキーさに、この漫画のように「この人、自分の置かれている状況分かっているのかな」と、僕も何度も思ったことがあった。今冷静に考えればそんな高度な要求ではなかった。が、面と向かっている時は、保護につなげる結果だけを求めていたかもしれない。
つまりお声がけした人と自分の意見が違った時に、自分の意見を押し付けようとして、それが出来ないと非難したわけだ。寄り添う、なんてかっこいい言葉で行動を美化しようとしても現実はそうでないエゴのボラ活動だったのかもしれない。
そしてその希望を聞きだしたのは僕らの方で、彼らは素直にそれに答えただけだ。

一例を出せば、体調が思わしくない、と言われ、じゃあ路上から抜け出しましょう、とお伝えする。
一時行政が盛んに言っていた「まずは無低に入ってそこでの生活指導の後アパートの転居」 体調の良くない野宿の方を一刻も早く路上から抜け出してもらうためには、本人が好むと好まざるとを問わずに無料低額宿泊所に入ってもらう方が安心ではある訳で、それをお勧めすると「いや、無低は嫌だ」と言う。
体を考えればいやだなんて言っている場合じゃなく、1年間だけの我慢です、と行政の手先のような言葉を投げたこともあったわけだ。

それをわがままだと感じてしまった・・・
この言葉に自分がかぶりショックを受ける。
ああ、上から目線ではなく、だから、人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい。これこそ律法と預言者である。(マタイによる福音書7章12節)のように、逆さまの立場だったら、強引に無低に1年間入れと言われることをどう感じるだろうか?を考える。

「そんなことを言うからスムーズに生活保護が受けられないんだ」
いやそれは違う。生活保護法は憲法25条の理念に従う法律だから、無低は嫌だは利用者の権利であり、それでも屋根の下で暮らす権利を有するんだ。

漫画の一言一言をかみしめながら読んだ。
特に6巻は、アルコール依存症の話。実はそうした人または予備軍はたくさんいる。
そうした施設が県下にあることも知っている。
が、依存症の方の症状や苦しみはよく知らなかった。大いに勉強になった。
苦しい時悲しい時、誰かにそばにいてほしい。でも誰も居ないなら、唯一の友人は「酒」になってしまう。医療もそうだけれど、最後のカギはともに闘ってくれる友。

ということでOさん続きを読まれるのでしたらいつでもどうぞ! ほかの人も、生活保護に興味をもったら是非読んでもらいたい漫画です。
序でに、7月17日夜9時~関西テレビフジテレビ系列で、月9ドラマでも始まります。こちらも楽しみ。
少しでも保護のことが多くの方にご理解いただけますように!!

2018年寿地区センター講演会 ~こやしん牧師大いに語る~

2018年寿地区センター講演会が紅葉坂教会で開催されたので行ってきました。
講師は小柳伸顕牧師。大阪釜ヶ崎で子どもたちと向かい合って約60年。あいりん小中学校のケースワーカーをしながら、こどもの里と山王子どもセンターにも関わり、そして子ども夜まわりの設立にかかわった方。


2017年7月、小田原での映画「さとにきたらええやん」上映に当たって、釜ヶ崎に出向いた。そのためまずインターネット等を駆使して情報を集め、そしてそれを確かめるように釜に行った。
こどもの里では、僕のような外部の人間に理解をしてもらおうとプロモーションビデオを見せてもらった。
その中には僕が知らない情報がたくさん詰まっていた。
一つは里の子どもたちが、海外の視察に出かけていること。
もちろんカトリック系の篤志家の人からの多額の献金はあったろうけれど、それにもまして子どもたちの「見たい」と言う強い意志はバザーなどで旅費費用をため、そして出先での教会の協力もあり何度か海外にまでフィールドワークをされたことが映っていた。
失礼な言い方だが、汲々とした財政だと思っていた僕は、見当違いであることを知らされた。もちろん運営自身は極めて厳しい財政であり、拍車をかけて府からの圧力に苦しんでいたが、子どもたちは自分の人生の中の探究心を謳歌していたことは確かなようだった。

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小柳先生のお話は、子ども夜まわりがなぜ始まったか?から発題された。
1983年山下公園事件。子どもたちが横浜山下公園で生活をしていた野宿者を「ゴミ」と称して、暴行しごみ箱に押し込んで放置し死に至らしめた事件はご存知の方も多いだろう。
その事件後、里の子どもたち、山王の子どもたちに、野宿者とのかかわりのアンケートをとったところ、子どもたちからは『いじめ』『襲撃』をしたという回答が出てショックを受けた。
そこで打開させるためにも、野宿者の方がどういう存在なのかを子どもたちと学ぶところから始めたのが夜回り。

子どもたちがなぜ襲撃をするのか問えば、『知らないオッチャン』が、みんなが働いている『昼間から昼寝』して怠けているから『嫌いだ』という図式。
それは、自分たちの家でもおとーちゃんが昼間から酒を飲んでクダをまいている嫌な面とオーバーラップしたり、警察も寝ている路上での生活を余儀なくする人に水をかけるなど暴力的な行為をし、そうした大人たちを見ているところから生まれたものなのかもしれない。
小柳師は、釜周辺の同和地区でも「襲撃」があったと報告された。僕らの住む関東よりも同和問題の取り組みは厳しい関西。その場所であって被差別の発言をすれば大人たちは注意をしても、事野宿者への襲撃は見過ごしていた、と言う教育不足の側面があったことを教えてくれた。

1987年にこどもの里においての学習会が始まった。
怠けて寝ていると思った野宿生活を余儀なくしている人たちは、実は怠けていなかったことを子どもたちは知る。
この町を作ったのも、隣接の町の高層建築も、駅もスーパーも自分たちの学校も作っている最中は、『○○建設』『△△組』といった誰もが知っている大手ゼネコンの名前が張ってあるが、実際作っているのは孫請け、曾孫請けのオッチャン達であることを知る。
自分たちの学校のトイレが壊れた時、直してくれたのはその場に同席していた野宿のオッチャンであることに意識が変わった。
子どもたちはみなオッチャンに興味を持つ。その人となり、半生を知れば、今野宿生活を余儀なくしていることは理不尽であることが道理であると思う。

そして夜回りに出かける。子どもたちの訪問は、野宿生活をしている人にはとてもうれしい事だ。わずかな日銭を自分のためにではなく、夜まわりに来る子どものためにお菓子などを買って待っている。
もらったお菓子は夜回りを終えた後の報告会のおやつだ。
誰もがその日夜まわりをした思い出を原稿用紙に書く。オッチャン達は子どもたちの質問にはいつも以上に懇切丁寧に回答をするらしい(笑)

怪我をしている野宿者を見たよう学校の低学年の子は、その晩明け方まで寝られなかった、と書いた。
文字が欠けない園児は「あのオッチャンもお母ちゃんのお中から生まれてきたんやろ?」と自分たちと何ら際のない人が理不尽な生活をしていることに疑問を呈した。

犬を飼っている野宿の仲間が入院をしなければいけない事態になったが、自分が居なければ飼い犬は保健所に連れていかれ殺処分されるだろうと、入院をためらっていた。が、子どもたちが自主的に面倒を見るように段取りをつけて入院にこぎつけさせた。

さて、夜回りに行く前にはみんなで歌を歌う。みなみらんぼう氏のくまのぬいぐるみの替え歌。「なんでよまわりするの」
少し淋しくてちょっと悲しくてとても肝(ちむ)苦しい と言う歌詞の歌。

夜回りの事を学校でしゃべる。先生も行こうよ、と誘う。すると学校の中でも変化が生じ、学級通信にこの話題が載ったりするが、残念ながらそういう担任はいつしか転任の憂き目にあう。
それ故、地域全体の、学校全体の取り組みにはならない。

この話は釜ヶ崎の話だが、小田原のパトロールでも同じである、と言いたい部分はいくつもある。

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さて、こどもの里での学びの時、日本以外の生活困窮や差別蔑視で苦しんでいる人たちの話になり、「アジアの労働者とバナナ」を見てフィリピンのバナナプラントを見たいという声が上がった。
なんとか工面し出向き、子どもたちはそこで現地の人たちと一緒にバナナを洗ったり、トラックの洗車をしたりしたそうだ。現地の人も、多くの日本人が来るが、ここまで手伝いをするのは非常に稀だと言う働きぶりだったそうだ。

自分たちで実際野宿のオッチャンの所に出向き、語り、理解する等作業をする中、「本当の学び」が身について行ったのだろう。
フィリピンの学びは沖縄につながり、そしてアウシュビッツと駆け巡り、その映像を僕がこどもの里のプロモで見た訳だ。
何も考えずただ襲撃をしていた子どもたちが、命を考えるようになり、沖縄やアウシュビッツと連帯する。壮大な教育がこどもの里では行われている。
子ども夜まわりは30余年経った。最初夜まわりをしていた子どもは成人し子どもが授かりその子が夜回りに携わっているなどと言う事例もあるそうだ。

1年間の間路上で亡くなった人の場所へ献花をする儀式をしている。釜の場合は、その場所が病院の真正面であったり警察署の真正面であったりすることもある。
警察の真正面に献花をすると、警官がそんなところに花を供えてはいけないと追い返すそうだ。すると子どもたちは警官に抗議するらしい。
正しい事をするのに気おくれをすることのない子どもたち、僕らが少し見失ったものをこどもの里では実践している。

さて、小田原も1990年代後半は100人以上の野宿を余儀なくする人がいた。が今は20人を割っている。
それは、寿もそして釜ヶ崎もそうで、2000人ほどいた炊き出し利用者も今は100人を割る程度だそうだ。
釜も高齢者と外国人が目立つ街になり、府は一気に再開発を進めようともくろんでいるようだ。
しかし、ほかに行けない生活弱者がいる。この町でずっと過ごしてきた人が高齢化して、もう他の町に移る気力のない人も多い。そうした弱者の最後の砦として釜ヶ崎はまだ使命が終わってはいない。
そうした中、「さとにきたらええやん」に感化された里の女の子が映画作りをしているという話も聞いた。
あと数年かかるかもしれない、と言うが、その上映を楽しみにしたい。

この日の参加者は100余名、献金は9万弱が集まり、釜の支援へと小柳先生に託した。

2018年寿地区センター講演会 ~釜ヶ崎こども夜まわり30年の歩みから~

20180526-01
(画像上クリックで大きくなります)

2017年猛夏釜ヶ崎の町を歩きました。心地よいのんびり感は行ったことのない東南アジアのそれを髣髴させるもので、こどもの里の子どもたちは愛らしく、街行くオッチャンは見ず知らずの僕にパチンコの出玉の様子をフレンドリーに教えてくれます。
釜の街中の山王こどもセンターのこども夜まわりは、残念ながら僕の行った週の翌週、ご一緒は叶わずその様子を見ることはできませんでした。
子どもの里がこども夜まわりにかかわったのは、ここに来る子が襲撃に関わったことによると聞いています。教えなかったので襲撃に加わってしまったのなら、それは大人に責任の多くがあるでしょう。そこから夜回りを体験し始めて、オッチャンの優しさに触れたと聞きました。

しかし、それは僕が少ない情報から得たすこしのデータ。もう少したくさんの釜のこと、そこに過ごす子どもたちのことを聞きたいものです。
お時間のある方はぜひご参加ください。
ご一緒できそうな方は、ひと声お声掛けくださるとうれしいです。

小田原市 生活保護行政に関する 検証会

小田原市生活保護行政に関する検証会なる集会が30日14時から小田原駅前のUMECO1―3会議室で開催されましたので行ってまいりました。
寿日労のKさんや、パトメンバーのKさん、そして昨秋に「さとにきたらええやん」をご一緒に実行委員としてご尽力くださった方10名ほどと知った顔がずらり。
事の顛末は、小田原市ジャンパー事件を検索してもらえば概要は理解頂けると思いますし、拙Blogでも「生活保護行政乃あり方検討会」には行われた4回の協議とそれを受けてのシンポジウムの様子を書きました。
最後のシンポでは、『「有識者と協議して提案を頂いた」だけでは済まない。1年間その提案を受けてどう変革していくかの検証が大切』と行動こそ反省と言う強い姿勢を自らに課し、この日になった訳です。
会場はマスコミ数社を含む多くの方でほぼ満席。その前には、5名の有識者の皆さん、小田原市関連部署の福祉健康部長、生活支援課長ほかの職員が向かい合って座り、市長と座長の井手氏のあいさつでスタート。
支援課長が、配布された「生活保護行政のあり方検討会からの改善策に対する取り組み状況」とそれに付随した資料を読み上げてから、各有識者の方が意見を発現されました。
膨大な意見交換なので、僕が強く記憶した数点のみ記載します。

ここまで1年間通常の業務をこなしながらの新な施策提言を矢継ぎ早に作成し実行を重ねた行政の尽力に対して、各有識者の方は一様に及第点を評価されましたし、僕自身もそう思っています。
特に3月末に検討会を終えて、わずか1カ月ほどで「新生活保護利用のしおり」を作り上げた熱意にはただただ驚いた覚えがあります。

しかし、満足いくかと問われればそんなことはありません。昨日今日のこの日の案内をUPした際にも記しましたが、NPO無料低額宿泊所は一時避難でありながら、アパートへの転居を申し出ると、申し出た日から無低の管理人さんの意見を踏まえアパートの転居を認めるか協議する、と言った言語道断のガイドラインを持っております。
金づるである入居者が施設から出て大丈夫かどうかをその施設利用者と言う関わりの深い人の意見を聞くと言うのは、まさに癒着以外の何物でもないことをやっているのが実態です。
しかし、それを小田原市だけの問題にしてでは解決しません。これは県行政の下達であり、そもそもセーフティネットである住居を民間に委託していることが問題なのです。
でも、野宿を余儀なくしている方々、それを支援する僕らは、目の前の行政である市町村にその問題点を提議し解決に向けての努力をしていただくしかないのです。

有識者の一人和久井氏は、「(今回の改善策について)いちばん大切なことは利用者がどう評価しているか?」だと言います。
まさにその通りで、野宿を余儀なくしている方、様々な困窮でこの制度を利用しようとしている人に、『小田原市は変わった』ことがわからなければ、絵に描いた餅です。
その点はどうでしょう? 今日このような集会があることを市民のどれくらいの人がご存じなのでしょうか? 小田原市は、どういう手法で市民に広報したのでしょう?
評価の以前に、情報が伝わっていないことを危惧します。

また、和久井氏はこうも言いました。「困った時相談できる、信頼感のある市役所になったか?」
今日の行政の回答は聞いていて難しい部分が多かったです。それだけ高度な施策をしているのでしょうけれど、それが市民に伝わらないと意味を持ちません。
毎日その仕事をしている担当者なら、生活保護法と生活困窮者自立支援制度は違うことは当然のことで、語る言葉に主語がなくても、今語っているのは保護法なのか自立支援制度なのかは常識的に使い分けていますが、僕らは頭の中で咀嚼しないとどちらの話をしているのかわかりません。この点も利用を希望している人に明確に聞き取れるように語ってほしいものです。

猪飼氏は、大前提を振り返ってみようとこのあり方検討会の発足に戻って意見を言われます。生活保護はセーフティネットでありながら、その存続は形式的になり下がり、使わせない前提での業務になっていた。この点の反省をどう活かしたかが今日のポイントだと語ります。
それに対して和久井氏が捕捉します。
高齢者、障碍者、その他の方の保護受給率の増加に比べ、母子家庭のそれは変化が異なる、と言うのは昨年から何度もお伝えした、と。
それに対して支援課長は、推測の域を出ないが、
1.小田原市は家族と同居している率が高く、保護の利用をしなくて済む人が多い。
2.例えば幼児の送り迎えや病院通院などで車が必要、かつ、生活保護になると車の所有が出来ないと思っている人が多い。
3.住居確保給付金等の事前の貸し付けをうまく利用している
と語りましたが、和久井氏より、相談に来たとき、車がつかえなくなってしまうことを苦慮しないように、先読みして不安になりそうなことを払しょくしてあげる努力も生活保護を利用してもらう努力ではないか、と語ります。

施策やマニュアルはかなり出来上がりましたが、こうしたPRや思いやりの対応などはまだまだスキルアップは必要だと思います。
そして、有識者からの提言は、市民への啓発についても定義がありました。
例えばこども食堂などは、貧困だけに特化すれば、行っていることがばれれば貧困故のいじめの対象に遭うかもしれないと思えば来なくなる。
また、貧困困窮と言うのは経済的な物だけではない。
つまりは『生き易い小田原』『街づくり(ケアタウン)』として生活保護行政は市民と向き合わなければならないと。
そうなると、主体は生活保護担当部署ではなく、全市を挙げての街づくり計画になるでしょう。
そして行政が向かおうとしているベクトルが市民のそれと一致しているのか? 協力をしている市民グループと充分な情報共有を持っているか? など、市職員のクローズドの研修ではなく、開かれた皆で作り上げる町づくりとして、この問題もうまく利用してくれればと思います。

何度も言いますが、まだまだ細かい点については、僕はもろ手を挙げて合格とは言えません。が、1年間と言う機関の中で行政内部の改革は十分果たせたと思います。
あとは利用者、利用者以外の市民、関連グループと充分な意見交換と情報共有を今以上やっていければ、あり方検討会の意味が出るものだと思っています。

小田原市生活保護行政に関する検証会

20180430-01

ジャンパー問題に端を発した福祉政策について、有識者からの意見提案を受け福祉課は取り組んでまいりましたが、2017年8月の時点ではまだまだ無低とのかかわりなどは腰が引けた状態で、市との意見交換の席では改革に向けて発奮を促したところです。
そして9月、私事ながら転居をし、活動になかなか参加できなくなりました。

さて、その後半年どれだけ変革したのか? 有識者の方々は、それをどう評価するのか? 興味あるところです。
数日前になってしまいましたが、ご参加できる方はぜひ参加してみてください。
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