釜訪問あらため大阪訪問記(6)

若い時は自然の醍醐味を味わうために田舎で暮らし、高齢になった時は都会の雑踏に暮らした方がいい、とは昔雑談の中で聞いて納得した話。
よく施設に入ったり入院したりすると急に脳の活性化が鈍るという話を聞いたことあるが、高齢になれば刺激を外部から与えないとなかなか億劫になって自分から刺激を求められないものだ。
横浜寿が高齢者の町となり、町を歩いている人や路上で寝てしまう人が激減してしまったが、釜ヶ崎は元気だ。よく見ると居酒屋という文字とカラオケという文字の店ばかりだ。
で、このお店は海外の若い女の子がカウンター越しで一緒にカラオケを歌ってくれるといういわゆる風俗店のお店が多い。町を歩いていても店頭で客引きをする娘、そして歌い終わって帰る客を見送る娘を何人も見た。
こうしたお店がわんさかある。というよりこの手のお店ばかりが立ち並んでいると言っても過言ではないほどだ。
誤解を恐れず言えば、これがこの街の活気を支えているようだ。15日夜夕食を食べようと歩いた太子から山王に向かうアーケード街は若者の街だった。
星野リゾートができる。大阪万博が計画される。海外のバックパッカーの情報誌で大阪は西成の格安ホテルがいいと書かれている。釜ヶ崎が野宿を余儀なくする人の町で無くなり生活弱者はもっと片隅に追いやられる恐れ、そうした部分の危機感は感じざるを得ないのと同時に、釜のドヤホテルで生活保護で暮らしている人には、そうした若者の刺激(他人とぶつからないように歩くだけでも十分な刺激)も大切なのかもしれないな、とも感じました。
問題なのは、生活弱者でもあるのがわかる人と道路で肩が触れ合った時『邪魔だ、このくそじじい』なんて言う若者やお店の従業員が増えない事なのではないか。
若者や外国人が集う中、ドヤで余生を過ごす高齢者、路上で寝るしかないあぶれの労働者に町ゆく人が理解を示し、大切な隣人として思えるかどうかが本質なのでしょう。
しかしではなぜ市民グループが挙って反対しているか?と言えば、それは残念ながら信頼関係が無いからです。
前トピックスの動物園の鉄門やてんしばの店舗化、そしてすでに廃校になった大阪市立萩之茶屋小学校の周囲に張り巡らされた段ボールハウス防止のスプリンクラー。

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そしてこのビラに書かれているような政策。

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小田原でもごみステーションにあるものは小田原市の所有物と、ごみにまで所有権を誇示し、そしてそのごみを市民の税金で処理する嫌がらせをしました。あっ、でも小田原市行政は目こぼしをするべきだと議会でも公言してくれましたが、某政党がそれを不平等と語り結局誰もが罰則規定のある条例となりました。こうした一つ一つの前例が市民の信頼を失わせていくのです。
福祉の時代と言われながら、お金をかけて追い出しをする。人権を無視する。何の得もないことを必死になってすることに悲しい気持ちになってしまうのです。
やっぱり前言撤回です。釜ヶ崎にさまざまな施設がこれ以上増えるとやはり生活弱者は追い出されてしまうと思います。

さて、ちょっと食事の話題を致します。
西成区山王2丁目の喫茶バロン、卵サンドうまかったです。350円

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薬味堂さん いろいろな方からおすすめいただいたカレー屋さん。初対面でマスターからの性教育の話を聞きながらの昼食はインパクトがありました。よく煮込んだカレーは絶品です。700円

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夕食の南自由軒。上述のように居酒屋で無い定食(レストラン)を探しながら歩いたらここまでお店が見つけられませんでした。でも優しそうで穏やかなご夫妻で経営されている素敵なお店を見つけられました。特にホールを担当している奥様は非常にお客さんを記配っている様子が垣間見えてうれしかったです。700円

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翌朝はタカラでモーニングサービス。ホットドックとアイスコーヒー350円は釜の住人には高級店と言われます。昔書いた懺悔のBlogのように、自分と環境が違う人のことを想像しないと人を傷つけるし浮いてしまいます。

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本田神父も寒い中毛布を渡して『ありがとう』と言う言葉をもらった時いいことをしたという自己満足に陥ったと回顧し、でも翌日その方にお会いなされた時「でもな、娘にだけはそういう姿は恥ずかしくて見せられない」と言われ、己の気持ちを恥じたと言われました。この350円も使えたことに、そして主の祈り『今日もこの日の糧を与えたまえ』は僕だけではなくタカラに入れない人も祈っていることを忘れずにいたいです。でももし釜ヶ崎に行かれるのならタカラはおいしいし、ここも奥様の接客はお勧めです。
16日のお昼は釜ヶ崎伝道所のメンバーと白木屋。ピラフが500円だったかな? 大阪はチェーン店ではなく気軽に入れる喫茶店が多いです。

釜訪問あらため大阪訪問記(5)

釜ヶ崎の中を15日朝にMさん、そして16日午後にM蓮さんとN口さんに案内して頂きました。また15日夜に野宿者ネットワークの方々と一緒に夜回りをさせてもらいました。
そんなエリアを地図に落としました。特に夜回りは地理感がなく、1話トピックスに書いたように、とにかく並行した電車がいくつも走っているので自分の横を走っているのは何線なのかわからずどこを歩いているのかわからなくなりました。一応こんな感じで歩いたのか?と言うのが緑線のルート。

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野宿の方が一番多いのは釜の町中ですが、動物園(地図右下の青線)やてんしば(地図右下天王寺あたりの青囲み当たり)と言った場所、また恵美須橋から日本橋と言った繁華街にもたくさんの方が生活していたそうです。

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(2013年のGoogle streetviewには門が無い)

しかし、橋下政権になり、動物園前のコンコース外に美術館やてんしば方面に行く歩道への夜間立ち入り禁止をさせる鉄門を作成。高速下で雨の心配が少ない場所からの排除をしました。市民もこれによって夜間はてんしばにはいけなくなりました。
一方てんしばは整備し商業施設を作り司馬や木陰で寝泊まりするには居辛い環境にしました。

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(googlestreetviewの車止めの場所に設置された鉄門。車止めなら人は入れるがこれではすべてをシャットアウト)

野宿を余儀なくしている人は決してわがままでも常識知らずでもありません。人さまに迷惑をかけないような場所でひっそりと寝ているわけです。そうした心理を逆手にとって整備し排除した事例がこのてんしばでしょう。
 5月にお話を伺った旧ナイキパーク(宮下公園)の事例もそうですが、民間に公園を貸す(売る)形で自分の手を汚さない排除事例が目立ちますね。

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聖書にイエスの宮清めの話が載っています。僕は境内だから駄目だと言ったのではなく、境内だからこそなおの事差別をしてはいけない、弱者を困窮させてはいけない、それが神の御心だという意味で怒ったのではないかと思うのです。家を失った人が街中で寝れば街中にいるなと言い、公園に行けば公園では寝れないシチュエーションを作る。弱者を徹底的にいじめる構造をどうすれば解消できるのでしょうか?

そしてそんな中、東京オリンピックに次いで大阪万博の話題。人を呼び込んで経済を潤すことは間違いだとは思わないですが、そのために特定の人が負担をかけられ困窮することだけは避けてもらいたいです。
新今宮の駅前に星野リゾートが広大な敷地を購入したとはもっぱらの噂です。町づくりはコア(核)ができ、その周りに波及していくものです。
ジャンジャン横丁やメガドンキといった格安を売りとしている施設の隣に超高級ホテルができると町はどう変わっていっちゃうのでしょう?それともお金持ちの方に庶民の文化を体験してもらうというコンセプトでそうしたダウンタウンを意識したホテルができるのでしょうか?気になるところです。

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(星野リゾートの建設予定地、1枚目は新今宮駅ホームから2枚目は駅下から)

さて夜回りの話に戻します。この夜の夜回りは凄い人数でした。挨拶ができなかったのでグループは存じ上げませんが20余人の国際的(多民族)の方々、そして翌日の礼拝もご一緒させて頂いた上智福岡高校の先生生徒6名、個人で参加は僕を含めて数人でした。その個人メンバーは緑ラインに沿って女性リーダーに従って行動しました。
大阪の街も路上生活を余儀なくされている方は激減しているそうです。でも単純によかった!で済むことなのかはわかりません。貧困ビジネスで搾取され、それでも野宿よりはいいや、と自分を誤魔化すように生きている方も決して少なくないように推測します。
日本橋界隈ではリヤカーに大量の段ボールを積んだ方に複数人お会いしました。21時近くまで必死に働き生きている人をなぜ「怠け者」とか「自業自得」と言うのでしょうね。

野宿の方とお話しするのは僕は楽しいし知らない街のことも聞きたいし、と思っていましたが、やっぱりオッチャン方は緊張されちゃうのでしょうね。口数が少なかったです。もし、いつもの方だったらあれもしゃべりたいこれも話そうと思ったのに、突然はじめましての僕が来たので話せなかったという人がいたらごめんなさい。
そして新たに野宿者訪問と言うミッションをともにした数名の仲間ができました。感謝でした。

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7月20日のパトビラ(№987 - 幸せに生きよう! -)

毎週、野宿を余儀なくされている方(ホームレス)のところを訪問する際に持っていくパトビラ、今日はこんなことを書いてみました。14日から17日まで釜ヶ崎に行ってきます。そのため週明けに作成できないので、事前に作りました。

ドーパミンやセロトニンと言う物質が脳に伝わることで、人間は幸せだと感じるのだそうです。つまりこの物質をいかに脳に伝えるかが幸せに生きる秘訣です。
もちろん楽しい事、興奮することがあると脳にドーパミンがあふれます。がそうした物質が生成されるのは脳ではなく腸なのです。
そもそも生物が誕生したのは40億年前。単細胞が進化した動物が最初に持った臓器は腸で、脳をもつ動物が出現したのは5億年ほど前です。エネルギーを大量に使う代わりに様々なことを出来るようになりましたが、腸で作るドーパミンやセロトニンが脳に伝わないとうつ病とか気分が沈むような精神状態になったりもします。
落ち込まないで楽しく幸せな気持ちで生きるためにはこうした物質を作れるようにしなければいけませんが、最初に書いたようにこうした物質は腸で作られます。腸を大切にすることが幸せな人生に欠かせないことです。だからこそ食生活が重要です。免疫力を高める良質なたんぱく質が豊富な物や温野菜でセロトニンが脳に移動するのだそうです。


脳を活性させ幸せにするのはドーパミンでありセロトニンだというのは、TVの健康番組などでもよく報じられているのでご存じの方も多いと思いますが、それは腸で生成され、特にセロトニンは今でも腸内に90%存在し脳には2%しかなく、その2%ですがそれが減ると鬱などになると東京医科歯科大学名誉教授の藤田紘一郎さんはいいます。
脳はいったん報酬系を刺激されると、もう止まらなくなります。たとえばポテトチップスなどを食べると快楽系、報酬系が刺激され、快感を感じます。脳から快楽物質が出て、ストレスが取れたように感じるわけですが、本当のストレスはなくなっていません。
言われれば、ストレス食いなどと言う言葉があるように、ジャンクフードなどを食べることでストレスを忘れた気になることは僕も経験していますが、それは実はよくないことだったのですね。
野宿生活もストレスは多いです。暑さ、寒さ。また蚊や虫の被害。雨風…。腸環境を整えて免疫の高い体を作りそういった外的ストレスに対応してほしいものです。

7月13日のパトビラ(№986 - 七夕の話の続き -)

毎週、野宿を余儀なくされている方(ホームレス)のところを訪問する際に持っていくパトビラ、今日はこんなことを書いてみました。先週の続きです。

台風の通過で今年の七夕も曇り空。織姫と彦星は会えなかった、と思っている人も多いのではないでしょうか? 考えてみれば雲は数千m、星々よりも遙かに低い位置にあるので、織姫も彦星も雨雲になんか影響されません。本当は1年365日毎日出会えています。ただ僕らは、雲を見て、ああ会えないんだ、と勝手に思っているだけです。先週のパトビラの後知人の牧師がそんなことを教えてくれました。
雲を見て落ち込むことはありません、雲によって本当にあるものを見逃しちゃあいけません。僕らは神様の存在を見えないから存在しないと言っていないでしょうか? 自分に幸せが来ないから神様の愛なんて存在しないと言っていないでしょうか? それは、雲に隠れてしまったので、今年は織姫と彦星が会えないんだ、と言うのと同じだと思います。
サンテグジュペリと言う作家が「本当に大切なものは目には見えない」と言っています。雲に隠されて見えない本当を想像したいですね。あなたの仲間の隣人も愛や誠意や優しさと言う目に見えないものをもって接してくれています。目の前をふさぐ雲を払って感じてください。


もともと伝承物語を科学的に話すのもなんですが…。
人間ってやつは見えないと本当に不安になってしまうものです。厚い雲の向こうで幸せなんだとしても疑心暗鬼、
イエスの弟子たちの中のトマスも、イエスの復活をした時、ほかの弟子仲間がイエスが復活した!と言う言葉を信じずに、傷痕に手を入れてみなければ信じられない、と言いました。
その弱さこそが実は人間なのかもしれませんが、些細なこの文章を読んだとき、みえない雲の向こうを信じてみようと思ってくれたら幸いです。
原案をアドバイスしてくれました田崎牧師に感謝。

7月6日のパトビラ(№985 - 七夕 -)

毎週、野宿を余儀なくされている方(ホームレス)のところを訪問する際に持っていくパトビラ、今日はこんなことを書いてみました。

梅雨の最中蒸し暑い毎日です。体調は崩されてはいませんか?
明日は七夕です。中国から来た陰陽五行の節句、1月1日、3月3日、5月5日、7月7日、9月9日に季節の節目をお祝いしようというのが始まりです。
いつしかそれに尾びれ背びれが付き、日本の古史の棚機津女の話(水辺で高貴な人の接待をする話)や五行にちなんだ色の短冊に願いことを書く風習、そして織姫・彦星伝承などと絡んで今の七夕のお祭りになっています。
また、七夕につきものの竹についても諸説ありますが、この時期ならでは竹の抗菌作用を利用して食べ物を傷みにくくするところから始まったと言われています。ご飯を笹の葉にくるんだちまきやおにぎりを笹の葉の弁当箱として包んだのもそうした先人の知恵から来たのかもしれません。
さて、話は変わりますが、最近は襲撃等の被害はありませんか?
七夕を過ぎると間もなく夏休み、開放的な気分と避暑的に夜の水辺で遊びたくなる時期です。トラブルがありましたら気軽に連絡をください。私たちの方からも警察をはじめ所轄に通報する代行をいたします。


考えてみると織姫・彦星伝承は、ブラック企業のそれのような感じがします。
働き者の2人が結婚したら相手を愛しすぎて仕事に精が出なくなったから一人を川向こうに行かせるなんて言う話しをロマンチックねと言うのはなんだかなぁ~
昔の名曲、ユニコーンの大迷惑 思い出しました(^^)/

6月29日のパトビラ(№984 - 中学生の大活躍 -)

毎週、野宿を余儀なくされている方(ホームレス)のところを訪問する際に持っていくパトビラ、今日はこんなことを書いてみました。

優勝賞金4320万円、将棋界のタイトル戦の中で一番賞金額の多い竜王戦の決勝トーナメント。日ごろはニュースになれども大きな扱いにはならないこの試合が今年は藤井聡太四段の29連勝と言う日本新記録のかかった大一番をうけてテレビや新聞などのマスコミも詰めかけました。
そして結果はご存知の方も多い達成というもの。
穴熊囲いと言う守りの戦法が30年ほど前は流行だったけれど、最近はコンピュータを相手に研究をするようになり、みな守りより攻めの手筋のようです。落語の演目『浮世床』ここに出てくる素人将棋は王をとられたのに気が付かず続けていたり、また下ネタですが玉をとられるのが嫌だとふんどしの中の金に守ってもらったり、とドタバタばかり。そんなシーンが落語になるのはやはり将棋は庶民の遊びなんでしょうね。
双子のまなかなチャンが主役を演じた朝の連続テレビの『ふたりっ子』は阪田三吉を夢見る棋士が一方の主人公。寄せ場釜ヶ崎を舞台に番組が進みました。暗いニュースの多い中若い棋士の活躍は頬がゆるみます。


ふたりっ子ももう20年も前の朝ドラになっちゃったんですね。
でも、こうしたニュースで日の目あたるかも…。

ホームレスと呼ぶのはもうやめようよ

中風の人に『あなたの罪は赦される』と言うのと、『起きて、床を担いで歩け』と言うのと、どちらが易しいか。という聖書の一節を抜き出したトピックスを書いた。
その御言葉の前段は
数日後、イエスが再びカファルナウムに来られると、家におられることが知れ渡り、大勢の人が集まったので、戸口の辺りまですきまもないほどになった。イエスが御言葉を語っておられると、四人の男が中風の人を運んで来た。
しかし、群衆に阻まれて、イエスのもとに連れて行くことができなかったので、イエスがおられる辺りの屋根をはがして穴をあけ、病人の寝ている床をつり降ろした。 イエスはその人たちの信仰を見て、中風の人に、「子よ、あなたの罪は赦される」と言われた。


昨日のパト。ここ10日ほど帰っていない方いて、2週目の昨晩は周辺の仲間からのまず第一声は、その仲間の安否。
自分のことでもない、血もつながっていない方の安否。
もし、行き倒れになっていたらやってられないじゃないか。その心配の仕方は家族を、言い方を変えれば少し年老いてきた自分の父親を気にするそれだ。辛い人生は自分にも置き換えられる、推測できる。その最期の時、せめて孤独死ではなく仲間として手向けたい、だから安否は他人ごとではなく気にかかる、そんなオーラが伝わってくる。

ホームとハウスは違う。
ハウスは単なる物理的な「家」であり、野宿を余儀なくする人の中にも、ハウスレスの人もいればしっかりしたブルーシートやダンボールのハウスを持つ人もいる。そんな為かハウスレスと呼ぶ人はいない。
ホームとは単なる「家」という構築物ではなく、家族という概念までを込みでホームだ。だからホームレスという言葉を言いだした人は家族から離れて、孤独に家を持たない人を指して言った言葉だろう。

でも、この日僕が出会った人は、個々にハウスを持ちながら見事なコミニティを構築していた。そこには血縁は無いがホームがあった。
僕らはこの夏、「さとにきたらええやん」という映画の上映会と、北村年子氏による道親を主とした講演会を企画している。
道親とは、釜ヶ崎こどもの里のような、血縁を度外視して大勢の大人がみなで地縁の子どもたちを育むという意味のようだ。
その趣旨からいえば、野宿のコミニティも道親社会だ。
中風の友を助けるためには、屋根を剥がすことすら厭わないほど激しい愛情だ。

もう僕らはホームレスと呼ぶのはやめよう。しっかりとした道親としての「家族」がそこにある。

中風の人に『あなたの罪は赦される』と言うのと、『起きて、床を担いで歩け』と言うのと、どちらが易しいか。

たとえば野宿生活を余儀なくされた高齢者。2,3日何も食べていなく、悪いことを承知でついパンを万引きしちゃった、としたら、当たり前のことである『人の物を盗んではいけない』と正論で諭すことは僕には厳しいな。周囲から弱く間違っていると批判されても上から目線で、生命を維持しようとする本能の行為を批判は出来ない。

6月22日のパトビラ(№983 - 水でも食中毒になる場合もあります -)

毎週、野宿を余儀なくされている方(ホームレス)のところを訪問する際に持っていくパトビラ、今日はこんなことを書いてみました。

妙高山に課外授業に出かけ、湧水をその最中や持ち帰って家族と飲んだ人たちが相次いで食中毒にあった、と言うニュースが6月6日の毎日新聞で報じられました。
山中の湧水は毒されていなくおいしい水と思いがちですが、野生動物や鳥の糞尿を経由して細菌が含まれているケースも少なからずあります。前述の食中毒事件もカンピロバクターによるものでした。乾燥と加熱に弱く、逆に冷蔵に強い細菌ですので、冷蔵庫の普及した現在では冷蔵の過信から被害数も多く、ノロウィルスに次いで事例が多いと言われています。
皆さんはあまり山登りをする機会はないかもしれませんが、小田原市内でも井戸水など地下水を汲める場所もあります。「飲料には適しません」、と言う標記もある場所もありますが、理由は様々でも多くは細菌検査をしていないが故の標記なのでしょう。対策は煮沸することです。
特にこれからは気温も高く細菌の繁殖が多くなります。飲食の素材は煮炊きをすることはもちろん、箸や食器、まな板や包丁なども煮沸植毒を心がけてください。
それでも腹痛や吐き気などがあった場合は、食中毒を疑って早めに医者に行ってください。食中毒は思っている以上命に係わります。


高温多湿の日本において食中毒を引き起こすさまざまな最近の活動が活発になります。
最近自身が悪さをする場合は最近を死滅させれば問題は解決します。今日書いた事例はまさにそのようなもの。カンピロバクターは60余℃でも死滅しますので、煮沸消毒並びに煮炊きで結構抑制は出来ます。
でも、黄色ブドウ球菌やボツリヌス菌は、最近が毒素を作りそれを摂取することが問題になるわけで、耐熱毒素の場合は生き物でないのでいくら煮炊きをしても発症する恐れがあります。
また真空パック内のように酸素が無いと活動する菌が居たりと保存形状だから大丈夫と言う認識も必ずしも正しくないです。
色々な食中毒菌がいて、そのすべてを野宿の仲間に覚えてもらうのは酷です。故に体調不良を感じたら医者に行くという部分だけご理解いただければいいな、と思う次第です。

教育以前

寄せ場(ドヤ)に住む人も当然のことながら普通の人間だけれど、そこに来るまでの半生の紆余曲折は町に暮らす僕らよりはるかにすごいものを持っている人が多い、これもまた事実だと思います。
小田原で路上生活を余儀なくしている人たちも、少なからずここに書くことを阻まれるような方もいますし、野宿を余儀なくする人がもっと多い横浜寿町でも「やばい」人とたくさん出会いました。
ですから書いておきたいことはありますが、さてなんて書こうか躊躇することも多いです。
それでも書いたのは、釜ヶ崎に行くまえにと中田牧師がお貸ししてくれたこの本です。

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小柳牧師の著書。もうなかなか手に入らない本です。お借りできたことはとてもラッキーでした。
小中学校の先生でケースワーカー。しかし、当初書いたように僕らの想像を超えている家族が多いです。
戸籍がない子、長期欠席を余儀なくする子。親に育成を拒否されてひとりで生きていく子。
以前にも紹介しましたが大阪府西成区で過ごした28年はまさに20世紀から21世紀になるころの釜ヶ崎で生活したとある女性の半生ですが、小柳牧師とはまた違ったタッチで、でも同じ苦しさを書かれています。
オコジョさんの書は小柳先生の文章を裏付け、そして子どもの立場から描いていました。
そして小柳先生の本には書かれていない麻薬の販売の話なども書かれています。つまり見てはいけないものを見てしまうこともあるのでしょう。その危険性は小田原の町の中のそれとは違うのだと思います。
釜ヶ崎の赤ひげ先生矢島祥子さんが何者かに殺害され遺体が木津川に浮かんでいる事件も、何かそうした危ない事件と関係しているのかもしれません。
しかし釜ヶ崎と言うだけで警察すら捜査がおざなりになります。
人として認めていない側面を感じます。
小柳先生の御本の中にも、あいりん小から来たと言うと途端に無言の蔑視を感じるという旨の記事がありましたが、まだまだそのような差別はあるのでしょう。



2分過ぎからの警察の暴行・・・やっぱり問題です。釜以外だったらこうはならかったじゃいでしょうか?

そうした中ゆえに愛がとても愛おしいのかも知れません。
子どもは親を選べないと言います。そして生まれる場所すら選べません。
でも親は自分の子ども以外も愛おしむことができます。育てることができます。

生きる事に必死な動物、例えば草食動物は肉食動物から襲われた時に、敵いそうだと判断した時は誰彼を問わず集団で守ります。
集団での守りが無くなったのはもしかしたら、安全だから大丈夫と言う生命の危機能力が欠乏しているからかもしれません。
それ故に生きることがしんどい寄せ場の仲間は血縁を問わずに助け合おうという意識が強いのかもしれません。

書きながら自問します。自分はいったい何を言いたくてこのBlogトピックスを書いたのだろう?
何も目的は無い。ただ自分が抱えられない何かがある。理不尽な思いを吐き出したい。誰かに読んでもらって共有したい。
社会はますます劣化している中、僕は何をすればいいのだろうというストレス。
でもまずはあと1か月後、フィールドワークに行く。有意義な時を過ごせるように準備を怠りなくしたいものです。
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