至上のわざ

イサクのおじさん井戸を掘る (渡辺正さん作詞)
と言うこども讃美歌が好きです。

1. イサクのおじさん 井戸をほる
ここから水が でないかと
いっしょうけんめい 井戸をほる
 
2. イサクのおじさん 井戸をほる
ようやく水が でてくると
ゆずってにこにこ よそへいく


昨日まで読んでいた「沙門空海唐の国にて鬼と宴す」の空海の中の宗教(宇宙)観にも関連しますが、夢枕獏氏のお考えの仏教の言う「色即是空」は、(僕の解釈が間違っていなければ)この世のすべては自分の力でどうにもならないことだから委ねて生きる、というキリスト教のそれとも近いものがあります。
だから何も考えないでのほほんと生きることを良しとするのか、と言えばそれはまた違い、人生はBestを求め、そのBestを尽くした結果、それがどうであろうがそれを良しと受け入れることなのでしょう。その結果すべてを神に感謝して生きることがよしなのではないでしょうか?僕の理解しているキリスト教と夢枕獏氏を経由してかじった仏法はこの点は変わらないような気がします。

保持しようとする意欲が強ければ、また、俺が先に作ったのだからと言い争って良いことがないのなら、イサクのようにニコニコと去り行く姿は僕の生き方の一つの指針です。
来る者は拒まず、去る者は追わず、とか言いますが、その時その時Bestのお付き合いがあれば、そのご縁の方と一期一会最大級の(精神的な)おもてなしを繰り返していけばいいのかもしれません。 
この歌は戦うことの不毛さを歌っています。自分の労力だから自分のために使う、のであれば、ボランティアは存在しません。戦って勝ち得たとして、相手の悲しみを思い返せばそこにはやるせなさが残ります。
ならば戦わないことの方がいいのではないでしょうか? 差し上げる潔さは神の目にはよしとされることではないでしょうか?

断捨離と言う言葉がもてはやされ、我が家も物質的な断捨離は進み、私物置き場を含めて四畳半で済むようになりました。趣味のカメラと本だけしかない部屋です。
しかし断捨離と言うのはそういうものではなく最終局面に向けての断捨離です。

この世の最上のわざは何?
楽しい心で年をとり、
働きたいけれども休み、
しゃべりたいけれども黙り、
失望しそうなときに希望し、
従順に、平静に、おのれの十字架をになう--。
若者が元気いっぱいで神の道をあゆむのを見ても、ねたまず、
人のために働くよりも、けんきょに人の世話になり、
弱って、もはや人のために役だたずとも、親切で柔和であること--。
老いの重荷は神の賜物。
古びた心に、これで最後のみがきをかける。まことのふるさとへ行くために--。
おのれをこの世につなぐくさりを少しずつはずしていくのは、真にえらい仕事--。
こうして何もできなくなれば、それをけんそんに承諾するのだ。
神は最後にいちばんよい仕事を残してくださる。それは祈りだ--。
手は何もできない。けれども最後まで合掌できる。
愛するすべての人のうえに、神の恵みを求めるために--。
すべてをなし終えたら、臨終の床に神の声をきくだろう。
「来よ、わが友よ、われなんじを見捨てじ」と--。


この至上のわざ の詩のような最期を迎えるための準備が断捨離出会って、それに向けていろいろと本を読んだりしますが、なかなかピンとくる本に出会えないものです。

20180205-01

タイトルに惹かれてこの本を購入。でも申し訳ないけれど、ほかの人が言っているのと大差なかったような・・・。
でもそれは・・・。
人間関係のしがらみってなんなのでしょうね? 来る者は拒まず、去る者は追わず、の僕は結構一匹オオカミなのでしがらみがないからわからないのかも知れません。

58

満と数えで年齢を確認した時代は、正月に今年の抱負を考えるのは理に叶っていたのでしょうけれど、いまでも自分の一年よりも世の中の一年で世界は動いているのかもしれません。
自分は自分と言い聞かせるためにも・・・と言うより正月は炊き出しで忙しいから(笑)、なんの計も立てずに早1か月。
誕生日を迎えたので振り返りと1年の過ごし方を考えてみます。

57~58歳の1年は一言で言えは変換の時のようです。転居し、片付けながら遺品から親を振り返り、部屋の中がようやく落ち着き、そして先週から新たな教会に足を運び、とすべてが新しくなっています。
転居は数年前までは思いもせずに、そして松田の教会に通うのは昨年末まで思いもしなかったこと。神様の導きは僕には全く分かりませんが、もともとはケセラセラの人間、あんまり考えずに進んでいますが、この先神様は僕にどういった道をお示しになるんでしょうか(笑)
2017年の夏・秋から始まった「小田原市石造物調査会」や「松田町観光協会写真部」といった趣味のお仲間も増えて、根が貧乏性なのかまた忙しい毎日になっています。
断捨離と称し多くの本を二束三文でブックオフに出したものの、また石仏の本など歴史物の本が増えてきました。片付けは永遠に終わらないのかもしれません。

疲れたものよ、私のもとに来なさい、と言う聖句。
集団で狩りをする動物、オオカミや犬などのボスは短命だと言います。リーダーシップを取る者より、リーダーの決めた後を歩く方が楽に決まっています。頼る者がいる幸せ。気を張り続けなくすむ気楽さ。
私のもとに来なさい、と言うのは委ねれば楽だということでもあるのでしょう。
全てを神様に委ねて肩肘張らずに、そしてあと2年くらいかけてゆっくり今の生活になじめればいいのかな?と思います。
還暦を過ぎた時、再度人生の第四コーナーを走れるようにまずは充電の2年にしたいと思います。

引き続き皆様よろしくお願いいたします。

続続続・引っ越しの効能

当たり前のことかもしれないけれど、相続は僕ら兄妹と母親の関係だけではなく、離婚した父親の戸籍も必要になるらしい。
しかし、今どこに住んでいるのか? 生年月日はいつなのか? も分からない父親の戸籍が取れるのか? は難航するかもしれないと思っていたところ、本籍は久野に残してあったので除籍は簡単に取れた。 つまりはなくなっていたことが判明した。
(2018年1月17日修正 司法書士さんの話によると、この後新たに戸籍を作られれば、元の久野の戸籍から抜けるので除籍扱いになる。存命かどうかは判断できないとのことです。訂正します)
もう一つ判明したことは、名字は父親の姓を名乗ったが戸籍は母親の方に入った?らしく、離婚時に母の戸籍から抜ける形になっていたので、、離婚後どこに住んでいつ亡くなったかは、抜けた後の戸籍を追わないとわからないようだ。

そんな少し煩わしい作業は残っているものの、少しずつでも知らなかった親のことが分かることはそれはそれで興味深い。
そして父親が亡くなったことが分かったので、相続放棄の手続きをするため(そうしないと今の家族が遺産を分けるのに困窮する)に母親の戸籍から飛び出した後の戸籍を追いかけなければならないようだ。(2018年1月17日修正 司法書士さんのアドバイスとしてまだ御存命かもしれないので急いですることもないでしょう、とのこと)

そんな作業と同時に片付けも進んでいる。
2週間ほど時期を逸したがこんなものを見つけた。

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クリスマスカードだ。
裏面は

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アンナさんと言うお名前が、洗礼名なのか、ハーフ(ダブル)やお連れ合いが海外の方だからかはわからないけれど・・・、から頂いたカードだ。
宛名がないので、母親がもらったのか?父親がもらったものが紛れていたのかはわからない。
そしてこの方がどういう方なのかも皆目見当がつかない。

しかし1959年12月、僕の生まれる1か月前のクリスマスカード。存じ上げない方からの聖書に書かれた薦めの言葉、そしてこのデザイン。ちょっとお宝を見つけたそんな気分だ。
写真立てを購入して毎年クリスマスにこのカードを飾ろう!

最後の・引っ越しの効能

母親は買い物好きのコレクター。
旅行に行けば必ず絵葉書を買ってくる。誰に出すわけでもないからたまる一方で、数えたら軽く百冊はあった。

まとめてyahoo!オークションに出しても買い手つかないか…などとぼやきながら整理しているとこんな絵葉書が見つかった。

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どうやら戦時下の絵葉書のよう。でもいったい誰がどういう目的でこんな絵葉書作ったのだろう? そしてどのくらい売れたのだろう?

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松村好文堂を検索すると、2パターンでてくる。1つは福井県勝山市の文具屋さん。もう一つは国会図書館の保管本。後者は大体戦争の関連の本なのでたぶんそこでこの絵葉書を作られたのだろうけれど、神田から福井へ転居したのか、それとも戦争中のこの会社は店を畳んだのかは定かではない。
とにかくこうした絵ハガキがあるという事だけでも驚きだった。

もう一つは1991年の絵葉書。

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市制50年記念の絵葉書。
これは販売したものだろうか? 市民に1冊づつ配ったのだろうか?

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ご丁寧に切手も貼ってある。

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絵葉書を有効活用するところはあるだろうか? それともやっぱりyahoo!オークションか…?

続続・引っ越しの効能

降る雪や 明治は遠く なりにけり
と歌ったのは中村草田男氏。雪の中母校の小学校を見ての歌だという。
よく言われるのは、太い道だと思ったところを大人になってみたら細い路地だったとかいうけれど、中村氏は雪の小学校に何を見たのだろう?

昭和も遠くなった。平成29年。元年に生まれた人もいっぱしの大人。
下手をすると、小渕氏が「平成」と書いた額をTVカメラに向けたのを知らない人は、日本人の1/3くらいになるのかもしれない。

さて今日のお宝は

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何が珍しいかわかるでしょうか?
実は上は平成元年、下は昭和64年の切符。
昭和の最後の人平成の最初の日。
母親は何でもコレクトするの好きな人だった。

続・引っ越しの効能

小児ぜんそくと過保護の影響か、僕は些細なことでも幼稚園や学校を休むのは当たり前で、そのたび祖母や母に連れられて「安間医院」にいった。
小児科は大先生で、小学校中学年になると1+1は? 2 、じゃあ2+2は? 4、じゃあ4+4は? と診察中ずっと算数の問題を出し続けられたことと、(小児科なので)壁に便の模型があったのが妙に記憶に残っている。
病院内の片隅に、電話ボックスがあり、電話をする人はレトロな木製の、そして仰々しいボックスの中に入ってしていたのだと思う。行書体の縦書きの電話の文字が簡単には入ってはいけない特別な場所であるかのごとく入口のすりガラスに書かれていた。

市内の安間医院が我が家のかかりつけ医師だったのは、母親の・・・いや当時の若物みなの趣味が映画鑑賞だったからかもしれない。いまでいう合コンの走りだったのかと想像する。
そんな合コンサークルならぬ映画同好会が小田原にもいくつかあったようで、母親は安間医院の大先生が主催する小田原映画同好会に入っていたようだ。

今日のお宝はそんな同好会ニュース1957~58年のニュースが約1年分出てきたこと。

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僕が覚えているだけでも、夏休みになれば、東宝と東映と日活で怪獣映画をし、オリオン座も子ども向けのアニメを上映していたので行ったことあるが・・・、いや母親の無知なるワザか大怪獣ガッパは日活での上映のために行けなかったと思う(苦笑)

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が1957年6月時点では日活はない。

本町3丁目12−22 にオリオン座
本町2丁目9の歩道橋の所に中央劇場
本町2丁目7−5の菜の花の所に東映
本町2丁目5−5の駐車場が日活  推測するに銀映がここにあったかもしれない。
栄町1丁目14−41の音羽のあたりにも映画館があった気がする
栄町2丁目2−8−14のドンキ横が東宝とフキザ だった気がする。

それが1軒残らず消え果て、今やTOHOシネマズとコロナと言うアミューズメントパーク化した大資本の映画館2軒のみ、しかも場所はともに川東地区だ。

さてなぜか1通だけ他映画同好会の会報が混ざっていた。

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こちらの会の話を聞いた覚えはない。

さて、この古資料、どうしようか悩んでいる。どなたか映画や昭和期の文化への造詣の深い方読んでみたいという方がいれば差し上げたい。紙ごみになる前に少しでも多くの方が50年前の小田原の映画文化に触れて頂ければと思う。

引っ越しの効能

久野の持家を処分してアパート住まいになった理由の一つに、久野の家の基(もとい)を建てた母親の逝去がある。
僕自身は家に頓着がある訳ではなく、立って半畳寝て一畳とまではいかなくとも、今の自分の部屋である四畳半+半畳の押し入れですべての荷物を収納し切れてしまう程度しか持っていないので、全然問題はないが、母親にしてみれば自分の家に固執した思いはあったろう。だからその母親の逝去は引っ越す大きな理由になった。

だから引っ越しは母親の荷物の整理でもある。既にいわゆる認知症がかなり進んでいて自分の身の回りすらできなくなった時に妹が介護を引き受けてくれたので大方は荷物を運びまた捨てたが、若干の「どうでもいい(生活に関係ない)」荷物は残っていた。
そんな荷物の整理も兼ねているわけだ。

そんな中からお宝が出てきた。

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離婚した父親は組合の旗振りをしていたので、そんなご縁で色紙を書いてもらったと聞く。
が、離婚の際母親が贈り主の父から半ば半分奪い取ったのであろう(笑)

片山哲氏。僕でも名前を存じている。たしか社会党として初めて内閣総理大臣になったはず。同時期の政治家としては吉田茂氏などがいる。
書も素晴らしかったと聞く。また、日本キリスト教団富士見町教会員でもあったそうだ。
不飲濁泉水不息曲木愾 どんなにのどが渇いても盗泉と言う名前の水は飲まない。どんなに暑さで熱中症になろうが悪木の下の木陰では休まない。悪木盗泉の語源で、片山氏の政治姿勢だったのだろう。

最も保存状態は悪いし、何よりも僕の父親の名前が入っているので価値はないだろう。それよりも母親の死によって父親の資産か遺産かが飛び出したのは驚きだ。
子として保管をしておこう。

とはいっても四畳半。飾る場所は限りなくゼロに近い。
強引な飾り方だが、ご縁のあった方が書いてくれた額の上が空いている。ここにしよう。

20171218-02

オオカミが来たぞぉ~

イソップ童話の「狼少年」の話。僕はどうしても腑に落ちない。
村人である子どもがオオカミに食べられててしまったのを「嘘いついたのだから自業自得だ」と言うのは好きな考え方じゃない。信用されない人よりも信用しない人の問題が大きい。
あの話から僕らが教訓としなければいけないのは、何度も繰り返された外れた「(嘘)予報」にも臆することなく、ひるむことなく、愚直にでも被害にあわないようにしなかった大人たちへの批判と言う一面ではないか?
またか、と言う思いで行動が鈍くなった大人への警告ではないか?

地震が来るたび、大雨が降るたび、行政等から避難の勧告が出されるが、被害にあう話を聞く。
今回も 「来年1月、伊豆で大きな地震があるかもしれない」ある研究者の警告 とある。

オオカミがいなくなったわけじゃない。仲間の子どもが食べられたことを悔やもう。
備えあれば憂いなし。ただ物的と心の準備を怠らないことだけで被害が減るのならお安いものだ。

アドベント

転居して家の面積は1/3くらいになっちゃっただろうか?
当然のことながら壁が減って飾り付ける場所も少なくなった。

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飾れないのならせめてクッションでも(笑)

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サンタクロースと雪だるまは、玉川温泉に湯治に行くたびに立ち寄った鹿角あんとらあの木楽舎のもの。人生の中で一番大きな出来事の時期だったから、鹿角で購入したものは特に大切なもの^_^;

あとは玄関にリースを飾りたいけれど(玄関の)外側に飾れる場所がない…どうしようか思案のしどころ。

ところで・・・
ナザレからベツレヘム・・・Googleで見ると約170km。身重の体で大変だったろうな。
ロバに乗って時速4kmで8時間でも32km・・・いや当時は道も整備されていないし、荒れ野の山超え谷越えだし、マリアを気遣いながらだから半分くらいか…。
もしかしたらヨセフの皮算用ではお腹の大きい間にナザレに戻れると思っていたのかもね。ルカ2章6節の書きかたは想定外の出来事のような気がする。
そうだとすると1日10Km程度・・・? もうそろそろ準備が整ってナザレを旅立つ時なのかもしれない。
何ていう愚にもつかない想像をしながらの飾りつけでした(^_^)/

少し早目の・・・

最近は「ねェ、教会もクリスマスするんだって」なんて笑い話のような話があったりします。
が、クリスマスは、キリスト・ミサがなまったもの。救い主(イエス)を祝い礼拝することですから(笑)

そんなクリスマスはアドベントの入りから公現日までをお祝いする事が多いです。
今年で言えば12月3日から1月6日です。(ですから教会等ではお正月になってもリース等を飾っています。しまい忘れたわけではありません(笑))

まだ教会ですらクリスマスの飾りをしておりませんが、町の中はクリスマスムードが始まりました。
都内をはじめ都会はあちこちでクリスマスイルミネーションの競い合い・・・。

さだまさしさんが「風に立つライオン」の中で
こんな処にもサンタクロースはやって来ます 去年は僕でした
と歌っておりますが、こんな処にもクリスマスデコレーションは飾られました。

20171124-01

20171124-02

会社から90分、そろそろ疲れが出てきた場所でクリスマスのイルミネーションに励まされました。
プロフィール

take1960

Author:take1960
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