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インフォメーション

【Take's PROFILE】

心豊かに、のんびりと・・・。という生活を望んでいます。
あんまり物に執着しないけれど、「形から入る」という矛盾を抱えて生きています。
クリスチャンですけれど、よく礼拝をさぼります。
モーターホーム(キャンピングカー)で遊びに行くことにはまっていますけれど、へたれで暑がり寒がりです。そしてものぐさです。
単細胞で、理不尽と感じると熱くのめり込んでしまいます。
やせすぎを笑われることこそありました(169cm48kg)が、現在は中年太り(同身長70kg)と生活習慣病イエローカード!!
乳がん10年寛解の妻と文字通り連れ合って、・・・ぃゃそんな彼女にずっと寄りかかって生活しています。


趣味の写真用のBlogを作りました。宜しかったらこちらにも行ってみてください。最近はタイトルを「17文字」で書くことにしています。俳句の域でないので俳句とは言いません(笑)
http://blog.goo.ne.jp/take1960_january/
mixiのIDは 775204 です。
Facebookは本名で検索できます。恐れ入りますが、友人申請はリアル友・知人の方のみ限定とさせてもらっています。1度どこかで飲んだらOKです(^^)/



【POLICY】

2つのボール競技を思い起こしてください。
キャッチボールは、相手が取りやすいところにボールを投げて「受けとって貰う」事を目的とします。
ドッジボールは、同じくボールを相手に投げるのですが、「取れずに落とす」事を目的とします。
会話も同じだと思います。意見が違う人と議論をすることは、僕はステキなことだと思いますが、そこには相手に自分の意見を受け取ってもらうように、真摯に丁寧・丁重に書くことが大切だと思います。まさに会話のキャッチボールだと思います。自分の主張ばかりやあげ足取りのドッジボールではいけません。
このBlog「LOGOS」は、Takeが管理人をしているSiteのひとつです。
「喜びを分かち合い、悲しいことを共有する」ために言葉があると思い、その言葉を使用して、そのコンセプトを実現しようと思っています。
分かち合うためにも、共有するためにも、お互い相手のことを思い、祈り、そして会話をすべきだと思います。
ですから、頂いたコメントはすべてありがたいのですが、その中で一方的に言い放った発言、相手のことを理解しようとしないで攻撃する発言、差別や蔑視的な表現、必要以上の個人情報の開示など、このようなものが含まれている場合は、管理人の権限で削除し、その削除に対しての説明を要しません。
ローカルルールをご了承ください。

テーマ : 日記というか、雑記というか…
ジャンル : 日記

RFL広島尾道

「風変わり」なRFLでした。今まで晴れていれば屋外でやるのが「ジョーシキ」でした。少なくともはじめてのパターンです。
晴天の元会場につけばウォークコースは出来ていますが、テントはなし。いや、僕らがんでもいいじゃん♪とあと1つ2つ。
そして開会式を始めますから体育館にお集まりください、とのアナウンス。

体育館の中には、中央にたくさんのパイフ椅子が用意され、壁側にはいくつものブースが並んでいます。

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開会宣言や壇上でのチーム紹介が終わると、靴をおもむろに履きグランドへ。
一斉ウォークの開始です。

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拍手をする者もいない中約20チームと個人の方がウォークを続けRFL広島2018はスタートしました。

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20余チームの参加は、その人数の多さを歩いている最中も感じられず少しさみしい感じがします。
それにしても暑いです。昨日の観光の最中も湿気が多く暑かったですが、今日の篤さは真夏のそれ。
だからでしょうか、一層ウォーカーの人は少ないように思われます。

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先週9日、僕は松田教会での礼拝でヤコブの手紙から説教を受けました。
頑なに聞く耳を持たないようになるな、不満や意見を言う時には怒りに任せるな、そして熟考してから口に出せ、そんなことを信徒のヤコブは教会へメッセージとして送ります。 それは・・・
冷静に歩きながらRFLを考えることでこの大会を評価しなさい、あの日そう勧められたテキストは今日のこの日のために用意された物なのかもしれません。

このスタイルはなんなのだろうか?歩きながら考えます。
一人で歩いている時は「騒がしい」ものです(笑) 頭の中にいろんな事が浮かび歩くことには集中はしていません。
開会式の時、実行委員長の浜中さんは「お疲れにならないように椅子に座ってくださいね」と呼びかけていました。何度もあちこち行っている会場では暑い中代わる代わるのスピーチにイライラさえすることがありました。
体育館での意義を僕らは考えることもなく、ただ今までのスタイルを踏襲していないことに違和感を覚えていたのかも知れません。
豪雨でリレーが中止になるケースはここ数年で急増しました。明らかに地球の環境は変わり、「五月晴れ」や「秋晴れ」と言う言葉は死語になってきたのかも知れません。あわせて尋常ではない猛暑。
国会や地方議会においてエアコンの設置が性急な議案として出されています。
そうした中、RFLのスタイルはどうするのかがいいかは、「昨年と同じ」と言う保守を良しとせずに知恵を集めてどんどん革新的なスタイルに変えてくことが大事なのではないか?と思わされました。
体育館隣接のグランド(両方使用)での開催は、今後可能なエリアは必須事項になるかもしれません。

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しかし、それでもウォーカーは寂しい。
で、またふっと思います。クラット医師は何を思ってトラックを走ったか?
不安を訴える患者になら、夜手を握りしめ共に祈ることも出来たろうが、そうではなく病室から外に出た。病院内外と言う隔たりのある中で彼は一人黙々と走った。
僕らは何で歩いているのか?誰のために歩いているのか?見ている人がいるからか?応援してくれるテントがあるからか?
壁の向こうにいる、離れたところで頑張っている仲間のためにならたとえ一人で歩いていても寂しいことはない、それがRFLじゃないかな、と。みんなの前を誇らしげに歩くことだけがRFLではない、と。
だから写真だけからは判断なさらないでください。コンセプトのしっかりした大会だと僕は評価しています。懇切丁寧に「IF(もしこうなったら)」の代案に切り替えられる凄さに感服しました。

そんな大上段に振りかぶっているほど真摯に歩いただけではなく、多くの時間は友がいました。少ない人数ですが誰かは歩いていました。

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今回初参加の因島病院さん。24時間歩き通されました。一番歩いていたかもしれませんし、何しろこのサイクリング部のユニフォームがかっこいい。間違いなくベストドレッサー賞です。

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さて僕らのチームは、とっきーさん、しゅんさん、ゆかさん、YUKIさん、えっちゃさんとTake、Withつっちーさん。7名で

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200mグランド105周歩きました。

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つっちーさんの講演を聞き

そして閉会式とラストランは体育館で。

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チームみんなで健闘を讃え、時間の無いゆかさんとは涙のお別れをし、

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僕らは尾道ラーメンを食べに行きました(^_^)/

RFL広島尾道・・・ にかこつけた観光旅行(3)

どなたが言ったか失念したが、「数学は美しくなければいけない」。自然の摂理を数字にしたものゆえに美しくないものは摂理に逆らっている。至極名言だと思います。
どうでもいい、はいけません。いつでも本物の「美」は追究していきましょう。

さて、僕の良い旅行の定義は「3つの『しい』」です。美しい、おいしい、そして楽しい(もしくは優しい)、です。
旅に出る前には少しながらも予習をしますので、美しいは結構見つけられます。その町が培った『美』は、自然と人が長年織りなしてきたもの、ぜったに摂理ににあった美があります。
が、残りの2つは現地で探さなければなりません。しかし、食も人も大きな摂理の中にあります、おいしくなければ摂理に反しますし、他人と楽しく会話がなければ、優しく接し合わなければこれも摂理に反します。それを探すことは楽しみです。

最初に見つけたお店。鳥居のすぐ下にある参拝者のお茶屋から始まったラーメン屋さんでしょう。尾道ラーメンの看板、何かそそられます。が、残念ながらまだクローズド。

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繁華街(アーケード)に戻りお店を探すとピンと来たのがこのお店。鮮魚と卵がけごはんの文字。

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脱サラの店主が地物に拘ったというお店。さっそくテビラ(手のひらサイズの平目?)をメインにした海鮮丼。
手の込んだ箸休めが3品ついています。昔は尾道でもたくさん魚が売られていたが今はみんな福山に行ってしまう、と。時代の流れですかねェ、との言葉に寂びしさを感じます。
リノベーションして新しいお店も多いじゃないですか、と言うと、でも地産のものを使っているお店はあまり多くないんですよ、とのこと。そうか、それは観光客の僕としてもさびしいです。おいしいものを食べながらひと時の会話に満足です。

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島に渡ったのがお昼ちょっと前。でも、朝が遅かったからまだお腹が空いていません。
しかし尾道の町はとても蒸してとにかく汗を引かせるためにもどこかに入りたいと船着き場の

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和茶話茶さん。島内のバスの運転手さんと隣の魚やさんの憩いの場所(笑) 気さくに話しかけてくれるのはこの町の特徴?

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ひさびさにワッフルなるものを食しました。あれ?疲れている?甘いものがむちゃくちゃ美味しい(^_^)/

町を歩けば老舗のパン屋さん、ねじりパンの文字。入りましょうか?

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レジでお会計をしながら、終えてから、あんこの歴史から何故もみじまんじゅうに粒あんが出来たか迄お話し好きな店主さんです。
次のお客さんが来なければ帰れなかったかも(爆) でも楽しいうんちくありがとう。
雨が降ってきました。午後は観光をやめてホテルに一度戻りシャワーを浴びて夕食に備えます。

さびしんぼうでマドンナの百合子さんの自転車が壊れ、引きながらフェリーに向かう川沿いの道の風景が切なく甘酸っぱく美しかったんです。で、Googleで検索すれば特定でき、そこに1軒だけお店がありました。ここだよ!そう直感して、オープンの7時の5分前にいけば良いですよの優しい言葉。10人ほどのカウンターに座らせてもらいます

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地魚のおつくりやおばんさいはむちゃくちゃ美味しい。ここはお勧め!! 隠れた名店見つけた!
しかし、鳳来鶴を少し含んだころから急に酔いが回ってきて…そういえば脱水気味です。今日は馬鹿に汗かきっぱなしでした。すきっ腹ではなく脱水でも酔いは回ります。
(当然ながら)お初です^_^;、 の僕らに常連さんたちはフランクに話しかけてくれて尾道の歴史を教えてくれます。
海辺の丘陵地だから畑だけだと思ったら田圃も多かった話や、海の中に砂州が出来て潮干狩りができる話など興味深い話がたっぷり。
「船長」と呼ばれている常連さんの写真を見ながら、そんな話を聞いているうちに、オオみんなで写真撮ろうや、と言うことになってパチリ。

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沖縄に行った時に聞いた素敵な言葉「行逢りば兄弟(イチャリバチョーデー)=一度会ったらみな兄弟」を地で行くお店でした。
名残惜しみながらの帰路

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ね、素敵でしょ

さて翌日RFLの会場の周辺にはお店がなくお昼はCoco壱番。トレーラーでのケータリングはかっこいい(^_^)/

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夕食は浜中先生に連れて行って頂きました。ローストビーフのおいしいお店。

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雨後の月があったので、前々から一方的に存じ上げていたシンガーソングライターの松尾さんと差しで頂きました。

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毎日毎日楽しく夕食が食べられることは本当に感謝です。

そしてまた歩き広島10周年の記念のRFLは幕を閉じました。
さて何か忘れちゃいませんか? そう尾道ラーメンを食べていないんです。
と言うことでとっきーさんに連れて行ってもらいました。

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とんかつラーメンがおいしいよ! とのことで間髪入れずに注文。

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アカン湯気でぼけている。
関西だから薄味かと思いましたが、意外に濃いしょっぱいスープ。そこに細く固い麺。とんかつの衣はいつまでも溶けずにしっかりとサクサク。不思議な感覚でした。

結局は自然の摂理と言う美しさは、人間が管理している。物を作るも守るも壊すも人間の采配だしその結果景観と言う考えが生まれる。食事だってそうだ、スキルだけではなくお召し上がれ、と言う言葉に秘められた思いが味にプラスされる。
そう言えばこの瀬戸内から「御馳走様」と言う言葉が生まれたのだ。おもてなしの心を脈々と引き継いでいるのだ。
すべては人だ。僕は3つに出会いに行きながら、人に出会いに行ったのだ。
そして旅の摂理「3つの『しい』」を堪能できた旅だったのだ。

RFL広島尾道・・・ にかこつけた観光旅行(2)

路地は楽しい。
何が楽しいって、曲田先がわからないこと。
まぁ、ホラーやスリラーのゲームのように、またはお化け屋敷のように曲がった先に恐怖があるのなら、そしてそれが続くのなら楽しくないかもしれないが、少なくとも街歩きではワクワク感が優先されて楽しい。

人生の中で一番アドレナリンが出た曲がった先は、イタリアのフィレンツェだった。大型バスがやっと通れるような幅の石畳、両横は3,4階建てのレンガの古いアパート。日本のそれとは違ってそんな路地もなんだか明るいが、歩行者もドライバーも「譲る精神」は乏しくバスの運転手は難儀をしそして極めてゆっくりしか走れない時間が続いた。少しストレスがたまったとき、バスは一度大きく曲がりその路地を脱した。
そこにはその路地からは想像のつかないあまりにも大きくあまりにも美しいドォーモがあった。
そのあと写真を撮りに行ったが、買ったばかりのIXY DIGITAL 200ではどんなに遠くから撮ろうとしても全景が映らなく悔しい思いとともに美しいフィレンツェのドォーモは思い出深い。

あの衝撃を味わいたい。のが、路地歩きの醍醐味なんだろう。
本当かどうかは知らないが、尾道には観光者向けの明細な地図がないそうだ。大林氏が「尾道では是非迷子になってほしい」と、前述の氏の映画のように非常事態の中の日常を味わうためにはそれが大事だということなのだろう。
それは柳田國男氏の「ハレとケ」の思想にも通じるのかもしれない。
ディズニーランドのような「映画セット」で撮影した者にも見所はあるだろうけれど、「映画ロケ」にこだわるのは多分その映画監督がその町の息吹を注入したいゆえだろう。
その提案を受けて方向感覚の鈍い夫婦は迷子になりに街に飛び込むことにする。

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狭い路地の向こうを鮮やかな色をした列車が通り抜ける。

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行商のおばさんが露店で魚をさばいて売っている。もうわが町では見られなくなった風景。
お断りして写真を撮らせてもらう。

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小田原石造物調査会と言う市民グル^プで活動をしていると、ついつい石造物を見ると足を止めてしまうが、なんとその数の多い事か…辻辻には必ず立っているし、町の人の信心も深い。

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ついこの前あたりまでは狭いガードの下に駐輪をするのはごく普通だった。開発と言う名の下でこうした風景を見ることも少なくなった。

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井戸には水神さんをお祀りしているのか、水と神もこの町ではセットだ。

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美しい石垣の寺院。

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このお店やっているのか?と思ってよく見ると明かりがともっている。くさむらもこの店のオブジェなのだろう。

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通称ガウディハウスと呼ばれている。急坂の途中のわずかな土地に建てられた家。金沢主計町にも同じように坂の途中の狭い敷地の家を見たがここまでの異形感はない。ガウディハウスと呼ばれるゆえんだろう。

もともと港町だからネコは多いはず。そして近年の猫ブームに乗じた感はある。人になれている猫ばかり(笑)

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魔法使いに石に変えられたのか、はたまたこの石の猫が年を取り付喪神となって街を徘徊しているのか…。

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いずれにしろ猫好きにはたまらない町だろう。

ホテルの部屋からは対岸の工場のイルミネーション

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今回携帯のGPSをGoogleで表示させるアプリをダウンロードした。

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何でもない坂の町のごく普通の一日をエンジョイ出来た。

RFL広島尾道・・・ にかこつけた観光旅行(1)

大林氏の「尾道三部作・新尾道三部作」に根強いファンがいるのは、氏の画像の素晴らしさもあるが、テーマ自身もあると思う。
興味を抱いた人のことをもっと知りたい、と思っているうちに、そうではなくその人に興味を持った自分自身のことをもっと知りたくなるのもなのかもしれない。
他人になることで他人を主体的に知り愛する一方、主体的な自分から離れて他人になることで客観的に冷静に自分を知り成長させること。
子どもから少し大人になる時の人生の広がりは甘酸っぱくもその後の人生にとってとても大切であることを教えられた「転校生」
入れ替わったことで、隣人をいつくしみ、隣人になった自分をいつくしむことは、僕にとって聖書の「隣人を自分のように愛しなさい」を描いたように思える。
これがどれだけ大きな人生哲学なのかは、この後品を変え形を変えて様々な人がこのテーマで作品を作っているかでもわかる。つまりは多くの人がこのテーマに関心を持っているから、スポンサーも付くのだ。
この作品は、原作の小樽、そして大林氏の故郷この尾道、とともに脚本家で原作の「おれがあいつであいつがおれで」を大林氏に紹介した剣持亘氏のふるさと、そう我が郷土小田原での撮影も候補になっていたという。
小田原ならどこでロケをしたのだろう?階段から落ちるのは小田原城なのかもしれない…なんて想像をするが、尾道の町並みでとられた作品を見れば、やはり尾道でとられてよかったのだと思う。
そんな舞台

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あの有名な階段から転げ落ちるシーン

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体が入れ替わったことに気が付いた一夫…一美?が、慌てて自転車で一美…一夫?宅に向かうシーン。細く急な歩道橋を全力疾走する小林聡美さんの姿は結構インパクトのあるシーンだった。

新尾道三部作では、あしたが好きだった。永遠の離別も人間生きていく上での大きなテーマ。
突然の死を通してもう一度会いたい、声を聞きたい、意見を聞きたい。これはできないからこそ強い願望になる。
映画では出来てしまい、主人公たちの多くは普通の生活に戻るが、はたして禁断の再会、つまりは叶わぬことを叶えてしまうという『強引』の蜜の味を覚えた人たちが、『もう一回だけ』と言う欲望から逃れられるか? は僕の中でとても興味あること。感動の出会いと別れを涙するよりは、こちらが気にかかる。
そんな呼子号の待合室は今も向島にある。ここも行かないわけにはなるまい。

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尾道渡船で向島にわたります。と、船の待合室(海上)に(^_^)/ 島の皆さんの足だから見る機会も多いんでしょう。

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これは映画のセットで唯一現存している物。乗った本当の小屋がベースなのかな?
呼子丸も精密縮小して作られたというがその存在がリサーチできずに見学は断念。

「時をかける少女」。これは僕の中では映画よりも、ケンソゴルの方がインパクトが強い。そしてSF界の巨匠大好きな筒井康隆氏の作品だ。
未来や過去に行けるが「事実」は変えられない。これはこれでいさぎいい。「明日」に類似しているようで大きく違うのは、変えられないという不変の真理。その中で生きることが摂理なら、あえて奇跡は望まない(と言っても淡い恋心は奇跡を望んだが(笑))
もし能力があるのなら身に着けたい。「本当はどうだったのか?」だけ知りたいことはたくさんある。まさに観光客気分。
しかし、原田知世さん、「なんで、こんな子が?」と疑問視してしまった垢ぬけなさが、美しい名女優になっていくのだから、人材発掘する人の目は鋭いんだろう。

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「艮」読めますか? 読める人は尾道検定1級(笑)
鳥居の真ん中は神様の歩く道、でも鳥居の上はロープウェイ様の通る道(笑) JRが通り地域の人の利便性は格段に向上しただろうし、このロープウェイだって観光資源としてすさまじいものがあるけれど、それによって神社の精神性が大きく破壊されたことも事実。

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タイムトラベルの最中、(未来の)自分が行くことによって、両親と一緒にお参りに来ていた当時(幼い)自分が消えてしまう神社。お堂よりも大きい木に圧倒。
前述の艮はうしとら、です。

尾道三部作のもう一つは。富田靖子さんが主演したさびしんぼう。転校生と時をかける少女の完結がこの作品、と言うことがなかなか理解できない。
何度か見返して思ったのは2作品とも(自分と言う)手が届き過ぎた&(死んでしまったという)届かない『相手』 でも、これはそうでない実際の恋愛対象の橘百合子さんでありながら、もどかしい。自分が恋い焦がれる橘さびしんぼうへどういう風にアプローチすればいいのかわからないウブイ感性は自分を愛(いつく)しんでくれるピエロのさびしんぼうへ遣る瀬無さをぶつけてしまう。実は16才の母の写真の化身でありながら橘さびしんぼうがこうあってほしいという願望なのかもしれない。でも・・・。
それを父親は“おまえ、人を好きになったことはあるか?好きになれ、思いっきり好きになれ、その人の喜びも悲しみもみんなひっくるめて好きになれ”と成就するためには立ち向かう真実と勇気の大事さを教えたのではないだろうか?1,2部で架空の恋愛を映画化し、そしてこの3部で現実も一緒だと言われたような気がする。だから三部作なのだ、と。
邪推かもしれないが、百合子さんのお母さんは海の男を相手に水商売(赤ちょうちん)を営んでいたが体を壊して代わりにお店を切り盛りしていたのではないか?それゆえ別の顔がある自分を知られたくなかったのではないか?父親の夕食を作り着物で店に出る直前の姿だったのではないか?なんて思う。男の子なんて女の子に比べればピュアーであって、そんな別の自分を知って嫌われたくない百合子さんのささやかな反抗。
恋する人はみなさびしんぼう。なぜだろう?恋って暖かくてふわふわで甘酸っぱいものじゃなかったのか?なんでさびしんぼうなのか?それはもしかしたら恋故に見せられない別の顔があるから、それがさびしんぼうなのかもしれない。
もう一回映画に戻ろう、あのピエロさびしんぼうは母親なんですよね。失恋した人の名前を息子につけた、その息子もまた自分から飛び立とうとしている(再度の失恋?)・・・・。アレ?コノエイガノシュジンコウハイッタリダレナンダロウ???モシカシタラボクハ「富田靖子」と言う女優の1人2役ニダマサレテハイナイカ?

向島に渡ったのは前述のとおり。行きは「あした」の航路で、帰りは「さびしんぼう」の航路を使った。素敵な島だった。坂を上ったところに住む貧しい父娘の家はここらへんかと思わず想像をした。実はさびしんぼうのロケ地で一番興味のあったのは夕闇の向島百合子さんの住んでいるあたり。でも、さすがにわからなかった。

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上の写真の坂道をホテルから写す。あの森の向こうには造船工場の社宅やその方のための飲み屋があるに違いない、と勝手に妄想(笑)

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今日も映画のワンシーンのように多くの高校生が島と本島を渡る。

デジタル編集やCGが出始める10代の時、大林作品は陳腐にすら感じた。特にねらわれた学園の峰岸徹さん演ずる魔王子の胸の目玉、幻滅をした。しかし、CGが何でもできるに従い、派手さを競うようになるに従い、大林作品のコラージュ手法がよみがえってきた。ウルトラマンや仮面ライダーのような番組を見て、CGより昔のアクションの方が楽しいことを知った感はある。
今更になってなんてすばらしい映画作りなんだ、と思えるようになった。
原作と言う大きなファンタジーをもらって氏はそこにありふれた日常を叩き込む。だからなんでもない尾道の何でもない風景がキラキラ輝く。

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いや、歩行も危ないんですけれど…。
でも我が家や僕の車も毎日見ていると劣化に気付かずそれでも快適だったりする。この橋だって少し前までは毎日わたっている地元の人にしてみればそんな危険な橋じゃなかったのだろう。

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何処も田舎だった。そこに人が集まって町を作り都会になるが、それは実は息苦しいところかもしれない。この道幅に心が落ち着く。交通網が15分に1本の地域から1時間に1本の地域に引っ越して余計にそれを感じる。

何事もそうだが僕は少し知恵が回るのが遅れる。すぐに理解できないのだ。会話より文章を書くのが好きなのは時間をかけられるからだ。「一を聞いて十を知る」という諺があるが、僕は「十を聞いても一を理解するに時間がかかる」のだ。それは映画を見ることにも当てはまる、僕はいいオヤヂになってから大林氏のファンになった。

そして尾道は大林さんだけではない。こんな美しい街、素敵な小路がたくさんあった。これは次Blogに書く事にしよう。

おとぎ話に出てくるのはおじいさんとおばあさん

RFL広島の帰りに立ち寄ろうとした祖谷峡。

「あなたは山が好きですか?海が好きですか?」と言う思考の問いかけには、僕はガラパゴスや小笠原のような海でもそして宮崎椎葉村、岩手県遠野やこの映画の祖谷峡のような山中の場所でも行き難い場所が好きです、と答えにならない答えを言うと思います。
交流が盛んで異文化の混じりあうようなイスタンブールや敦煌も捨てがたいが、独自の文化を持つ町々の方に触手は伸びます。

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この映画は祖谷と言う町の素材をベースに作ったおとぎ話。
だから細かいことを突っついちゃあいけないのです。お爺さんひとりで然程裕福でなく日々の仕事で精一杯なのに赤子をどうして育てられたか、とか、そもそも見ず知らずのお爺さんが引き取れるはずがないことは百も承知です。

落語の演目に『桃太郎』と言うのがあります。眠れないという子どもにおとっつぁんが昔話を聞かせるのだけれど、いちいち理屈でおとっつぁんの方が焦れてしまいます。すると子どもは昔話の解説をするのですが
「昔々」「あるところに」などとして、時代や場所を細かく設定しないのは、いつの時代のどこの子どもにも聞かせられるようにした配慮で、おじいさんが山にいるのは「父親の恩が山よりも高いこと」、おばあさんが川にいるというのは実は海のことであり、「母親の恩が海よりも深いこと」を表現している。本当は父親と母親のことだが、話に愛着を持たせるために老けさせていると語っているうちにおとっつぁんの方が寝てしまう、というもの。
桃太郎だって唐突に鬼ヶ島に行くことを思い立つわけで、故郷の住民が目の前で鬼にやられているシーンはない。しかしそれを設定が悪いとは僕らは言わないのです。

そう思うとこの祖谷と言う日本の原風景の象徴のような山中におじいと美女が住んでいて、その美女が気立てもいいというのは全く持っておとぎ話のそれ。
それが都会との交流で消えていく寂しさと自分たちにも当然の権利として文明を謳歌するという喜びの狭間と言うテーマで、何よりも美しい日本の美を映像化しています。2つの違うものがカオスな状態を経てホモジナイトされるエントロピーの法則に叶おうとする中で、カオスな不安定な時ほど混じりたくもあり反発もするのです。

映画には天空の里のかかしたちも友情出演。物語云々よりもきれいな映像をファンタジックに楽しみたい人向けの映画でした。
いつかは本物のかかしを見に行きます(^_^)/

厄払い

「(予想が)当たるだろうと思って予定を変更したが外れた」場合と「外れるだろうと踏んで強行し外れなかった」場合。
お弁当を買っておいしそうな箸休めだと思って最後まで取っておいたメインでないおかずが思った味でなく、最後の味がいつまでも口に残ったとき…。そんなこともあるから内容にもよるが、石橋を叩きたい僕は前者の方が悔いが残らない事が多い。
手堅くいきたいのだ。8回同点ノーアウト1塁なら100%送りバントなのだ。

大型の台風が今週も来るとの予想が出た。RFLの後半から翌日序での観光に際してちょうどぶつかりそうだというもの。
連れ合いと話して、天空の里・人より案山子の多い村へのアクセスの厳しさとあわせてキャンセルをした。
情報を教えてくれた友人は、いやいやまだどうなるかわからないからキャンセルは早いですよ、と慌てられたが、予定の前と後に「序で」の観光を入れることに少しばかり後ろめたさを感じていたこともありきっぱりさっぱりあきらめがついた。

そして
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その友人が言っていた変動の通り極めて大きな台風は13日に台湾の南を通過しそうだ。

古来からの考え方に、「託す」がある。
例えば人柱がある。災害が来ないようにいけにえを捧げる。
人型(ひとがた)に託す場合もあった。ひな人形や藁人形など、仮身を使う場合。
同じような発想は、「○○をしたから厄がよけられた」と神社はしきりに厄除けを進める。
まぁ、みごとに18日の観光と言う人型によって厄除が功を奏した(笑)

ようは心の持ち方ひとつ。どっちの方がメリットがあるか、どちらがダメージが大きいかだ。
そして僕は前者のリスクマネージメントをチョイスした。つまり15―17日の間に18日の分までぎゅっと楽しいことを凝縮しようと考えた。それで満足できると踏んだ。
15―17日はとりあえず天気がよさそう。最後まで遊べるよう(参加のお仲間と交流が深まるよう)にと17日は16時過ぎの新幹線にした。
昨年は雨で中止(延期)になったRFL広島。ことしは太陽のもとで仲間と歩けそうだ。秋空に映える黄色のフラッグを掲げて(^^)/

みことばを実行する人

2018年9月9日、松田聖契キリスト教会に与えられたみ言葉は、ヤコブの手紙 1章17-27節。表記のタイトルの説教を清水靖牧師より受けました。今回も礼拝で説教を聞いた内容を一信徒が思ったこと、話を咀嚼し想像したことを含めて綴ってみます。(なお、新改訳聖書を持ち合わせておりませんので、下記聖書箇所は新共同訳聖書に基づきます。また、公式のメッセージについてはこちらをご覧頂きたいと思います。)
なお、聖書は章節のナンバーも記載いたします。


1:17 良い贈り物、完全な賜物はみな、上から、光の源である御父から来るのです。御父には、移り変わりも、天体の動きにつれて生ずる陰もありません。
1:18 御父は、御心のままに、真理の言葉によってわたしたちを生んでくださいました。それは、わたしたちを、いわば造られたものの初穂となさるためです。

1:19 わたしの愛する兄弟たち、よくわきまえていなさい。だれでも、聞くのに早く、話すのに遅く、また怒るのに遅いようにしなさい。
1:20 人の怒りは神の義を実現しないからです。
1:21 だから、あらゆる汚れやあふれるほどの悪を素直に捨て去り、心に植え付けられた御言葉を受け入れなさい。この御言葉は、あなたがたの魂を救うことができます。
1:22 御言葉を行う人になりなさい。自分を欺いて、聞くだけで終わる者になってはいけません。
1:23 御言葉を聞くだけで行わない者がいれば、その人は生まれつきの顔を鏡に映して眺める人に似ています。
1:24 鏡に映った自分の姿を眺めても、立ち去ると、それがどのようであったか、すぐに忘れてしまいます。
1:25 しかし、自由をもたらす完全な律法を一心に見つめ、これを守る人は、聞いて忘れてしまう人ではなく、行う人です。このような人は、その行いによって幸せになります。
1:26 自分は信心深い者だと思っても、舌を制することができず、自分の心を欺くならば、そのような人の信心は無意味です。
1:27 みなしごや、やもめが困っているときに世話をし、世の汚れに染まらないように自分を守ること、これこそ父である神の御前に清く汚れのない信心です。



「信仰義認」と言うパウロの教えがあります。ただ神を信じる信仰によって救われるという考え方で、日本のキリスト教会でもその考え方が踏襲されていると言っても過言ではないでしょう。
しかし、今日のヤコブの手紙の著者は、少し異論を書いています。行動する意義が説かれています。
清水牧師は、それは整合を外れた訳ではなく、『行いによって人祝福されるが、それはしかし救いの条件ではない』と語ります。極めて明快だと思います。

19節以降の解りにくいたとえ話。
人は外から意見されるのが嫌いです。聞いているようで「聞く耳を持たず」です。
そして「口は達者」です。自分の事を棚に上げ、他人の些細な欠点でも見つけやすいものです。
また、他人が悪気地を言うのを聞くのも嫌です。「自分が出来もしないのに偉そうに言う」と思うものです。
だから意見されるような聖書の御言葉に聞き従わなうことに躊躇をしちゃあいけないのでしょう。みんな出来ないから自分だけ守っても、と他人のせいにしちゃあいけないのでしょう。人より「早く」聞くことが大事なのでしょう。
人の欠点を話す時はしないように精一杯すべきでしょう。できるだけ我慢して口から出ないように(遅く)すべきでしょう。また、ほかの人が欠点を見つけた時も悪い所は見ないように(遅く)しましょう。そうした実行をしましょう、とヤコブは言われているのだと思います。

日曜日、教会に行っています、と出向き、「平和になりますように」「不正が無くなりますように」「差別が無くなりますように」と祈っても、『本気度』が問われます。平和のために時間をさけたでしょうか?不正をなくすために努力したでしょうか?差別をなくすためにあなたは何をしたでしょう?
そうした行動をもとなった本気の改革をしなさい、と言われても、してこないから平和が実現せず、不正や差別が続くのでしょう。
礼拝の祈りはセレモニーではない、と言われました。礼拝は派遣の祈りをもって閉じられます。僕らは主の恵みを持ってこの世に押し出されていくのです。礼拝に行っているクリスチャンであります、と満足してはいけないのです。

イエス様は聖書の中で
「先生、律法の中で、どの掟が最も重要でしょうか。」
イエスは言われた。「『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』
これが最も重要な第一の掟である。
第二も、これと同じように重要である。『隣人を自分のように愛しなさい。』
律法全体と預言者は、この二つの掟に基づいている。」

マタイによる福音書22:36-40とあります。
主を愛するのは信仰です。そして隣人を愛すのは行いです。信仰と行いは同じように重要だと言っておられます。
信仰心があるからと行いを軽視していないか自分自身に問い続けたいものです。
2章20説に行いの伴わない信仰が役に立たないと書かれています。

お母さんの病気は“がん” 小学6年生の娘が夏休みの自由研究

 9月3日、2学期がスタートし、宿題を提出した子どもたちも多かったのではないでしょうか?
 東海地方に住む、小学6年生の彩楓(さやか)ちゃん(11)。彩楓ちゃんには小学生としての最後の自由研究を通して、伝えたい大事なことがありました。
 7月下旬、彩楓ちゃんはある集まりに参加していました。「大腸がんで手術をしました」
「夜ごはんを食べている時に「お母さんはがんだよ」という話をされた」(参加者)
 彩楓ちゃんとお母さんが一緒に参加したのは、がんを患っている人やその家族が集まる会合。
 がんについて考える会「シャチホコ記念 がん哲学外来メディカルカフェ」、いわゆる“がんカフェ”です。
 参加者たちは、がんとどう向き合うべきか話し合っていました。
 そして、彩楓ちゃんも「がんは治らない病気とか怖い病気とか思っている子どもが多いので、そのイメージを変えようと思って」(彩楓ちゃん)
 彩楓ちゃんのお母さん・由紀さん(43)は3年ほど前、気管支に腺様嚢胞(せんようのうほう)がんという、珍しい種類のがんが見つかりました。現在も抗がん剤治療などで闘病中です。
「声帯が動かなくなって、こんな声になってしまって、抗がん剤を4クールしました」(由紀さん)
初めてお母さんの病気を知った時、すぐに「死」を連想してしまい、とても不安になったという彩楓ちゃん。しかし、多くのがん患者に出会っていくうちに、がんはむやみに怖がらずに正しい知識を持って付き合っていくことが、とても大切だと感じたといいます。
「お母さんががんで、もっとがんのことを知りたいと思いました」(彩楓ちゃん)
実は彩楓ちゃん、夏休みの自由研究のために、がんについて調べているといいます。
「保健の授業では少ししかがんについてやらなくて、それで分かっていない子もいるなと思って(調べたいと思った)。お母さんが病気になって初めて分かったこと、それは今の日本でがんは2人に1人がかかると言われるほど、身近な病気だということです」(彩楓ちゃん)
 闘病のお母さんの姿をずっと見てきた彩楓ちゃんは、身近な病気、がんについて、もっと多くの子どもたちに正しく知ってほしい、そう考えたといいます。
そして、8月31日、夏休み最後の日。1か月にわたって取り組んできた、30ページにも及ぶ大作が完成しました。
 分かりやすいように、病気の説明は得意な絵で表現したといいます。話を聞かせてくれたみなさんの体験談も載せました。
そして、最後に彩楓ちゃんはこう記しています。
「がんのことを知れば親の病気を理解できるし、自分がなった時も焦らないなと思いました」(彩楓ちゃん)
 中京テレビNEWS :9/5(水) 13:08

がんでもいいじゃん♪ のテントで幼稚園生くらいの子どもに「がんなんてよくないじゃん」って言われたことがあります。
そう、病気になっちゃったのはよくないよね。でも、みんななりたくてなったわけじゃないんだ。一生懸命生きている中でなぜだかなつちゃったんだ。
でも、がんのサバイバー(って言うんだ)の人たちも、みんな家族がいたり、とっても仲良しのお友達がいたり、だから一生懸命治そうと努力しているんだ。お風邪をひいてお医者さんに行って一度注射うつだけでも嫌なのにそれを繰り返さなければ、もっと大変な治療をするのはとっても大変。
でもねそんな時、中には噂話をしたり、時にはわざと聞こえるように「がんなんだってな」って言われたりして悲しい気持ちになったりすることもあるんだ。
お風邪をひいたとき、そんな嫌味な言い方しないでみんな「お大事に」って言ってくれるのになぜなんだろうね。
だから、そんな噂話だったり辛い闘病に負けないように笑顔で「がんでもいいじゃん♪」って言っています。

がんになった人が一生懸命に治そうとするのは、周りに大事な家族やお友達がいるからなんだ。だから逆にがんの家族やお友達がいたら同じように大事にしてください。笑顔でいつも通り接してください。ちょっと疲れてそうだったら出来るお手伝いをしてあげてください。
いつもおそばにいるよ、一緒だよ、って言葉が何よりも励みになります。おそばにそういう人がいたら「がん(になっちゃったけれどそれでも)いいじゃん♪」今までと変わらないよ、と言ってあげてください。

厚労省や対がん協会でもがん教育を推進していますし、がんのソウルメートでそれに携わっている人もいます。
家族や学校で病気をカミングアウトしている人がいればこういう機会を広げられればいいですね。 


RFLと言うイベントがあります。がん患者さんが中心となった元気の出るイベントです。
リレーフォーライフ
このニュースを見て関心を持たれたらぜひお近くの会場に足を運んでみてください。

大能の力によって強められなさい

2018年9月2日、松田聖契キリスト教会に与えられたみ言葉は、エフェソの信徒への手紙 6章10-20節。表記のタイトルの説教を清水靖牧師より受けました。今回も礼拝で説教を聞いた内容を一信徒が思ったこと、話を咀嚼し想像したことを含めて綴ってみます。(なお、新改訳聖書を持ち合わせておりませんので、下記聖書箇所は新共同訳聖書に基づきます。また、公式のメッセージについてはこちらをご覧頂きたいと思います。)
なお、聖書は章節のナンバーも記載いたします。

6:10 最後に言う。主に依り頼み、その偉大な力によって強くなりなさい。
6:11 悪魔の策略に対抗して立つことができるように、神の武具を身に着けなさい。
6:12 わたしたちの戦いは、血肉を相手にするものではなく、支配と権威、暗闇の世界の支配者、天にいる悪の諸霊を相手にするものなのです。
6:13 だから、邪悪な日によく抵抗し、すべてを成し遂げて、しっかりと立つことができるように、神の武具を身に着けなさい。
6:14 立って、真理を帯として腰に締め、正義を胸当てとして着け、
6:15 平和の福音を告げる準備を履物としなさい。
6:16 なおその上に、信仰を盾として取りなさい。それによって、悪い者の放つ火の矢をことごとく消すことができるのです。
6:17 また、救いを兜としてかぶり、霊の剣、すなわち神の言葉を取りなさい。
6:18 どのような時にも、“霊”に助けられて祈り、願い求め、すべての聖なる者たちのために、絶えず目を覚まして根気よく祈り続けなさい。
6:19 また、わたしが適切な言葉を用いて話し、福音の神秘を大胆に示すことができるように、わたしのためにも祈ってください。
6:20 わたしはこの福音の使者として鎖につながれていますが、それでも、語るべきことは大胆に話せるように、祈ってください。


讃美歌21の372番に「幾千万の母たちの」と言う讃美歌があります。その4番の歌詞は
幾千万の母と子の
こころに合わせいまいのる。
自分のなかの敵だけを
おそれるものと なるように


とあるのです。
この詩は阪田寛夫さんによるもの。坂田さんは誰もが知っている童謡の「サッちゃん」や「おなかのへるうた」の作詞家でもあります。
氏は、大正年間に生まれ、戦争にも関わった反省の中から自分が反戦歌を作ってもいいのか悩み、それでも書かねばと奮いできたのがこの讃美歌だと言われています。
与謝野晶子は「君死にたもうことなかれ」と歌います。誰もが家族の死を望む者はおらず、何としてでも(エゴイスティクに言えば)自分の家族だけは生きて帰ってきてほしい、と言うのは敵の家族であろうが味方の家族であろうがそう思っていたはずです。誰もが戦争で嫌な思いをしたくなかった、悲しい涙を流したくなかった。それでも戦争は進んだ。
その反省がこの4番の歌詞だと思います。武器云々ではなく戦争は人の心が起こします。もっと言えば、人の心に忍び込む悪魔の仕業だと言ってもいいでしょう。

そしてそれは戦争だけではなく、様々な不平、差別、陰謀など穏健な人を怒らせるだけのさまざまな悪魔の仕業があるのです。
清水牧師は説教の中で、神を信じると言う人は少なからずいるが、その中でも悪魔の存在は否定的な人もいる。が、対極的な存在の悪魔が理解できなければ、神の本当の存在も見えにくいものだ、と語りますがまさにその通りだと思います。

「魔が差した」と言う言葉。なんで魔はさすのか?といえば、まさにそれを悪魔の仕業だと思います。
神にしろ悪魔にしろ有機的な「モノ」だと思うから、神の存在も悪魔の存在もわかりにくいし非科学的なものだと思われがちですが、喜怒哀楽のような感情と同じく心の中に湧き出すものだとすれば、「アル」ことに不可思議はないでしょう。
遠藤周作氏の「白い人黄色い人」などはまさに悪魔に敗れる話ですが、誰もがうなずく話だと思います。悪魔を語るにはぜひこの本をご一読なされてからにして頂きたいと思うほどです。
いずれにしろ「負の力」はどこからか湧いてきます、もしくはやってきます。これは確かなことです。多分論点になるのは存在自身ではなく、それに「悪魔」と言う名をつけるかどうかだけです。

その時にどうしろと言うのか? が今日の聖書の箇所です。パウロが僕らに教えてくれた言葉です。
悪魔に対抗するためには武具を着けよ、と言うのです。真理、正義、福音、信仰で身を包めと言います。これは全て聖書に書かれています。つまりは悪魔に忍び込まれないようにするためには己の力を過信しないこと、人間の力だけでは悲しみや苦しみが怒りと言う悪魔に変わってしまいます。そうならないためにはキリスト教で言えば聖書により頼み、その教えに忠実に従って生きることが大事なのでしょう。
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