インフォメーション

【Take's PROFILE】

心豊かに、のんびりと・・・。という生活を望んでいます。
あんまり物に執着しないけれど、「形から入る」という矛盾を抱えて生きています。
クリスチャンですけれど、よく礼拝をさぼります。
モーターホーム(キャンピングカー)で遊びに行くことにはまっていますけれど、へたれで暑がり寒がりです。そしてものぐさです。
単細胞で、理不尽と感じると熱くのめり込んでしまいます。
やせすぎを笑われることこそありました(169cm48kg)が、現在は中年太り(同身長70kg)と生活習慣病イエローカード!!
乳がん10年寛解の妻と文字通り連れ合って、・・・ぃゃそんな彼女にずっと寄りかかって生活しています。


趣味の写真用のBlogを作りました。宜しかったらこちらにも行ってみてください。最近はタイトルを「17文字」で書くことにしています。俳句の域でないので俳句とは言いません(笑)
http://blog.goo.ne.jp/take1960_january/
mixiのIDは 775204 です。
Facebookは本名で検索できます。恐れ入りますが、友人申請はリアル友・知人の方のみ限定とさせてもらっています。1度どこかで飲んだらOKです(^^)/



【POLICY】

2つのボール競技を思い起こしてください。
キャッチボールは、相手が取りやすいところにボールを投げて「受けとって貰う」事を目的とします。
ドッジボールは、同じくボールを相手に投げるのですが、「取れずに落とす」事を目的とします。
会話も同じだと思います。意見が違う人と議論をすることは、僕はステキなことだと思いますが、そこには相手に自分の意見を受け取ってもらうように、真摯に丁寧・丁重に書くことが大切だと思います。まさに会話のキャッチボールだと思います。自分の主張ばかりやあげ足取りのドッジボールではいけません。
このBlog「LOGOS」は、Takeが管理人をしているSiteのひとつです。
「喜びを分かち合い、悲しいことを共有する」ために言葉があると思い、その言葉を使用して、そのコンセプトを実現しようと思っています。
分かち合うためにも、共有するためにも、お互い相手のことを思い、祈り、そして会話をすべきだと思います。
ですから、一方的に言い放った発言、相手のことを理解しようとしないで攻撃する発言、差別や蔑視的な表現、必要以上の個人情報の開示など、このようなものが含まれている場合は、管理人の権限で削除し、その削除に対しての説明を要しません。
ローカルルールをご了承ください。

テーマ : 日記というか、雑記というか…
ジャンル : 日記

かみ合わない?かみ合わさない?

小田原市の生活保護行政のあり方検討会の立ち位置は、小田原市が大きなミスを犯した。それを反省し再発を防止するために有識者の方々を呼んで「何がまずかったのか?」「何を変えればいいのか?」を、有識者から小田原市職員が聞くというものであながち間違えてはいないと思う。
しかし、その中で、有識者からの質問に腑に落ちない説明があった。
一例をあげれば最後の会の扶養調査のやり取り。

有識者:DVなど家族親族に居場所を知られたくない場合、小田原市から扶養調査が入れば小田原市にいることが分かってしまう。怯えている人にそれは大きな恐怖だが、小田原市は扶養調査にどのような配慮をなされているか?
市職員:配慮はしている。
有識者:配慮をしているだけではわからないので再質問。しないでほしいと言った場合は利用者の要求に従ってしないのか?それとも市のやり方を曲げずに調査をしているのか?
市職員:次の職員への申し送りを含め各段の配慮をしている。

どう見てもかみ合わせないような答弁で、まるで国会中継を見ているようだった。が、ここは何度も言うが、既にミスを犯してしまった市側が意見を聞いて改革をする場。隠すこともなく、言いにくいことも洗いざらい言った中で、「じゃあこのような改革をしたらいかがですか?」というアドバイスをもらう場所。
そこは(僕の推測も含めるが)「配慮をしながらも調査を致しました」と正直に言う場でしょ?なんでこの場に及んでも保身に走るの?

4回の会議を開いて有識者の先生方の貴重な意見を聞けて良かったと思う反面、少しだけ不安が残った。

そして、市から過日の小田原交流パトの抗議書への回答が来た。

20170327-01

当たり前の文書。公文書だからこういう書き方しかできないのかもしれないけれど、何か失望感漂う回答。
あり方検討会では、市民との溝を埋める事、分かりやすく丁寧にすること、が求められたはず。
何か違う…。こんな通り一遍の回答書なら要らない。
この違和感が、結局4回の検討会はなんだったのか、という失望感に変わらないことを祈るばかりだ。

3月30日のパトビラ(№972 - ケースバイケースなのか一律なのか -)

毎週、野宿を余儀なくされている方(ホームレス)のところを訪問する際に持っていくパトビラ、今日はこんなことを書いてみました。

公務員試験に合格し高い志をもって入所した職員はやはり希望の塊だぅたと思うのです。特に福祉職の方は憲法の崇高な理念に基づきできる限りサポートをしたいと、時の上司に相談するも、きっと『そんな前例はない(悪しき前例を作るな)』『予算がないから無理だ』『法律に書いてないだろう』そうした言葉が跳ね返ってきたことも少なからずあったのだと思います。先の生活保護行政のあり方検討会の席上でも有識者の方が盛んに言われたのは、血の通った行政であり、相談者の立場に立ったアドバイスでした。
どうにかしたいという目標設定を立てても、行政と言う名の高い壁があり目標に絶対に達せられない時、誰もがやる気を失うか若しくは違う到達できそうな目標に変えます。やらなければならない生活困窮者のサポートが「前例」や「予算」や「法律」といった一介の職員で手出しできない壁に阻まれた中で到達可能な「不正受給撲滅」と言う道に走ってしまったのはある意味不幸だったというのも共通の認識です。
今回のジャンパー作成という一事象に端を発した根柢の問題点は、一律に「予算」や「法律」という形で縛ってしまって、個々の悩み困窮を伴ってくれる部署がなくなってしまった点だと思います。そういう意味では、この問題は小田原市の問題ではなく国策の話であり、国民の意識の問題だったのです。


行政をよくするには「3主義」を廃止することは、もう20余年前に聞いて言い続けていることです。だからまた同じことを言っていると思われる方も居られるかと思いますが、言い続ける必然性を感じています。
多くの方がこの問題に対してバッシングをされました。しかし、ケースワーカーの熱意をしぼませているのは何か?は真摯に追及しなければならないことです。
今回の検討会においても言葉は違えど同じこと言われたと思います。
小田原の問題ではない、保護課の問題ではない。まさにその通りです。この問題は、この国の国民が同じ日本人に対してどう一緒に生きて行こうか?と言う問題だと思うのです。

生活保護行政乃あり方検討会

4回にわたっての表記検討会が終わりました。
5人の有識者の皆さん、本当にありがとうございました。

今日もいくつかずしりと来た発言がありました。

「(生活困窮者と)寄り添うことで不正が無くなる。」
近しい人、いつでも意見交換している人とは通じるものがあります。そしてその人のために迷惑をかけてはいけないと思うものです。友人はなかなか裏切れません。

「生活保護を受けることが屈辱だと思う社会概念、これが問題」
「困った時にサポートを受けるのは恥でもないと誰もが思える小田原市になってほしい」

座長の井手先生は、今回のジャンパー問題は「弱者がより弱者をたたく構造」だと語られました。誰かを助けるために誰かが犠牲になってはいけない、と。
そう言う意味では、市民が叩かせようと輪になってはやし立てた存在かもしれません。一番の問題は生活保護利用者を偏見の目で見ていなかったか?を真摯に問わずにいた僕ら市民かもしれませんね。

「当事者は小田原市民であること。堂々と市役所に行ってほしい。当事者こそ改革のパートナーだ」

以前スェーデンに行った際、生活保護利用者の方が乗馬をしていた。そこでそばにいた人にそのことを問うたら、労働の貴さ楽しさを知りながら働きたくても働けないかわいそうな人なんだ、だからせめて乗馬くらいの気晴らしをさせてあげなくては人生つまらないものになってしまう、と諭された。

そして代る代るに、この問題は保護課の問題ではない。そして小田原の問題でもない。と言われました。
どの部署にも、どの町にも出てくる可能性があります。たまたま小田原市であり、たまたま保護課がやり玉にあがりました。
ですので、小田原市においては全庁的に取り組んでほしいです。
過去にも襲撃事件を受けて市と交渉したことがあります。が、教育委員会は暖簾に腕押し、言葉を濁し僕らが提案要求した長期休み直前の人権問題を考える時間の取得はされませんでした。
この初夏もきっと市役所と意見交換の時を持つでしょう。はたして教育担当の部署はこの問題をわがことのように感じてくれたでしょうか?
埼玉の無低で違法な行為がありました。小田原市保護課の職員は立ち入り検査や指導強化をするでしょうか?
市民数に比べて、また全生活保護者数に比べて、母子家庭の保護数が極端に低いです。僕らの知らないところで、またもしかしたら行政も自分たちの言動が水際作戦になって利用をあきらめている人はいないでしょうか?
保護のしおりの改定を約束しましたが、改定をするまでの期間暫定的なしおりの作成をするよう委員会からの提言が出ました。いつどのようなものができるでしょう?

実は市が今日まで4回の提言をするかどうかは、上から目線で僭越ではありますがやはり僕ら市民の監視の目が必要になると思います。世の光・地の塩となれ、と聖書は僕らに語りかけます。そうありたいと思います。

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久野と辺野古

 米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古への移設計画をめぐり、翁長雄志(おながたけし)知事は25日、前知事が出した辺野古沿岸部の埋め立て承認について「撤回する」と表明した。承認の撤回は、工事阻止の「最大の切り札」(県幹部)とされる。翁長氏が撤回を表明したのは初めて。
 翁長氏は、計画に反対する市民団体などが開いた、移設先の米軍キャンプ・シュワブ前での抗議集会に初めて参加。政府が県の岩礁破砕許可の期限が今月末に切れた後も工事を続ける姿勢を示していることを挙げ「岩礁破砕も無視して通り過ぎていこうとしている。あらゆる手法で撤回を必ずやります」と宣言した。
 埋め立て承認をめぐっては、翁長氏は承認を取り消したが、最高裁で違法とされ、取り消し処分を取り消した。「取り消し」は、承認そのものに問題があったことを理由に無効にする方法。これに対し「撤回」は、承認後に起きた事業者(政府)の重大な違反や問題を理由に、承認を無効にする方法だ。
 翁長氏が承認撤回に踏み切れば、政府は工事を進める法的根拠を失う。このためすぐさま対抗措置を取るのは確実で、新たな法廷闘争に発展することになる。
  朝日デジタル (上遠野郷) 2017年3月25日13時22分

自分の人生の中で一番政治(生活)に関わったのは、何度も書いている久野の産廃問題。

その時久野以外の小田原市民、そして多くの市議や県議も、「どこかに作らなければいけないのに久野の連中はうるさくてしょうがない」とうんざりした空気があったことを覚えています。
最たるものは某市議が『どこの家にも便所がある』と小田原市を一軒の家に例えて、久野を便所と喩えたことは20年経った今も忘れられない言葉でした。
必要悪の施設と言われたものも同じです。行政が何とかしようと躍起になっているものも同じです。

市民運動と住民運動は違う。これが上記の温度差で気づいたことです。火の粉をかぶって熱くて初めて社会問題にぶつかる住民運動は熱意と団結力が強いです。自分たちが困窮したからこそ、他市でもふるさとを守ろうという闘いにはエールを送りたいです。
本来ならば久野の人たちもあの時の自分たちと同じ困窮の日々を過ごしているのだからとエールを送ってほしいですが、やはり自分の故郷から離れれば当時の久野以外の方がこの問題に関心を示さなかったようになかなか盛り上がらないのでしょう。
でも、久野は最後に勝ったのです。
あの住民運動を思い出しながらエールを送り続けたいものです。

枝葉末節の道徳・根幹の道徳

初めての小学校道徳の教科書検定が終わり、8社の24点66冊が出そろった。本来、「考え、議論する」を掲げたはずなのに、文部科学省が検定過程で付けた数々の意見からは、教科書作りに積極的に関与しようとする姿勢が浮き彫りになった。高校の地理歴史や公民の教科書でも、集団的自衛権や南京大虐殺などの記述が、文科省の指摘に従って横並びになった。
「しょうぼうだんのおじさん」という題材で、登場人物のパン屋の「おじさん」とタイトルを「おじいさん」に変え、挿絵も高齢の男性風に(東京書籍、小4)▽「にちようびのさんぽみち」という教材で登場する「パン屋」を「和菓子屋」に(同、小1)▽「大すき、わたしたちの町」と題して町を探検する話題で、アスレチックの遊具で遊ぶ公園を、和楽器を売る店に差し替え(学研教育みらい、小1)――。
 いずれも文科省が、道徳教科書の検定で「学習指導要領の示す内容に照らして、扱いが不適切」と指摘し、出版社が改めた例だ。
 おじさんを修正したのは、感謝する対象として指導要領がうたう「高齢者」を含めるためだ。文科省は「パン屋」についても、「パン屋がダメというわけではなく、教科書全体で指導要領にある『我が国や郷土の文化と生活に親しみ、愛着をもつ』という点が足りないため」と説明。「アスレチック」も同様の指摘を受け、出版社が日本らしいものに修正した。
 「ここまで細かいとは」。各社の編集者はこうした検定のやり方に戸惑う。

 検定に臨んだ8社は、2015年に告示された指導要領が学年ごとに定める「節度、節制」「感謝」「国や郷土を愛する態度」など、19~22の「内容項目」を網羅することを求められた。
 学校図書(東京)の編集者は指導要領やその解説書を読み込み、出てくる単語をリスト化。本文や挿絵、設問に漏れなく反映されているか入念に点検したが、それでも項目の一部がカバーされていないという検定意見が数カ所ついた。別の出版社の編集者は「単語が網羅されなくても、道徳の大切さは伝えられる。字面だけで判断している印象だった」と不満を口にする。
 最終的に、検定では8社の計24点(66冊)の教科書に誤記や事実誤認を含めて244の意見がつき、このうち43が指導要領に合わず、「本全体を通じて内容項目が反映されていない」などの指摘だった。
 各社は指摘に沿って本文やイラストを修正したが、これまで検定の対象外だった副読本より、「横並び感」が強まった。

 中身だけでなく、文科省は教科書を使った授業のやり方にも注文をつけた。
 出版社は教師が指導しやすいようにと、読み物の冒頭や末尾に設問を入れるところが多かった。そんな中、低学年向けの教科書だけ、あえて設問を入れなかった社もあった。「指導の自主性を尊重したいという考えから」(編集者)だったが、指導要領が定めた「問題解決的な学習について適切な配慮がされていない」という意見がついた。
 最終的には、設問を挿入して検定を通ったが、編集者は「設問をあらかじめ示すことは、読み手の子どもに先入観を与え、読み方を規定することにつながりかねない。『考える道徳』に反しないか」と疑問視する。
 横並びの印象が強いのは検定だけが理由ではない。出版社側の思惑もある。
 各社が学年ごとに掲載した約30~40の教材には「定番」が目立つ。文科省の副読本「私たちの道徳」や旧文部省の道徳指導資料などにある教材を全社が引用。「はしの上のおおかみ」「花さき山」「ブラッドレーのせい求書」「雨のバス停留所で」「手品師」などは全社が掲載した。このほか、4社以上が採用した資料も少なくとも16ある。
 複数の出版社は「現場の教員から『授業の実践例が豊富な定番を使いたい』という声が多い」とし、「採択されるには、多くの先生が教えた経験のある教材を一定程度入れるしかない」(編集者)と打ち明ける。
 全ての教科書が扱った「いじめ」関連の内容では、ネット社会を背景に、ネットいじめについて学ぶ読み物が並び、仲間はずれにされる場面を演じるコーナーを設ける教科書もあった。(前田育穂、菅野雄介)

■地理歴史や公民、政府の主張が随所に
 一方、高校の地理歴史や公民では、戦後補償や安全保障などをめぐる記述で、政府の主張や立場が随所に反映された。
 14年の憲法解釈の変更による集団的自衛権の行使容認と15年成立の安全保障関連法は、現代社会と政治・経済の全8冊に掲載された。うち5冊が「閣議決定をもって一部『行使できる』ことに変更」など、集団的自衛権を使う際の前提になる「新3要件」に触れなかったり、例として1要件だけを取り上げたりした。「立法までの経緯などを記せば3要件は書かなくても理解できる」(編集者)といった判断だ。
 これに対し、文科省は「新3要件をすべて書かなければ、生徒にとって理解し難い」と指摘。その結果、8冊すべてに新3要件が掲載された。政府は3要件をもって集団的自衛権の行使は限定的なものだと強調しており、こうした点を踏まえたとみられる。
 戦後補償についても、日本史2冊に対し、慰安婦問題に関する15年末の日韓合意を書くよう求める検定意見がついた。「戦後補償を詳しく書く場合、日韓合意の記述は『最近の動向』として不可欠」というのが文科省の見解だ。ただ、検定中に、朴槿恵(パククネ)大統領をめぐる疑惑が浮上するなど、日韓合意の履行を危ぶむ声もある。執筆者の一人は「22年まで使う歴史の教科書に慌てて書く必要があったのか」と話す。
 14年1月に検定基準が改定され、ときの政権の立場が強調される傾向は強まっている。「政府見解がある場合はそれに基づいた記述」「近現代史では通説的な見解がない数字などはそのことを明示」といった内容で、この基準に基づく検定意見は今回も南京大虐殺(南京事件)の犠牲者数などで計11件あった。「日本では数万~十数万以上など諸説あり」「中国政府は30万以上を主張」と書いていても、「通説的な見解がない」ことを明確にするよう求められた。執筆者の一人は「教科書から多様性が失われ、マニュアル化が進んでいる」と心配する。(木村司、沢木香織)

■小学校道徳の「22の内容項目」(学習指導要領による)
善悪の判断、自律、自由と責任▽正直、誠実▽節度、節制▽個性の伸長▽希望と勇気、努力と強い意志▽真理の探究(5、6年生のみ)▽親切、思いやり▽感謝▽礼儀▽友情、信頼▽相互理解、寛容(3年生以降)▽規則の尊重▽公正、公平、社会正義▽勤労、公共の精神▽家族愛、家庭生活の充実▽よりよい学校生活、集団生活の充実▽伝統と文化の尊重、国や郷土を愛する態度▽国際理解、国際親善▽生命の尊さ▽自然愛護▽感動、畏敬(いけい)の念▽よりよく生きる喜び(5、6年生のみ)

朝日デジタル 前田育穂、菅野雄介 木村司、沢木香織 2017年3月24日23時15分

「あなたたちはこれを何て呼ぶ?」キャベツを指さした台湾の原住民の方がそう言う。
「キャベツ…ですか…?」
「あなたたちの先輩たちはこの島に来て、これを玉菜と呼べと強制しておいて、自分たちはキャベツと呼んでいるんだ…。」
そんな会話を読んだのが2012年2月に厳しい金銭をやりくりしてでも台湾に行こうと決意した最初のきっかけでした。

自分たちで敵国語と勝手に決めて禁止させ、禁止を守っている庶民を見捨てて、自分たちはカタカナ語に戻す変わり身の早さと節操のなさ。これを日本人の誇りとか日本文化への愛情というのならチャンチャラおかしいというものです。

パン屋だと郷土の文化や生活に親しめず愛着がわかないというのいうのでしょうか?
それを発言している人たちの食事や生活はどんなものなのでしょうか?
明治以来150年弱の歴史、そこには良くも悪くも様々な利便を取り入れてきました。洋食を食べる文化、イスとテーブルの生活様式、和服から洋服に移行したファッション。それは和への愛着じゃないというのなら、少なくとも言われる方々はそれ相応の和へのこだわりをお持ちの上でのご発言なのでしょう。
自分は洋ものかぶれだが、他人の子どもたちには和を押し付けたいというのならそれは偽りの教育であり、そもそもパン食文化が和ではないという発想すら僕は認識違いだと思います。
明治の当初、ちょん髷を切り洋を受け入れた人を「散切り頭」と反発した日本文化の保守勢力。でも今では相撲取り以外はちょん髷を結う人はほとんどいないことから、時代の変化を無視して和だとか洋だとか言っている事がナンセンスなんです。
日本語だって『いとをかし』などと喋っている人を見たことがないどころか、多くの為政者や有識者が自慢げにカタカナ言葉をしゃべっています。
あわせておじさんがおじいちゃんになった、そこには高齢者を慈しもうという教育がある・・・? 生活困窮者を無視して、様々な弱者を無視して、苛めと不登校問題を無視して、高齢者だけを取り上げて何が道徳なのでしょう?
万人平等にいたわりましょうが基本じゃないのでしょうか? 分かりやすいように特化した形で一部を隠し想像させずにいることが過去の子どもたちのホームレス襲撃にも結び付いたのだと思っています。特化した道徳がそこから落ちこぼれる「徳」を作り出してはいけないのです。
特定の人だけを愛する選民主義的な道徳は決して正しいものだと思えません。間違った押しつけにならないことを切に祈ります。

ダウト!!

100万円を手渡しされたのをわざわざ金庫に入れず、振り込むなんておかしい。故にこれはおかしいな、と思っていて、それ故に国会では尻つぼみになっちゃうのだろうと思っていたら、まさかの展開。

とんでもない爆弾証言が出てきた。先ほど終わった衆院予算委員会での学校法人森友学園の籠池泰典理事長の証人喚問だが、午前の参院での証言で出てきた「平成27年11月17日に総理夫人付タニサエコさんからいただいたファクス」について、衆院でさらなる詳細が発覚した。

 午前の証人喚問での籠池理事長の話によると、平成27(2015)年5月29日に定期借地契約を締結し、その土地の買い受け特約が10年だったが「もっと長い期間へ変更できないか」との思いから「私たちの教育理念に賛同している昭恵夫人に助けをいただこう」と考え、同年10月に昭恵夫人の携帯に電話。留守電だったためメッセージを残したところ、後日、内閣総理大臣夫人付のタニサエコという人物から連絡があり、「なかなか難しい」との返事がきた。

 さらに同年11月17日には、以下のようなファクスが送られてきたという。

〈時間がかかってしまい申し訳ありませんが、財務省本省に問い合わせ、国有財産審理室長より回答を得ました。
 大変恐縮ながら、国側の事情もあり、現状では希望に沿うことはできないようでございますが、引き続き、当方としても見守ってまいりたいと思いますので、何かございましたらご教示ください。
 なお、本件は昭恵夫人にもすでに報告させていただいております。
内閣総理大臣夫人付 谷査恵子〉

 このファクス文面はすでに午後のワイドショーで公開されているものだが、午後の衆院の証人喚問で民進党・枝野幸男議員に引き続きこのファクスについて問われた籠池理事長は、上記の文面を読み上げた後、なんともう1枚紙をめくって、文面を読みはじめた。まだ公開されていない2枚目、つまりファクスのつづきがあったのだ。しかも、それは衝撃的な内容だった。

「『10年の定借の是非』『50年定借の変更の可能性』『土壌汚染や埋設物の撤去期間に関する資料の扱い』そして4番(目)が『工事費の立て替え払いの予算化について』というふうなことも書いていただいている。『一般的には工事終了時に精算払いが基本であるが、学校法人森友学園と国土交通省航空局との調整にあたり、予算措置が付き次第、返金する旨の了解であったと承知している。平成27年での予算での措置ができなかったが、平成28年度での予算措置を行う方向で調整中』というようなものをいただいています」

 籠池理事長からの「依頼」に対し、安倍昭恵夫人は秘書を動かして財務省に掛け合い、その上で「国有財産審理室長」が「平成28年度での予算措置を行う方向で調整中」と回答していた──。つまり、昭恵夫人は国有地の取引に関して財務省から回答を引き出していたのである。

 この衝撃的な内容に、枝野議員は「安倍総理が従来おっしゃっていたことと全然違う。本当に重いご発言なんですよ。きょうのご発言は事実と違えば偽証罪に問われ、このファクスが偽造・変造されたものであれば、罪に問われます。間違いないものなんですね?」と確認。しかし籠池理事長は、明確に「間違いございません」と返答した。

 安倍首相は2月17日の国会答弁で「私や妻が(国有地売却や学校認可に)関係していたことになれば、首相も国会議員も辞める」と宣言している。もし、この籠池理事長が読み上げたファクスがほんとうに昭恵夫人側から送付されていたとすれば、昭恵夫人が国有地売却に「関係」していたということになる。

 この疑惑のファクスは早晩テレビなどのメディアにも出てくるかと思われるが、これが事実なら、総理辞任は必至だろう。

リテラ / 2017年3月23日 17時45分

このFAXは本物なのか、結局口利きをしたのだろうか…。
証人尋問、今まで虚偽の発言をして処罰の対象になるのは籠池氏なのか、安倍氏なのか?

麗らかな春の日差しが降ってくる

僕の小学校の卒業式はこんな歌から始まったのを覚えています。

今日はそんな麗らかな良き日。
何組もの親子連れとすれ違いました。

歌詞と曲からなる歌はどちらかは始まるかと言えばケースバイケース。
僕のもう一つのBlogはおおむね写真を撮ったものにタイトルをつけていますが、今日はそんな風景を見て

『礼服に コサージュの母 笑みの春』

うん、すれ違ったお母さんの笑顔と黒い服の胸の白いコサージュを写真に撮れたらUpできたのになぁ…と思いながらもカメラを持ち合わせず残念な日でした。
ご卒業のみなさんおめでとうございます\(^o^)/

3月23日のパトビラ(№971 - ファストフードと場末の飲み屋(2) -)

毎週、野宿を余儀なくされている方(ホームレス)のところを訪問する際に持っていくパトビラ、今日はこんなことを書いてみました。

先週バイト先で給料もらうためには笑顔で接客と言われるからそうしているのだ、と言うのと同じ発想で市役所福祉課職員もいないでほしい、と言う話をさせてもらいました。実はこのように思っているのは今から2000年前にもいたのです。
神から与えられた律法(法)だけを守ればいい、と言う考え方はもうよそうよ。神が何でそんな律法(法)を作ったのか考えて、その意思に従うように生きようよ、と言ったのはキリスト教を始めたイエスです。神は金持ちとかユダヤ人とか心身が元気な人と言った特定の人だけを愛しているわけではない、だから誰もが神に愛されているのだから人間も皆隣人を愛そう、と言ったのです。
仕事は組織内ですることですから、何か決まりがなければだれにどう何を頼めばいいかわからなくなります。でも、その対応をするのが担当官です。その人となり、人間味が律法(法)によって疎外されたり、逆に律法(法)だけ守っていればいいやと言う発想で仕事をしているとすれば、どうしても相手が望むような結果にならないでしょう。
クリスチャンになれとかいうつもりはありませんが、どんな宗教をもっていようが、また信仰をもたない人であっても、社会の中での交流の基礎は「隣人を愛す」にあると思います。


野宿の方をクリスチャンにしたい故にこの活動をしている訳ではありませんが、ベースはこの世の中でLove&peaceで生きて頂きたいという自分の希望はそこここで伝えています。
それは野宿の仲間同士でもそうですし、行政との間もそうです。行政も権力に笠を着せてはいけないですが、相談する側も謙虚に行くことで、お互い相手を尊重できると思います。
この事は人が社会を築くことの基本であり、いつも僕らは頭の中に入れておかなければいけないことでしょう。

律法とは

2017年2月19日、小田原教会に与えられたみ言葉は、ローマの信徒への手紙 2章12-160節。表記のタイトルの説教を中田正道牧師より受けました。今回も礼拝で説教を聞いた内容を一信徒が思ったことを含めて綴ってみます。(説教の要約ではありません)

律法を知らないで罪を犯した者は皆、この律法と関係なく滅び、また、律法の下にあって罪を犯した者は皆、律法によって裁かれます。律法を聞く者が神の前で正しいのではなく、これを実行する者が、義とされるからです。たとえ律法を持たない異邦人も、律法の命じるところを自然に行えば、律法を持たなくとも、自分自身が律法なのです。こういう人々は、律法の要求する事柄がその心に記されていることを示しています。彼らの良心もこれを証ししており、また心の思いも、互いに責めたり弁明し合って、同じことを示しています。そのことは、神が、わたしの福音の告げるとおり、人々の隠れた事柄をキリスト・イエスを通して裁かれる日に、明らかになるでしょう。

アブラハムの時代から神と共に暮らしている。そしてその後、モーセらがエジプトの奴隷の地から逃げていくときに神は盾となって守ってくれた。
と言うシーンから読み取れるのは、神は制約ある「奴隷」と言う立場からの解放、自由を与えてくれる存在。

そしてその直後与えられたのが律法ということから考えれば「律法」の原点は解放や自由のためのものではなければいけない訳です。
コントロールする「律法」が解放や自由である。それがごく一部の人ではなく、すべての人の解放や自由であるためには、その「律法」の根底に「隣人愛」がなければ、誰もの自由である「律法」にならない訳です。

2017年2月12日にマタイによる福音書5章17-20節の御言葉が与えられました。「わたしが来たのは律法や預言者を廃止するためだ、と思ってはならない。廃止するためではなく、完成するためである。」
さて、イエスの言う完成とは何か?

僕の一番好きな聖句であるマタイによる福音書22章36節以下を見ると、イエスは「『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』これが最も重要な第一の掟である。第二も、これと同じように重要である。『隣人を自分のように愛しなさい。』律法全体と預言者は、この二つの掟に基づいている。」
律法と預言の書は、とイエスは言っています。聖書は現聖書どおりに書かれた訳ではありません。イエスの時代のユダヤ教は律法の書である創世記から申命記とイザヤ書からマラキ書までで形成されていました。
つまり神から命じられた生き方をひと言で言えば神を愛せ、と同時に隣人を愛せ、に尽きるというわけです。

そういう今日のパウロの真意は3章28節に書かれている信仰義認です。
信じること、神に帰依することのみが信仰のベースである、と言う考え方ですが、今日の箇所を見ると律法の行動にこだわっているように見えます。
が、律法を真摯にこだわることは、本気で聞く、本気で知ろうとすることでしょう。それは行動です。
聞いて、心に留めていれば、日々の行動が変わります。

隣人を愛せ、と言う言葉をフーンで終わらせていれば、真剣に隣人を愛そうという行動をとらないでしょう。でも、その言葉が神から与えられた言葉と真摯に問うていれば、日々の生活の中でそういう場面に当たった時行動をとることができます。

信仰義認とは信仰に基づいた行動と言う意味だと思います。イエスも行動を起こしながら生きました。イエスのみあとを歩む僕らも同様であることが求められているのでしょう。
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